縦た
縦た
錦戸亮が江戸に帰って、阿部寛が死んだときぐらい悲しかった、びっくりした。
そしてまだそれを引き摺っている。
なぜここまで悲しいのか、誰も悲しいと言わなかったからかな。明るくて、納得していて、前向きだからか、しら。
浪漫さんと運動部の話をしていて、人と人との感覚の違いを痛感したのだけど、もうああいう感覚の違いは決定的に実感する感動の生死を競っているね。スポーツ云々ではないのですけど、運動とか歌とか楽器とか別に絵とかもね、恋愛も遊びも含まれたりするのかもわからないけど、私にとって気持ちいいことってあんまり重要じゃないんだろうな。
やむと話してメリバの逆が好きと言って、それもメリバだよと言われて言葉に詰まって、間違えたことも、好きなものを断定的な言葉で定義されるという状態も、私は実際に嫌いだから、やむはああと思ったんじゃないかと思うけど、でもやっぱりメリバじゃないし、かといってその場で冷静に対処できなかったのは、そう思われることを予期したからで動揺したんだった。それはやっぱり雑音とか内向きの意気地やら。泣かないでミュージック。
メリバの逆が好きと言ったのが気軽さでそれがいがみ。メリバの定義についてはまた話したい。でも私の中ではハッピーエンドなんだ、ハッピーエンドではないか?
メリバの話とかいろんな人と沢山したい、しかし傾向を知るには消費が最大値で、違うんだもの。どっちらけ。
2009/09/27


