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喜怒哀楽の怒の持続性が著しく低いのです。 喜と楽はちょう高い。 だって気持ちイイからねー
もともと怒に至る事が滅多にナイゆる〜いお脳なのは自分でも知ってます。 統計とったら大半のヒトはここで怒る、て所でも 「えぇ〜なんで〜なんでなのよぉ〜う」(ONE PIECEのボンクレー風に) て、悶々と非生産的な思考スパイラルに陥っとるし。 んで、そのうち哀に移行しとるし。 たまに噴火しても、ちぎー!( >Д<)て喚いてんのはもって3日。 4日目には無心。 修行スイッチ入って座禅モード。 NHKの集金が来た時のブッダとイエス。 ビタッ!て静止するよ。
…コレがいかんのではナイかと。 や、あの神達が、ではなく… (ニコ動のアフレコしてみた動画見たら必要以上に色っぽい声の声優さんで18禁動画に指定した)(白痴の中で)
話を戻しましてー 怒りが持続しないのは一種の丸投げなんでは? そう自問しておるのです。 冷静に成ってるのとは違うにゃあとか思うんす。 怒に直面し何故自分が憤りを感じて居るのか、そんで望む理想郷は何処に在るのか、 そいつが分かったとして押し通すか潰すかはまた別の話として
要は己自身を知りたいにゃあ。 好きなモノはすぐ答えられるけどイヤンなモノはなかなか浮かばないもの。 (すぐに浮かぶのは生ウニです。オウッフなるよ)(塩ウニは食べる)(素敵な肴です)
己の激情に直面し、腰を据えて対峙して。 まずはそこからやと思うんす。 集束(或いは終息)するまで鮮度のイイ怒の前にどっしり胡座かいてニッコリ笑って「んで?」てやらななあと。 どうせどう足掻いても主観の世界なんやから突き詰めたいっす。
いつもぷりぷり怒って居たい訳ではナイんで 誤解なさらぬようお願い申し上げます。 なんつーの?自我境界が曖昧過ぎる生き物が無いモノねだる性?(画像の引用原因がここに)
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