わざわざ札幌から友人が我が家の荷物を札幌へ運ぶのを手伝いに来てくれた。本当に有り難い。我が家には家具という家具は無いので、冷蔵庫や大きな家電物は19日引き取り20日配送の手配はしてある。今日はその他の雑多物を車2台で運んだ。今日は毬音の4回目の月命日。花を買い友人も買い足してくれて一緒に墓参りをする。墓参りの度に僕は般若心経をあげる。線香が燃え尽きるまでしばし毬音と語らう。友人の前で無様であったが「やっぱり毬音が居ないと寂しいよ」と言うやいなや涙が溢れてきた。毬音は常に側に居るのはわかっていても、凡夫の僕には会えない寂しさ、触れられない辛さ、語り合えないもどかしさで泣くだけだ。 これ以上墓前に居れば泣きやまなくなるので、涙を拭い札幌へ車を走らせる。日曜だけあって車が多い。札幌の新居に到着、さっさと荷物を部屋へ運ぶ。今度の家は3階。階段を行ったり来たりでバテた。日頃の運動不足がたたる。荷揚げも終わり、お礼にと居酒屋へ行く。しかし友人は「いいから!」と奢らせてくれない。琴似駅で友人と別れ、僕は新居へ。新居で初めての夜を過ごす。まだガスが通ってないので銭湯へ行くが
、札幌だから深夜までやってるだろうと思いきや、11時閉店ギリギリで慌てて入浴できた。まだダンボールが雑然とした部屋で小さなポータブルテレビを見ながら毬音と語る。「これからココで暮らすぞ。いいな!」毬音も僕も苦手な街だが、もし街の暮らしに慣れなければ、また何処かへ流れるだけの話しだ。昔読んだ25セントのブルースという詩がある。『25セント分の切符をください。何処へ行くかなんて知っちゃいない。とにかく25セント分の切符をおくれと言ってるんだ! ただここから離れて行きたいんだ』といった内容の詩だった。 珊内から札幌まで25セントの距離なのかまだ不明だが、未だに僕は行き場が無いと感じている。まぁ 今までの経験で、何処で暮らそうとも、そこが自分の居場所なのだとわかってはいるのだが・・・





