チャンカーはマリオン


 ●●●  生きねば!
生きねば!
本日突然3月のライブでの演奏要請が5件入った。実にありがたい事である。これは毬音の力以外に考えられない。いつまでも毬音の世話になっているのだね、僕は。 家の近所の店で飛び入り参加できるジャムセッションの店がある事を知り、今夜がその日だったので出かけた。しかし店の前まで行くと生ギターで歌っているのが聴こえた。申し訳ないが僕はいわゆるフォークソング(今でもそう呼ぶのか知らないが)が大の苦手。さっぱり興味が無いのだった。しばらく店の前で聞き耳をたてていたのだが、シンガーソングライターの歌が続いた。普段毎週末にはジャズのライブが入っているようなので、てっきりジャズのジャムセッションと思い込んでいたのだが、どうやらそうではなさそうなのだ。参加費ワンドリンクで1000円。入って千円払って生ギターの歌を聴かされドラムを叩けないのでは、まったく割に合わないわけで店に入らずに帰ってきた。幸いなのは家から徒歩で行けたので交通費がかからなかった事。 札幌に移ってきてからは家でドラムが叩けない。僕はとにかく毎日でもドラムが叩きたい。そして毬音へ音を届けたいのだ。
今日大変重要な事に気づいた。僕はまだまだ死んではならない事に気づいた。その理由は、僕は毬音の治療のため、毬音父に莫大な借金をしている。それを返済しなければ死ねないのだった。なんとも今まで僕は自分勝手に悲観して絶望していたのだろう。恥ずかしい。そのためにも早く仕事を見つけて生きて少しずつでも返済する責務がある。 毬音、ごめんな!大切な事を忘れていて。そして演奏でのマネージメント、ありがとう。
2006/02/19 (Sun) 20:05

 ●●●  8回目の月命日
8回目の月命日
先月に続き今月の毬音の小月命日もバスに乗って余市の毬音の実家を訊ねた。実家に行くと毬音の匂いがする。毬音父はなるべく毬音に関係する物を視界に入れないようにしていると言う。思い出して辛くなるからだ。僕もそうなのだが、しかし毬音の物を視界から排除する事は到底できない。思い出すのも辛く、忘れるのも辛い。 バレンタインデーには自分で好物のライスチョコを買って食った。毬音も納得してくれただろう。
今 正直なところ珊内の生活が懐かしい。珊内に戻りたい。いや正確に言えば、マリオンと一緒の頃の珊内に戻りたい。不可能は承知なのだが、子供がダダをこねるような気持ちで切望している。 仕事が決まらない事がこんな空虚を作っているのかもしれない。早く仕事が見つかるといいのだが、現実は厳しい。
イエローナイフから帰ってきて、やるせない時間を費やすだけの日々だったが、昨日イエローナイフの犬ぞりツアーでお世話になった日本人ガイドさんからメールが届いた。このメールが思いのほか僕を元気付けてくれた。そして今日1本ライブの依頼が入り更に元気付けてくれた。毬音の助けだったのだろうか。毬音の喪失感は失せる事は無いが、襲われていた空虚感は姿を潜めた。目的を持つ事は大切な事なのだが、僕の目的は早く毬音の許へ行く事なのだ。しかし生きる上での目的を持つ事も考えられるようになったのかもしれない。生への執着が出てきたか。
2006/02/16 (Thu) 21:53

 ●●●  アレレッ?
アレレッ?
今日はハローワークへ行ってきた。この用事がなければもっとイエローナイフ滞在を伸ばしていたはず。今日になって気がついたのだが、今札幌は雪まつりの真っ最中!今日の外出はハローワークへ行くだけだったので、旅の疲れもあるだろうと毬音は家で留守番。ハローワークからの帰り道、ちょっと雪まつり会場の大通に寄ってみようと歩いた。すると途中の道でマリオンが医大病院から寝台車でホスピスに移される時に通った道に出てしまった。マリオンが医大の看護婦さんに見送られ、僕は「ほら手を振っているよ」とマリオンに声をかけると。意識混濁した状態でわけもわからずにマリオンは手を振っていた。これから自分が何処に送られるのかも知らずに。真昼間の街中で僕は泣きながら歩く羽目になってしまう。
オーロラから帰ってみると、僕はまったくの抜け殻状態だ。毬音との約束は一応果たし、仕事も見つからず、ドラムを叩く機会も増えない。もうこれ以上生きている意味が見えなくなった。
人から愛される事は憂い。人を愛する事は喜び。その人を失う事は絶望しかない。いくら頑張ったところで、僕の欠落した部分は補えない。まったく別の自分になる以外に。
こんな事なら、もっと沢山マリオンと約束しておけばよかった。それを果たすまで僕は頑張れたかもしれないから。
街中ではバレンタインのデコレーション。僕には生涯関係のない日になってしまった。
2006/02/07 (Tue) 16:20

 ●●●  おまけに
おまけに
毬音と一緒にオーロラを浴びる!
2006/02/07 (Tue) 3:47

 ●●●  帰国して
帰国して
イエローナイフで5泊オーロラ旅行を終えて帰ってきた。行く前は毬音なしでの旅行が辛くて憂うつな気分だった。行ってみれば前出の同行者と一緒にオーロラハントが出来て毬音共々楽しく過ごせた。昼、同行者と5人で食事に行った際もテーブルには毬音も同席させてもらった。それがイエローナイフでの唯一の食事らしい食事だった。後はスーパーで食料を買ってきて喰うだけ。きっと毬音と一緒に来ていたなら、そうしたはずだ。
スケジュール的に同行者が去って一人残されたイエローナイフ最後の夜、オーロラ観賞施設のスタッフさんが毬音の話を聞き泣いてしまったのだが、彼女も毬音のためにオーロラが出るように祈ってくれた。その甲斐あってオーロラが出てくれた。毬音のおかげで素敵な人たちとの一期一会の出会いがあった。最後の夜、オーロラが舞っている下で毬音瓶から僅かに拾った骨の粉を撒いた。これでいつでも毬音はオーロラを見られるのである。僕なんかよりずっとオーロラに詳しい達人になれるだろう。次は毬音にオーロラまで導いてもらおう。イエローナイフからエドモントン−バンクーバー−関空−新千歳と4本の飛行機を乗り継ぎ帰宅。前夜がオーロラを見て徹夜しての帰路だったので、飛行機の中ではほとんど寝ていた。毬音はダウンジャケットの内ポケットでずっと一緒に飛行機に乗っていた。 これで毬音にオーロラを見せる約束が果たせたのだろうか? 僕としてはマリオンと抱き合ってオーロラを喜びたかった。しかしそれは僕の願望なのだ。今では毬音はオーロラそのものでもあるのかもしれない。
ちなみに買って来た食糧を食った後日、下痢をしてしまった。ビーフステーキジャーキーの中に日本でよく見る乾燥剤が入っていたのだが、日本語で「これは食べられません」と書いてある。そんなものカナダ人にはわからんだろう。
2006/02/07 (Tue) 3:09

 ●●●  カナダ、イエローナイフにて
カナダ、イエローナイフにて
こちらの時間は2月3日午後1時過ぎです。昨夜3回目のオーロラツアーに参加。夜中1時頃から出ました出ました。タイムアップギリギリの2時前には真上から降り注ぐオーロラに遭遇。思わず毬音瓶を握り締めていました。こちらで毬音の追憶にかられて寂しく悲しい旅行になると思っていましたが、東京からのオーロラの達人母さん2人組、関西からの女性2人組のおかげで楽しく過ごしています。毬音の事情も知ってくれています。ありがたいです。あと2晩のオーロラチャンス。昨夜ほどのものは難しいかもしれませんが、もっといろんなオーロラを毬音に見せてあげたい。
2006/02/04 (Sat) 5:05

 ●●●  関西空港
関西空港
10分遅れで関西空港到着。関西空港は僕がニューヨークから帰って来た時以来で、ここから発つのは初めて。関西空港までの飛行機は小さく設備もお粗末。座席前に画面は無く、大画面も無い。だから非常に退屈だ。とは言ってもほとんど寝ていたが。これから約3時間暇を潰してカナダ・バンクーバー行きの飛行機に乗る。毬音はウキウキしてるだろうか。
2006/01/31 (Tue) 15:14

 ●●●  新千歳空港
札幌は昨日の最高気温がプラス5度くらいになったらしいが、天気予報では今日の最高気温はマイナス3度。しかし晴れて暖かい。圧雪の道は濡れてツルツル。四苦八苦してJR琴似まで歩き新千歳空港まで来た。昨夜は寝てない。なぜなら禁煙の機内を寝て過ごすために他ならない。
毬音もしっかり僕の背中のオレンジ色のディーパックに入ってる。新千歳空港で往復全て、計7枚綴りになった航空券を受け取る。まったくウキウキした気にならず関西空港への飛行機に搭乗。
2006/01/31 (Tue) 15:05

 ●●●  ギグ@ロンド
ギグ@ロンド
昨夜は我家から徒歩7分ほどのところにあるお店での演奏だった。アルトサックスとエレキベースとのトリオでの演奏。お店は15人も入ればいっぱいになるような小さな店。バンド編成の性質からかなり自由に演奏が出来て楽しかった。毬音にはドラムのすぐ横のカウンターの上で聴かせる。残念ながら写真を撮り忘れてきてしまった。演奏後、お客さんからメンバー全員にビールをおごってもらう。早速次回のロンドでのライブ予定を3月18日に入れてもらった。ドラムを叩くのは本当に楽しい。それは毬音の魂との同調でもあるからだろう。
家から歩ける範囲で演奏が出来るとは、珊内在住時には考えられない事だ。ここに転居してよかったと感じる。今日 入浴中ふと今でも珊内で暮していたらと考えてみる。それはそれは体の細胞全てが苦しみに震えるような悲しみに襲われながらの生活だっただろうと予想される。多分そんな日々では僕は生きていられなかっただろう。確かに珊内での生活は捨てがたい心地よさがあった。しかし毬音を喪って一人残って暮すには、僕の精神は耐えられなかっただろう。 札幌のココに転居できたのも毬音の導きだと信じている。後は僕自身で演奏の機会を作っていかなければならない。今のところライブ予定がなかなか入らない。これは僕の精神衛生的にもよくない。明後日のカナダ旅行から帰れば即職探し。生活するうえでは仕事も重要だが、僕にとっては演奏も毬音とのつながりを維持する上でかなり重要なのである。なんとかしなければ。
2006/01/29 (Sun) 21:27

 ●●●  美瑛
美瑛
今朝は徹夜してJRに乗り旭川まで行き、乗り換えて美瑛まで行ってきた。その理由は、美瑛に住み手作りハム屋を営んでいる友人がベーターのビデオデッキを持っているというので、毬音父から預かったベーターのテープをVHSテープにダビングしてもらうために出かけた。美瑛を訪ねるのは7年ぶり。マリオンと一緒に来た事は無かった。夏には観光客も多い美瑛だが、冬はただ雪野原が広がっているだけの淋しい場所になる。友人の店は1月中は仕込みの時期で営業をしていない。家にあがるなりすぐビデオのダビング開始。ベーターのテープにはマリオンが中学1年時と中学3年時のピアノ発表会の映像が入っていた。残念なことに中1時の映像はかなり悪化していて見づらい。遠くからの撮影だったようで、マリオンの顔もはっきりと見えない。でも僕の知らない中学生のマリオンがショパンを弾いていた。当時僕は東京に住んでいたはずだ。お互いにお互いの存在も知らずに暮していた。この20年ほどの後出会い、絶対的な存在になる。
人の縁とはまったく不思議なものだ。肉体を失った毬音は今でも確実に僕にとっての絶対的存在であり、導師でもあり、大好きなのだ。
ビデオを見ながら照れている毬音を感じる。僕はそんな毬音を茶化したくて仕方が無かった。。。。会いたいよ。会いたいよ。淋しいよ。  ほんの1時間でいいから出てきてくれよ。罰当たりな事をすれば恨んで出てきてくれるだろうか。
2006/01/26 (Thu) 19:36

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