ザ・悶々ダイアリー 〜ケンジ・モンモン〜


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「kjmonmon meets "高橋文子(母)"」

10年という月日が長かったのか短かったのか今の自分にはわからないけれど,この瞬間を迎えられて心から嬉しく思う
10年前の2009年5月4日
23歳kjmonmonは心の中で誓いを立てていた
"もしもこの悶々ブログが10年間続いていたら,今日の想いをこの悶々ブログに記そう"と
いつかの未来を創造し
ずっとその背中を夢見てた


【中学生】
サッカー部の練習を終え,くたくたになりながら帰宅すると,リビングのテーブル上に病院の書類のようなものを見つけた
怖いものみたさにページを一枚一枚めくり上げると"高橋文子""癌"という文字だけが目に入り込んできた
母の名前と絶対に寄り添って欲しくない文字がそこにはあって
どういうこと?なにかの間違いだと信じられず,父にも兄にも確認することはなく自分の心の中でとっさに消化する道を選んだ
きっと癌の疑いがあるだけかもしれないし,実際に調べたら大丈夫だったとかそういう類のものだと信じたかったし,本当にそうならきっと親から話してくれるだろうと思っていた
でも俺は
怖い現実からただ目を背けていただけなのかもしれない
こんな大きな現実と言う名のボールを受け止めることは当時の俺に出来るはずもなかった

受験シーズンは辛い時期もあり,母とぶつかることが多かった
その時に初めて母から"癌"のことを告げられることとなる
俺はリビングの長座布団に寝そべっていて言葉を失った
天井の電球は輪郭が少しずつ滲んで,目に水滴が溜まっていることに気づく
無言で部屋に戻り,暗闇の中でベッドに潜り込み,なんでだろう,なんでだろうと自問自答を繰り返していた
夜が沈み,真夜中の中心がやってきて,自分の部屋でカップ麺を食べると,涙が止まらなくて醤油ラーメンがさらにしょっぱくなって,こんなにも薄くてしょっぱい不味いラーメンを食べたのは生まれて初めてだった

【高校生】
父にリビングに集まるように言われ,俺と兄はリビングへ招集された
扉を開けるとパソコンデスクに腰かけた父が神妙な面持ちで下を向いている
空気に重力がのしかかっているような不思議な空間の中で父が重い口を開けこう言った
「お母さんは癌でもう長く生きられないから,自分のことは自分でやりなさい」と
その後に父はポロポロと涙をこぼした
兄も自分も言葉を失い,言葉の代わりに涙で返事をすることしか出来なかった
そんな空間を切り裂くように母が扉を開け,リビングへ入ってきた
「大丈夫!きっとお母さんは癌に勝つから!泣かないの!」
母は明るく強い人だった
「わかった」としか頷くことしか出来ない自分は大嫌いな自分で
俺に出来ることは何だろうと悲しみに満ちた

学校の授業を終えると自転車で病院に向かい,母と面会するような日々が続いた
母はいつも笑顔で迎えてくれて
楽しい時間しか与えてくれなかった
苦しい顔は絶対に子供に見せない人
そんな人だった
そして母は間違いなく奇跡の人だった
入院した特別な部屋は余命がわずかの患者さんが入る部屋にも関わらず
体に転移した癌が少しずつ縮小し奇跡的に自宅に帰ることを許されるようにまでなった
その部屋に入院し退院出来た人は今まで過去におらず,母がはじめてのことだったらしい
まさに奇跡だった

【大学生】
母は通常の日常生活に戻ることが出来た
野菜ソムリエという資格を取る為に東京へ電車で向かうことも出来るくらい元気になり,大学の文化祭ライブにも遊びにも来てくれた
俺のバンド演奏を見た母は
「賢司は本当にギター上手くなったね!お父さんにはかなわないけど!」
と言った
自分が肺結核という病気にかかり入院生活を余儀なくされた時も,毎日病院に来て励ましてくれた
「私はもう一度死んだ身だからね。神様に感謝して一日一日を大切に生きてるの。」
余命2週間の母から永遠の母に変わったんだと
大学生の頃の俺はそう思ってた

【23歳4月】
母の体調が悪化した
癌が再発しはじめた
家が大好きな母は入院することを拒み,自宅療法という選択をとった

【23歳5月1日】
母の部屋に呼ばれた
部屋の扉を開けると母はベッドの上で優しい表情をしていて,父は不安げな様子で母を見つめてる
「賢司。最近調子はどう?」
とてもとても温度がある優しい声に全てを包まれたような気がした
「体調は良いし,バンドも頑張ってるよ」
そう答えると母は笑顔になり
「そっか。良かった。頑張ってね。体調も気をつけるんだよ。」
何かを悟ったような母の笑顔がそこにはあった

【23歳5月3日】

父から電話があり,母が緊急搬送されたと連絡があった
すぐに病院に駆けつけると病室のベッドの上で横になっている母
もうすでに意識はなかった
父と兄が暗闇に沈んでいて
俺は母を抱きしめて
「お母さん!お母さん!」
と耳元で叫ぶけれど全然気づいてくれなくて,溢れる涙だけが母の身体に染みていく
「もう起きないの!?」
と尋ねると沈黙だけが降ってきた
心臓はまだ動いているはずなのに
どんなに声振り絞っても
どんなに気持ちを募らせても
俺の声は届かなかった

【23歳5月4日】
一度自宅に帰宅し,次の日のお昼頃再び病院に向かった
病室に入ると昨日と同じ
動かない,変わらない景色がそこにあった
意識がない母だけど
心臓がまだかすかに動いている
俺は母の左側に座り,兄は右側に座った
母の右手をぎゅっと握りしめると柔らかくて子供の頃に握った手の感触を少しだけ思い出す

病室の窓から見える景色は春そのもので,青色の空と小鳥の鳴き声と幸せで埋め尽くされたような景色だった

そして

急に心電図の音が慌ただしくなりはじめた
医者も看護婦さんも心電図につられるように慌ただしさを増していく
その時の記憶は曖昧だが
どうやら最期の時らしいという事が理解出来た

看護婦さんが横で
「最期の時だから耳元で話してあげて下さい。ちゃんと聞こえてますし、きっと伝わりますから」
と優しい口調で俺と兄に伝えた

ずっと心に思ってたこと
言葉には出来なかったこと
恥ずかしさとか躊躇いとか全てを取っ払って
母の耳元で伝えようと思った

「お母さん俺を生んでくれてありがとう。お母さんがお母さんで良かった。幸せだった。いつも俺を思ってくれてありがとう。生まれ変わってもまたお母さんの子供になるから。本当にありがとう。本当に本当にありがとう。」

母の左目にうっすらと涙が見えた
別れが悲しいのかな
俺は悲しいよ
バイバイなんて言いたくない
最後に言ったバイバイはいつだったのかなって
過去をたぐりよせても不透明で真っ白

バイバイなんて嫌だ

"ピーッ"という無機質な電子音が耳元に転がってくる
心電図の線が平行線になる
どんな線とも交わらない一匹狼の真っ直ぐな蛍光色の線
どこまでもどこまでも永遠に続いていきそうな一本線は,天国への道筋にも見えた
温かかった母が少しずつ温度を失っていく
この身体にもう母はいないと思った

2009年5月4日
母はこの世界を旅立った

【23歳6月】
父に
「賢司に渡したいものがあるから」と言われ渡されたのは一通の手紙だった
「実はお母さんから預かってたものなんだ。もしお母さんが死んでしまったら賢司に渡して欲しいと言われてたよ」
驚愕だった
今はこの世界にいない母の手紙を読むことになるなんて思いもしなかった
手紙の内容は"俺の健康の心配"と"美味しいカレー,カツ丼等の作り方のレシピ"と
"お母さんのことを忘れないでね"と"いつも賢司の肩に乗ってるから"と"賢司と直渡は私の大切な作品です"と"生きてた期間ずっと幸せだった"という類のものだった
手紙の一文字一文字が母の呼吸に感じられて,
今はこの世にいない母の鼓動を感じることが出来たような気がして
この手紙の中で母は生きてると思ったら涙が止まらなくて,手紙をぎゅっと抱きしめて
手紙という存在が大好きになった

【33歳5月4日】
四日市CLUB ROOTSでのライブを終えホテルに帰宅
毎年5月4日にライブが出来ること,そして母のMCをすることが出来ることは本当に幸せなことだと思う
兄も話していたけれどやはり思うことは自分も同じで,その後に演奏した"バイバイマイガール"は悲しい気持ちに染められたけれども,強く生きようといつも思い直すことが出来る瞬間
人は記憶を忘れてしまう生き物だから
命日や誕生日,お盆の時期に
"あんなことがあったな"
"こんなことがあったな"
と思い出を掘り起こす作業が大切だと思う
いつまでも落ち込んだ姿を見せるのではなく
空の上から見てくれてる大切な人が心配しないように
胸を張って元気に未来を生きていくことが
大切なことだなと思う

それが俺の中での10年間の答えだった



母はいつも笑顔の絶えない人で
俺が落ち込んでる時は元気になれるようにと,沢山の優しさを与えてくれたし,沢山の愛情を注いでくれた
余命2週間と宣告された母が10年近くも長生きしてくれて俺は本当に嬉しかったし,そんな母を心から誇りに思う




お母さん
この10年間たくさんのことがあったよ
お母さんがいなくなってからすぐの頃は
知らない子供とお母さんが歩いてる姿を見るのさえ辛かった
この子にはお母さんがいるんだなと思うといっぱい悲しみが降ってきたよ
でもその悲しみのおかげで人に優しくできる瞬間があったのは事実で
俺に注いでくれた優しさが
また別の人に注がれていくことは嬉しいことだなと思ったよ

小学生2年生の時に俺の視力が悪くなったから
"なるべく夜空の星を見るように"って眼科の先生に言われてさ
よく2人で夜空を眺めたよね
お母さんは横で星座を沢山教えてくれた
「綺麗だね。」って沢山言ってくれたけど
当時の俺には何にも分からなくて言葉が全部右から左へすり抜けていた
でも今なら
25年経った今なら
"綺麗だね"って沢山言える気がするよ

面と向かって会えるのは数十年後かもしれないけれど,その時に沢山のお土産話を出来るようにこれからも自分の人生を一日一日悔いのないように歩いていくからさ
大切なライブの日はたまに遊びに来てね


体調に気をつけてね
お母さん



ありがとう



また会える日を楽しみにしてる








バイバイ





















P.S
10年前のkjmonmonへ
約束は果たしたよ

2019/05/05 (Sun) 1:56


今,少し寒いよ
今,少し寒いよ
雨がポツポツと車を叩いてる
お酒に塗れた今夜は車の中で少し休んで,一粒一粒の未来をじっと眺めてる
雨は車を,この世界の扉を叩き.夜の地面に溶けこんでく
夕暮れと夜の境目と,友達と親友の境目と,愛と恋の境目を考えてたら胸の奥が少し黒くなった
どうしようもない恋のうたと,LOVE ME DOと,I & YOUR SONGとBYE BYE MY GIRL
ずっとずっと奏でてるこの子たちに含まれる女の子は皆違った目をしてる
BeeBeeは男目線,俺は女目線で作曲に対する角度が少し違くて
いつも曲の中に詰め込まれた物語は元気にライブを泳いで,その時に改めて過去を振り返り,今を煌めくことが出来る

もっともっと曲を作りたいと思う

今日は平成最後のライブだった
アメリカからの刺客
STARBENDERSも素晴らしかった

平成最後のライブに来てくれたお客さん本当にありがとう
また令和で会おうね

バイバイ

写真はとちぎマーケットの田中正造Tシャツ

2019/04/27 (Sat) 3:03


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過去の気持ちを上手く文字に起こす事は難しい
10年前のkjmonmonは10年後のkjmonmonに静かな誓いを立てていた
もしもこの悶々ブログが10年先の未来
2019年まで続いていたならば
2009年5月4日の感情をしっかりと
2019年5月4日の悶々ブログで記そうと
毎年抽象的な文章でしか表現出来なかったけれど,ようやく時が流れてきた

あと少しだ

上手く書けるかな

おやすみなさい

2019/04/23 (Tue) 3:23


今日とお別れ
今日とお別れ
4/26宇都宮HEAVEN’S ROCK
B.I.J.Records presents Japanese Rooms 2019 spring tour-ワタシ達、日本バンド扱いデスヨネ?-
w/STARBENDERS / Wannabies / uzu / etc..
OPEN18:00 / START18:30
ADV¥2,500 / DOOR¥3,000(D別)
3/16(土)〜店頭、e+にて発売




突如降って来たメロディは"フラストレーション"のAメロと裏声で上手く手を繋げるだろうか
"首飾り"はまだ歌詞が乏しくて,"4月になれば"はどこかメロディが足りないし,6年前に作った"君の影"は具現化出来ないだろうか,"GARDEN"はまだまだ詰めが甘いし,
"帰ろうか"はアディショナルより好みなメロディで,夢の中で聴いた"ねぇ"という曲はとても悲しい曲
"コーンスープ"は絶対 KiNGONSでは演奏出来ないような不思議な曲

俺にとってはかけがえのない大切な大切な子供たち
いつかステージに上がれるよう
暗闇でギターをかき鳴らし
音符を飛ばし
頭の中で色んな道筋を立てている



伝えたい気持ちは
しっかり伝わっているかな



梅田TRADの天井は煌めいていた
17年前と同じ
大切な煌めきだった

2019/04/22 (Mon) 2:29


早朝ピストンズとの2マンが終了
早朝ピストンズとの2マンが終了
良き夜だった
月も満月でうっとりするほど美しくて,嫉妬した

おやすみ

2019/04/21 (Sun) 4:30


today : 14 yesterday : 55


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