チャンカーはマリオン


 ●●●  GW
GW
去年の連休は明けてすぐにマリオンと大阪へ行った。その辺の話を持ち出すと、折角晴れた今日の青空を直視できなくなるので今ひとつ意識をずらそう。
5月4日札幌ー余市は晴天で春の陽気で暖かい。大阪から友人が北海道上陸。札幌の友人と大阪の友人と僕とで余市の毬音のお墓へ参る。この2人に墓参りしてもらうのはかなり意味深いのだ。 結局去年の話しに触れる事になるが、去年大阪のウィークリーマンションで意識混濁して動けないマリオンを舞鶴のフェリーターミナルまで同行してくれたのが、大阪の友人。小樽に着いてフェリーターミナルで待ち受けてそのまま札幌の病院まで運んでくれたのが札幌の友人。混濁した意識下のマリオン自身がこの2人の恩恵で北海道に戻れた事を認識できていたかわからないが・・・きっとお礼を口にはできなかったが、理解して心では感謝していたに違いない。とにかくこの2人のおかげでマリオンを北海道に帰すことが出来たのだから、僕は今でもそして今後ずっと彼らには感謝あるのみ。だから彼らと墓参りしたかった。 墓所の雪もほぼ消えていた。いざお墓の前に来ると、正月にお参りした時の墓石の位置から察する雪深さに唖然とした。連休となると花も大した花が売ってなく、寂しい献花になってしまう。でも久々にお墓の前に立てて嬉しかった。 そのまま珊内を目指した。雪融けから僕は結構珊内を訪れているが、やはり数人で行くと気も紛れる。しかしふと一人で感慨に耽ってしまう時もある。僕にとってもマリオンあっての珊内。マリオンの居ない珊内はあの珊内とは別物なのだ。旅人として訪ね来ていた珊内に戻っているのかもしれない。 雪が無い間はマメに珊内には足が向いてしまうだろう。
2006/05/06 (Sat) 14:28

 ●●●  霊感
霊感
つい先日、強力な霊感を持っていたという人と会った。その人は20代の頃は霊も見え会話も出来たらしい。しかし見たくて見えたわけでなくそんな事に疲れ果てて体調も悪くした。そこである霊能者に能力を削いでもらった。それ以来楽になったと言うが、今でも邪悪な霊には敏感に感じると言う。その人に毬音の話をした。その人は今は邪悪なものしかわからないからと言うのだが、僕が2月にカナダから帰ってすぐの頃自分の使命は終えた、もう生きていても仕方ないと思ったとたんにライブの予定が一気に入った。これは毬音のおかげだと思うと言うと、間髪入れず「そうだよ」と発した。発した本人も驚いたような顔をして「ほら、そうだと言ってる」と言葉を続けた。最初の「そうだよ」はまぎれもなく毬音の発した言葉だったのだ。何気に何処からともなく柔らかい空気の流れを感じたと言っていた。実は僕も家に居る時、窓は閉め切っているにも関わらず時々風を感じていた。毬音は約束通り今でも僕と一緒に居るのだ。そして今の僕の有能なマネージャーをやってくれている。それが分って僕の気持ちはなんとなく安堵している。  最近毬音父の薦めもあってメル友を探している。とあるサイトに登録したのだが、そこでメールを交わした女性から「あなたは奥さんを未だに愛していて人が入り込める余地が無い。そんな状態では恋はできない」と怒られた。見ず知らずの相手にメール一本で恋するほど僕は単純ではないわけで、もしメール交換から恋に発展するとしたら毬音の事は理解してもらう絶対条件なわけだ。アッ、でも思い返せば毬音と僕もインターネットで知り合って1ヵ月半で入籍したんだった。あながちメル友募集から新しい運命が始まるのかもしれない。でもそれは毬音の導きがあってこそだろう。 今日は久々に洗濯物をベランダに干した。明日 珊内に行く。   毬音よ、感謝してるよ!
2006/05/03 (Wed) 12:28

 ●●●  ギグ@ジャムジカ
ギグ@ジャムジカ
札幌・西28丁目にあるジャムジカというお店で演奏。ジャムセッションで何度か一緒に演奏した事はあるもののギグとしての共演は始めてのメンバーだった。初めて一緒にやるとなると、お互いにどんな音を出してくるのか、どんな音になるのか心地よい緊張がある。演奏が始まって自分の方向性を見い出せば後はメンバーの音に乗っかって自分を出していけばいいだけだ。場合によっては、自分の心持やメンバーの音の色の違いでなかなか乗っかれずただ音を出すだけみたいな演奏になってしまうこともあるのだが、今日は楽しめた。そのお店にはデンマークのビール「カールスバーグ」があったので、毬音のために注文した。コペンハーゲンに行ったとき美味しいとよく飲んだビールなので毬音もご機嫌だっただろう。カールスバーグを飲みながら少しハードな演奏を毬音はドラムのすぐ後ろで聴いていた。演奏中僕はチョクチョク毬音のビールを盗み飲みした。楽しい演奏が出来たら気分が良いものだ。なので帰りは旅行用のキャリーフレームにスネアドラムとシンバルをくくりつけ引っ張りながら歩いて帰ってきた。地下鉄で2駅。気温も暖かく少し汗をかきながらのちょうど良い散歩の距離である。毎回演奏の後に毬音に今日の演奏はどーだった?と聞くのだが、「良かったよ〜!吟ちゃんはどうだった?」と聞き返してくる。「俺はもっと練習しなければ・・」と小声で呟きながら道を歩いた。傍から見れば怪しいオヤジでしかないだろう。今日の演奏は毬音も楽しんでくれたようだし会話しながら心地よい散歩もできた、いい1日だった。
2006/04/29 (Sat) 23:50

 ●●●  ニセコ
ニセコ
チャンカーはマリオンを見て心配してくれた友人から、ニセコでライブがあるので観にいこうと誘いがあり、家でジッとしてるとまた悲観に囚われるので出かけることにした。まず玄関先の郵便受けに数日前郵送した履歴書が、不採用の通知と共に返送されていた。もうここまで来ればショックはそれほど大きくないが、落胆はある。その時確かに聞えた。「気にすんな〜!」 毬音の声だ! いつも聞きなれた台詞と声だった。その声に救われた。ニセコまでの2時間ほどのドライブの最中、久々に毬音の匂いも感じた。助手席で励ましていてくれたのだろう。ニセコに入る前に倶知安のマリオンが通っていた病院に立ち寄り、マリオンの精神科の主治医だった人がまだ在籍しているか確認した。もう診察が終わってしまった時間だったので待合室はガランとしていた。誰も居ない待合室の椅子を眺めていると、ことさら毬音はもう居ないと実感する。 ライブはニセコのペンション内で行なわれた。メンバーはドラム・Gene Jackson ギター・笹島Akio ベース・重松忠雄。ライブが終わった後メンバーの方を交えて遊びで演奏をさせてもらう。夜11時半頃にニセコを後にして真っ直ぐ札幌に帰るか神恵内を回るか迷いながら運転していたがハンドルは神恵内方面に向いていた。ニセコから倶知安を抜けて珊内へ。マリオンとの通院帰りの道だ。珊内に到着したのは12時半頃。寝静まった珊内をしばらくブラブラした。やっぱり我家は無い。そして珊内の星は本当に綺麗だ。1時間ほど波の音を聞き札幌を目指す。ようやく札幌が帰る場所と実感を持てるようになってきた。と言うか、珊内に我家の姿が消えてしまった景色が否応無く「もう帰る場所ではないぞ」と物語っているのだった。そこからの帰り道はマリオン小学生時代の古平、初めてキスをした余市の漁港などを回り、毬音と語りながら帰ってきた。
2006/04/27 (Thu) 3:53

 ●●●  すみませんでした
僕は大丈夫です。

去年の尼崎脱線事故のその日、マリオンと僕は大阪に夜行列車で到着しました。
そしてテレビでその事故を振り返る番組が放映されていたので、フラッシュバックしてしまったようです。
事故で家族を亡くされた方々に比べれば、僕の苦しみなんて知れているでしょう。
しかし悲しみは同じでしょうね。

ドラムを叩く機会がある限り、僕は大丈夫です。

心配してくれて連絡いただいた方々へ、
ありがとうございます。

今夜これから小樽までジャムセッションに行ってきます。
2006/04/25 (Tue) 18:13

 ●●●  自責
やっぱりキツイです。

たまりません。

バカな俺を信じて逝ってしまった毬音が不憫です。

1年前を振り返ると、、、、、
これから6月16日まで生きた心地がしません。

自分が生きるに値するのかもわかりません。

苦しくて苦しくて・・・・
こんな姿を毬音は喜ぶはずは無いのはわかっていても、どうしようもないのです。

2006/04/24 (Mon) 16:02

 ●●●  オーディエンス
今日は月一に入っている我が家の近所の店ロンドでの演奏。思う存分叩けるから楽しいし少ないながらもギャラが入る。今日のメンバーは4人。集客できるメンバーが居たおかげで今日は狭い店いっぱいのお客さんが入った。とは言っても10人少々なのだが、聴いてくれる人が居るのは有難いものだ。まだまだ僕の名前での集客は難しい。良い演奏をして「吟弘のドラムを聴きに来た」と言われるように頑張らねば。そんなお客さんが増えれば毬音も喜んでくれるだろう。
去年の今日。マリオンがペット検査を受けて残っていた癌細胞が腹部内壁に増殖してた事が判明し天国へのカウントダウンが始まった。思い出すと身が裂ける思いだ。これから毬音の命日まで相当辛い日々になるだろう。覚悟はできてるか!? 乗り越える自信がない。 とりあえず今夜は一緒にライブて演奏したギターマンが小樽までアンプを抱えてJRで帰ると言うので我が家に泊めて明日車で小樽まで送って行く事にした。おかげで悲しみに苦しむ夜にならずに済んだ。まぁ今夜は楽しい演奏ができたから独りの夜でも大丈夫だったかもしれない。毬音も喜んでる事だし。
2006/04/23 (Sun) 2:38

 ●●●  自炊
自炊
数日前に履歴書を郵送した会社から昨日「否」の通知が届いた。これで何件断られかなぁ。僕の経歴を見れば、フラフラと落ち着きがないと見られるのがほとんどだろうが、いろんな経験をして来たと興味を持ってくれる奇特な人の目に止まるように祈るしかない。
今日は毬音のためにオムライスを作ってみた。結果はご覧の通り、とてもオムライスとは言えない代物になった。毬音用のオムライスはどーにか形になった。 まっこんなもんで勘弁してくれ毬音よ。明日は近所の店での楽しめるライブ。近所だから演奏終わったら毬音と飲むかな。
2006/04/21 (Fri) 19:57

 ●●●  10回目の月命日
10回目の月命日
もう10ヶ月マリオンに会っていない。10ヶ月以上マリオンの声を聞いていない。我ながらよく堪えていると感心してしまう。しかし薄皮1枚の表層意識を剥がすと一気に錯乱すくほど辛い悲しみが湧き出そうで怯えている自分が居るのも確かなのだ。内なる自分に気がつかないように表面的に騙し騙し生きているに過ぎない。ただ、生きるしかないと覚悟は決まった。今の僕にとって生きる事は諦めと忍耐。しばらく貧食で過ごせたが、また過食気味になってきた。空虚な時間を過ごせない。食べることで虚しさを埋めようとしているのだろう。
今月も毬音父の居る余市へ行ってきた。今回は僧侶が来て読経をしてもらう。その後しばし毬音父と話していたのだが、誰かいい人を探しなさいと言ってくれるのだが、まだまだそこまで考えられない。僕にとっての毬音の存在は絶対的で不可欠だ。それはこの世を去った今尚不動。その上職もなく学歴も財も無い僕に連れ添える相手が現れるわけもない。今の心境で一人で居る事は確かに苦しいが、堪えられるところまで堪えるしかない。そんな状況の中でも生きていられるのは、そこそこドラムを叩く機会に恵まれている現状があるからだろう。演奏している時は楽しい。それは自分が楽しむ事と、毬音に音を届ける意味も含む。ただ折角の演奏機会があっても僕には集客力が無い。このままではライブの数も減らされていくのではと不安と焦りがある。職が見つからずに焦り、集客できずに焦り、一人で居ることに焦り。過食と円形脱毛。こんな情けない男で毬音に申し訳ない。こんなどうしようもない奴と一緒になってくれた毬音には心から感謝以外ないのだ。ありがとう毬音。
2006/04/16 (Sun) 20:28

 ●●●  晴れていたから珊内へ
晴れていたから珊内へ
最近気がついたが、僕は円形脱毛症になっていた。今まで何度も円形脱毛症にかかっているのでそれほど気にしていないのだが、仕事が見つからない事がストレスになっているのか、毬音に会えない寂しさか、とにかく精神的にかなり辛い状況なのだろう。気分を入れ替えるためと、今月の毬音の月命日はいろいろと用事があり珊内まで連れて来れないので、今日は晴天ということもあり珊内まで車を走らせた。この天気なら水平線に沈む夕陽が期待できると思った。16日の毬音月命日には余市に墓参りに来るつもりだったので、一応お墓の様子を見に余市のお寺に立ち寄った。先月よりは少しは積雪は減ってはいるものの、到底墓所へたどり着ける状況では無い。このお寺の墓所に墓を持つ人たちは春のお彼岸はどうしているのだろう?これでは今月も墓参りは不可能。なんだか情けなくなってきた。
珊内に到着した。日差しも風も温かく、すっかり春の陽気だった。しばらく浜で海を眺めていても苦ではなく気持ちがいいくらいだった。穏やかな海と本当に静かな珊内村。時々温泉のボイラーの排気音が鳴るのだが、これは聞き慣れた懐かしい音として響く。夕日まで待とうとしていたが、夕方5時、村内アナウンスのスピーカーから♪夕焼け小焼け♪が流れてきた。この音が僕を一気に毬音への思慕をかきたてた。マリオンの居ない珊内は、やはりあの珊内では無い。見た目には何も変わらない珊内だが、もう無機質な風景でしかないように感じた。そんな気分になった僕はそこに居たたまれなくなり、車で西の河原まで行き夕日を待つことにした。西の河原に立ち更に辛い思いが襲う。この西の河原は僕と毬音が入籍報告の葉書に載せた写真を撮った場所であり、入籍をきっかけに二人共々本籍を移した場所でもあり、珊内の浜より二人の思い出が多い場所だった。通い猫だったサイレンがマリオンのおかげで家猫になれた。そのサイレンが消えてマリオンはよく僕に聞いていた「今サイレンはどの辺に居るのかな?」僕は「太陽系を出たくらいかな。後少しでサイレンの星に帰りつくよ」と答えていた。
毬音は今どの辺に居るのだろう? 会えなくて気が狂いそうなくらい辛いけど、僕の事は心配ないよ。毬音は健やかに自由に飛んでいてくれよ。
2006/04/14 (Fri) 23:31

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