という
生米を噛むような
生きる目標を失ってみた
世界は色めいたが
憧れた鮮やかさには遠かった
友達がふわりと訪れた
あれは憐れみの顔だった
彼はぼくが何を手放そうとたくらんでいるのか気付いていたと
知っているぞ
ぐらぐらと混迷
君の笑顔を見たら
どちらにせよ
迷いは消えるだろうか?
ここはぼくの居場所じゃない
ここはぼくの居場所じゃない
予期せぬ吐き気だった
だって
ここはぼくのはじめての居場所だった
ぼくは生まれた
土を離れて生きられる?
ぼくのいま願ったの
しぬることなの
いきることなの
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HCO3- + H+ → CO2 ↑+ H2O (生存確認用にお使いください) |
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普通になりたい
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という
生米を噛むような 生きる目標を失ってみた 世界は色めいたが 憧れた鮮やかさには遠かった 友達がふわりと訪れた あれは憐れみの顔だった 彼はぼくが何を手放そうとたくらんでいるのか気付いていたと 知っているぞ ぐらぐらと混迷 君の笑顔を見たら どちらにせよ 迷いは消えるだろうか? ここはぼくの居場所じゃない ここはぼくの居場所じゃない 予期せぬ吐き気だった だって ここはぼくのはじめての居場所だった ぼくは生まれた 土を離れて生きられる? ぼくのいま願ったの しぬることなの いきることなの |
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2012/04/06
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あ…あよさんの…しゃめにっき……あよ…………よ……よよ
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2012/04/04
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色々悩んだりもしたけど
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私はやっぱり犬派でした
迷うけど迷うけど・・・総合的に・・・・ わたしねやっぱりかわいいよりきれいきれいよりかっこいいがすき もうこれは直感的なものだからねむい・・・おやすみなさい |
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2012/04/04
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うまくやろうと思わない
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でいることの難しさ
自分という第三者に殺される。窮屈さが心地よい。 未来日記のドラマの番宣をみていて、私はおかだまさき×かなてぃ萌えるなと思った。あ、本人ね。あとやっぱりかなたくんてゲイなんじゃないかなおろおろ わたしおかだまさきに萌えとか感じてなかったけどよく考えたらとても萌える あ〜犬ってどうしてあんな可愛いの いまわっと柴さんとシッカ先生に対する萌えが熱い萌える… こうなってくるとしかしばは勿体無い気がしてくる…いやでもそこがそこで萌えるし… ていうか単体萌えといえば単体萌えというか、人として好きというか、芸能人的な…それも感覚的な好きで、選ぶ言葉とか見えてる世界の切れ端みたいなものがなんかすごくいいなあとなるというかな…。 人当たりのよさと、良い意味で普通さがあるところとか、人にけして見せない部分があって本人も忘れてそうな雰囲気とか。上手く言えないな〜二次元なんだよ〜私が好む二次元なんだよ〜!怖いよ〜萌えるよ〜 邪念が入るのでうまく話せないよ〜だって萌えたいという欲望がさあ、第三者目線で萌えてるからさ〜当事者になれっていわれても萌えます!ってなっちゃうというかメタだよ〜!私には面白い話しもできないし下手くそ!上手く萌えを聞き出せる人間になりたい! あっ単体萌えだけど誰かと会話してるのを見て萌えるという単体萌えですもちろん本人が話してるのも良いですつまり知りたい この中で一番、ていうと好きと萌えを考えるのでふたり。 どちらも執着の度合いを示すのには使えないんだけど |
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2012/04/03
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3月10日くらいから
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ついったーを取り扱わない間に、たまに思い出したように浪漫さんが私の過去のすでに一度読んでいるだろうツイートをふぁぼるのはなにかの
アレなんかな、プレ 浪漫さんてね、ついったーが好きじゃないんですよ。 酷いよね ゆーっくり、よわーい力で背中揉まれるみたいな心地がする。 これだから浪漫さんとは話さなくてもいい気がしてくる、浪漫さんが望んでないからってのもあるけど。望んでないっていうか、葛藤… あと私がもうちょっと浪漫さんを好きじゃない方が良かったんだよな、邪魔だなあこの好意は必要じゃなかったな やむさんはやむさんがやむさんの思っている以上に壊れ物(またはその逆)だということを知らないか、隠している。 やむさんは他人を必要としてないくせに、まるで自分が普通の人みたいに他人を必要としてるふうに他人に映っていると思っている。不思議だなあ。 なんせ人が馬鹿なことを前提に生きてるからかなあ。より多くの人とかかわろうとする自分を作るという事は。 自分が弱いと人に言えることは強さかもしれないが本来の弱さ自体が変化するものではない。 そういう人達はどこかにどうしてもピリピリと痛いような小さないびつさがある。自分を痛め付ける人特有のひずみ。 そういうのも個性っていうか魅力的っていうか好きだけど、やっぱり怒られるのは怖いよなあ。 いやでも怒られるのが怖い、の先をそろそろ覗くべきだろ。恐怖なんて死なないためにしか使えないんだし。 でも私、人間はサブジャンルでメインジャンルはあくまでも絵ですって口だけじゃなくてそうして生きていきたいので今は人間ジャンルはお休みします。人間が大好き。 |
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2012/04/03
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漫画
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物語なのかエピソードなのか絵画やデザインなのか
物語が、人間と場景と情景 エピソードが、出来事と図と記号 絵画やデザインが、がモチーフと構成 いやなんかこう、違うなあ、うまいこと説明できない なにがいいたいかっていうとエピソードて言うのは、何が起きたかという事であって、視覚的で合理的な出来事の説明であって、そこにある感情も人物の性格付けも聞いてる側によるところが大きいということがたまに忘れられがちなのが、それがなんとも面白くない。 しかしこの三つは非常に区別が曖昧なので好みの話だよなあ、余白の大きさというか。あと画面としても情緒的な線画なのかデザイン性の高さ視覚効果の入り具合とか、そして極めて記号的で神経質な線だったりとかで表現性が低くなるということではないし。いや三つとも全部好きだけどなあ。 しかしこういうとき最も適した単語をあてはめる能力がなくてすごく中途半端でイケてない文章になるのがいつもつらい あ、これは全部漫画の中のジャンルの話です。 ああいやね、でもどうも話の概略的なものを意識しがちというか、人って言葉が書いてあるとそれを読んじゃうのさ。解釈しやすいものって罪だよなあ。いやでも例えばその話の概略以外の部分とか芸術とか音楽とかも言葉の延長線上にあるといえばあるんだけどさあ、複雑化してるってことで。学べるものは言語(?)化可能ってことなんだけど共有の困難さというか、感じる、っていうか? だからまあキャッチーさなのかなあ〜単純な分かりやすさ、共有できるもの?そこにいるのが日本で、二人とも日本人である場合、わざわざ英語をしゃべるのかっていう、それがドイツやイギリスに場所が変わったところでどう変わるんでしょう?というか?変わると言えば変わるしね。いくら日本語の方がお互いに語彙が多くともドイツ語話したきゃ話すしね。 結局私がいま言ってる事は著作物の定義なんだろうか、過半数がそれは同じものですって言ったらしょうがないなあ。そこに描かれてるのが人物か記号かモチーフかなんてどうでもいいもの。でも最近の私にとってはどうでもよくなくて、どれを選ぶべきか慎重に考えてる最中なんです・・・、って話か、それかな。 |
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2012/03/30
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色々と
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意欲があったんだけど最後には一人か二人しか生き残らない系でちょっと英雄的雰囲気の脱出もの映画を見てふわっふわになってしまった。
人の死に対する耐性が弱いというか強いというか、私にはよく分からないので、人の死と萌えが結びつく結び付け方を知りたい。 死と言うニュアンスや、要素としての死、不可欠の死が萌えるのはなんとなく分かっているし萌えるものはとても萌える、あえて選んだものが死だったという話が聞きたい。 死ネタみたいなものは、切ないの最上級と言う扱いの場合なら言わんとすることは分かる。 かき手さんにとって、作品としてのってのは大分難しくて、そこにあるのは萌えより「しっくり」という感じがする。「しっくり」に関してはすこし難しすぎる。 いやでも本当に実際にそんな領域の話だよなあ、多分死に萌えるわけじゃないんだろう、知ってたけど。いやだからなんだけど。いやでも死に萌えるって人がいないとは思わないのでとても知りたいでもあるのだけど。 ※そういえば私の知りたいの話は、(本人の自覚や言語センスや嗜好的要因などで)話せる(または話したい)人が少ないということはちゃんと分かっています。いや同時に誰でもその話を突き詰めてくれさえすれば話題にすることが可能だとも思っていますけど。その場合は逆に思い入れの薄いほうが簡単かな。 どうせ話せるのは一人とか数人なので、相対的な人数なんてどうでもいいので。いや話してくれりゃあなんでもいいっちゃいいんですけど。でも話す気のない人と話すのは疲れるのでレクになったほうがいいけど。※ 私は人が次々と死ぬような映画を、「人が死ぬ」という物語の一要素とストーリーの辻褄と話の筋の完成度という観点でどうしても見てしまう(それはあくまでも対処方法としてなのかもしれないけど)ので、別な見方をしてみたいなあと思ったんです。多分私と違う見かたの人という縛りなら絶対数は増加するのだろうな、という。まあ私の見かたは理屈屋?見たいな人、あ、評論家?みたいな人がよくやる系の感じだと思うんですけど。その中でも私は技術の低い平面的な評価の仕方だと思うし、全然映画を見えていないというのはいつも痛感していますし。要するに表現を解せないというか、「感じる」ということが出来ない。いや語弊があるかな、わたりなりには感じますがその感じる、は個人的なものすぎる?大衆的商業的なものではないので、私にとってそれは致命的に感じられるというか。茶色とピンクの区別がつかないようなもので、私はそれを愛していますが、それが出会う現象はすこし煩わしいように感じる。だから感じられるようになりたいというより感じ方を理屈として知っておきたい。 「あそこで彼は死ななければならなかった」「これが最善の結果だった」みたいな感想はあまりにも受け手のそれ過ぎてうんざりした、という話です。そんな話の筋なんて机上のものは目的が説教や啓発や風刺提言でなければ映像化に値しないと個人的には思います。私は油のさしていないブリキのロボットみたいの心地よく甲高く軋む音に耐えたくない。 いや、でも感じるべきところを感じられないというのは好みじゃなかったといえばそれまでなんですけど、感じたくないから感じられない、いやでもそれも知りたいんだよなあ。好みなんて曖昧な感性についてすごく知りたい。 知りたいことばっかりですけど知りたくないことも割とあるので私はあんまりうまくいってないです。コントロールできるので困りはしませんが。 |
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2012/03/30
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あああああ・・・・・・・・
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マサボー萌える・・・
日常萌えはすぐマサボーでクズ変換できるからすごく近い しかしだからこそメモらんとだよなあ 私は基本的に男子男子したお互いに無関心な偶発的ホモなら割となんでも好きだからこそ、(自分で描く時は)そうじゃないカップリングがそういう風になると敗北感があるので、割と見るときにこそ重要な指針。描くってのは故意だからこれじゃあ広すぎてしかも感動が薄いので萌えるには閉塞感が足らない、必然という窮屈さが欲しい。好きで萌えじゃないからだろうな微妙なニュアンスの違いでいや萌えなんだけどときめきじゃない? しん風がむずかしくてむずかしくてたのしい なにって「見える」ってことが私にとってすごく難しくて いつもずっと「見えない」ってことと戦っているので これはまやかしかもしれないけど、今まで滲んだ白黒だったものが、滲んだまま色を帯びるのを眺めている風に 少なくともそれが色硝子越しの濁った色だったとしても見えないよりずっといい 萌える 萌えるぞ |
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2012/03/29
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たけるがかわいすぎてしんだ
いやむしろてんぴさんが うが・・ご・・ |
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2012/03/29
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あたまがいたくてねむれないごぜんよじ
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11じから3じ半まで寝ていたからかもしれずつう
可愛い女の子の写メがないかとDFを眺め、プルさんの描いたブレバレ写メを見かえしてバレルさんの可愛さにツボっている(たしかプルさんの本アカのクレしんアカで見れるよばあ)そんなごぜんよじ プルさんの描く可愛いの可愛くなさに対する信頼ということです プルさんの写メ撮っとくの忘れてごめん吉 昨日あさふろで髪にトリートメントつけたらいまこそになって臭すぎて臭すぎて死んでる柔らかい甘い臭いに慣れた鼻に突き刺さる市販トリートメント剤臭…ずつう こんなときはほんまでっかとウワサの遺伝子が遠い人の臭いを嗅ぎたい(好い臭いと感じるらしい) なるほどしん風は遺伝子遠そうだからお互いにすごくくんかくんかしてそうだ、まあ風間の場合は好きな人が臭くてもそれがイイって悦に入る気しか。おっさんしん風はしんのすけの脱いだ靴下をどうしても嗅ぎたくなって嗅ぐ、臭すぎてツーンとくるを繰り返す風間が見える見える。40過ぎの風間をよく思い描いて想像してみたまえおっさん風間ってかわいいだろ? そういえばプルさんの頭のにおいは昔保育園で嗅いだ乳児だか幼児の頭のにおいとにおいの強さ?あんまり変わらなかった。まあプルさんてね、赤ちゃんみたいなとこあるしね。いや一人しか嗅いでないから解らぬが、高校生のころ、ちいさい子は頭臭くなさそうだなアと思ってがっつり嗅いだら臭いのとは違うけど意外と刺激的でほうっとなった。いや臭くない、乳くさい?あとべつな幼児に(その幼児の)指を強く噛んでくれと言われた、幼児はこわいな〜 だから風間が全身性感帯なのもしょうがないんだな あのとき子供が好きでもなんでもないが保育園の先生は(他人の子供の相手的な意味で)できるな〜とおもった。私にとってははたち前後のかまってちゃん女子も幼児も猫もみんな似たようなものなんだな いやだから可愛いというね、中でも幼児は私の希望に敵った存在だ。当たり前に依存し、当たり前に忘却するものな いやけのいきものもあの血肉と心臓の感じのやわらかさや感情の曖昧さが、かまって女子も言葉を駆使して自他の肉を刻むところがそれぞれに特筆してよいんだが、幼児の場合には割と生存でしかないところがポジティブさが結論されやすく誰も傷つかないでいいんだなあ 私はそのどれも所有したいのとは違うので、ビジネスほどの距離だと逸脱しないしビジネスにしては熱心に見えて程よいなあと浅く考えたんです(わたしの心はとても正常に善良で弱く柔らかく温かくそしてそれに無関心なので/とても普通のことを普通に感じる普通の感性、愚かさということです。シャープじゃなくてフラットなところがつまり無関心さの露出) 可愛いのはなし先程も出ましたが私は"いわゆる可愛い"に対する感性が乏しいからかは存じませんが、他人の子供が理由なく可愛くてしょうがないなんて不気味というか不思議ダナァ いやあ私の思い付く理由のない理由ってのが抜けなのかなあ、ちょっと子供が好きな人は自分がどのように好きなのか詳しく教えてください。私が思い付いてないのでこれがあるよってのも。あっでも子供好きへの穿った意見はいらないよ(あっわたしの意見が穿っているように見えたならそれはわたしの言い方が悪いのとあなたの偏見が混ざったせいと思います。またわたしは"子供好きの大人"という存在しない他人を定義するつもりはありません。可能性と傾向と、なにより個人の個人的な宇宙に興味があるだけです。知りたいのは"一般"や"みんな"ではなくて"その人"の細くうねった川の流れについてです。ちなみに今話してるのは可能性と傾向への想像のはなしです、個人の話は知らないし知りたいという願望)。 わたしがパッと思い付くのは ・見た目(が小さくて丸くて柔らかくて愛らしい等) ・生命の神秘を感じる(小さな体に命が体温が精神が宿り目まぐるしく成長し、か弱くたくましい命の鼓動を具現化したような美しさを感じる等) ・庇護欲(自分含めた他者の助けがないと生きていけない存在に対する慈しみ等) ・自分より弱い又は劣っている存在への優越感支配欲(自分と同じような喜怒哀楽や思考能力を持つが自分より劣る、愚かさと欲望を満たす知恵のなさを利用しもしくは捩じ伏せてコントロールすることが可能な脆弱さに対する決定権は常に手中にあるという愉悦。これは潜在的思考の中だけに存在して顕在化しないぐらいの小さな感覚であることも多く余裕をもたらすものでもあるので言葉ほどの醜い感情ではない。歪んだ庇護欲とも。等) ・社会的セルフプロデュースと自己暗示(そういう人間のほうが良い人間とされるのでこだわりがなければそう振る舞うし、振る舞ううちや愛らしさへの好感からそうなっていく。なんとなくプラスすこし自己愛。等) この辺りかな。まあ見た目(ほっぺの柔らかさ、手の小ささ)と素直さ(泣いたり笑ったり、怖いものが多いしいろんなことに対応できないのですぐ困るし困ってるのを隠せないし目に見えて保護者に依存してる)と大人にとっては下らないことへの一生懸命さ単純さ(馬鹿だなあ愛しいなあ可愛いなあみたいな、それと自分達がしたくとももう恥ずかしくて出来なくなった事への憧れでもあるし間接的にそれを満たしてくれる心地よさでもある)考えてることが分かりやすいので感情移入しやすいし単純なことで満足するので簡単に一緒に嬉しくなれる。って辺りがメインかな〜と思う。癒し!プラス神秘と希望と可能性に溢れたところ。あと(未熟なはずの"子供"が)まるで成熟した大人のように愛や真理を示す、その小さなからだのどこにそんなものを秘めているのかという小さな奇跡への感動とか。そこらへんが鉄板なのかな〜と思っています。 可愛さと夢と未来と生命への畏敬という純真な愛の神秘の象徴、塊みたいなまあこれは言い過ぎにしても、概念がいいとこ取りの結晶なんだから仕方ないよね〜 概念てニアリーイコール最大公約数? 子供の性質のひとつとして、(それがありがちでもそうでない出来事や感情でも)見ていれば「いやがおうにもわかる」強い某か感情という事には私は凄く弱いです。胸が苦しいです。この場合は一般論では子供はそれを抱きやすい分だけ失いやすいし、大人は抱きにくい分だけ失いにくいので、どちらが、とも言えません。失わない子供というのはその分求心力がありますが、少しでも間違えれば一瞬でハリボテになるので、好きかと言われると凄く好きだしケチがつけば場合により強い嫌悪すら感じます。あと失いやすい大人は個人的に好きです。 子供とひとくくりにしてまるでひとつの愛玩動物の種類みたいになってるとこが、非常に気色悪いな〜と思わないこともない。ひとくくりにしない感じの方針で子供が好きな印象の人はいいんだけど、いや目に入れても痛くない系のメロメロで全部愛すみたいな人は人でいいな〜 よく考えないで子供をジャンルとして捉えていて、そのくせ自分に都合のいい子供しか受け入れないで子供という存在を愛してる気になってる人がなんだかたくさんいるように見えてそれがきっしょいな〜と思っている、のか、な。まあ"自分の卑小さ打算を無視した一般的に善良とされる当たり前をうたう"事へのちいさいうんざりは私には日常的な感覚なのでどうということもないですが、この話題はとても一般層〜善良層の中で正義や聖域に近いので日頃ちくちくする、気になる存在です。個人の小さい偏見は気になりませんが、それが大多数となると(力を得てしまうので)面白い。 わたしはいつも想像を外れる現実を期待しているしその受け皿を用意している意識を持つよう意識してはおるのだが、私の器量では理解できないというだけかもしれない。唐突にちいさなひとつが見えるようになったときに景色が様変わりする時に思う。そんな器量不足ということが多すぎてときめきが止まらないと共に、それを携えた時に味わうだろう愛から遠く離れる心細さも凄い。同時に手にすることはできないのにどちらも選べない。ここでの愛は広さのこと、万能性、普遍性、求心力、共感力、納得性、云々 |
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2012/03/28
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