ArcArk-00


オリカビとカービィ
自分は随分と前からオリカビを描いていない。
それはオリカビが嫌いになったとか、オリカビに批判的になったとかそういう類の理由ではない。


オリカビは前通り好きだ。
が、同時にオリカビという存在に小さな疑問を抱かざるを得なくなったのである。

『最近のオリカビはカービィらしさがない』

これが小さな疑問のきっかけである。
そもそもオリカビとは何なのだろうか。

オリカビ、いや、オリジナルカービィとは一般論的には「カービィ」というキャラクターの二次創作である。
二次創作はオリジナルになり得ない。
オリカビとはこの大きな矛盾を既に内包しているのである。


ではオリジナルとは何か。
「オリジナル」とは堅い言い方でいえば「起源」である。創作という点で最近の用途から読み取れる意味合いでは「独創的な」という方が正しいかもしれない。
オリジナル○○とは○○を種の起源とした創作だ。
ということはオリジナルカービィとはカービィを種の起源とした創作なのである。
これは「カービィは種族」として取り扱うことによって成り立つ。
カービィは種族なのだろうか。


種族とは根底にあるもので、いわばオリジナルそのものとして成り立つものである。
例えば哺乳類、鳥類、小さく分けると人間、猫、犬など。
オリジナルヒューマンやオリジナルキャットという言い方は無いが、様々なキャラクターをあえて枠組みを分けて言うならそういう言い方になる。
これは現実に沿ったものに限らず、想像上のものにも当てはまる。
妖精や竜などにも種族自体が既に根底として築き上げあれている共通の意識である。

そういうものを創作界ではまとめて「オリジナルキャラクター」とした。
「存在全体」を起源としたのである。
自らの創作で描いた妖精のキャラクターは、それはオリジナルの
キャラクターということになる。

そして「カービィ」は大きな「オリジナルキャラクター」という枠組みの中の「一人」として「固有の存在」であることは明確だ。
「星のカービィシリーズ」でシリーズ毎に見た目が同じである別のカービィという生物、という訳ではない。間違いなくシリーズ毎に彼自身である。
(多人数プレイなどに出てくる色違いのカービィは多人数でプレイできるというゲームのシステムにのっとったものとする)

キャラクターというまとまりの、更に種族(あえて分けるならば球体人、頭足人など)という枠組みからも一歩踏み出た、種族にはなり得ない存在なのである。

「カービィ」は大きなまとまりを指す言葉ではない。
そこに、あえて「オリジナル」カービィと付け加えるなら、それはカービィの固有である存在を否定していることに他ならない。
何故ならば、「オリジナル」であるのは間違いなく彼自身だからだ。
オリカビはカービィに「オリジナル」という形容詞をつけただけで、元のカービィとはいともかけ離れた存在になってしまっているのである。



しかし、オリカビは二次創作という形で存在しているのは事実だ。
オリカビは「カービィ」という正典(キャノン)を否定して創作を行う「アプロプリエーション」そのものなのである。
こういう見方をすればオリカビは正当化されてるとも言える。
意味は矛盾しているが、二次創作としてはあながち間違った存在ではないのである。

勿論、そこには既に「カービィらしさ」である必要がない。
話は最初に戻るが、自分の疑問はカービィらしさの消失だった。

実際のところ自分は「カービィ」が大好きだったのである。

小さい頃からあの可愛らしいキャラクターが敵を倒して進む様はヒーローだった。
突き詰めれば突き詰めるほど、カービィとは距離が遠くなっていくオリカビ界についていけなくなったのはそのためだと思う。

何度も言うが、オリカビが嫌いになった訳ではない。
これからもこの界隈と付き合っていくことになると思う。


でも心の片隅には、皆に「カービィ」という存在を忘れずにいて欲しいのだ。
2009/07/20 (Mon) 15:53



 限無夢幻
現実とはムゲンである。



      現実にゆめはかぎりがあり
      現実にまぼろしなどというものははない
しかしながら現実はかぎりがないものである
    結局現実とはゆめまぼろしのようなものなのだろうか




















というのを、ふと思いついた。
2009/03/19 (Thu) 22:17


好き嫌いを無くそうの巻
絵って、別に嫌いなものを無理矢理描く必要ってないと思います。
まぁ当たり前なんですが。

じゃなくて、要は好きなものだけ描いとけばいいと思います。
嫌いなものを無理無理に描くほど、絵師にとって嫌なものはない。
モチベーションも下がるし、何より絵を描くこと自体嫌いになるかもしれないじゃないですか。



しかしながら、偏った描き方をする方があまり上達しないのも実話。
実際に自分の近くで絵を描いている奴が一人いるんだけど、
そいつは本当に萌えというかそういうタイプの絵しか描かない。
2、3年描き続けているらしいのだが、お世辞にも上手いとも言えない…。
勿論、そういった絵を描いてるのを批判している訳じゃない。
好きなものを描くのは人の勝手だとはちゃんと分かっていても、
ちょっと駄目だな、と思ってしまうときがある。

例えばだけど、
女性一人描くのも、やはり男性の特徴を知ってこそだと思う。
そして女性の描き方が分かったら、より一層男性のことが分かったり。

これはほんの一例ですが、他にも色々な関係が結びつきあって、
絵って上達していくものなんだと自分は思います。





ならばどうやったら好きなもの且つ色々なものを描けるか。


単刀直入に言うと、なんでも好きになればいいと思う。


って簡単には言うけれど、それが難しいことなのは分かってます。
人によっては許せないくらい嫌いなものあると思います。
だけど、嫌いなものを好きになる努力って必要だと思いませんか?
嫌いなものをいつまでも毛嫌いするのですか?

まぁ今は好きと嫌いの両極端な話ですが、今まで普通に思えてたものでも
気に入った点を見つける力って、物凄く役に立つと思います。
それは絵も例外ではなく。




とふと思ったので書いてみた。
2009/02/07 (Sat) 1:50


モノゴト順序法則
逆ベクトル的な何か。


最近pixivでも見てると、
「上手い人は何でも描けるなー」
と思ってしまう。

そこで自分はこう思う。
上手くなってなんでも描けるようになりたい、と。


でも、思い返してみたら実はこれって逆じゃね?
と思うわけです。
絵が上手い人は上手いからなんでも描ける訳じゃなく、
何でも描けるから上手いのではないかと。

ま、まぁ、それは当たり前のことなんですけど、
結構これって忘れられがちじゃないですかね?

絵が上手くなりたいっていわば最も大きな部分の願望ですよね。
例えばパイロットになりたいとか歌手になりたいとか、
絵を描く上では終着点的な何かであるわけですよ。
(まだ上にイラストレーターになりたいとかがあるでしょうケド)

ということはそんな雲の上を見上げるようなことを言ってても上達しな気がするんです。
結局は最終結果のみを望んでいる訳ですからね。
実際に必要なのはそこにたどり着くための足場、
言い換えれば目標と努力です。
やはりもっと足元を見て歩かないと、中々前に進めないんですよね。

近頃、絵が上手くなりたい願望を抱く方々が多いような気がします。
上手くなりたいという気持ちを持つことは大事ですが、
身近で自分の可能なことを少しずつやっていく方が大事なんじゃないかな?
と忠告みたいなものを送っておきます。



自分にも。
2009/01/13 (Tue) 16:16


ちょっと踏み込んで
↓で久しぶりになんかぶちまけた気がした。


あんまりあからさまな愚痴などをぶちまけるのって好きじゃないんですよね。
特にブログとか皆様の目に触れるところで。
まぁ下の奴は愚痴というより心情語りみたいなもんですけど。

まぁ他人が愚痴を流すことは別にいいと思います。
それがその人の救いになるというのなら、それもまたアリだと思います。
ただ本音を言わせてもらえば、
それが少なからず他人の気分を害することもあるっつーことでしょうか。


というのも自分の情報発信所である自分のブログを自分の手で汚すのは、
やっぱり嫌だなーと思うわけです。
自分がされて嫌なことを、あえて自分がする意味ってなんでしょうか?
まぁ捕らえ方は人それぞれで、実際に自分も他人の愚痴はOK派なんですけど、
やっぱり自分は大っぴらに愚痴を晒す意味が無いんですよ。
自分で言うのもアレですが割りとポジティブなんでw




ということで、少し踏み込んだ話などはここでひっそりとやっていきたいな、と思ってます。
といっても、もう誰もここを見てはいまい!!という概念で。
見てしまって、なんかコメントしたい方はブログの拍手でお願いします。
しかしながら拍手自体も最近確認してないんですがw

まぁ、ここは普段見せないARAというものを見たい方向け、
ということにします。
2009/01/11 (Sun) 23:12



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