腰乃さんと草間さかえさんがいま熱い
どきっとするというか、ぎくりとする作品がたまらないんだなあと思う
些細な生生しさなんだろうなあと思うのだけど
言葉を媒介しない表現としての表現者が単独で表現されうる漫画の故意と無意識の故意
私は表現者の無意識の故意がたまらなく好きだ
小説と映像と漫画と、ぜんぶ同じで違うのだなあと思う。
実写の素晴らしいところはまとまりがなくばらばらのまま成立する混沌とした現実の一部だから、あれは立体作品に近いと私には見える。立体作品の素晴らしいところは未完成であり続けるところだ、空に近い。空ほどの力作はなかなかない。
小説のどこまでも具体的でありながらその実どこまでも抽象的であり続けるという孤独が好きだ、憧れる。他の表現よりずっと個人的なもので、あれは美しい音楽だと思う。
私が自分の正解を見つけられるのは静止画の中だけだから、私は静止画から離れる事はしないんだろう。
ずっとかたちの無かったものに意味が添えられていく、どれだけの無知が身体を蝕んでいたのかを知っていくのは目がひらいていくのに不安で仕方がない
正解がないときが実体であったというちいさな確信があるからかもしれない。
二度と持てないものをどんどん失っていくようで、一度触れたものから逃れていたい。
一生付き合っていくと決めたものは憎む覚悟をしなくてはいけないが、その楽しさを味わえるのは本当に幸運だと思う、私に足りないのは覚悟なんだろう。
私が本当に愛しているのは流れ星で、それは瞬きのことで、それを愛していると呼ぶのかだって心地よい夢を見ていたいだけのみどりごのひ弱さの独善じゃあないかしら
うつくしいことばでいろどり、打ち捨てられた感情を安売りして、それでも持って行けるものが曇ることがあったらあんたの粗末にした報いでなく、なにかが足止めするとしたらそれは確信でしかなく、確信は確信する瞬間ほどの快楽をもたらすことはないのだから