楽しかった!この日の為に色々用意してまして、それを一緒に楽しめたので私はとても元気が出ました!!あとちょっとだけど話せたのも良かった、ちょっとでもちゃんと話せるだけで全然違う。
ほんとよかった〜!!!ほんと!!よかった!!!
浪漫くんが興奮してくれてよかった!
望ましくないということも覚悟していたので、ん〜〜!
23歳って素晴らしい。
浪漫さんとプルさんがときどき同じものを見ている感じがよかった〜!なんか近いんだなあと思って。
浪漫さんとプルさんは物事の内側を見るなあと改めて思ってそれも良かった。
で、プルさんが「作り手にどれだけ観察力があるかってこと(と腹の底にでかいもん抱えてるかってこと)」って言っていたの本当に納得したことを思い出してまた納得した。
あ、なんか私が楽しかったことを日記に書くと、「楽しかったー!」とかってずっと他愛なく叫んでるとか出来事を具体的に話してる時以外は別に楽しそうじゃないということにいまようやく気付いた。(しかも具体的なエピソード書くのも好きじゃないというかその経験はすっごく好きだけど人に言う程それが嬉しくは無い、楽しい楽しいというだけで。/面白い文章が書きたいっていう欲求があるときは勿論エピソードトークしたいですけど)いや知ってたんだけど、それは私の書く文章の温度のせいだと思っていたんだけど、私がすっげえいま楽しい、とかあ〜あれはすっごく実りがあったな!って思うことが別に一般的に楽しくないってだけだった!説明しづらいので雑に表現すると、怒る悲しむ悩む考えるとかそういう風に分類されている類の事が私は楽しいから、それを書いたらそれは苦痛を伴ってしまうんだなと思ったんです。
面白い考えたい応えたい!っていう提供の相互関係を会話に求めてる、肯定ではなく同価値の情報。
人並みにできることってそれぐらいで、きっと唯一達成感を感じられるんだろうなと思います。自分を人並みに思える瞬間が続くことの多幸感なんだと思います、残念なのかどうか分からないけれど、というのも自分のどの面をより多く見て生きていくのかは、自分で決める事なので私は自分をよいものと思える角度から世界を見ようと努力している典型なのだなと思ったんです。
長所を伸ばすべきか、弱点をなくすべきかというのは課題だと思うのですが、自分が見たいものを無理やり見ている人からは独特の険が出てしまうので、そんなことよりも自分と世界の距離感なのかなとは思いますけどね。



