音楽の世界でいう「天性」の良さって何でしょうかね…今週、一緒に歌っている仲間の一人が『君は天性の良さがある』としきりに言われてました。その一方で(私の尊敬するボーカルのかた)「自分の限界が何処なのかと思うことがある」といったテーマのもと、話していました。まず思ったことは、音楽表現に必要な天性とは具体的に何を言うのでしょうか。スポーツ選手や踊り子などに対して使う『体のつくり』『筋力の質』『リズム感、瞬発力』『音感』ボーカリストなら『音域の広さ、声質』などを言うのでしょうか。生まれて授かったモノの中には確かに変えようのないものはありますが…ただ、私は軽々しく『天性』『才能』という言葉が使われることに小さな抵抗があるんですよね。なぜか…私は絵画の勉強を通してでしか言えないのですが、モノ表現や制作の世界において『物をとらえる感覚』『色彩感覚』は深くみれば人間の数だけいいものはあるわけで、例えその時は言われなくても『天性』や『感覚』の良さでくくられるものは結局のところ『訓練』でクリアーできるんですよね(自己の経験からでは)大学や社会に出てからの仲間の表現活動をみていても、『天性
』や『感覚』の良さが あるのはむしろ当たり前で、その言葉だけでは語ることのできない『自己の表現』を見出すこと=『自己の生身』を掘り下げる能力が、一生を通してあるのかが 表現者にとっては重要ではないかと、思っています。その能力は結局のところ『自分の弱さ』を見つめられる『人間の強さ』に匹敵するのではないかとも思います。私は『歌うこと』を勉強してから まだ1年ちょっとですが、音楽も表現手段の媒体が違うだけで、根本は私が勉強してきた世界と何ら変わらないというのが、今のところの結論です。結局、一般でいう『天性、才能』で片付くものは 見た目のカッコよさや美しいモノ、表面的に分かりやすいものが多いですよね…でもそういったモノじゃない世界の中にも オリジナル性をもった素晴らしい表現は幾等でもある。むしろリスクとされるモノを持った人のほうが、より自分の生きる道を見極める鋭さがある。。『失っていくものがあるからこそ、本当に生きるものを見出せる』表現ができたら こんなに幸せなことはないと思います。話しは長くなりましたが もう一つのテーマ『自分の限界』
についても同様のことが言えるのではないでしょうか。まずは『やりたい』と思う気持が大事ですよね。それが消え失せない限り、限界地点は姿を現さない、よは『自分自身の欲求の』の強さにかかっていると思います。。なんか…かなりクドクなってきました。申し訳ありません(>_<)