【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。
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縦た
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縦た
錦戸亮が江戸に帰って、阿部寛が死んだときぐらい悲しかった、びっくりした。
そしてまだそれを引き摺っている。
なぜここまで悲しいのか、誰も悲しいと言わなかったからかな。明るくて、納得していて、前向きだからか、しら。

浪漫さんと運動部の話をしていて、人と人との感覚の違いを痛感したのだけど、もうああいう感覚の違いは決定的に実感する感動の生死を競っているね。スポーツ云々ではないのですけど、運動とか歌とか楽器とか別に絵とかもね、恋愛も遊びも含まれたりするのかもわからないけど、私にとって気持ちいいことってあんまり重要じゃないんだろうな。

やむと話してメリバの逆が好きと言って、それもメリバだよと言われて言葉に詰まって、間違えたことも、好きなものを断定的な言葉で定義されるという状態も、私は実際に嫌いだから、やむはああと思ったんじゃないかと思うけど、でもやっぱりメリバじゃないし、かといってその場で冷静に対処できなかったのは、そう思われることを予期したからで動揺したんだった。それはやっぱり雑音とか内向きの意気地やら。泣かないでミュージック。
メリバの逆が好きと言ったのが気軽さでそれがいがみ。メリバの定義についてはまた話したい。でも私の中ではハッピーエンドなんだ、ハッピーエンドではないか?
メリバの話とかいろんな人と沢山したい、しかし傾向を知るには消費が最大値で、違うんだもの。どっちらけ。


2009/09/27
2009/09/27



やむごはん
やむごはん
右上の卵焼きには明太子がはいってる。おいしかった。
2009/09/26


ときめき、きらめき、
ときめき、きらめき、
もうクレしんにそういうの感じなくなってしまった、なあと思う。多分。
やはり、驚きが含まれなくなるとなんじゃないかなあ、恋。
ただ一番ぐっと来る。
次いでしっくり来る。
でも恋じゃない!
オエッてなるの。
私にとってくれしんは刺激的なものから美しいものに変わってしまった?!いや美しいとは違うな交響曲みたいな!?
…だから、疲れんねんな!!!

だからなんかな、クレしんに、新鮮な驚きを伴ったときめきでもって好意を感じると、ああ私は結局、ここに居たい訳じゃないのだなと思う。
私は私のものの見方や取り組みや感情を愛しているけれど、それを追求するとある時には漠然の中に突き飛ばされるわけで。
そうして疑り深い私は結局どこかで自分を疑って、内側を残して冷えていく。


そういえば物凄い照れ屋なので、なのか、ちょいちょい一番よかったことものを伝えられない。口と感情が連動しないので、かといって連動している風の努力はそこそこしてるんですけど、ぐっと来ると言葉に詰まるからタイムラグが発生してタイミングを逃すんだよなあ。だからまあ後々言えたら言ったりするけど、言わないままの事もあるなあ。漫画の感想はほんと実物見ながらが良いです、のシーン、のコマとかって口で説明したくないよう。
あと本当に自分の好みを知られるの恥ずかしいの、パターンだから。別に理解されないことは多いけど、それは私が注目するポイントであって、実存の話ではないから。同じ事実に向き合わなければ、考察は無意味なんじゃないの。

ああでもこれってクレしんもそうなんだよなあ、私が好きなクレしんてクレしんの影みたいな夢みたいな部分だから居心地が悪いというかギャップを感じるんだろうな。光のクレしんには関心が薄い。

私の好意は外に向かいづらいというのが今日の総括。
楽しみたいから外に向かわせてるんだけど、やはりエゴが邪魔する。
で、確かに外に向かっているものも元から存在するので、それがやはり本当なのでは?と疑う。
難しい。

わたしボーちゃんはとても身勝手な男だと思っているから、そういう部分が引き合いに出されないと居心地が悪くなる。言動自体は概ね優しいとは思うけどな、うーん、ボーちゃんと付き合ったら思ったより優しくないと思うと思うよ!みたいな、お節介な気持ちというか、別にボーちゃんて男脳だから優しいのが良いなら実際マサオの方がマシだと思うよ。優しくしたげれば優しいよ、誠実ではないけど。真面目な嘘つきの風間か手に負えないしんのすけか。やっぱりチーターくんと付き合お。
2009/09/06


 
伝わらない、伝わる、伝える、分かる、推測する、察する
相互理解というのはどこにあるのかな
話していて、伝わったと思う瞬間と、袋小路に、ある種の後悔みたいなものを感じるときがある、私は後者のなんだか取り返しのつかない感じに高揚感を覚える。
そこで"盲目"を体験する人に、こちらの"到達"をどう説明すればいいのか。
こちら側のことばかり詳しくなって、埋まらない。それが傲慢になっていくようにしか思えない時に、私は傲慢にしかふるまえなくなっていくだろう。変な話だ。

bangoさんとビフォア・サンライズの話をしたときに高揚の兆しがあり、でも結局それを自分で手折ってしまった。あのとき選択肢は5個くらいあって、10個かもしれないが、常にその1つについてしか話せないし、更に伝える能力と見極める能力を鑑みて(つまり下手だったから)こちらの側の話で終えてしまった(時間も余力もなく)、その時間は水面に反射する光源を眺めるようで満ち足りていた。そしていま反芻する。聞くべき事を1つも満足に訊けなかった。
いつも予測も準備も足りていない状況に、兆しは訪れるのだろうし、人生に準備の時間があるとはそもそも思えない。私は死んでいっているだけだ。明日手に入る力は、ちょっと待っててと能力のタイミングを計ったりしない。
上手く話せない自覚があるから、上手く聞けることに新鮮に驚いたのね。相手に伝わるように話すことを正しいと思うべきか考えて、それは1つの生活スタイルでしかないとわかる。
アフターで、bangoさんが怒りが遅れてやってくると話していたこと単純にそうだろうと(ある種知っていて)納得した本質の部分を垣間見た体験だった。答えがわかる方法はひとつではないから、それがそうだからそうであること以外の方法からその人に触れることができたことが楽しかった。同じ話を聞いてもう同じ納得の仕方をしないということが、次にその話を聞くときにはその素晴らしさの持つ性質のいくつか、苦々しさのいくつかを巡らせるだろうし、そういう次の言葉への逡巡に至る経緯こそが"知る"という体験なのだと思う。そしてこれは今のところとても一方的なものなので、本人に還元していきたいと思う。還元したいという願いや思い入れがあるというより、そういう期待を抱えて尊敬する相手に開いていたいという私の生きていく意識の話です。
これはいつもそうなんだけど、私は別に真面目だし慎重だし重たいと思うけど、それを迷惑に感じるとして、それは相手の人と向き合う上での覚悟が足りてないという問題(「なんか怖い」わけ)だし、私は相手にプレッシャーを与えるような他力本願の感情を押し付けるつもりはない、まあ相手がプレッシャーを感じるのは自由だからそれもしょうがないし、何か感情を想起することはそれを遂げたり捨てたり失ったりとは関係なく私は望ましいと思う。
世の中には頭のいい豊かな人が沢山いて、私はそれを知ることなく死ぬということと折り合いをつけようとしている。私は私自身をどこか正しい見方の呼び名で呼びたいという強い衝動があり、ずっと落ち着かないでいる。焦燥が私の周りをぐるぐると周回している、目前を通り過ぎるたびに驚きと憔悴に近い諦めを感じる、何度繰り返すと私は死ぬのだろう。
2002/11/25


楽しいです。
せくがる?せくが?がる?ぞ?ぞん?ケンティ?ケンティー?
あやうく意識持ってかれそうになったけど、亮横に集中してきた。ただまあ新刊は出ない…もうあんまり伸ばし伸ばしにしたくない、いつも口だけだなあと自分の日記読み返して改めて思った。そりゃ周りの人も私に漫画を求めなくなるよな、諦めだよ…優しさだよ…。
せくぞのことは降って沸く湧く、でも安易に楽しめないところに差し掛かってるのでストッパーがかかってる。知るという行為の甘美なこと!それから困惑すること…。曖昧なまま干渉しあう未分化の、混乱に、迷いこみたい感じだ、まだ好きなのか分からないでいる。兄弟ホモに似ている、兄弟ホモっていうのは混沌なんだよ、わたしのなかにしか存在しない概念だから説明できない。とにかく状況と環境と年齢にやられてる。時代。ずるい!茶髪の佐藤くんがかっこよすぎません!?菊地くんのことが気になるし、中島くんのことで困惑してる、厄介な感じがする。全員好き…。現実のかっこいい男の子である菊地くんと架空のかっこいい男の子である中島くんというその、アレが…同じ次元どころか同じ空間に居るのか。そして王子様がセンターにいる。

昔の日記を読んでみて出来心で見た数年前の日記はやばかった、わ、若い、交流してる、痛々しい。趣味が合わないしテンションも合わないし価値観も合わないし誰なんだ??なぜか私とかけ離れた存在、これが時の流れ、なんでも楽しめてたんだなもっと、気持ち良いものに集中して欠点を無視できた、それは退化かもしれない!でもこの人とは仲良くなれない、自分を知らない人だ。浅はかさにずぶずぶ口元まで追いやられて閉じました。整理したほうがいいのか、自分の言葉として残しておくのは怠惰な気もする、うーん、でも無かったことにはならない。この時この時の現在の積み重ねが全部過去になっていて、いまの当たり前を作ったんだな。でも2015年の6月くらい?の時点で心の荒みようが文面を腐らせていて、ぎょっとした、リアルタイムだったら私はこの人をちょっと嫌いになっちゃうな。どっから整理を?
いま2015の3月ぐらいまで遡って、今からここまでの推移、文面の変わりように新鮮な面白みがあった。それにしても!おんなじことをずっと言ってるだけだなこの人、知りたい話したい考えたい、できない、人と違う、こういうのは傲慢じゃないの?わたしもあなたも間違っている、尊敬が大事、大体そんなことをずっと言ってる。びっくり、無意識、私はそんなにそれがわたしの中を普段ずっと満たしてるわけじゃないから、ただ世界と自分が関わるとすると、つまり他人を想定して話すとなると自己完結してない部分の話がしたいから、求めて、求めてる…。普通にうるさくて、一方的でやるせない気持ちになった。これを周りの人はずっと読んで?面白くないよね。リアルタイムならましだったのか?いや、しかし、面白かった、わたしという他人はこういう人なのか、読み返したのはじめてだから、それが悪いよね。誰も読んでないつもりなのが悪いよね、誰もわたしに興味を持たないという悪い思考の癖のせいで実際にある興味すら失せさせるのは悪い。忘れ続けていて、説明し直し続けていて、うん、そういうことを言いたくなるんだね私は。セルフプロデュースがダメ。
去年の秋から私はちょっとばかしだけどくっきりと違う人間になったので、自覚として、日記もわりとそうだった。なぜって、漫画を書くのをお休みしてひたすら黙々、煮込んだからだなあ、こんなに分かるとは思わなかった。
諦める諦めると言いながらうじうじすがっていたものを、放すことができた感じ。私が変わったというか、すこし安定?良いかはともかく、苛立たしくなくなった?あ、腫れがひいた?諦めかけることに成功した。なぜ無理なのか分かった、つまびらかにわかった。感傷的じゃない?
あ、だから漫画を書きはじめたくなかったんだわ、漫画を描いてると不安定になるから、思考がよどむ?
考えるのと
創造するのはどうも、相反するんだな。
作り出すとき、混沌に漕ぎ入る。考えるのはもっと澄んだ、冷えた…内側なのかな?内と外?

いま、関心を持つことの清々しさに感動している。
結局いつも人間て面白い、になる。
同じことではないけれど、同じものを求めていて、それは同じだと言えるかもしれないし言えないかもしれない。
もう同じだということに絶対的な価値がないことが分かっているので、どうしていいのかわからなくてはしゃぐふりをする、みたいなしくじり方はしないんだけど、嬉しいというのも間違いない。
好きという感情が、当たり前みたい、あ、そう、好きなのは当たり前で特別じゃなくて、好きだから関われる訳じゃない。
楽しみです。
2000/04/22


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