この蕭蕭たる気持ちをどう処理してよいのか解らない。現に彼と私は不透明な関係だった。
いつも通り彼の住む学生寮へ足を運び、8階までエレベーターで昇る。エレベーターのすぐ前の部屋、鍵のかかっていないそのドアノブを回した。
そこにいるのは彼ではなかった。私と同じく悄然と立ち尽くすその男は華奢で、栗色のやわらかい髪で、私よりすこし歳が下に見える。
玄関の真っ青な蛍光灯、甘ったるい香水の匂い、カーテンは閉め切られ薄暗く、引きっぱなしの布団に薄い毛布、足の踏み場もないくらい散らかったいつもの部屋。
察する。
彼は出ていったのだ。
何も持たず、無秩序に散らかしたまま、いつも通り鍵をかけずに。
もう戻らないのだろう。
もちろんそれは決まっていた事だった。でもそうなるのは、消えていなくなるのは私の予定だった。
聞けば隣に立つ華奢で顔立ちの整った青年が、この部屋の本当の持ち主だという。青年ももちろん彼がいずれ出ていく事は知っていたが、それがいつなのか、何処へなのか、報せはなかったという。
また驚く事に青年と彼も、不透明な関係だった。
青年は涙を浮かべて語る。
「どこへ行ったか解らない。連絡も取れない」
それは勿論、私にも解らない。私と青年はきっといま同じ気持ちなのだ。
ふたりで部屋の中を片付けて、ふたりで一緒にシャワーを浴びた。
私は彼と一緒に風呂に入った事などない。おそらく青年もないだろう。彼は、そういう人だった。
私たちは半透明な膜をはさんで抱き合うような関係だった。
皮膚の温もりなど、なんの確約にもならない。
能く解っている。でも私たちが愛し求めたのは、その不確かな温度だった。
しばらく日が経って、ふと青年に会いたくなった。行方不明の彼の事もなにか解ったか聞きたかった。しかし連絡先など交換していない。いや、一度だけ青年から電話を貰ったことがある。履歴を遡って、コールする。
電話が繋がる事はなかった。
きっとそれなりにやっているだろう。私が生きていけるくらいなのだから。
不便にも2つに分けられ、陸橋で繋げられていた小学校の校庭が整備され、きちんとひとつの庭になっていた。青空に包まれている。
煢然として寄りそうところのない肌が、日の経つ毎に彼と青年の熱を憶い出す。
皮膚で繋がれる事がないのなら、血管ごと、心臓ごと繋がればよかったのだ。
でも縫合するための針と糸なんて私たちにはなかった。
けっきょく私が愛するのは私で、彼が愛すのは彼と、試しもせずに割り切っていたのだから。
いまあの部屋にはだれが住んでいるだろうか。
いまあの部屋には鍵がかけられているのだろうか。