大阪から舞鶴。舞鶴からフェリーで小樽。小樽から札幌。そして某医大病院の夜間診療を受ける。
大阪から札幌への移動は困難を極めた。マリオンは歩けず、言動は意味を成さず、とにかく見るのも痛々しいマリオン。この移動には大阪の友人・札幌の友人・なによりマリオン姉の助力が無ければ絶対に不可能だった。見事に自分の非力を思い知った。
札幌ではそのまま入院。マリオン姉は明日の仕事も家庭もあり最終の地下鉄に間に合うように帰っていただいた。僕はマリオンの容態が心配でベッド脇にへばりついてた。落ち着かず動き回り空想話を口にしている。ついには同室の患者さんが夜中にも関わらず部屋を替えるまでに至った。 とにかくマリオンが寝つくまで、僕はマリオンの横にへばりついた。 点滴でようやく落ち着き眠りについたマリオンを確認して僕はホテルへ向かう。空が薄っすらと白んだ午前3時半。 7時に起きて8時にはマリオンの病室へ向かう。意識混濁状態で落ち着かないので一人部屋に移される。昼間僕は札幌でのウィークリーマンションの契約のため街まで出て某医大の近くのウィークリーマンションにチェックインした。大阪でのウィークリーマンションの倍の広さはある部屋だった。部屋に入ってすぐさまマリオンの病室へ走り看護を手伝う。 今日の検査の結果を聞かされた。。。。。。。。「手の施しようがありません。明日ホスピスに転院してください」と手続きをすすめられた。 今日マリオンに「今どこに居るかわかる?」と聞くと途切れ途切れの小さな声で「釧路のホテル」と答えていた。こんな状態のマリオンに今日の結果が理解できるわけ無いのは幸いだったのかもしれない。 僕は荷物をウィークリーマンションに置いてくるからとマリオンをナースさんに頼んでウィークリーマンションに急ぎ足で向かった。部屋に入り、この広い部屋では僕一人で過ごすことになった予期してなかった事実に恥ずかしい話だが、僕は声を出して泣いた。パソコンでマリオンのサイトを見て また泣いた。泣きながら神、仏、すがれるもの全てに腹腸を搾り出すように懇願した。 明日はホスピスへ移る。今夜はマリオンについていてあげたくて付き添いを申請。夕方は水物をよく飲んでいたので精神科からの薬を飲ませるとぐっすりと睡眠に入る。そのまま夜になり消灯になる。夜は大阪から送った荷物を受け取りに一旦マンションへ。そしてまたマリオンの横で過ごす。よく寝ている。夜中2時前一服するために僕は外に出て戻るとマリオンが苦しんでいる。9度近い熱を出して言葉にならない声を出して唸っている。僕はナースコールを押ししばらくナースさんと手当てに追われる。 僕にはマリオンが病と戦っているように見えた。ナースさんが処置に走りまわり病室を出た時、僕はマリオンにささやいた。「戦っているのなら絶対に負けるなよ。俺が加勢してやっるから絶対に負けるな!」
マリオンはお腹が痛いのではないかと感じたので、僕はお腹を静かに擦ってやると落ち着いてきたように思えた。痛み止めの点滴が効いてきただけなのかもしれないのだが・・ 落ち着いたマリオンを見て、僕も一休みしようとウィークリーマンションに戻ることにする。時計は午前3時。しかし部屋に戻っても眠れず今5時。少し横になって7時頃にはマリオンの所へ行こう。





