今朝外を見ると、また冬になっていた。結構雪が降ったんだねぇ。TVで「札幌は11センチ積もった」と言っている。現在気温は0度らしい。今日は午前中にハローワークで紹介してもらった所へ面接に行くので、いつも眠れない夜を過ごしていたが無理矢理床についた。すると久しぶりに金縛りと悪夢にうなされ結局1時間半ほどで目覚めてしまった。その1時間半の間に3〜4本の夢を見た。そのひとつに毬音瓶がいつもの場所から消えて慌てる夢があった。僕は必死に部屋の中を探し回り何とか見つけ出し泣いてしまうのだが目覚めて、どうして生きてた時の姿で出てくれなかったのか残念でならなかった。未だ一度も毬音は夢に出てきてくれない。もし夢の中で毬音と会えたとして、僕がそのまま目覚めることが無いとしたら、それはそれで僕には好都合とも思えるがきっと周りでは排他的思考として非難されるのだろう。しかし毬音とずっと一緒に居る事は臨終の際で約束した事でもあるから果たす必要がある。自ら命を絶つのは毬音の許へ行けないのは重々承知。だから自分の定めに従うが、その定めが長い未来の事とは限らないわけだ。去年の4月7日にマリオンの癌再発が発覚した。医師から持って年内の命と言われた。僕はマリオンに知られないようにマリオン父に電話報告をしたのだが、泣いて泣いて言葉が出てこなかった。「何も出来なくてすみません」と謝る僕にマリオン父も涙ながら「わかっていた事だから・・・・吟ちゃん大変だろうけど娘をよろしくね」と言葉を詰まらせていたのを覚えている。去年5月7日に更新してある毬音のサイト自己紹介のページに「平成17年4月の検査で、癌が再発・転移していることが発覚。癌と共存しながら生きています。いつ死ぬかもしれないという不安に駆られながら、ぼちぼち田舎で生活しています。」と書かれてある。時々「吟ちゃん。ヨーコ死ぬのかなぁ。」とよくこぼしていた。「人はいつかは死ぬもの。でも今は死なない」と答えるのが精一杯だった。生きる希望を与えて延命を図るのと同時に死に対する恐怖心を拭ってあげる必要性も感じていた。常に僕も恐怖を感じていたのだった。年内と言われてた命がまさか6月に消えてしまうとは思っても無かった。しかし今思う。人とは命があって人なのか。命とは肉体の所有であって決して魂の所有物では無く、過ごすべき現象なのかもしれないと。そう思わなければやってられない。 今日はこのまま寝ないで面接に行く事になりそうだ。夜はライブがあるから居眠りしながらの演奏になるのかな。






