兎の放蕩物語


道後で見つけた夏目漱石の一面

<e122e> 道後で見つけた夏目漱石の一面
1901年 文部省の要請で英国ロンドンに国費留学した夏目漱石
わずか2年間で700冊の本を買いこんで一人異国の地での英語研究に頑張って暮らしていた。
出発前には妻に「俺は学者で勉強せねばならない身だから、おまえなんかに構ってはいられない。それは承知しておいてもらいたい」と言い放った漱石がロンドンからは妻に家族の写真を送ってくれと連絡し送られた小さな子供の写真を部屋に飾っては「おまえがしきりに恋しい」と妻と家族への恋心をつづっている。

現在 道後リボーン計画で建物の内部改装中で手塚治虫氏の「火の鳥」のバルーンで覆われる「道後温泉」の高台の駐車場の足湯から見下ろすときに漱石の一文が偶然目に入った🐇

「俺の様な不人情なものでも̪しきりにお前が恋しい」の短い文面は妻境子に送った手紙の一文でした。

20代で医学生としてドイツ留学した森鴎外は異国での恋愛で青春を謳歌していましたが妻子持ちの35歳の漱石はまた違う環境で異邦人と馴染めずに苦しんでいたことが理解できる松山・道後での🐇の新しい発見でした。

文学の町松山は漱石や正岡子規が身近に感じられ静かで路面電車が走る興味ある街になりました。
20/06/20 (Sat)


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