しん風ともとひま
もとオサ代々とひまネネチー
もとオサ代々本出したい…出したい…いやほしい…読みたい…描けなさそう…ただのアイドルでいいの…内容はいらない…
黒あい
マサボー…
|
HCO3- + H+ → CO2 ↑+ H2O (生存確認用にお使いください) |
|
浪漫さん家に向かっとります
|
|||
しん風ともとひま
もとオサ代々とひまネネチー もとオサ代々本出したい…出したい…いやほしい…読みたい…描けなさそう…ただのアイドルでいいの…内容はいらない… 黒あい マサボー… |
|||
|
2015/07/19
|
|||
|
|
||
|
実際しん風の話だったんですけどアクション仮面の話をしていたなあ。
でも言葉にしたらだいぶ前向き前向き〜! |
||
|
2015/07/14
|
||
|
|
||
|
他人に生かされている自覚のある私としては、この世界に私しかいなかったら私は描かないし人生を生きない。したいけど、出来ない。
|
||
|
2015/07/14
|
||
|
|
||
|
愚痴です
|
||
|
2015/07/14
|
||
|
自分への言い訳のために事実をゆがめて何かを愛する人が苦手です。愛することは免罪符にならない。憎しみもね。勿論無感動も。
|
||
|
クレしんに関して、なにか一石がほしい。
私は波紋を見つめることを生業として生きているので、ただそうであるということを大事にできない。 クレしんサーチがなくなったこと、これは本当に大きかったなあ。 ピクシブから相手とは遠すぎて 描きたいことはなくなっていないのだけど、今の私には描いたものを見てくれるかもしれなくて見て欲しいという特定の誰かがいないのが苦しい。 私は結局誰が一番好きかって言うと郷剛太郎さん(かぶりぶりざえもんcv塩沢兼人)になると思うんですけど、好きじゃない人に触れまわりたいと思ってないし、別にみんなが好きだとは思わないというか、みなさんは普通に好きだと思うんですよねそれはただの好感。でも別にわたしの感情もそんなもので、私にとってタレント性を重く重く受け止める部分は切っても切れない部分なので、そのこと自体に価値があるんです。かといってクレしんが皮肉を持って描いているヒーローでなければ、というか単独の作品として唯一神の物語は制約が多い、まあ言うとある一定の時期を超えると、多神教の物語だったことになってしまうんですけどね。もうそうなったら私にはもう褪せてしまう。 私は好感の持てない郷剛太郎を好きじゃないので、好感が持てるようにしか描きたくありませんが、好感を消費されることにはなんだか徒労感を感じてしまいます。 しんのすけはアクション仮面に飽きなくてはいけない子供だったんですが、野原しんのすけになってしまった5歳の男の子はきっと後生大事にヒーローを抱えて生きていくことになってしまったので(ひいてはヒーローにならなくてはならなくなってしまったので)、その結論としてアクション仮面は特別なヒーローになってしまったので、私はその期待されていなかったヒーローの置いてけぼりのようでもある格好良さを支持する立場を取るんです。主人公という矛盾を抱えてしまった男たち(野原しんのすけ、アクション仮面、ぶりぶりざえもん)(もっと言うなら野原ひろしもそうなんでしょうが、私は認めませんけど)の物語としてのクレヨンしんちゃんの皮肉が私は、それすらも抱擁できるクレヨンしんちゃんという作品が、そしてそれを美談にしてたまるかというやるせない頑なを、それごとを、嚥下して作品に込められるだけのあらゆる能力に欠いているので、まったくここで一石、一席を頂きたいのでした。 喉が渇いていない人に払う水というのは、水がなくてはカラカラ転がって永遠に沈黙する。 そういうことを考えているから私は潔癖なんだとわかっちゃいるけどやめられない、気難しいのをやめられない。何かをしないことで保てる才能なんて妄想だって思う、しなかったのは事実であって、対価ではない。それをしなかったからといって何もしなかったわけではない。 クレヨンしんちゃんが国民的なアニメーションになってしまった違和感を矛盾を皮肉を愛している身としては、そのどちらが欠けても不完全なので、そのどちらかだけを愛している人に寄り添うことはできないことが今、苦しいなあ、今現在のクレヨンしんちゃんというアニメーションがそれを全うしてくれない以上、私は宙ぶらりじゃないかな。でもそれじゃあどうしろってんだろうな。私がしていることはナンセンスじゃないかな。 今の私にはここに居る理由があんまり無いなあ、テンションが上がらない。誰かの、何かのファンをしたい。それか新鮮に飢えた誰かが居ればいい、正しく受け取ってくれる誰か準備のできた誰か、他人。なにか似た形を持ってクレヨンしんちゃんが好きな誰か他人。 私の好きなクレヨンしんちゃんを好きな誰かの話を聞きたい。 この、それがそこに本当にあることを確認できる出来事がなにかひとつでいい、小石で良い。波紋を見せて。 |
||
|
2015/07/14
|
||
|
許しは虚勢だと思っている
|
||
|
つまびらきたい
みつけたくない あなたが許せない わたしも許せない 二度と戻らない柔らかさを二度と手放したくないと思っている 失わないうちにも死は訪れる 彼らの老いがどうして憎かろう 彼らの死がどうして惜しかろう 壊れた人形を手の中に抱き指先で弄んでいる 眼をつぶっていても夜は訪れる 許しは去勢だと思っている 恐怖なく欲望のない人生 穏やかの人生 |
||
|
2015/07/13
|
||
|
|
|||
なんていうか毎日ハンバーグ作ってる。
|
|||
|
2015/07/07
|
|||
|
|
|||
自炊好きなのかもしれない(どうかな)
|
|||
|
2015/07/07
|
|||
|
ずっとハウル見てる
|
|||
(ジブリはハウルが一番好きなんです。)
最後までみるととてもとても憂鬱になるのがハウル、あれは主観的にはバッドエンドです。 不幸せって意味じゃなく、穏やかな安らぎに満ちた花のある人生へ歩みだすことが辛い。愛と許しがすべてを救うことを信じないというんじゃないけど、ソフィは私にとっては死神だから、でもそれでいい。彼らの死を看取ることができて。 本編で言及はされてませんが、おそらく原作通りにソフィは命を与える魔力を持っているんですけど、だからそういう死神なんです。それって死神なんです。 ハウルでは具体的なことはまったく描かれません、夢のよう。フラフラと浪漫みたいなものを追いかけている恋多き少年のままのハウルに現実の愛を持ち込むのがソフィのはずなんですが、ハウルとソフィはまるでおとぎ話のようにキスしてハッピーエンドなんです。ソフィの呪いがいつ解けたんだか解らないように、地続きなんです夢から夢へ。なんせハウルは実はずっとソフィを待っていたんですから、この物語は予定調和なんですよ。 前にも言ったと思うんですが、私はソフィに出会うまでの彼らの生活が好きで、その蛇足としてのこの映画は二時間スペシャル完結編という位置付けなんです。 だからまあひたすらこの映画を見てるんですよね、このほんの少し前の彼らを見たい私は。 ソフィもおばあちゃんになったから、ハウルも黒髪に戻ってしまったから、取り繕えなくなってやっと素直になれたという不器用な意地っ張りと見栄っ張りのカップル、この二人は大喧嘩するんだろうな。ありのままで生きられる相手と感情むき出しで子供みたいに、も、恋人みたいにも夫婦みたいにも暮らしていく! 軽い喧嘩ならみんながソフィについて、ハウルは所在なさそうに頭でもかきながら「…分かったよ、やればいいんでしょやれば」とかって照れ臭そうに誤魔化すように笑ったりするわけだよなあ。ちょっと重い喧嘩になるとお互い意固地になって相手が謝ってくるまで許さないとかカッカするんだけど、ソフィがいないと駄目になってるハウルが可哀想になっちゃって結局いつもソフィが折れてあげる、みたいになるんだろうなあ。で、決定的な大喧嘩ともなるとソフィは一切の聞く耳を持たなくなって、ハウルが誠実に真摯に愛を囁くまでは許してくれない。そんなかんじかな。家族は。荒れ地の魔女の余計な一言とマルクルの困った顔が目に浮かぶわよね。カルシファーは場合によるから。 しょうもない語りをしてしまった。 とにかくハウルは私が覚えられない一番くらいの映画なんじゃないかな。 |
|||
|
2015/07/06
|
|||
|
total : 108172 |