チャンカーはマリオン


 ●●●  札幌フリージャズ最前線Vol.5
札幌フリージャズ最前線Vol.5
このいかにも毬音が好みそうな企画イベントに参加させてもらうのはこれが4回目。
今回はテナー:阿部辰也リーダーでの ピアノ:石橋マヤ子 と僕のベースレストリオ。
曲という原型の無い所から何かを表現し、共演者の音からインスパイアさせられ反応しつつ緊張と緩和のバランスをコントロールして演出を加えオーディエンスへ何かを感じ取ってもらう。
言葉では表現できない心のうちを音として吐露し、その空気を吸ってもらう事で共演者・オーディエンスと一体となる事が理想なのだと考えているが、果たして自分にそこまでの表現力が備わっているかが一番の課題ではある。
演奏は祈りだ!と信じる自分としては、やはり祈る対象を持つ事が重要。

僕が敬愛する大道芸人キリヤーク尼崎氏の踊りも祈りで形成されている点で、演者としてのスタンスは同じだと思っている。
演奏というものをその観点で捉えていくと、曲というカテゴライズされた範囲で音を出すよりフリーの方がより祈りが具現化されている気がする。
それらの思いからして、このイベントは僕にとって必要だと感じているのだ。
2017/01/21 (Sat) 23:18

 ●●●  138回目の毬音月命日
138回目の毬音月命日
帰省から帰ってきたばかりなので、若干の疲れもあって、
奥さんがお供えを買ってきてくれて、帰省の土産と共にお供えした。
その上オムライスも作ってくれた。
奥さんの友人にお土産を買ってきたのだが、
届ける暇も無かった事でわざわざ取りに来てくれた奥さんの友人から頂いた苺もお供えする。

帰省での続きのお話。
子供の頃、ロバのパン屋というものがあって、ロバだかポニーの馬車がパンを積んでテーマ曲を流しながらやってきた。
そこで小さく刻んだゼリーがトッピングされたカップ蒸しパンを良く買って食べた記憶がある。
それが現在も来るらしい。
だたし車でやってくるのだが、あの当時の曲はそのままだと母は言う。
土曜の10時頃に来ると言うので、待つことにした。
帰省期間がたまたま大寒波に見舞われ、飛行機が飛ぶのか、博多までの移動に影響は無いか心配ではあったが、
是非あのメロディーを耳にしたいという衝動から待ったのだ。

蹄の音がリズムを取るなか少女の歌声で「ロバのパン屋がチンカラリン♪」と聞こえてきたらもう大変。
一気に子供の頃の高揚気分になってパンを買いに走った。

流石にパンの種類は当時のものは無かったが美味いのにビックリ!

買ったいくつかのパンを鞄に詰めて空港へ急いだ。
名古屋の大雪の影響で新幹線に遅れがでてたものの、空港にはかなり早く到着して、暇を持て余す事になったが、
無事札幌行は定刻で飛んでくれた。

そして何とか我が家で毬音の月命日を迎えられた。
2017/01/16 (Mon) 18:38

 ●●●  今年初帰省
今年初帰省
ここ10年くらい年末年始に「らしさ」を感じられない。
子供の頃は年始はお店が軒並みお休みで、年内に買い溜めが必要な事から、
買い出ししたり、TV番組も年末年始らしい装いで放送していたが、
今では正月も関係なく多くの店は通常営業。
TV番組に於いては年末にあえて放送する必要の無いようなくだらない番組で網羅される始末。

年明けのTVは民放全局同時中継の「ゆく年くる年」が好きだったし、
あれこそ年明けのイベントとして風情を感じていたが、今では情けない番組しかない。

そんな風情のない年明けに、少しは年始らしくとの思いで今何年振りかの初詣を近所の神社へ詣でて新年を迎え、
正月半ばの1月12〜14日の2泊で帰省。
1泊目は何気に気に入っている唐津の町で1泊。
翌朝に当宝神社のある高島へ1番船に乗って渡った。
出航を待つ間に陽が昇り水面からまっすぐ自分へ明かりが差し込んで神妙な気分になる。
時期的に島を訪れる人も少なく、塩谷神社と当宝神社へゆっくりと参拝できた。

唐津へ戻る船は島民の方々で混んでいて、デッキ上で波しぶきを浴びながらの10分間だった。
バスで博多へ戻り、実家へ急いだ。
実家ではSIMカードの交換を行い、ネット環境を確認。
これが今回の帰省の目的だった。
2017/01/15 (Sun) 23:33

 ●●●  誕生日
誕生日
22日に14日誕生日の奥さんと今日誕生日の僕の合同誕生日会を夫婦2人でささやかに行った。
今年は僕から奥さんには前部分に7キロまでのペットを入れられる袋の付いたニャンガルーパーカー。
奥さんから僕にはかなり大きめの赤のパーカーとグレーのスウェットパンツ。
ケーキはもちろんバタークリームのデコレーション。
寿司とオードブルで祝った。
23日は溜まった仕事をこなす予定だったが、札幌は50年ぶりの大雪に見舞われ、新千歳空港は2日間に渡ってマヒ状態。
仕事を日曜に回して駐車場で雪に埋もれたマイカーを掘り起こして汗だくの疲労困憊。
今年は大掃除を分散してやろうと、木曜に家中の窓と風呂場の掃除を済ませ、今日は雪かきでガタガタになっていたが折角休みにしたのだからとガスレンジや洗濯機の洗濯槽、排水溝等も掃除する。
後は自分の仕事部屋だけ。

ある程度の年齢になると誕生日が忌まわしい日なのだと感じている。
2016/12/23 (Fri) 22:58

 ●●●  137回目の毬音月命日
137回目の毬音月命日
15日がお休みだったので、1日前倒しでカッパ巻きやイクラ巻を作ってお供えした。
師走に入りいつも感じる1年の速さ。
何度かライブのMCで「1年の長さ」に関して話した自論がある。

年々1年という時間が短く感じている人も多いと思うが、
僕の思う1年の長さとは、10歳の人間にとっての1年は人生の10分の1の長さであり、
50歳の人間にとっては人生の50分の1。だから年を負う毎に1年は短く感じるのだろう。

これは尺度の問題になるのだが、思考は何かの基準で構成される部分が大きく、
比較が基本になっていると思われる。

1メートルの棒を長いか、短いかを問うても判断ができない。
想定した棒が2メートルであれば短いし、50センチであれば長いと判断する。
だから、良い・悪いも自分に培われた比較対象が判断の基準になる。

毬音は36歳で亡くなった。僕の父は34歳で亡くなった。
これは一般的に「短命」と言われるのは、平均寿命が83歳とされる現代だからだ。
平安時代であれば平均寿命は男性が「33歳」、女性が「27歳」と言われているが、
その基準であれば短命とは言えない。

比較を基準として考えなければ、命として生まれて死ぬまでが何年であれ100%と考えられると思うのだ。
3歳で亡くなれば、それも100%。 100歳で亡くなっても100%。
でなければ短命と言われて亡くなった人たちが気の毒だ。

比較の最たるものが、自分と自分以外の尺度だと思う。
この尺度が感情を持つ動物には大きく作用する。
人と比べて自分は劣っているとか優っているとか、必ず計算が働いてしまう。
人への施しは「人より優っている」という自我から発生する事がもっぱらだと思うので、
必ずしも悪く作用するものでは無いかもしれないが、やはり比較の範疇なのだろう。

昔仏教思想の「無」という考えから「魂」というものを考えた事がある。
僕の結論から言うと、「魂」は元々存在しない、若しくは一部の隙間の無いあまねくモノ。
白い大きな紙に、教育や習慣・環境・遺伝等の様々な色で埋められた部分が自我であり、
一部だけ色が塗られていない部分が魂と思えた。
様々な色を取り除き、白一色になったれば自・他の尺度も無く魂は無限に広がるのだろうと。
「無」を概念として捉えると、絶対に「無」は得られないともわかった。

そんな事を思いつつ、自分の不甲斐なさと100%生きた毬音を思う師走だった。
2016/12/16 (Fri) 13:41

 ●●●  奥さんの誕生日
奥さんの誕生日
毬音は36歳から年を取らないので、僕との年の差は間もなく22歳差になる。
今日は今の奥さんの誕生日で、ついに50歳に!!
僕もそうだったが、49歳と50歳の違いは思った以上に大きい。

49までであれば年齢を聞かれても答えるのに抵抗は無かったが、50になると恥ずかしくて答えにくくなる。
僕の場合、体力や気力の衰えもあるが、人生が余生として残された時間を見つめるようになった。
奥さんもそんな域に入ったようだ。

毬音が「死」を意識して旅立つまで経過した時間は本当に短かったと思うが、劣化していく肉体と精神への怯えを経験しなかったのは幸いなのかもしれない。

衰えた自分には自己否定的な考えしか浮かばなくなっている。

今年はこれをプレゼント。
2016/12/14 (Wed) 18:06

 ●●●  大雪
大雪
この冬は10月の初雪から積雪になり騒がれてはいたものの、札幌では小康状態が続き騒ぐほどの雪害はここまでは無かった。
しかし金曜の夜からの大雪は12月としては29年ぶり観測史上2番目の大雪になった。 札幌の市電も終日運休になるほどの大雪。
10日土曜は結婚式のパーティーでの演奏の仕事があったので、朝から車の雪下ろしをしたが、50センチほど駐車場に積もった雪は車に近づくにも苦労した。
車はかまくらの様相で埋まっていた。
汗だくになりながら1時間ほどかけて雪下ろしを終えた。
幸いベースの赤坂さんが車で迎えに来てくれるとの事で会場までの往復での困難は難を逃れた。
この日のパーティーはサックス:桜岡さん ピアノ:高島さん ベース:赤坂さん。
久々の営業ぽい演奏で、今まで好きな音を好き勝手に出していた自分の至らなさを実感。
明けた日曜は小康状態にはなったものの大雪の影響は大きく。買い物に行くにも再度車の雪下ろしが必要だった。

毎冬我が家のベランダの雪下ろしが必須だったが、昨シーズンは降っては溶けてを繰り返した事で一度も雪下ろしをしなくて済んだのだが、今シーズン初のベランダ雪下ろしを行う。
まだ降ったばかりの雪だったので軽くてここのところ腰痛が酷い自分としては助かった。
やはり雪下ろしは小まめに行うに越したことはない。
2016/12/11 (Sun) 20:58

 ●●●  136回目の毬音月命日
136回目の毬音月命日
帰省から戻り酷い咳に見舞われた。咳は体力消耗するようで咳きこんでいる間体重減少したが、
咳が治まると元に戻った。
この年になると朝起きて「すこぶる快調!」といった朝を迎えることはほとんど無い。

今年は冬の到来が早い。紅葉も雪に覆われ見頃も奪われた感じだ。
想のライブを終えて年内のライブは終了。年明けもほとんど予定は無い。
毬音の供養に僕の音の必要性を失ったのかもしれない。
それはそれで毬音が昇華したと考えると悪い事では無いが、僕としては寂しい。
自分の体調や諸々を考えるとライブ活動も潮時なのかも・・・

今日はガーリックライスベースのオムライスを作る予定。
炊いた線香は建仁寺の風神雷神の屏風絵をあしらった白檀の香。
何故かこの香は建仁寺では売っていなくて、京都国立博物館でしか買えないのだ。
2016/11/16 (Wed) 18:04

 ●●●  想ライブ@ジャムジカ
想ライブ@ジャムジカ
前回の想は1月8日。今年は想で2度ライブが出来た。
想の初ライブが2007年10月4日だからまる9年。
途中ベースの本間君が釧路へ転勤した事でベースを入れ替えてライブをした事はあるが、ギター古舘賢治 ピアノ中島弘惠 ベース本間洋佑がオリジナルとしての「想」なのだと実感している。
今回はボーカルにゲスト宮崎壮子さんを迎えてのライブだった。
宮崎さんのおかげで来客数もなんとか形になってありがたかった。
やはり自分の集客力では、この想はもったいないのだ。

来年で10年になる「想」
何とか来年10周年のライブを迎え節目としたいものだ。
2016/11/10 (Thu) 23:09

 ●●●  ミノヤトリオ@ジェリコ
ミノヤトリオ@ジェリコ
日曜の大雪の影響が小さな路地で若干影響はあったものの、大きな通りではさほど影響なかったのは幸いだった。
そんな夜、毬音お気に入りのお店ジェリコでミノヤトリオのライブ。
ベースはDAZZY。心配していた客入りも通りすがりの4名でどうにか形にはなった。
僕は咳がまだ治まらず、鼻をすすりながらの演奏で、いつ鼻水を垂らしてしまうか不安を抱えながらの演奏で若干集中力に欠けたかもしれないが、やはりジェリコでの演奏は毬音に一番近い所で音を出している気するのだった。

最近いろいろと体調不良な事も多いが、やはり演奏は楽しい。

明後日久々に自分のユニット「想」のライブだが、諸々考えるとこれが最後になりそうな予感が切迫している。
想のライブだけでなく、自分をリーダーとするライブはもう無理かもしれない。
2016/11/08 (Tue) 23:50

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