チャンカーはマリオン


 ●●●  ありがとうございます
超オレ様、ABD様、私ごときを心配くださってありがとうございます。 昨夜はなんとか薬で眠れました。眠れば少し気分も楽になります。マリオン・毬音&吟弘 記憶の部屋 なるページも作りアップできました。 書いている時は涙流し流しですが、今まで書きたくても書ける状態になれなかった。 毬音との記憶を刻むために作りました。時間が経てば悲しみが薄れると言いますが、記憶までも薄れる事が寂しく思います。だからこそ残すべきと思いました。
いつまでも引きずって・・と言われるかもしれませんが、僕は一生引きずるつもりです。誰に何と言われようとも。毬音を今でも愛しているから。
2005/09/13 (Tue) 4:55

 ●●●  身の置き所・大阪にて
身の置き所・大阪にて
僕は未だに眠れない日が続き、母との生活のズレからストレスが生まれる。目の手術を控えた母にストレスが血圧を上げるといけないと思い、急遽大阪へやって来た。宿はもちろん毬音と約1ヶ月間過ごしたウィークリーマンション。もう大阪での常宿になってしまった。
実家に居ると毬音への思いで泣くことは無かった。それはその場所に毬音との想い出がそれほど無いからでもあり、母が居ることで狭い家の中で泣いて過ごすわけにもいかないし、毬音とゆっくり語ることもできなかったからだろう。決して気持ちが癒えたわけではないようだ。 大阪の常宿に入り毬音瓶を前に語ると涙が出てくるのだった。 珊内の家を片付けていた時、フィルムを2巻発見した。珊内で現像する時間も無かったので、それを北九州まで持ってきて現像した。いつのフィルムかもわからないし、何が写っているのかもわからなかった。ただマリオンが昔使っていたカメラで写した物とだけわかっていた。
出来あがった写真には、僕と結婚して間も無い頃のおどけたマリオンと僕とサイレンが写っていた。 マリオンは精神疾患で入院する前でもあり、活き活きとした表情をしている。何もかもが喜びに満ちていた瞬間を写し出しているとても良い写真だった。
常に見える所に置いていたら、目に入る度に泣いてしまう。といってしまうと見たくなる。 そんな混乱した状態の中、このウィークリーマンションでマリオンと過ごした日々を思い起こし、ことさら辛い気持ちになってしまい、出来ることなら早く毬音の所へ行きたいと焦る気持ちがもたげてくる。それを必死に押さえる自分が居る。
昨夜も眠れなかった。睡眠薬はなるべく使わないようにしていて、ようやく眠気が来たのが午前9時、目覚めたのは午前11時50分。3時間足らずの睡眠だった。 一人では居られないが、人と居ると迷惑をかけてしまう。もう何処にも僕の身の置き場が無くなったように感じてならない。何処へ行き何をすればいいのか、わからなくなった。
本当に僕は頑張れるのだろうか。
今夜は毬音の好物のオムライスを買ってきた。 毬音が食べ終えてから僕が頂く。
2005/09/11 (Sun) 19:50

 ●●●  再び福岡・篠栗28番札所
再び福岡・篠栗28番札所
9月1日に札幌から福岡へ飛んだ。着いたとたんに汗ダクダク。狭い日本でこんなに気温差があるのかとあらためて思い知る。車で珊内を出て余市のお墓でお参りして小樽へ。小樽の友人宅に車を預かってもらいJRで千歳。そして福岡直行で飛行機でやってきたが、車の中・JR車中・飛行機内で時々毬音の匂いが漂ってくるのであった。毬音が一緒に居る事を確信。福岡到着の夜は同級生と博多の屋台で飲んだ。そしてその次の日、7月に毬音の霊と交流してもらった篠栗28番札所へ再び足を運んだ。 今回は毬音は今どんな状態でいるのか?僕が毎日悲しんでいることで毬音は迷っていないか? とにかく現在の毬音が気になっていたのだった。
住職が言う「8月16日に浄土に渡ったようだね。今はぜんぜん心配ないよ。あんたの家のご先祖様かな?とにかくあんたの家の人が奥さんをよく面倒みてくれてて、奥さんは楽しそうにしているよ。猫も一緒に居るよ。」と。 僕の2人の父とサイレンと一緒に楽しく暮らしているようで安心した。 僕はあの世の2人の父に、くれぐれも毬音をよろしく頼むと常々願っていたが、願いが通じていたのを嬉しく思った。 今回気になったのは、住職がトランス状態になって「ヒロチャン」と僕を呼んだ事だった。僕が思うに、きっと毬音は”吟ちゃん”と呼んだに違いない。しかし僕の本名には吟の発音は無く住職がヒロチャンと変換したのではないか。もしチャン付けで呼ぶとしたらアキヒロという本名からして「アキチャン」が普通であるが、呼ばれたのはヒロチャンだった。 吟弘と僕の本名で重なる発音はヒロ。それでヒロチャンになったのではと予想した。 どちらにしろ40半ば過ぎた亭主をチャン付けで呼ぶのは不自然であり、それをチャン付けで呼んだ事に驚きを感じた。 毬音はきっと吟チャンと呼びかけてくれていたのだ。 毬音の匂いの事を言うと、「いつも一緒に居るんだから不思議はないよ、あんたが感じ取れると言うことだね」と言う。 そして恐る恐る毬音瓶を差し出し持ち歩いている事を告白。住職は毬音瓶を両手で包むように手に取り毬音の写真をジッと見つめ驚く。「私の長女の若いときにそっくり!は〜〜〜っこんなに似た人が世の中にいるもんだねぇ」そして中のお骨に関しても持ち歩く事に関しても「そりゃ奥さんは幸せだ!罰なんか当たるもんか、こんなに奥さん大事にされてりゃ喜んでるよ奥さんは。一緒に連れて歩いてあげなさい」と言い、再び毬音の写真を見つめていた。  お坊さんによっては罰当たりとか成仏できないとか言うようだが、やはり故人への思いのありかたが大事なんだと僕は信じている。
去年の9月3日、毬音は手術に挑んだ。癌による生存率を気にしてネットで見ていた僕を思い出す。 まさか1年以内死亡の生存率に毬音が入るとは思ってもなかった。
2005/09/04 (Sun) 15:16

 ●●●  消え行くもの達
消え行くもの達
僕が10年過ごしたこの僻地・珊内を出る決心をして、いざ部屋を片付けようとすると、事がまったく運ばない。それは、毬音との思い出が多いこの部屋を動かす事で、女々しいようだが、思い出が消え去るような気がして動けないでいるのだ。 しかしこないだ役場へ行くと「大村さんいつまで住宅に居るんでした?」と聞かれた。どうしてと問うと、このボロ住宅、いよいよ取り壊しになるそうだ。僕は10月いっぱいまで家賃を納めているのだが、なかなか片付かない状況から12月あたりまで借りようかと思っていた矢先のことだ。「いつ取り壊しですか?」と聞くと、年内との返答。多分僕の退去待ちなのだろう。 こうなると僕が借りる期間を延ばすのも無理。  だが、考えようでは、僕と毬音の思い出を抱いたまま土に帰るとも考えられ、次に入居する人に思い出の上塗りをされずに済むという事だ。これでなんとなく踏ん切りがついた。早速、部屋を片付けに入る。しかし毬音の物で捨てるに捨てられない物が多い。 僕が珊内を出る最後あたりに、不要と思える物だけでも浜で焼こうと思う。毬音の物だけだと寂しいから、僕の物も一緒にお炊き上げしようと思っている。 お暇な方は参加してください。  毬音はいつも僕の側に居る。 僕が皿洗いをしていると、「ゴメンね家事をさせて」と言う。「気にするな。俺は慣れているから」と答える。 車で出かける時は、いつもの自販機の前で毬音は「ジュース!」と言う。僕は車を止めて毬音の好きなジュースを買う。 買い物では、僕は「これにするか?あっちがいいか」と一人小声で呟いて買い物をしている。傍では危ないオッサンに見えるかもしれないが、僕は毬音と一緒に買い物をしているのだ。ただし一人分で済むのが経済的ではある。  一見、気丈に生活しているようだが、毬音の病状悪化した時期を思い出すと泣かないで居られない。けど、今現在の毬音は死の恐怖も無く、健全そのもの。そう考えるようにしている。でなければ、僕は気が狂うだろう。
毬音。待ってろよ。札幌に移ったらバンバンライブやるからな。ドラムのまん前で聴け!
2005/08/31 (Wed) 1:15

 ●●●  あれから、まる1年
あれから、まる1年
去年の8月25日は小樽のフリーランスでライブだった。思えばそれがマリオンが見た・聴いた僕の最後のライブだった。去年の今日はすでにマリオンは癌である事は知っていたし、手術も決まっていたのだ。 この1年を振り返ってみる。マリオンの癌告知、手術、手術を終えてみると、予想外の人工肛門の装着。入院中2度の腸閉塞で苦しい入院生活で2ヶ月。やっと退院と思えば僕の盲腸での入院・手術、それの見舞い・看護。年が明けて、マリオン父の脳外科手術。残った癌が落ち着いたからというので、人工肛門を外す手術を予定したとたんの癌の再発。天から地への思いだっただろう。足の痛みを堪えながら、急遽慣れない大阪での治療。そして意識混濁。わからないままフェリーで札幌に戻る。   珊内に戻ることなく逝ってしまった。
これだけの厳しすぎる現実に毬音は泣き言ひとつ僕には言わなかったし、涙を流しているところを見たことが無い。 全ては自分の”定め”と腹をくくっていたのか、それとも、まさか自分が死ぬとは思ってなかったのか。    いや、毬音は自分は35歳で逝くと何度も僕に言っていたことからして、全てを受け入れていたのだと思える。
僕もようやく毬音の服や諸々の物を徐々にだが片付けれるようになってきた。 毬音のお気に入りの服に手をかけると、動作が止まり泣く。毬音の靴を手にして泣く。毬音のボロボロになった携帯用吸殻入れに残った吸殻を見て泣く。毬音の家計メモを見て泣く。人工肛門の装着品を手にして泣く。毬音の茶碗で飯を食って泣く。 何一つ手放せない。 そうしながらも毬音の衣類はなんとかケースに収めた。 壊れたと思って仕舞いこんでいたデジカメを発見して起動してみた。毬音の姿が残っていた。日付は2003年8月16日だった。ソファーで横になりニコニコ笑っていた。
今日 車を洗った。洗車しながら助手席に毬音の姿が無いのが不思議で不思議でならなかった。 今でも僕は、毬音はどこかへ行っているだけ、と思っているのかもしれない。 
息苦しく悲しい。吐きそうなくらい悲しい。腹立たしいくらいに悲しい。 ここしばらく少しは気が楽になったと思っていたが、そんなことはなかった。今も泣きながらキーボードを打っているのだ。
あと1週間で僕は今の仕事を辞める。 
2005/08/26 (Fri) 0:25

 ●●●  紫陽花
紫陽花
昨日の雨で、珊内の風が変わった。毬音のタバコを買いにちょっと歩いた。ここ、あそこに毬音の残像を追ってしまう。やはり珊内は寂しいな〜〜〜〜!いつもカツゲンをあげているのだが、午後ティーも好きだったのでたまにはと思い買って来た。珊内では紫陽花はとっくに終わっているのだが、何故か1輪だけこの紫陽花が咲いていた。これは毬音のための1輪だと拝借してきた。時間が経てば悲しみは薄れると言うけれど、まだ僕には適用されていないようだ。6月16日で時間を止めてしまった僕には時間が経たないのだろう。 毎日レトルト物の食事だが、必ず毬音と分け合って食べている。 今更ながら、「本当に俺でよかったのか?」と毬音に問う毎日。ブライアン・ワイスの本に救いを求めるしかない。
2005/08/22 (Mon) 14:23

 ●●●  2005年8月・月命日
2005年8月・月命日
昨日毬音の実家・余市で毬音の初盆のため、仕事を休んで法事に行った。九州ではお盆はお坊さんを家に呼んで仏壇前でお経をあげてもらうのだが、北海道では墓前でお経をあげてもらうらしい。しかし昨日15日お墓に行っても坊さんがいなくて、結局僕が般若心経をあげた。毬音はきっと僕の経で喜んでくれたと思うが、毬音実家の御先祖様は納得してもらえたかは疑問。本当は昨日の夜は毬音のお墓近くで車の中で寝て早朝に月命日のお参りをして帰ってこようと思っていたのだが、一昨日の夜は眠れず1時間程度ウトウトしただけで毬音の実家へ出かけたのでヘトヘトであったし、今日の昼には毬音にかっぱ巻きを作ってやりたかったので昨日の夕暮れ時、再び毬音のお墓へ行き「明日の月命日にはお参りできないけど、ゴメンな」と挨拶して帰って来た。 そして今日の昼、かっぱ巻きを作った。自分でも良く出来たと思う出来映え。
毬音が生前、僕が午後の仕事に行く時、いつも「行かないで!」と言っていた。僕は「じゃぁ職場に午後は休むと電話してくれ」と答えると仕方なく「いってらっしゃい」と送り出していた。 きっとマリオンはこの僻地で一人で過ごす時間がたまらなく辛かったのだろう。だから今は毬音瓶を一緒に職場に連れて行くようにしている。今日はかっぱ巻きも一緒に持って行き、頃合をみて毬音の食べ残したかっぱ巻きを僕がいただいた。
前回のメモ「大丈夫 生きている・・・」を発見以来僕はまた悲しみのどん底に引き戻され夜の残務中は涙を流しながら仕事をしている。だが、今日ふと思った。あのメモの読み方、「大丈夫?生きている?・・・」と今の僕に対する呼びかけなのかもしれないと。 だったら僕は生きていかなければならないのだ。そして珊内を出るように促しているのだ。 毬音の演出は今もこの先も僕を導いてくれると信じている。
2005/08/16 (Tue) 23:55

 ●●●  メモ
メモ
何気なく毬音のノートを開いていたら、こんなメモを見つけた。ここ2〜3日泣くことも減ってきて徐々に一人暮らしだった頃のリズムを取り戻していたのだが、これを目にした途端泣かずにいられなかった。 ノートには、以前計画してチケットから宿の予約まで済んだ状態で毬音が精神科に入院して中止になった「アラスカ・オーロラ・リベンジの旅」の予定表と持ち物チェックリストが書いてあった。 北欧でオーロラが見れなかった事がやはり心残りだったんだろう。
毬音!絶対にアラスカに連れて行ってやるからな!オーロラを見せてやるからな! 何が何でも見せてやる! ただ残念なのは、君は生きてないんだ。でも僕よりずっと健康で自由で逞しい存在になっている。だから何も心配なく行けるから。
もう午後の仕事に出なければ。涙目をなんとかしなければ。
2005/08/14 (Sun) 14:41

 ●●●  祭壇
祭壇
生前、毬音はさほど花には興味を持っていなかったのだが、スーパーにはお盆用の花が並んでいたので、かもいユースホステルのかあさん用の花と一緒に毬音用の花も買って来た。ウチには花瓶というものが無く、適当なグラスに短く切った花をアレンジしてみたのが昨日である。今日の昼。お盆には早いがユースのかあさんの墓参りに行った。いつもかあさんの月命日にはマリオンと一緒にお参りしていたのだが、今日は勝手が違った。毬音は立場的にどちらサイドなのだろう???お参りをする側?される側? まぁここはかあさんのお墓だから毬音はお参りする側と判断して一緒にお参りする。あの世でかあさんと毬音が一緒に僕が手を合わせる姿を眺めていたのだろうけど。
そして夕方に知り合いが毬音にあげてと花を持ってきてくれた。しかも我が家の状況を知ってか花瓶も持ってきてくれた。申し訳ないのだが、菊は毬音に似合わないと思い、菊を除いて花瓶にアレンジした。 毬音の「センス悪いね!」の声が聞こえてきそうだ。その花と花瓶を貰ったのを機に、毬音の祭壇を作った。材料費は100円ショップで買って来た物ばかりで作った。そして今日の写真になった。 やはり花があると華やぐ。
ここのところあまり泣くことが少なくなった。しかし、何かの拍子にブワッと涙が出てくることは間々あるし、平気な時、誰かに毬音の事を話されると涙が一気に出てくる。とにかく悲しみがひと段落着いたのだろうか?それとも僕の感覚が鈍ったのだろうか?ただその反面喪失感を強く感じてきた。何をするにも無気力になった。飯を食うのも面倒臭くなってきた。いや、正確に言えば、飯を作るのが面倒だから、そこにあるものを喰う。無ければ喰わない。そのうち生きているのも面倒になるかもしれない。
そうだ!泣くことが減ったのは、僕があまりにも泣いてばかりいるので、毬音が「待ち合わせ」の約束をしてくれたからだと思う。その待ち合わせとは。毬音は用事で遠いところに居て、僕の寿命が来た時が毬音との再開の時なのだ。その時までの待ち合わせと、毬音は言うのだ。それでチョット安心感を持ったのかもしれない。早く僕の寿命が来ないかと待ち遠しい。
2005/08/12 (Fri) 23:58

 ●●●  毬音へのメール
毬音へのメール
今日の昼、仕事の中休みに岩内の町まで行き、買って来ました。寿司詰め合わせ。ちょっとチープな一品で、かっぱ巻きは3つしか入っていなかった。ケーキは、暑い車の中でクリームが融けてしまう恐れがあったのでやめた。そして昼食はささやかに祝った。
いつもだと午後からの仕事は毬音瓶を部屋に置いて出かけるのだが、今日は連れて行く。そのおかげか、今日はあまり泣かずに仕事を終えた。僕の携帯はいつもは圏外だが今日は電波のつながりがなかなか良い。それで仕事が終わり、風呂に入る前に毬音の携帯にメールをした。「件名/おめでとう  本文/今日で入籍まる4年。これからもよろしくね。今サイレンと一緒か? ずっとずっと一緒だからな。愛しているよ。」届け!届け!届け! 今日の涙はこの時だけだった。そして入浴。風呂上りに携帯の着信ランプが光っていた。見てみると、毬音に送ったメールがエラーとの通知。毬音の携帯は6月に解約したから当然ではあるが、絶対に僕のメッセージは毬音に届いているはずだ。  今日は毬音の郵貯を解約してきた。また一つ毬音の形跡を消すようで寂しい。
2005/08/08 (Mon) 23:40

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