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朝に目を覚まし、夜になれば深く眠る。喉が渇けば潤し、腹が減れば満たす。どうあがいても勝てないものが、生理現象というものである。生理というのは読んで字の如く「生きる理(ことわり)」であり、死が訪れるまで、どんな人間であろうと支配され続けなければならない。 いつも思うことがある。それは、「自分の気持ちは自分でも奪えない」ということだ。女だから感情的だという通説を、科学的に否定し続けている私にとって、言葉に換えたこの思いは、何よりも大事なものの一つにしている。 人間は自分を不自由にさせる世の中を創ってきた。社会的な場では、それはより一層顕著になる。誰にも通過する出来事で、それを実感することになる。 俗に、恋と言われるものは、全くといっていいほど、自分を不自由にさせる。心ばかりではなく、体、時間、人間関係、将来、自分を取り巻く環境にさえ影響させる。 多分、頭の中に恋の正体がある。だが、感じる部分は体だ。 好きな人ができれば、朝目覚めても胸が少し苦しい。ため息を吐いては、思い描くものは恋する人のことばかり。 「今、あの人は何をしているのだろう」 自分の意志が届かないところで、好きな人が活動しているのがたまらなく苦しいのだ。傍にいたい、というそれ以外に表現できない気持ちに苛まれる。 その人の近くに寄り、立ち姿を見、声を聞き、匂いを感じ、ふざけあっては触れ合う。まるで、自分の五感が覚醒したかのように敏感になる。 しかし、ずっと傍にいれるはずがない。それは本人が痛いほど分かっていること。離れていくにつれて、また胸が苦しくなりだす。ごはんは喉を通らなくなり、夜にふと目を覚ます。 この気持ちは辛いというほどのものになる。何せ自分の体が自分の思いどおりに動いてくれないからだ。 正しい答えはないのに、あたかもそれがあるように自分を振舞う。嫌だと思う自分をも表に出してしまう。 心だけじゃなく、身体も、その二つを伴った行動や言動ですら、自分がどうにかして奪えない。
人はいつもそうやって、不自由を求め続けているに違いない。いつまで経っても、人間の変わることのない営みなのだろうか。 好きになることが、自分を不自由にさせるほど辛いことなのだけれど、そのドキドキと浮かれるほどの気持ちを遂げたいと思う。それほど情熱を持ちたいというのが、人の性なのだ。 恋とは不自由なものだ。 自分の望むことに拘わらず、大きく細やかに心は動く。 体は言うことを聞かなくなる。 はけ口などすでにして無くなり、淫らな感情を押し留める。 抜け出したい状況。 抜け出せない状況。
不自由であるが故に、恋とは楽しく、亦、辛い。対局に在る感情が、同じ価値をもつほど難しいことはない。
---------------------------------------------------- 引き続き:南風(昔の名前) お城-見つかりましたか?
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