チャンカーはマリオン


 ●●●  ハヤシライス
ハヤシライス
珊内でマリオンが買い溜めていた食品の中で、2004年11月で賞味期限が切れていたハヤシのルーを作った。
僕はひねくれ者なのだろう、レジピ通りに物が作れない。作りながらその場の思いつきでいろいろとアレンジをしてしまうのだ。しかも何も裏づけもなく単なるひらめきで色んな物を足してしまう傾向がある。
今回のハヤシにはガーリックパウダー、ケチャップ、野菜不足解消のため大量の冷凍ミックスベジタブル、インスタントコーヒーの粉、そして野菜ジュースを加えた。出来上がりは・・・・野菜ジュースを足したのが失敗だった。多分、僕の嫌いなセロリーのせいだろう、後味に苦味が残ってしまう。食べ終えても口に渋みと苦味が残っている。こんな料理でスマン!と毬音と一緒に食す。
どうして僕はストレートに物事を進められないのだろう。料理だけでなく何事にもその場の思いつきで行動してしまう。それはジャズドラムの演奏には欠かせない事ではあるのだが、生活者としては冒険が多すぎるかもしれない。
我家の洗濯機は洗濯が修了すると、「キンコーン・キンコーン」とチャイムが鳴る。その音が僕には「吟ちゃーん・吟ちゃーん」と毬音が呼ぶ声に聞こえてしまう。僕は毬音に呼ばれたい一心で最近はこまめに洗濯をするのであった。
今ケーブルTVで「ジーザス・クライスト スーパースター」という映画をやっている。これは僕が中学生の頃ロードショー公開された映画で、坊主頭のハナタレ中坊姿で見に行った。懐かしい映画だが、今見ても古さを感じない映画だ。
カナダ行きまで後9日。まったく実感も緊張感も無い。これはニューヨークに行く時も同じだったが、まさかまた入国拒否じゃないだろうなぁ。 それより履歴書作りが大変だ。
2006/01/22 (Sun) 16:02

 ●●●  都会の味
都会の味
マリオンと珊内で暮していた時、札幌から友人が訊ねてくる際「何か欲しいもの買って行くよ」と電話があり、僕は決まって○ドナルドのハンバーガーを頼んでいた。僕にとって○ドナルドのハンバーガーは都会の味に感じていたのだった。ただ札幌で購入して珊内に持ってきてくれるので暖かいハンバーガーを口にすることは無かった。なので我が夫婦は小樽あたりに出かけるとよく○ドナルドのハンバーガーを食ったものだった。今住む家の近くに○ドナルドがあるのだが、越してきて3ヶ月経った今日、初めて都会の味を堪能した。とは言っても、気温マイナス6.4℃の中を5分持ち歩き、その上まずは毬音にお供えして毬音が食べ終わっただろうと思える頃に僕がいただくのだから、結局は珊内で味わうハンバーガーと同じく冷めたものになっていた。でも僕には都会の味がした。
毬音の月命日に毬音実家で日本酒をいただき、次の日札幌のとある蕎麦屋さんでジャズサックスの練習会みたいなのがあり、参加してリズムマシーン代わりを務めビールを御馳走になり、その次の日、晴れてヘルパー2級の修了式。クラスメイトと打ち上げで6時間以上飲んで、昨日はジャムセッションに参加したところ、僕のドラムを気に入っていただいたドラマーの方からビールをおごってもらう。連日飲んでいる。
しかし今日はしっかりハローワークに行き職探しをしてきた。一応月曜に面接となったのだ。(ちょっとした僕の勘違いで、面接に行く職場に就職する可能性は低いかもしれない)といったわけで今夜は飲んでいない。今のところ。しかし履歴書を書かなければいけないことに気がついた。履歴書・・・・どうやって書くのだっけ?面倒なので明日一日かけて考えよう。 さっきケーブルTVで映画を見ていてジーンハックマン扮する弁護士が妻を喪い葬儀のシーンが出てきた。棺を前にするジーンハックマンを見ていて突然僕の目から涙がボロボロこぼれだした。参った。「そっちで沢山のいい男にもてているんだろうなぁ。時々でいいから俺の事を思い出してくれ」ジーンハックマンの台詞である。僕のように毬音に依存している男には吐けない台詞だ。
毬音、まだ死ねない僕を許してくれ。頑張って生きてみるから。そう遠くない未来でまた一緒に暮らそう。もうちょっと待っててくれ。僕にはこれが関の山だ。
2006/01/20 (Fri) 23:29

 ●●●  7回目の月命日
7回目の月命日
余市の毬音の実家へ行ってきた。毬音父の退院後の様態も気になっていた事もあったし、毬音も久々に実家へ行きたいだろうと思ったから。しかし今の毬音は同時に何処にでも存在できるわけで、実家にも常に居るはずなのだが、僕とそろって実家を訪問する体験を味あわせてあげたかった。実家へ向かう途中で寿司を買う。もちろんカッパ巻を追加してもらう。実家にあがり、即刻カッパ巻を仏壇にそえた。毬音父の椎間板ヘルニアの術後経過は、医師は問題ないと言っているようっだが、父はまだ少し不調なようだ。特にこの冬は積雪が多く、雪かきが大変。しかし医師からは雪かきはまだ禁止されている。 毬音実家には父の姉(毬音の伯母さん)が来ていた。毬音の葬儀以来の対面だった。3人で寿司を囲んで日本酒を飲んだ。僕が毬音実家を訪ねる度に毬音父はビールを勧めてくれるのだが、僕は車で来ていたので飲む事は無かったが、今日はバスで来たから飲んだ。僕にとって久々の日本酒だった。毬音の子供の頃の話しを聞かせてもらう。これは毬音を横にしてはなかなか聞きだせない話だったと思う。毬音の話をしていると、ふと涙が流れてくるのだった。毬音の喪失は、僕自身の体の芯までも喪失させてしまったようだ。病気がちな毬音と一緒になった僕に申し訳なく思っていると言われたが、僕は毬音と出会い一緒になれた事は幸運だと思っていると答える。
毬音が小学生の頃のピアノの発表会のビデオがあるらしいのだが、それがベーター形式のテープでしか残っておらず、今では見る手立てが無いとのこと。僕は何としても見たい! 誰かベーターからVHS若しくはDVDに落とす方策を御存知ないだろうか?心当たりのある方は是非お教え願いたい。
2006/01/16 (Mon) 23:58

 ●●●  ギグ@札幌ジェリコ
ギグ@札幌ジェリコ
今日は毬音の馴染みの店での演奏。この店に来るのは僕以上に毬音が喜んでいると思える。そんなジェリコでのライブ、毬音が生きていたら大喜びでカウンターに座っていただろう。聴かせてあげたかった。
2006/01/12 (Thu) 1:08

 ●●●  カナダへ
カナダへ
カナダのオーロラツアーに問い合わせた。僕は見たことが無かったのだが、以前、織田裕二がカナダ・イエローナイフでオーロラを見に行くといったドラマがあったらしく、それがまた年末に再放送(北海道だけかな?)していたらしい。そのせいか、去年年末まで余裕に空きがあったツアーが年明けにはかなりいっぱいになっていた。僕は焦ってツアーをインターネット上で探したのだが、希望していた日取りではいっぱいになっていた。なので直接電話して頼んでみた。 なんとか希望の日取りを当たってみてくれたのだが、ツアーに一人で参加するとなると、ツアーも限られてくるのだ。オーロラに関しては個人手配はかなり面倒なのでツアーが便利。どーにかこーにか頼み込んで希望に近いツアーを探してもらい参加申し込みまでたどり着いた。予定は1月31日千歳から関空へ関空からカナダ・バンクーバー・・・エドモントン・・・イエローナイフといった定番と言えるコース。帰りは2月5日イエローナイフを発って6日関空・・・千歳。バンクーバーに寄ってジャズでも聴こうと思ったが、一日でも多くオーロラを毬音に見せたいと思ってギリギリまでイエローナイフ滞在にした。今回は毬音にオーロラを見せるための旅行だから。しかしこの冬は、日本では寒波で記録的寒さだが、イエローナイフでは逆に記録的暖冬らしい。そのせいか天候が悪くちょっと不安なのであるが、行くしかない!  やはり「毬音とオーロラツアー」に同行してもらえる人は居なかった。当然と言えば当然なのだが・・・
ここ2〜3日、僕は腑抜けな生活をしている。まったく玄関から出ることなく生活している。誰かから電話があるわけでなし、メールが届くまけでなく、ほとんど会話をせず、たまにカーテンを開けて外を見るくらいで世間とのかかわりはテレビくらいだ。だからだろう、毬音を思い出しては泣く事が多い。 泣きながら「絶対にオーロラ見せてやるからな!」と話しかける。肉体を持ったマリオンと一緒にカナダへ行けない悔しさが僕を泣かすのだ。本当に悔しい。

あっ。明日はライブだ。僕の車に40センチほど積もった雪を掃わなきゃ。
2006/01/10 (Tue) 11:50

 ●●●  雪中墓参行軍
雪中墓参行軍
1月2日。1ヵ月半ぶりに珊内に行ってきた。内地からの友人3人と一緒に泊りがけで行ったのである。珊内では知人宅に泊めてもらう。その知人宅にマリオン愛用だった「増田明美ごっこ」で使った電動足こぎマシーンがある。それを眺めながら1年前を思い出す。
こぎ始めたマリオンに、吟「今日は何処まで行くの?」 マリオン「余市」 吟「里帰りかい。今 どの辺まで行った?」 マリオン「今 古平。(珊内から車で40〜50分かかる場所)」 吟「もうそんなに行ったんかい!時速200キロ以上だしてるなぁ。気をつけて行てよ」・・・・・・・・・ 吟「今どの辺?」 マリオン「余別。(珊内から車で約20分)」 吟「えっ?どっち向きにこいでる?」 マリオン「もう帰り道」 吟「おぉぉぉ、もう帰り道か。実家のお父さんは元気だったか?」 マリオン「うん。元気そうだった。ビール御馳走になって来た。」 吟「じゃ飲酒運転かいな。危ないな。んで、今どの辺?」 マリオン「川白(珊内の隣の集落で車で5分くらい)、、、、、ただいま〜!」吟「おかえり〜!」 毎日こんな会話をしながらマリオンはこいでいたのだった。 それがほんの1年前の事。        悲しいよ。悔しいよ。
明けて3日。札幌への帰りに友人が余市の毬音のお墓に寄ろうと言ってくれた。今年の後志地方は雪が多い。毬音のお骨の眠る寺の墓地はまったく除雪をしていない。北海道の墓地とはこんなものなのだろうか?! 僕は墓参は無理かと思ったが、友人達は「折角だからラッセルして行こう!」と膝上まで雪に埋もれながらお墓を目指してくれた。積雪は1メートル50くらいはあっただろう。雪原にポツリポツリと頭を覗かせている墓石郡から毬音の眠る墓を探す。お供えや花や蝋燭・線香どころの話では無い。とりあえず墓前まで行き合掌するのが関の山だった。 でも墓前にたどり着けた。みんな有難う。毬音もきっと喜んでくれているだろう。 今後の墓参は春まで待つしかなさそうだ。
2006/01/03 (Tue) 23:59

 ●●●  マリオンの声
マリオンの声
大晦日の夜。今現在まだその延長線上に居て、眠れずに居る。毬音と一緒に年を越せなかった悔しさ無念さ淋しさで、気が狂いそうな夜だ。スキー場での年越しイベントに誘ってくれた友人が居たのだが、毬音をよそに一人で楽しむ気になれなかったし、喪中でもあるので新年の挨拶に気を使わせるのも気にかかったので断って一人で年を越した。年明け前に蕎麦を茹で毬音と共に食べ、毬音は餅が好きだったから年明けすぐに餅を焼いた。去年(正確には一昨年)の大晦日には”増田明美ごっこ”で盛り上がっていた。突然 毬音の声が聞きたくなり、北欧に行った時のビデオを見た。まだ精神科入院前で、結婚して7ヶ月目だった毬音の姿は実に生き生きしている。ビデオの中でマリオンは笑い、語りかけてくる。しかし残念なことに、「吟ちゃん」と呼びかけてくれる声は入ってないのだった。僕は毬音の「吟ちゃん」の呼び声を聞きたくて仕方ないのだが・・・。この頃の毬音を見る上では僕も喜びを感じられる。ビデオは毬音が写っている部分だけを抜き出してDVDにしているのだが、北欧旅行から毬音の葬儀まで編集して録画してあるのだが、北欧旅行以降の映像は大声で泣き出しそうで見れなかった。それでも今現在涙が止まらずにいるのだ。そして新たに決意をする。北欧で見れなかったオーロラ。絶対に見せてやるからと。北欧は僕一人で行くには淋しすぎて行けないし、アラスカは入国できなくなったから、カナダに連れて行って必ずオーロラを見せてやる。カナダに行くにしても、今の僕に一人で行くだけの気力はあるのだろうか。毬音オーロラツアーと称して数人で毬音を囲んでオーロラを見上げられたらいいのだが。もし参加していただける人がいましたら、メールください。
2006/01/01 (Sun) 5:00

 ●●●  ギグ@小樽フリーランス
27日28日と小樽に泊まった。27日はジャムセッション28日はライブ出演。今日は朝から吹雪模様。そんな中来ていただいたお客さんは本当に有り難い。今回もしっかり毬音はドラムのすぐ横で観賞した。 昨夜、今年四月下旬にマリオンと共に参加した知人の結婚式の写真をもらったのだが、写真の中では、このひと月半後に悲劇が待っている事も知らず微笑む我が夫婦が写っている。マリオンは死に衣裳になった白いワンピースを着ている。この写真を見て僕は泣かないでいられなかった。昨夜は涙と鼻水にまみれて寝た。他のバンドメンバーに申し訳なかったが、その影響があったのか今日の自分の演奏に冴えが無かったように思う。自分の演奏が他のメンバーに大きく影響するのはジャズの特質なのだ。だから面目無く思う。
今年もあと二日。テレビで今年を振り返るとかの番組が多い。それらは僕に辛い思いを抱かせ苛立たせる。 今年が過ぎ去る事が、また毬音を遠ざける気がする。しかし時は流れるのだ。僕を置き去りにして流れる。 もう依存しないように生きなければ。
2005/12/29 (Thu) 3:34

 ●●●  年とってごめん
年とってごめん
今日は僕の誕生日。もう年を取れない毬音に申し訳なく思いながらバタークリームケーキとささやかなオードブルと安いスパークリングワインを買ってきて祝う。本来ならココに毬音が居て、一緒に祝ってくれるのであるが・・・・いやいや、毬音はちゃんと一緒に祝ってくれている。この先僕と毬音の歳の差はどんどん広がってしまうのだが、それも2012年12月22日までだから、17歳の差で修了できるわけだ。もともと11歳の差だからたいして変わらないか。
現在ヘルパー2級の実習の真っ只中。明日の実習で終わる。なんとかここまで漕ぎ着けたが、老人ホームで糞まみれのトイレに嘔吐しそうになった。介護を糧にするにはまったく自信が無いのが正直なところ。まぁ何事も慣れではあると思うが、介護に慣れは危険な気もするのだ。とにかく明日の実習の後は年明けて18日に修了式で終わる。  ドラムの方だが、わずかながら演奏の機会が増えた。 今のところ12月28日小樽・1月11日札幌・1月28日我が家の近所。各違った形の演奏形態。それらでどのように自分の音を奏でられるか楽しみだ。勿論、毬音はどのライブにも聴かせるべく連れ歩く。
2005/12/23 (Fri) 21:00

 ●●●  6回目の月命日
6回目の月命日
今日は受講のため余市の墓参りに行けなかった。毬音父も入院中で誰もお参りに行けない月命日になってしまった。しかし、最近メールを頂くようになった小樽の方が、仕事先が余市だからとわざわざ毬音のお墓を訊ねお参りしてくれたのである。僕は18日に墓参りに行くつもりなのだが、その方がお参りしてくれた事もあり、遅れた月命日のお参りも毬音は許してくれるだろう。昨夜毬音に「明日は何が食べたい?」と聞くと「オムライス」とのリクエスト。受講帰りにスーパーに寄りオムライスを探したが、なかったので久々に寿司(貧乏なゆえパックの寿司ですが)を買い、毬音にお供えする。僕は1個105円のかき揚げを買ってきてかき揚げ丼にした。
先日朝、受講に向かった僕はツルツルの凍結路面の横断歩道をゆっくり注意しながら歩いていると後ろから滑って転んだ自転車に突っ込まれ、大きく転倒してしまった。凍結道を自転車で走るなんて無茶な話なのだが、北海道ではよくある事だ。おかげで腰が痛い。  昨日受講帰り、毬音父の見舞いに行った。食事も普通食になっていたのだが、熱をだして苦しそうだった。手術痕の感染症かもしれないが、医師は「心配ない」と言っているようだ。
今ケーブルテレビで昔僕が好きだった、なつかしのプログレッシブロックバンド・イエスの映像を見ている。どことなくパットメセニーグループの演奏が重なってしまうのは変だろうか? この手の音楽は毬音はきっと興味無いだろう。毬音、月命日なのに俺好みの音楽聴いててスマン! ヘルパー2級の受講も今日で終わった。来週はめいっぱい施設での実習だ。自信は無いがやるしかない。それと28日の小樽でのライブに向けて練習もしなければ。  札幌に越して家で生ドラムを叩けないのは厳しいよ。デジタルのドラムじゃ感触がつかめない。それでも毬音は「ほら!練習、練習!!」とケツを叩く。
2005/12/16 (Fri) 22:25

total : 155525


<<PREV   HOME   NEXT>>