からの宮崎親子のコクリコドキュメンタリを見たんですがもえつら
あれ誰か見た人いますかあれあれこれだからついったは嫌だよ写メ日記に感想書いてあれば遡れるもの・・・会話依存つらい
コクリコ坂を見た後の私の絶望といったら無かった
とても薄っぺらい知識がごちゃごちゃ言うのはとてもアレなのですがつまりこれは全部私の勝手な妄想とそれに準じた萌え語りとしてさらっと読み流してくださいね、とっても萌えました
駿の心をとらえて離さない映画と、吾朗への愛は全く別のベクトルを放っているにも拘らずそれは一人の人間の中に集約されるっていうことがさ
というか出てくるおっさんが全員萌えキャラなんです?作画監督とかプロデューサーとかさあああ、なんかもういや妄想ですけど、妄想ですけどもうほんと二次元すぎてしんだ
吾朗が萌えキャラ過ぎてさああああごろおおおおおおおおおお
地味にこう、おっさんが二人でマンションの一室でコクリコ坂どうしようって考えてるとこもったらムネアツすぎてそしてそのおっさんが両方とも地味にエロい感じがとてもなんかなんか
これは、ゲド戦記見ようかなと思いました、今まで心惹かれなかったんだけど
だってゲド戦記を見た駿の感想がさああああ息子を見ていたなんだよおおおおおおおそんなセリフが出てくる駿ってなんてうつくしいんです??このおっさんがただの偏屈親父なだけじゃなくて映画監督だって一瞬で語る瞬間すぎてわたしほんとつらかった
つらい
人生を乗せた言葉を彼らが発するのはそれこそ人生を描いてきたゆえんなのでしょうか、ドキュメンタリの癖に劇的すぎてしんどかった、過剰演出なのかもしれませんけど説得力があるせいで
こんなに「愛しているということ」を一枚のまな板の上に乗せて良いの?
この人は息子を愛しているんだな
っていうのがこんな風に伝わってくることが胸熱すぎて、最後のあれさあなんです?
なんで吾朗はあんな顔してるの?
っていうか吾朗イケメンだよなっていうか私はとてもとても吾朗を疑っているんですが
でも結局吾朗はどれだけ駿を愛してるの?って話じゃないですか私は本当につらいです、駿が吾朗を愛することほど吾朗が駿を愛することは簡単じゃないよね?そもそもご多分に漏れず駿が愛してるのは何よりも戦う事なんだよね、
そもそも私は吾朗はずっとアニメの勉強とかしてきたんだと思ったら全然別の道を歩んでいたのをプロデューサーに引き入れられたんですね凄くないか、それは本当にいろんな意味で凄いことじゃないの。というかそもそも本当は憧れていたアニメの現場を選択しなかったのも駿を愛していたからだろうしいま選択したのも駿を愛しているから過ぎて私は本当につらいわけです
そしてプロデューサーも駿を愛しすぎなんじゃないかという話しで
でもこの愛してるっていう話しはもしかすると駿や吾朗やそういう個人ではなくてスタジオジブリを愛しているおっさんたちのお話かもしれないんですがまあそれはジブリと駿が切り離せないので有耶無耶なんですけど吾朗の中にある作家性それ自体よりも大事なものはそれこそ宮崎駿が愛したジブリにあるんじゃないのかと思うと、彼の運命について考えざるを得ないというか、この人の選択ってまじ、まじ、というか
というか彼らがこんなに愛することをやっているということ自体が、愛を描くという命題に立ち向かってきた軌跡な訳じゃないですか、それって凄くないですか?いやむしろあれだけ愛を描いておきながらここまで不器用なやり方しかできないことのほうが凄いのかもしれませんね?うっうっ
私ちょっと感想書きますねって言って書き始めたはずなんですけどなんかがっつり語ろうとし始めてるな・・・
そりゃ色々あるんだろうなあと思いながら(というか私はそもそも大して著名人にそれが好きなアイドルだろうと私生活に興味があんまり無いので)今まで宮崎駿という人がどんな人かという概略すら存じ上げていなかったのですが、知りたいという気持ちや興味はあるんですが調べようと思わないというか何より情報収集と虚偽を判断する体力の欠如というか、どうして著名な個人なんて言うけして踏み込んだところで正解を得ようのない存在に立ち向かわないといけないんだというとても貧乏性的考えのもとそうしていたんですがでもやっぱり調べたらちゃんと得るものがあるんですよね、まあそれもやっぱりドキュメンタリというか実際に喋っている映像ありきですけど、もっと肯定的に貪欲になっていきたいなとは思いました。
ちょっと名前で検索しただけで大概萌えました。そしてやっぱり鈴木プロデューサーが萌えキャラでついでにドワンゴの上川さんも萌えキャラだったなにこの攻め・・・、私はこの鈴木さんのうんこっぷりが気になってしょうがなくなってきてしまったわけで、おまえがwwwwゲド戦記で父親殺せっていったのかよwwwwwいや吾朗はそういう気持ちもあったって言うけどさwwwそして駿は吾朗の意志だと思ってるのwwwつらいwwwこのトライアングルつらい。結局吾朗が自分が何をしているか分かってしまっている感じがすごいつらい、鈴木は「どうなるか見たい」っていうのが行動原理だけど、吾朗には選択肢なんて無いのに逃げることも許されないうえに父親を愛してるっていう、そして皮肉屋だけど悪口は言わないイケメンてどこの二次元なのか、それでも結局楽しんじゃう感じとかがさあ、鈴木と駿が前線で戦ってきた数十年と張れる根性まじ、頭おかしい。多分全員ホモだよねっていう話ですよいやいい意味でねいい意味でホモだよね。
この辺の話は全部
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15105650で見れますご興味があったら、全員つらい
鈴木Pうるせえなあ、というかじじいすぎて・・・あーこのじじい・・・
そして親世代のシーンはこういう経緯(川上さんの意見を吾朗が真剣に考えた結果)で出来たんか、そして駿このシーンで泣いたのおろおろ
なんかとてもおろおろしすぎて、最初に駿がゆっていた時代に意味があるアニメーションの話がなんかたまんないなあと思ったなあ、他のインタビューで鈴木さんも言ってたけど時代とアニメーションの関係の話とか、時代に合わなきゃヒットしないし、でも何を作ったって時代の色が出るっていう話も興味深かったなあ、ジブリって商業アニメーションなんだなと思うとわたしはとても胸が熱くなってしまう。
あとこれも上のニコ生での話ですが鈴木のこの発言がうんこでたまらんだなあと思った
「こんな素晴らしい人生はない。宮崎駿を父に持ち、父のもとで映画を作る。大変な逆境に置かれているわけで、誰も味わえない。それをやれるのは吾朗君だけ。日々、生きているという実感があるでしょう?」
いやこれはさあ、他の誰が言っても私は駄目だと思うんですよ、当事者以外の誰かや駿や吾朗が言ってもそれは違うと思うんですよ、鈴木が言うから好き放題言いやがってと思いつつこの人は本当にアレなんだなと思う訳ですよ。アレを言明すると難しいんですが、進歩的であるとも、ジブリや駿を愛してんだとも、勝手な人だなとも思うんですけど。今のこの状況を一番見据えてるのは鈴木さんなんですよ、勿論この人のせいで今の状況になってるんですけど、この人だけが何か得体のしれないものを信じている人なんです。つまりじじいなんですよ、あーじじいまじじじい。でも私はこれ先に文字で読んだ時はぐっと来たけど実際に言ってるところを見たら苛立ったというか鈴木さんの持つ雰囲気が嫌いです、嫌いというかいけ好かない、まさに便の立つプロデューサの風格すぎて、このじじいになるまでに培ってきた自負と自信と狸具合がさあ、つまり性格が悪いんだよずるい人なんだよでも結局この人が一番大事にしてるものがこの人自身じゃないせいで許させられてしまうようなじじいなんだよ
吾朗と駿のしかし決定的な違いというのはやはり吾朗はあくまでも(いまのところ)視聴者であるという事だと思いました、めっちゃ器用な視聴者、だからこそ吾朗はジブリにこんなに執着するのだろうな、という事です。彼はよっぽどプロデューサー向きの人物なのではないのかな、でもまあそれもこれも作り手がいなきゃしょうがないわけですけどとも思うし、私は吾朗みたいなタイプのクリエーターってすごい好きなので、絶妙なバランスを探し出してほしいなと思います、あとプロデューサーになるにはこの人は真面目すぎるしな。いやほんと、良いんじゃないかな川上さんで、この二人がもっと仲良くなっていくととても萌える関係になると思う、というのも駿と鈴木よりもこの二人は相手のしようとする事を明確に理解してしまえる聡さというかそういう部分が鋭くてその分人間が柔らかい感じがあるんですよね、でも結局いまは吾朗のほうが上手なんだけど仲良くなればなるほど川上さんのほうが結局人間的器用さでもって上手を取るようになって、やりたい事を押しとおせるようになるんですよ、そしてそうなったときに吾朗はそれを分かりながらも嫌だけど従わざるを得ないんだよなこれは、ってなりあーずるいなーと思いながら、というか多分言うんですよ、そしたら川上くんは持ち前の人間性によって困った感じで笑う訳ですよそうすると吾朗はまあいいかという持ち前の才能でそれを受け入れるんですよね、川上くんはいつも自分がやってる事を分かられているという状態で思い通りにいくっちゃいってるんだけど常にある種の不快感というか異物感が付き纏う状態でいなきゃいけないし、吾朗は吾朗でその川上くんの憎めない柔らかさに対して常に嫌な人だな〜という気持ちを持ち続けるっていうそういう妄想ですねはい。駿はさあ自分の不器用さを諦めて鈴木のいいようにされる事を受け入れてるところがさああ、一番大事なものだけ大事にするって決めてるんですよね、なんかそれってたまらないよな〜と思うし、それは駿が鈴木さんに抱いてる弱みというかまあ感謝でもあるっていう所詮持ちつ持たれつっていうか、というような事を語っているとなんだかとても見当違いなことを楽しそうに喋っている滑稽な人だなと思われているんじゃないかという妄想も同時に禁じえないわけです、あー人の心読めるようになりたい。そういうひっそりとした引きを感じたい
横道にそれすぎてつなぎ目が良く分からなくなったんですけど、いやでもだからこそ吾朗はまずつくってしまうというところから始められるんじゃないかな、というつまり肯定的に既成事実を読み解いてしまう系実存主義をやるっていうか
吾朗は「分かってない」と駿や言っていたけれども40前までアニメ映画作りのノウハウを全く知らないできて、6年か7年ぐらいでコクリコ坂作れるんなら、それって、それってさああ、いやゲド戦記に関しては荒療治にもほどがあると思うけどな、キムタクが総理大臣になるドラマじゃねーんだから
まあそれだけジブリは継承者がいなすぎて後が無い状態だったんだなと思うとほんと二次元すぎて、いやだから鈴木さんがじじいなんですよ
「分かってない」という話しですが
私が最近というかまあ割とずっとここ数年考えているというか、感じながら生きている事として
「見える」ことと「見えない」こと、というのがあるのですが
まさにこの二人は、というより吾朗はその狭間にいる人だと感じてちょっと、涙が、
まあこれは私の話なんですが、私はずっと盲目だったころの自分を携えて生きているという感覚を持っていて、私は知らないうちに見えるようになったものを見えなかったときのことを覚えている、そしてそれはとても、何とも言えない気分なのです。
駿は初めからずっと「見える」から理解できないんです、まさに「見える」人代表ですねもっと言うと「見える」だけの人代表。ずっと見えてて感じてて知ってる上に確信しているという最悪の人種ですね。
だからつまりおっさんがもえるもえるというはなしなのだよおおおおおおおおお