NY入国拒否から10日経った。本当であれば今日が帰国日。しかし早く帰国したことで札幌で4件のジャムセッションに参加できた。
明日、毬音5回目の月命日。余市へ墓参りに行く予定だ。今回の月命日には何が喰いたいか聞いてみた。今回はかっぱ巻きよりオムライスが喰いたいらしい。どこかで買ってお参りに行こう。以前、僕と同じく奥さんを癌で亡くされた方に悲しみの乗り越え方を教えてもらおうとメールをしたことがあった。その方は奥さんを亡くして半年から1年の間が一番辛かったと言っていたが、毬音を喪ってすぐの深い悲しみの渦中の僕には何故半年後なのだろうとわからなかった。まぁその方の奥さんを喪ってから半年後の辛さがどんなものだったかはわからないけれど、僕の場合は今「毬音と会えないで耐えられる限界」に来ている。毬音に会いたくて会いたくて気が狂いそうに辛い。単なる独りになった寂しさであれば誰かと会ったり一緒に居ることで紛れるのだが、今回は毬音でなければダメなのだ。絶対に叶わない心の欲求に対して、僕はなすすべが無い。毬音は常に一緒に居る事は承知しているが、肉体を持つ僕には温もりを感じなければ欲求を満たされないという未熟が辛さを誘う。 その気持ちを共有してくれる人が身近に居れば少しは救われるのだろうが、ただただ独りでジッと耐えるしかない。5ヶ月も経てば、毬音の逝去は周りの人たちにはすでに過去の出来事であり、今の僕の心境を吐露するにはズレがありすぎる。こんな思いがいつまで続くのか。正直言って僕には生き抜く自信は無い。しかし独りで生き抜くしかないのだ。毬音のためにも。






