チャンカーはマリオン


 ●●●  ごあいさつ
ごあいさつ
まずはマリオンのサイト「NO-RUN」
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Live/7627/index.html
の自己紹介ページから抜粋

自己紹介です(平成17.年5月7日現在)

■名前 : マリオン
■生年月日 :1969年生まれ ふたご座 O型
■職業 : いちおー専業主婦
■住み家 : 北海道の日本海 積丹半島の小さなちーさな漁村 能蘭岳のふもと 
■家族 : 夫1名 (夫のホームページはこちら) 
■好きなもの :  (たばこはやめます、、、って、いつになったらやめるんだ!!)
    音楽 JAZZ  日本海 自然 笑い 酒  映画
■病気 : ときどき幻覚や幻聴や妄想に襲われる統合失調症になります。
平成16年9月3日に子宮頸癌・直腸癌で広汎子宮全摘術+骨盤内リンパ節郭清+直腸切除+人工肛門(ストーマ)増設手術をしました。
平成17年4月の検査で、癌が再発・転移していることが発覚。癌と共存しながら生きています。いつ死ぬかもしれないという不安に駆られながら、ぼちぼち田舎で生活しています。
ストーマ生活のため、身体障害者認定を申請中。
平成17年5月より、癌治療のため、大阪で活性化リンパ球療法という免疫療法を受ける予定。また、腎臓から膀胱までの尿管が、両側尿管狭窄のために腎不全を起こしうるので、尿管にステント(管)を入れてます。これは、3ヶ月に1回交換しなくちゃいけません。
       なんでこんなに病気するのか、日頃の行いがよくないきっと罰当たりモノなんでしょうかねぇ。
 ・・・と、こんなもので、お許しを。

追記
2005年6月16日21時27分 
夫・吟弘の腕の中で息を引き取る。 享年36歳

その後、演奏する事を毬音への供養と札幌にて細々とライブ活動する、やさぐれドラマーの拙いサイトです。

お時間ありましたら、2004年の書き始めからご覧いただき、生前のマリオンを感じ取ってもらえると幸いです。


吟弘 ds.ginghiro@gmail.com
2030/12/31 (Tue) 23:59

 ●●●  4/18〜4/21今年2度目の帰省
4/18〜4/21今年2度目の帰省
福岡空港から母の施設へのアクセスが結構面倒で福岡天神からバス1本で行けるルートを見つけたが本数が少ない。
いつもは小倉に宿を取っていたが、今回初めて黒崎に宿を取った。
この選択は母の施設までのアクセスにはかなり便利で、これであれば半日仕事をして母の面会にも行けそうである。
時期的に福岡は桜はすっかり終わり、つつじが最盛期。畑にはレンゲが咲き乱れていた。間もなく藤の花も最盛期を迎える頃か? スーパーには早々とスイカが並んでいた。 自分もだが、母もスイカが好物なので買って持っていきたかったが、施設から食べ物の差し入れは制限されているので差し入れは断念。今思えば自分が食べたら良かったと後悔。
今回余った時間で数十年ぶりに皿倉山へ登った。 小学生の頃、夏のお恒例で家族でバンガローに泊まっていたのがこの皿倉山のキャンプ場。 今ではバンガローは姿を消している。、  ケーブルカーで登って更に山頂へ景色を眺めながら登るゴンドラがあるのだが、バンガローに泊まっていた頃はまだリフトだった。 今回ケーブルカーやゴンドラの職員さんにリフトだった頃以来の訪問と告げるととても懐かしそうに話してくれた。 多分その職員の方々も僕と年齢的に変わらないと思われる。
黄砂が激しくて山頂からの景色はぼやけ、夜景を見ようと日暮れを待っていると次第に人混みが増えてきて、聞こえてくる会話が日本語ではなく遠慮深さを感じさせない行動に少々不快感を感じたので、そそくさと下山した。

母が住み慣れた戸畑区のある地域。 今では住処は無く訪問しても落ち着ける場所は無いのだが、帰省の度に立ち寄ってしまう。そして懐かしさと喪失感に襲われる。
何故この地域に自分が拘ってしまうのか考えてみた。
30数年母が暮らしたこの地域。自分としても帰省場所はこの地域であると記憶に刷り込まれている事も大きいが、元気だった頃の母の記憶に触れられるからだと今回気付いた。 そんなこんなでその地域・土地に対して感謝をした次第である。 これからも帰省の度に訪問するのだろう。
2024/04/21 (Sun) 21:24

 ●●●  毬音225回目の月命日
毬音225回目の月命日
1日陽の当たらない部分に所々残雪を残し、日差しも風も春の兆しを含むようになった。 
先日タイヤも冬用から履き替え完了。
先週金曜には、自分が10年くらい前にしばし顔出ししていた「札幌ジャズ勉強会」なる団体のライブ&ジャムセッションがあり、依頼されて演奏した。
当該団体メンバーのセッション目的の人達等で小さなお店がほぼ満員状態。
自分好みの演奏ができるライブではなかったけれど、多くの人前での演奏はモチベーションも上がり楽しい。 まぁ毬音が喜びそうな内容では無かったけれど。。。
昨夜チキンライスの下ごしらえをしてたので、今朝は卵を焼いて包むだけでお供えのオムライス完成。 明後日から今年2度目の帰省で施設の母に面会に行く。 今の奥さんの事もわからなくなっている母に毬音の話をしてもまったくわからないだろう。 今のこの瞬間にしか意識が無い生活ってなんだかジャズっぽいなとも思った。
今日の写真は去年広島・宮島に行った時の桜。 札幌ではまだまだ桜は先の話。
2024/04/16 (Tue) 13:44

 ●●●  想@ジャムジカ
想@ジャムジカ
日の当たらない場所にわずかに残雪を残しながらも先日の日曜は天気も気候も良く、近所ではTシャツ1枚姿でタイヤ交換してる姿を多く見かけた。そんな季節になりました。
最近町中のコインパーキング等の駐車場料金が軒並み値上がり。 今日は演奏する店の周辺で安い駐車場を新規開拓して探し回り格安の駐車場を見つけて停めた。17時以降明朝までMax500円という破格値。しかし入庫ゲートやバーも無くセンサーが設置されてる様子も見られないので、17時以降に入庫した事をどう証明できるのかが不安で、退出時に時間計算で高額になる可能性も考慮して停めてみた。
今夜は去年8月以来の想での演奏。 こんなに期間が空いていたとは思いの外だった。 お客さんには久々に来られた方や斜里から来られた方もおられ恐縮いたし候。
途中から自分の耳がおかしくなったのか、ドラムの音色がまったく響かなくなり音的バランスが取れなくてもがくような演奏になってしまったのが残念。
帰りは駐車場料金が不安だったけれど無事に500円で済み、安堵して帰宅。
次回の想ライブは8/30の予定。
2024/04/08 (Mon) 23:48

 ●●●  浮田バンド@ジェリコ
浮田バンド@ジェリコ
浮田俊也さんTpリーダー、ピアノ中島弘惠さんベース矢木章さんのバンドにお誘いいただき、毬音お気に入りのお店ジェリコにて演奏してきました。
選曲もかなり僕の好みに寄せていただきとても楽しく演奏させてもらいました。
毬音にもかなり楽しめた内容だったんじゃないかと自負しています。
録音(録画)を確認したら、自分の音の雑さに少し辟易してしまい、反省。
今後の演奏には意識を持って行かねばと思う次第。
しかし性格が雑だから音に出るのだろうww

とにかく楽しんだもの勝ちということで!
2024/03/27 (Wed) 1:50

 ●●●  毬音224回目の月命日
毬音224回目の月命日
マスク姿、まだまだ多く見かける。 僕は2年半程前からマスクはやめたが、病院や老人施設ではまだまだ着用を強制される違和感。
今の世を嘆いたところで気分が落ち込むだけなので、嘆くのはやめてへんてこなご時世を楽しむ事にした。 ここまであからさまに常軌を逸脱した政府に翻弄され、蔑ろにされてもおとなしい日本人。ある意味凄いと思える。

さて、毬音の月命日の今日。 朝は少し早めの仕事開始だったので冷凍のオムライスで勘弁してもらった。花もお供えできない相変わらずな貧乏所帯だが、気は心。 祈りは欠かしていない。
ありがたい事にお誘いいただいて、今月末には毬音のお気に入りのお店でライブ。張り切って演奏させていただきます。
2024/03/16 (Sat) 11:21

 ●●●  Bonquartet@レージーバード
Bonquartet@レージーバード
午前中に大雪が降ったけれど、ライブの時間にはおさまりどうにかレージーバードにたどり着いた。
このバンドは自分的には苦手なバップにあえて挑み自分なりのバップへの対応方法を掴む目的もあるけれど、ついつい自分の好きな曲も織り込んで選曲から全体的方向性が定まりにくいのだが、なるべく自然な流れになるように毎回曲順を試案している。
午前中の大雪に関わらず、そこそこお客さんも来てくださりありがたかった。
どんな人にもありがちな事だけど、自宅でみっちりと自己練習しても本番では功を成さない。スポーツに於いても練習では完璧だが、試合に弱い人とかいるものであって、演奏に限ったことではないと思うが、逆に本番に強い人も居る。
できることなら後者の本番に強い人になりたいものである。
どうも本番での演奏では焦りに似た何かを受けて余裕を失いがち。これはひとえに場数を踏むしかないのだろうが、どうにも演奏の機会が少ない自分にはなかなか大変な問題なのだ。 でも演奏は楽しい。この根本が失せない限り少ないながらもライブを続けていきたいものだ。
2024/03/10 (Sun) 23:05

 ●●●  ブーさん逝ってまる2年
ブーさん逝ってまる2年
ふぶきが居なくなってもう2年も経った。
姿も無く触る事もできないが、彼の存在は失われずに心に留まっている。
我が家の経済的問題から、ここ2年は仏さんへの献花、お供えができない状況から、ブーさんにも何もお供えできなかった。スマン。
収入から税金が搾取する比率が6割に近いにも関わらず、納税者には何の見返りもないとは、国民はほぼ奴隷と化しているわけだ。

札幌の積雪はまだまだ豊富で、ようやく近所の排雪が入り少し路面はマシになった。
以前から気になっていたのだが、「無洗米」の固有名詞だが、文字からすると洗ってない米とも意味が取れそうで、あまり良いネーミングじゃないと思っている。 そもそも米は洗うのではなく、研ぐのだから、「無洗」は全く的外れじゃないのだろうか。。。
2024/03/03 (Sun) 7:38

 ●●●  毬音223回目の月命日
毬音223回目の月命日
札幌雪まつりが終わったとたんに最高気温10度を超える異常な気温が2日続いた札幌は積もった路面の雪がとんでもなく酷い状態になり、スタックする車が多発。買い物に出かけるにも慎重に道を選びロディオのような乗り心地と運転で挑まなければならなかった(;^ω^)
昨夜遅くから吹雪模様になり、今朝はホワイトアウト状態の吹雪。
近所の小学校の登校風景を見てホワイトアウトから生徒を守る緑のおじさんのご苦労に頭が下がる思いだった。
それにしても、こんな吹雪の中、上下白い服を着ている生徒さんを何人か見かけたが、この状況でその服装は危なすぎる。 親御さんは何を考えて白1色の服で外に出したのか理解に苦しんだ。
そんな今回の月命日のオムライスは、毬音の好物のひとつだったナポリタンを玉子で包んだ、オムナポを作ってお供え。
好物を好物で作ったからさぞかし喜んでくれただろう。
2024/02/16 (Fri) 18:10

 ●●●  1/21-26帰省
1/21-26帰省
1月21日の朝は冷え込んで-10度くらいになった中午前中の便で福岡へ。
空港から直で母の入院している病院へ面会に行くが、母はしばらく僕の事をわからずぼんやりと見ていたが、次第におぼろげながら僕を息子と認識してくれた。
翌日は退院付き添いで病院から老人ホームまで結構な距離をタクシーで移動。母はどこに行くのか分からない不安からか無口であり、時折話しかける僕の言葉にも反応がチグハグ。着いた所で自分が生活していた空間も忘れていて何処だかわからない模様。 ケアマネさん施設の方との今後の対応をミーティングして暗くなった夕刻に直方、若松を回り若戸渡船に乗船。渡し場のバス停でバスを待っていると強風の中みぞれ・あられが降り出しとても寒かったが途中の母の生活地域でバスを降り見て回りながら馴染みのスーパーで買い物をしてホテルの戻る。
翌火曜は大雪予報は恐れていたほどでは無かったので、午前中の仕事を終え動いているJRで直方まで行き筑豊電鉄に乗り換え、夕方ギリギリの時間に施設で母と面会。バスで黒崎へ、そして宿へ戻る。 水曜は黒崎から筑豊電鉄に乗り、子供の頃過ごした永犬丸や三ヶ森を車窓に見つつ母の施設のある電停まで行き面会。そのご直方の出て若松へ行き渡船で戸畑。戸畑からは歩き慣れた道を20〜30分程歩いてかつての母の生活区域に寄ってホテルに戻った。
ホテルに戻るバスの中で、もうこの地域には母の生活ベースは無く自分にとっても戻って来ても寛げるスペースは無いと実感すると激しい喪失感を感じた。
札幌に戻る木曜。新千歳空港が荒れた天候で飛行機が飛ぶか怪しい状況だったが、ホテルをチェックアウトしてバスで黒崎、バス乗り換えて母の施設へ寄りわずかな時間だが面会をして、更にバスで福岡天神、地下鉄で空港に至った。
飛行機は着陸できないと判断した場合、羽田で給油して福岡に戻る時事を条件に離陸。 遅れながらも札幌に戻る事が出来た。
日曜から木曜まで毎日面会できたが、母には前日の面会の記憶はなく、その都度「いつ来たとね?」と新たな面会として会話するのだった。
2024/01/26 (Fri) 18:13

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