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兎の放蕩物語


西伊豆から東京に家財を移す(虎太郎奮戦記)A

西伊豆から東京に家財を移す(虎太郎奮戦記)A
虎太郎はロバのごとく主人の荷物を背負い運びます。

4月の首都圏の天候はとても不順で昨日はまた夜中に大雨が降りました。
翌日は打って代わっての快晴。この日を逃しては次に進めません。

2m以上の長尺物はこれで3つ目。お気に入りのソファーベッドです。2mの荷台にクッションが柔らかいので荷台のあおりをきちんと閉めることが出来て安心して東名高速に乗れました。車の右半分にこのソファー
左半分にローチェストを載せて真ん中に食器の段ボールで今回も満載です。
虎太郎 良く働いてくれて感謝です。
22/04/23 (Sat)


桜に続いて躑躅(つつじ)が街の中に…!

桜に続いて躑躅(つつじ)が街の中に…!
自宅の遅咲きの「薄墨桜」に続くのは狛江市と調布市の境界にある多摩川住宅です。郵便局に用があって行ったときにバス通りに綺麗に躑躅が咲いていました。

傍を通るバスは🐇にとって懐かしい京王バスです。
小学三年生の頃ですから 今から60年程前 東京は府中市の第6小学校に通っていました。当時エアサスペンションの黄色い京王バスで武蔵小金井に良く行っていました。乗り心地が抜群で最新のバスに感動した思い出があります。

今は京王バスは青いベルトラインとクリーム色のツートンに塗装になりましたが 今でも八王子や高尾は従来の黄色い塗装のバスが運行されています。すごく懐かしい京王帝都電鉄の存在です。

今回は西伊豆から荷物を運ぶために写真右端のオレンジ色の軽トラ「虎太郎」と一緒です。
22/04/22 (Fri)


東京の自宅の薄墨桜(ウスズミサクラ)

<e235e>東京の自宅の薄墨桜(ウスズミサクラ)
もう桜の季節も終る頃ですが東京に着くと庭の薄墨桜が半分は散って庭に花びらが落ちながら それでも残りの半分以上綺麗に咲いていました。

日本人の心の拠り所「桜」
花を愛しその短い命に「もののあわれ」を感じることが武士道精神にも通じ日本男児としても生まれたときからそのDNAが身体に存在していることを誇りに思います。

如月:は西伊豆の「土肥桜」は燐家の前でお花見
弥生:3月は塩江温泉郷の「ソメイヨシノ」が部屋の目の前に
同じく高知のカルスト山荘の「紅山桜」を村の人たちと自宅デッキで鑑賞し
卯月:東京の戻ると岐阜原産の「薄墨桜」が綺麗な花びらを印象的に見せてくれました。

日本の美しい原風景は大切な心の遺産です。
22/04/20 (Wed)


西伊豆から東京に家財を移す(虎太郎奮戦記)@

西伊豆から東京に家財を移す(虎太郎奮戦記)@
四国から帰還したばかりの西伊豆のアトリエ。
思いの他天候が優れず 荷物の運搬は天気が回復するのを待って帰還二日後になりました。

日本の軽トラックの荷台は日本の文化を物語っていて 荷台には畳1畳が楽に縦に積載できる長さがあります(約195cm前後)
でも🐇が大事にしている書棚は長さが210cmもあるので、購入時に後部の荷台のあおり部分を倒して荷台を30cm延長させられるエクステンションを装着していたので無事に積むことが出来ました。同じく220cmの食器棚これも積めました。
でも積み込むのが大変ですね。人の力を借りないと一人では大きく重くどうにも途中までしか積み込めません。

初回の運搬はひとまず成功です。
捨ててしまえばよいという人も多くいますが🐇はものを大切にするのと このサイズのものはなかなか売っていないので長く使いたいからなのです。

でもまだまだ悪戦苦闘の物語はまだまだ首都圏在住中は続きます。
22/04/19 (Tue)


明石海峡大橋

明石海峡大橋
何度この四国と本州を結ぶ橋を渡ったことでしょう…!

先日もまた軽トラックの少し高い視界から神戸の街の様子が海を渡りながら目の前に広がります。

高知の山荘での「桜鑑賞会」で集落の方々と交流し村社会へのデビューが終わり塩江温泉郷に戻り歯科医院に4回ほど通って🐇はまた首都圏に戻ります。

今回はいよいよ西伊豆の建物の中の家財を整理して破棄或いは東京に運び家を空っぽにすることが目的ですが果たしてちゃんとできるかどうか?憂鬱であり断捨離計画の山を越えられるミッションでもあります。
ここ数年 自分の理想的な遊牧民生活を維持する為に何度 家の住み替え(物件探し→契約→転居の為の引っ越し他)の為にどれだけの時間を要したことか…?
大変な時間が消費され体力的にも疲れ気味です。
ちゃんと計画通りに進むといいのですが…!
22/04/18 (Mon)


🐇の小さな夢

🐇の小さな夢
暫く教会に行くことから遠ざかっているクリスチャンの🐇ですが…。

賛美歌を歌うことが好きで本当はパイプオルガンで自分で弾きながら歌いたいという小さな願望があります。が現実は楽譜も読めず学生時代に吉田拓郎ちゃんの「旅の宿」や南こうせつの「神田川」をギターのコードストロークでボローンと合わせるくらいしかできない不器用ものなのです。

楽譜が読めないのが致命的で道を塞いでいましたが 何とか少しでも願いをかなえたい気持ちで おもちゃのようなキーボードを家電店で見つけて買いました。
それでネットで楽譜の知識を読みながらメモって少しずつ基本から勉強してみようと思い立ちました。近い将来ヤマハの音楽教室に行ける様最低限の楽譜の知識を学んで夢に近づこうと今更ながら小さな夢を実現したいと願っています。
写真の楽譜は「慈しみ深き友なるイエス」の譜面です。
22/04/14 (Thu)


高松に帰ると讃岐うどんが待っています

高松に帰ると讃岐うどんが待っています
奥の深い高松の食文化の一つ「讃岐うどん」

色々なお店があるけどコロナに関係なくどのセルフの店も活気があり混沌としています。
気の弱い🐇は雰囲気について行けないことも多く、どちらかといえば清潔で小奇麗な店内・店員さんの笑顔や注文時のやり取りの感じの良さ・てんぷらなどは出来立てのあつあつで出してくれるお店に足が向きますが数は限られてきます。多くのお店は雑踏の中での小さな生存競争の様な雰囲気の店が多いのも実情です。

そんななかでお気に入りだった長尾街道沿いの「なりや」が新しく「別邸なりや」さんを最近オープンさせました。

価格は少しだけ高いのですが混雑のない清潔な店内でセルフではなく注文して揚げたてのてんぷらといっしょに提供してくれるお店も落ち着けて悪くないなと思うのです。
22/04/13 (Wed)


その古民家を守っている奥様と…

その古民家を守っている奥様と…
もう80代も後半になる五島家の古民家を守る奥様と記念写真を撮りました。

敷地内の建物は4つあり病院のある建物・馬小屋と蚕を育てていた建物・来客用の宿泊棟と実際住まれている現代的な住宅からなります。

病院のあった建物はフローリングにリフォームされてサロンとして多くの人々が入れるスペースになっていて地域の人にも施設の図書館として解放されています。またサロンの片隅にはピアノが置かれていて町役場の声楽担当の方が時々訪れて希望者にコーラスを教えていたり地域の社交場としても一役買っている様子は田舎とは云え文化的に進んでいる恵まれた環境だと改めて感心しました。写真右の聡明な感じの女性が五藤征子さんです。左の方は集落の民生委員の井上文子さん。11月以来何かと🐇の面倒を見てくださっています。感謝です。
22/04/11 (Mon)


明治23年の住宅

明治23年の住宅
写真の建物は🐇の高知の山荘のある集落の古民家住宅のひとつです。

津野町の有形文化財として指定され江戸時代から続いていた村の診療所の建物で当時は馬で診療に出かけていたそうで写真の中央の開いている扉は馬小屋の入り口だそうで1時間程見学させていただきました。今は先生が亡くなられて奥さんが高齢にもかかわらず地域の文化振興のために家を開放して見学者の対応をされています。明治23年(1890年)と云えば今から132年近く前の話ですが地域の文化が守られているこんな集落に縁があって暮らしはじめた🐇は幸せ者です。
22/04/11 (Mon)


僅か一週間の滞在でしたが…!

<e496e>僅か一週間の滞在でしたが…!
今回の高知の山荘は大きな桜の老木が無事に花を咲かせてくれるのかを見守り地元の集落の皆さんをお招きして桜を観賞しながら🐇のこの村への受け入れてもらう下地造りの為の滞在でした。

おかげさまで「桜の鑑賞会」は五分咲の状態でしたが好天に恵まれ予定通りに展望デッキに椅子やテーブルを用意して村の人たちと有意義な交流が出来ました。

またこの会合以降まだお会いしたことのない村の方
特に明治時代から開業医として格式のある古民家の住まいを地元の有形文化財として登録されご主人の亡き後その大きな家を守っていらっしゃる博識の神戸出身の文化人のおばあちゃんとも翌日にはお話をすることが出来ました。

写真はその方の方角から望遠で🐇の高台の大きな桜の木のところにある山荘を撮影したものです。

村を見降ろす少し高い位置からお互いに真向いの位置関係です。
写真に広がる広い茶畑と古民家は日本の農村のある意味理想的な風景で花が咲き乱れる季節の美しさを表現し🐇はこの土地をすっかり気に行ってしまった訳です。
22/04/08 (Fri)


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