チャンカーはマリオン


 ●●●  積雪
積雪
今朝外を見ると、また冬になっていた。結構雪が降ったんだねぇ。TVで「札幌は11センチ積もった」と言っている。現在気温は0度らしい。今日は午前中にハローワークで紹介してもらった所へ面接に行くので、いつも眠れない夜を過ごしていたが無理矢理床についた。すると久しぶりに金縛りと悪夢にうなされ結局1時間半ほどで目覚めてしまった。その1時間半の間に3〜4本の夢を見た。そのひとつに毬音瓶がいつもの場所から消えて慌てる夢があった。僕は必死に部屋の中を探し回り何とか見つけ出し泣いてしまうのだが目覚めて、どうして生きてた時の姿で出てくれなかったのか残念でならなかった。未だ一度も毬音は夢に出てきてくれない。もし夢の中で毬音と会えたとして、僕がそのまま目覚めることが無いとしたら、それはそれで僕には好都合とも思えるがきっと周りでは排他的思考として非難されるのだろう。しかし毬音とずっと一緒に居る事は臨終の際で約束した事でもあるから果たす必要がある。自ら命を絶つのは毬音の許へ行けないのは重々承知。だから自分の定めに従うが、その定めが長い未来の事とは限らないわけだ。去年の4月7日にマリオンの癌再発が発覚した。医師から持って年内の命と言われた。僕はマリオンに知られないようにマリオン父に電話報告をしたのだが、泣いて泣いて言葉が出てこなかった。「何も出来なくてすみません」と謝る僕にマリオン父も涙ながら「わかっていた事だから・・・・吟ちゃん大変だろうけど娘をよろしくね」と言葉を詰まらせていたのを覚えている。去年5月7日に更新してある毬音のサイト自己紹介のページに「平成17年4月の検査で、癌が再発・転移していることが発覚。癌と共存しながら生きています。いつ死ぬかもしれないという不安に駆られながら、ぼちぼち田舎で生活しています。」と書かれてある。時々「吟ちゃん。ヨーコ死ぬのかなぁ。」とよくこぼしていた。「人はいつかは死ぬもの。でも今は死なない」と答えるのが精一杯だった。生きる希望を与えて延命を図るのと同時に死に対する恐怖心を拭ってあげる必要性も感じていた。常に僕も恐怖を感じていたのだった。年内と言われてた命がまさか6月に消えてしまうとは思っても無かった。しかし今思う。人とは命があって人なのか。命とは肉体の所有であって決して魂の所有物では無く、過ごすべき現象なのかもしれないと。そう思わなければやってられない。 今日はこのまま寝ないで面接に行く事になりそうだ。夜はライブがあるから居眠りしながらの演奏になるのかな。
2006/04/06 (Thu) 5:55

 ●●●  久々にコンサートへ行く
久々にコンサートへ行く
2003年8月31日に札幌厚生年金会館でマリオンと一緒に見て以来コンサートには行ってない。見たいミュージシャンが札幌まで来るのはなかなか無い事も理由だ。しかし今日のオーネット・コールマンは高齢ということもあり、見るのは最後のチャンスと思えたし、僕のサイトの「夢を見た」シリーズで一応共演させてもらっているミュージシャンでり、何より毬音が「行け!」と言ってくれるので大枚はたいて見てきた。毬音はしっかりと僕の胸ポケットで一緒に観賞していた。
2003年のコンサートではマリオンと2人だけで見て知り合いと出くわす事はまったく無かった、と言うより札幌に知り合いが居なかったのだ。今回は会場で多くの知り合いに出くわす。しかもほとんどが札幌でライブ活動をしているミュージシャン。これだけ会場に集まれば今夜札幌中のライブハウスでは演奏が聴けないのではと思うほど集まっていた。多分2003年と今回と同じような人たちが客として集まっていたのだろうが、今日は知り合いが沢山居る。それだけ知り合いが出来た事は、それだけ自分も動いていたという事だろう。 自分自身、毬音、毬音と悲観的に引きこもっていたように思っていたが、結構頑張っていたんだなぁと感じた。でもこれは自分の力だけでは無い。毬音のパワーが働いているのを忘れてはならない。
毬音。今夜のコンサート楽しんでくれたか! ん?何? やっぱり俺のドラムの方が楽しい? そうか!じゃ毬音のために叩き続けるからな!しっかり踊れよ!
2006/04/01 (Sat) 23:30

 ●●●  フェリーターミナル
なかなか仕事が見つからないにも関わらず、今日はフリーランスのジャムセッションのために小樽へ来た。 早めに小樽へ向かい散策でもしようかと考えてたが、当てなく歩くには小樽は小さくなによりも今の心境からは一人歩きは寂しすぎる。仕方なくフリーターミナルの駐車場で時間を過ごしている。しかしこの場所は毬音の辛い思い出が残りキツイのだ。
北欧旅行のスタートはここから新潟までフェリーに乗った。 去年4月にはリンパ球採取のため大阪へ行った帰りに舞鶴から小樽まで乗った。 その一ヶ月ちょっと後、意識混濁した毬音を大阪の友人・札幌の友人の助けを得て毬音姉とマリオンをだき抱えてフェリーに乗せ北海道に戻った。このフェリーターミナルに着き珊内とは逆方向の札幌へ。そして毬音は二度と珊内へは戻らなかった。 そんな事を振り返りながらこの文章を書いている。もう想像がつくだろう。僕は車の中で息苦しいくらいに思いきり泣いている。
どうして助手席にマリオンが居ないんだろ。やりきれない気持ちを今夜は音にしようか。 マリオンとの出会いの場フリーランスで。そろそろ毬音の一周忌を考えなければならない。できれば6月16日はライブで音を届けたい。
2006/03/28 (Tue) 17:45

 ●●●  もービックリ
一昨日まで春だったのに、昨夜から冬に戻った。今日は吹雪の中仕事の面接に行ってきた。しかし話を聞くと給料があまりに安かった。夫婦共稼ぎとかであれば何とか生活できるだろうが、その給料だけで生活維持は不可能。折角手ごたえある面接だったのだが・・・そして夜は「くう」という店でのジャムセッションに行ってきた。明日が祝日のせいか吹雪なのに沢山の参加者が集まった。なんともまぁドラマーは6人。ベース4人、ピアノ4人、ギター5人、テナーサックス1人、そして女子中学生のアルトサックス1人。この女子中学生只者ではないのだ。去年だか一昨年TVで紹介されていた天才アルトサックス奏者なのだ。TVで見た時は「ほほー、中学生にしては確かにずば抜けて凄いな」と感心した程度だったが、今日聴いてみると、どえらく成長していて凄すぎる。姿を見ないで聴いていると、中学生とはまったく思えない音を出す。中学生だからという贔屓目抜きで、その辺の少々上手い大人のアマチュアより全然いい音を出していた。彼女が成長して大人の肺活量になったときどんな音を出すのかすごく楽しみだ。ただどんな年齢を重ねていくかも音には大きく関わるからうまく時間を過ごして欲しい。今日のドラマーの数からして演奏に参加できたのは2曲だけで僕も毬音もちょっと不満気味だったが、女子中学生の音に対する驚きは充分不満を補うだけの価値があった。帰りの地下鉄の駅で僕と毬音は「凄かったねぇ。ビックリだわ」と興奮していた。
吹雪の道を歩きながら、彼女のサポートに回ってあやかろうかな〜なんてズルイ大人の考えが頭をよぎるのであった。でも毬音は「それ、いーんじゃない!」と囁いているのだが。
2006/03/21 (Tue) 0:00

 ●●●  ギグ@ロンド
ギグ@ロンド
エレキベース小田島氏、アルトサックス島谷氏とのトリオでのライブ。このユニットでの演奏はかなり自由で楽しいし、我家から徒歩7分ほどの所にある店なので終電も気にせずに気楽なのだ。3月はススキノにある店で数件のライブスケジュールが入っているが、そこではどうにもサポート的なおとなしい演奏になってしまう。店の雰囲気もあるのだろうか。同じジャズを演奏するのでも、僕にとって意識の切り替えが必要。今日のロンドというお店は本当に小さなお店なのだがおもいっきり演奏させてもらえるのだ。ハッキリ言って僕の音は大きく派手だ。でもその音こそ毬音は「吟ちゃんらしい」と喜んでくれる音なのである。なので今日のライブは毬音もかなり喜んでくれたと思える。ドラムを叩くのは本当に楽しいとしみじみと感じる。そしてそれが毬音にとっても喜びであれば僕にとってもこの上ない喜びとなる。ただお客さんが・・・・なかなか入ってくれない。もっとお客を呼べるように頑張らなければお店に申し訳ない。
音楽は、音を楽しむ。音で楽になる。いろいろと解釈できるのだが、演奏する側の思いとして、楽しさを音にすると解釈してもいいのではないだろうか。今夜の僕は悲観的観念に襲われないで居る。きっと毬音も今夜の演奏が楽しかったに違いない。毬音が満たされているから僕も安堵できるのだ。今でも僕と毬音はつながっていると実感した夜だ。
2006/03/19 (Sun) 1:54

 ●●●  9回目の月命日
9回目の月命日
毬音のお墓参りに余市へ行く。この冬の余市は記録更新の積雪だった。毬音の菩提寺に行くと墓所への参道は雪捨て場になっていたようで2メートル以上の雪の壁で閉ざされていた。正月に来た時も同じような状況だったが、間もなくお彼岸なので参道くらいは除雪されているだろうと期待して行ったが、変わり無し。一応長靴と途中ホームセンターでスコップも購入して挑んだのだが、墓所への侵入はまったく不可能。まるで管理されてない。仕方なく諦めその足で珊内まで車を走らせた。  去年10月札幌に転居してから2〜3度珊内を訪ねたが、一人で珊内に行くのは転居以来初めてだった。一人での珊内来訪は自分の深層に触れてしまった。  珊内に行くことはマリオンとの足跡を辿るためと思っていたが、実際には「毬音はもう居ない」と思い知らされる結果になってしまうのだった。珊内の海を眺めながら、もしあのまま珊内に住み続けたら僕は間違いなくこの冬を乗り越えられなかった、生き続ける精神状態に無かっただろう。札幌転居は僕を生かせるために毬音が導いたとしか思えない。
そんな思案をめぐらせながら珊内を後にして、いつもの買い物ルート岩内へ行く。マリオンと一緒に買い物をしていたお店にはやはり入れない。あまりに悲しい。そして毬音父の家へ。僕が訪ねることで毬音父は娘を思い出して辛いのではないだろうかと心苦しい部分もあるのだが、毬音の匂いのする実家は僕にとっても辛くもあり嬉しくもある場所なのだ。
僕は恋多き男だった。そしてふられて多くの別れも味わってきた。そのせいか去っていった女性への思慕の対処は自然と身についているようだ。毬音をその対処法にあてはめると気は楽になるのだが、息を引き取った現場を思い出すと頭が割れそうに苦しくなり内臓が飛び出すほど悲しい。僕は毬音をまだまだ愛しているんだよ。でも今の毬音は自由でいてほしい。悲観に囚われた僕なんざ気にしないで好きな所を飛び回っていてほしい。そんな毬音を感じられたら、僕はきっと元気になれるだろうから。
2006/03/16 (Thu) 23:30

 ●●●  やきっぺ
やきっぺ
郵送した求職への応募とこないだの面接の返答が無い。やはりダメだったか。また探さなければ・・・
弟が今年に入って禁煙している。彼は「禁煙セラピー」なる本で禁煙できたそうだ。僕も急いでその本を買いに走ったが、その足でタバコも一緒に買ってくるのだから我ながら先が思いやられる。実は一昨年の年末、年明けから禁煙しようとマリオンと言っていたのだが、正月明けてもそんな話何処吹く風と変わりなく吸ってしまっていた。毬音が旅立った後、彼女のメールを管理しているのだが、メールマガジンに禁煙モノが含まれていた。毬音は自分なりに考えていたのだろう。仕事が決まらない今、僕にとっては経済的にも禁煙は必要だ。
昨日、生前のマリオンが買い溜めていたカレーを作った。残しているのも無駄に思うが、消費することでマリオンが消え行くような気がして寂しくもある。今日の昼飯は毬音の好物だったインスタントの焼きそば「やきっぺ」。僕が作るといろいろアレンジしてしまう。ミックスベジタブルや卵や入れてしまいシンプルなものにならない。たかだかインスタントの焼きぞばだが、やきっぺはやはりマリオンが作った方が断然美味い。
札幌は雪が降っている。湿った春の雪だ。無気力な自分を持て余している。奮起するように自分に言い聞かせるのだが、なかなか言うことを聞いてくれない。このままどんどんダメになって行く事は毬音は望んでいないだろうが、食い止めようがない。ただ何かを待つしかできない。
2006/03/09 (Thu) 13:53

 ●●●  ネクタイ
ネクタイ
いままで僕はネクタイをしめるような仕事をした事がなかった。ネクタイをするとしたら冠婚葬祭かたまに洒落たクラブで演奏する時くらいだった。今求職活動中で面接とかにも行くのだが、ふと気づいた。面接にはネクタイをしていくべきなのだろうと。急いで安いジャケットとスラックスを購入。そして本日ペットの葬儀屋さんの面接に挑んだ。採用条件はお経が読める人!何人か候補が居るようで、多分僕ごときはダメだろう。面接をしてくれた人が言っていたが、応募に来る人は創価学会の人が多いのだそうだ。そりゃ彼らにとっては勤行が毎日のお勤め、読経は手馴れたものだろう。それには勝てそうにない。  しかし日頃ネクタイをし慣れてない僕にはネクタイをして外出するのはとても気恥ずかしいものだ。
ここのところ深い睡眠がとれなくなっている。眠くて眠くて寝入ったのに2〜3時間で目が覚め、もう一度寝ても2〜3時間で目が覚める。どこか精神的にイカレているのだろうか。 僕は一人暮らしが長かったから、今現在一人で居る事には慣れてきた。毬音不在の生活にはどーにか慣れつつある。しかし慣れる事に罪悪感に似た気持ちもある。そして毬音の死に関して以前より受け入れ難くなっている自分に気がついた。3ヶ月ほど前は、残された自分が寂しくて泣いていたが、今は毬音を救えなかった自分が悔しくて泣いている。  僕のホームページ上でマリオンが精神科に入院した頃のページを挙げたが、それ以降のマリオンは見ていてもかわいそうなくらいに辛そうだった。その上癌に侵された。それを考えると、今現在の毬音は開放されたと心から思えるのだが、僕の感情はそこまで割り切れない。  去年の今頃、マリオンの体内に残された癌細胞は落ち着いていてこの分なら人工肛門も取り外せると医師から言われ明るい兆しに喜んでいた。ほんの1年前の話なのだ。まさか1年後こんなに辛い状況が待っていたとは・・・悔しいね。悲しいね。でもね毬音、生きるって辛いよホント。
2006/03/06 (Mon) 16:41

 ●●●  ギグ@アットマイプレイス
ギグ@アットマイプレイス
昨日のライブの客ゼロ。正確には毬音だけ。この店は去年一月にマリオンを一度だけ連れて来た事がある。その時「大村の家内です」と挨拶してたマリオンを思い出す。
2月末日、我が家のインターネット接続がOCNからソフトバンクBBに切り替わった。おかげで当日夜小樽のジャムセッションから帰ってモデムやルーター設定に夜通しかかった。その作業が終わり朝近く、今度はワードで履歴書を作る作業に取り掛かる。マリオンが居れば「これどーすればいい? こうしたいけど、教えて!」とマリオンに頼りきりだっただろう。しかし今は自分で試行錯誤してやるしかない。 結局 履歴書完成は昼過ぎ。カーテンを開け外を見る。一昨日まで雪解けも進み路面のアスファルトも見えていたのだが、一面また雪に覆われていた。眠気はなかったが横になると寝てしまった。夕方に目覚めると激しい頭痛。喉も痛い。熱を計ると7度4分。マリオンが大阪で飲んでた解熱剤の残りを飲んでライブの店に向かった。体調不良のおかげで演奏に気持ちが入らない。最近また《毬音に会いたい病》が出てきた。気持ちの浮き沈みが大きく、周期も短い。 今まで笑ってテレビを見てたかと思うと突然悲しくなり泣いている。体内のすべての涙を出しきれば泣かなくなるかといえば、そんな事は無く際限なく涙は出てくる。
今月はアットマイプレイスでの演奏があと5本入ってるが、少しは客が入って欲しいものだ。
来週月曜、仕事の面接に行く。職種はペットの葬儀屋さん。
2006/03/02 (Thu) 22:01

 ●●●  ギグ@小樽フリーランス
昼過ぎ札幌の我が家を久々に車で出かける。我が家近辺はこないだ除雪・排雪が来たのだが、何故か我がマンションの前は置き去り状態。なので昨日からの春の陽気により道の圧雪は緩み雪の沼地状態。車を駐車場から出すのに冷汗をかく。ライブでビールを飲まないくらいの我慢はできるのだが、毬音にはビールを飲ましてあげたい。そうなると何故か僕が酔うので小樽での格安の常宿を予約した。早めに小樽に着き、街を歩く。マリオンと小樽に来るといつも立ち寄った激安服屋があるので今日も行ってみた。あったあった。二千いくらのジャンパーが700円! これからの季節にいい! 今日だって小樽の夕方の気温でプラス5℃。今日着るにも打って付けだ。即購入した。宿に戻り一休みしていざフリーランスへ。買ったばかりの700円ジャンパーを着て出かけた。今日の面子は、僕の北海道での演奏活動では最も長い付き合いのギター小倉さんベース横山さん、そして若いピアニスト金子ももちゃん。小倉さん横山さんには生前のマリオンと僕共々お世話になった人なのだ。僕の演奏が毬音への祈りという事も理解してもらえているので、僕にとって一番やりやすく
心許して演奏できるユニット。何よりフリーランスは僕とマリオンの出会った店なので思い入れも大きい。 演奏前に毬音に生ビール一杯注文。その一杯はもちろん僕の体内に吸収される。
演奏が始まると、ちょっとビールが効いていて、音に対し細心さを欠いてしまった気がする。それよりドラムの横の毬音にビールを注文し忘れ、毬音は何も飲まずにステージを観る事になってしまい、申し訳なく思いながらドラムを叩いた。面子と店の持っムードとマスターの音の好みが僕を解き放ってくれるので奔放に叩いた。
演奏を終えまた少し飲み(毬音のために)店を出た。外は雨。 今日の演奏は毬音はきっと喜んでくれたと思う。 コンビニで毬音の好物のひとつナポリタンとビールを買い宿に戻りふたりで酔っ払う。
2006/02/23 (Thu) 0:02

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