自分は随分と前からオリカビを描いていない。
それはオリカビが嫌いになったとか、オリカビに批判的になったとかそういう類の理由ではない。
オリカビは前通り好きだ。
が、同時にオリカビという存在に小さな疑問を抱かざるを得なくなったのである。
『最近のオリカビはカービィらしさがない』
これが小さな疑問のきっかけである。
そもそもオリカビとは何なのだろうか。
オリカビ、いや、オリジナルカービィとは一般論的には「カービィ」というキャラクターの二次創作である。
二次創作はオリジナルになり得ない。
オリカビとはこの大きな矛盾を既に内包しているのである。
ではオリジナルとは何か。
「オリジナル」とは堅い言い方でいえば「起源」である。創作という点で最近の用途から読み取れる意味合いでは「独創的な」という方が正しいかもしれない。
オリジナル○○とは○○を種の起源とした創作だ。
ということはオリジナルカービィとはカービィを種の起源とした創作なのである。
これは「カービィは種族」として取り扱うことによって成り立つ。
カービィは種族なのだろうか。
種族とは根底にあるもので、いわばオリジナルそのものとして成り立つものである。
例えば哺乳類、鳥類、小さく分けると人間、猫、犬など。
オリジナルヒューマンやオリジナルキャットという言い方は無いが、様々なキャラクターをあえて枠組みを分けて言うならそういう言い方になる。
これは現実に沿ったものに限らず、想像上のものにも当てはまる。
妖精や竜などにも種族自体が既に根底として築き上げあれている共通の意識である。
そういうものを創作界ではまとめて「オリジナルキャラクター」とした。
「存在全体」を起源としたのである。
自らの創作で描いた妖精のキャラクターは、それはオリジナルの
キャラクターということになる。
そして「カービィ」は大きな「オリジナルキャラクター」という枠組みの中の「一人」として「固有の存在」であることは明確だ。
「星のカービィシリーズ」でシリーズ毎に見た目が同じである別のカービィという生物、という訳ではない。間違いなくシリーズ毎に彼自身である。
(多人数プレイなどに出てくる色違いのカービィは多人数でプレイできるというゲームのシステムにのっとったものとする)
キャラクターというまとまりの、更に種族(あえて分けるならば球体人、頭足人など)という枠組みからも一歩踏み出た、種族にはなり得ない存在なのである。
「カービィ」は大きなまとまりを指す言葉ではない。
そこに、あえて「オリジナル」カービィと付け加えるなら、それはカービィの固有である存在を否定していることに他ならない。
何故ならば、「オリジナル」であるのは間違いなく彼自身だからだ。
オリカビはカービィに「オリジナル」という形容詞をつけただけで、元のカービィとはいともかけ離れた存在になってしまっているのである。
しかし、オリカビは二次創作という形で存在しているのは事実だ。
オリカビは「カービィ」という正典(キャノン)を否定して創作を行う「アプロプリエーション」そのものなのである。
こういう見方をすればオリカビは正当化されてるとも言える。
意味は矛盾しているが、二次創作としてはあながち間違った存在ではないのである。
勿論、そこには既に「カービィらしさ」である必要がない。
話は最初に戻るが、自分の疑問はカービィらしさの消失だった。
実際のところ自分は「カービィ」が大好きだったのである。
小さい頃からあの可愛らしいキャラクターが敵を倒して進む様はヒーローだった。
突き詰めれば突き詰めるほど、カービィとは距離が遠くなっていくオリカビ界についていけなくなったのはそのためだと思う。
何度も言うが、オリカビが嫌いになった訳ではない。
これからもこの界隈と付き合っていくことになると思う。
でも心の片隅には、皆に「カービィ」という存在を忘れずにいて欲しいのだ。