先日、ジャズピアノのレッスンに出かけようと、10階の自宅からエレベーターでエントランスに下りると、夏休みの小学生と思しき数人の子供達が、きゃーきゃーはしゃぎながら、脇をすり抜けるようにして、締まりかけたエレベーターの扉の中に駆け込んでいった。
ただその時はそんなことに気を止めてる余裕は無く、迎えに来てくれてるはずの人を少しでも待たせないようにと、急いで駐車場への扉を開けようとしたとき、お返ししないといけないCDを部屋に忘れてきてることに気がついた!!
急いでエレベーターに向き直り、壁のボタンを押した。
ところが、待っても待ってもエレベーターが降りて来ず、扉の隙間に耳を当ててみると、子供達のきゃーきゃーはしゃぐ声がする!!
きっと何処かの階で扉を開けたまま騒いでるんだろうけど、悲しいかなランプの見えないKeiには、それが何階でのできごとなのかすら分からない(/_;)
そのうち長時間扉を開けたままになってることに対する警告ブザーが鳴りだしたけど、扉が閉まった気配は無い!!
「お〜い…エレベーターから降りてくれるか〜?!」!!
「くっくっくっ!」というような笑い声の後、ぴっぴっぴっぴっぴ…と、ボタンを乱打する音が聞こえ、その後子供達が何階かの通路を走り去る音が聞こえてきた。
そしてイヤな予感は的中し、エレベーターは各階に止まりながら、たっぷりと時間を掛けて空のまま降りてきた。
ほんっとに久しぶりに、子供達に対して心の底から怒りが沸き上がってきた。
以前の日記に書いたように、駐車場でしゃがみ込んでる小学生につまずいて「ごめんね…大丈夫?」って言ったら、思いっきり腹に蹴りを入れられたことも有ったけど、その時もさほどの怒りは感じなかった!!
今回は人を待たせていたとか、あれほど思ってたのにCDを忘れた自分への苛立ちとか、まぁいろんな思いが有ったんだろうけど、それにしても、今思い出しても自分の感情が恐ろしくなるくらい、幼い子供達に悪意を感じて、もしもあの時、彼らを特定できてたらと思うとぞっとする!!
充実してるはずなのに、なんとなく心が安らげる場所と時間が無いのかな(・-・)
前回の日記に書いた「海癒(かいゆ)」で思いっきり癒されたばかりなのにね(・-・)
それはそうと、子供と言えば、先日NHKの朝のニュース番組で、大阪大学大学院の小野田正利(おのだ まさとし)教授の講演を取り上げて、学校に対する保護者からの苦情や要望について報道していた。
喫煙を注意すると「うちでは喫煙を認めている」、生徒が授業中に使用していた携帯を取り上げると「取り上げていた時間分の基本料金を払え」、「なかなか起きない子供を起こしてると仕事に遅れるので毎朝起こしに来てほしい」、「うちの子は箱入り娘だから誰とも絶対に喧嘩をさせないという念書を書け」等ETC.
それはもう「要望」とか「苦情」なんてものじゃなく、「無理難題」いや「いちゃもん」というレベルだと小野田教授は言う。
親達も何処か癒されない心のままで毎日必死に生きてるんだろうけど、こんなのって子供達にとっては絶対良くない傾向だよね(・-・)
やや記憶が曖昧なので語弊が有るとまずいけど、確かその番組では、今の多くの親達が学生だった80年代辺りは、駆けっこで順位を決めずにみんなで手を繋いでゴールするなど、極端な平等教育が擡頭していた時代で、その弊害も出てきているという説も紹介していた。
確かに、この日本の厳しい資本主義競争社会を生きなければならない子供達に対する当時の極端な平等教育には少なからず違和感を覚えた記憶が有る。
少し持論を述べるなら、本能的に持っている競争心や闘争心をただ表面的に抑圧してばかりいると、陰湿ないじめや蹴落としは潜在化し、ますます残酷な問題が起こるのではという懸念を強く持ったし、実際そんなゆゆしい状況は、その後確実に増えてきたように思う。
やはり遊びやスポーツでは少しでも上位になれるように工夫したり努力したりすることが大切だと思うし、仲間内に何らかのハンディを持ってる子が居たら、それこそ平等のスタートラインに立てるようなアイディアを、みんなで考えさせることこそが、本当の平等教育じゃないかと思う。
ちなみに我が母校(高知県立盲学校)では、我々全盲生も弱視生も一緒に競技を楽しんだし、中には足の不自由な生徒も居たけど、全盲生が走るときは鉦や太鼓の音で誘導し、足の不自由な生徒は走る距離を半分にしたりして、それはそれは、熱く楽しく勝敗を競い合った。
あれ‥‥えっらい話題がずれてきたぞ!!
‥‥っというところで、そろそろレギュラー番組の収録の時間が近付いてきたので、今日はこれまで。
専門家でも何でもない素人の戯言なので気にしないでね(^。^;)