Simple Life


春の予感
春の予感
立春を過ぎたが
今年はことのほか寒い冬将軍が
日本列島に居座ったままだ。

そんな中
職場の中庭にある、梅の花が咲いていて、
良い匂いがしていて、
自然の息吹にホッとする。

今年の高校受験も大詰めだ。
あとは、都立高校入試を残すところとなった。

私の身辺も生徒たちにとっても
精神的にキツい日々だった。

それでも、
春はそれぞれの未来に広がってゆく。

最近なぜか、
1978年春の資生堂CMソングの
尾崎亜美の歌う「春の予感」
が、
優しく心に染み渡る。

2022/02/17 (Thu) 15:46


雨だったり雪だったり
雨だったり雪だったり
2022年 明けて
今日は3連休明け。

朝の通勤時間に
雨が降っていたり
雪だったりすると
出勤する気力が萎える。
がしかし!
何も考えずに
淡々といつもの電車に乗る。

2022/01/11 (Tue) 7:22


一張羅
一張羅
「一張羅(いっちょうら)」
という言葉は
既に21世紀の世の中には
存在しない言葉なのかもしれない。

この頃 私の頭の中から
この言葉が
ふと浮かんで来るようになった。

私の両親は戦前の生まれで、
父の倹しい給料と
次男である父が
本家から分家する時に分け与えられた
田畠の農業収入、
そして、元気な頃の母の内職の手当。

そういう、ごく普通の庶民の家で
私は育った。

こんな我が家では
「何かある時のために大事にしまっておく」
という習慣が根付いていた。
「普段は一切の贅沢をしない。」

何か晴れがましい日のために
「一張羅」を大切にとっておく。

そういう根強い生活の価値観が
私が小学5年生の時に新築した
自宅の家の中にずっと覆っていた。

地方公務員だった父の退職金を担保にして
建てた二階建ての我が家は
父のこだわりの賜物の普請であった廊下、玄関、
二間続きの座敷と書院造りの床の間
欄間
それらは「一張羅」として
何か慶弔事の時のために
カバーを掛けられ
ついに
この家の慶弔であった
長姉の見合いの席から結婚の祝いの席
私の結納の席
そして皮肉なことに両親の葬儀と
生涯10度に満たない
お披露目でしかなかった家の普請は、
その生涯を終えた。

あの父のこだわりは一体何になったのだろうか。

真新しい廊下や縁側の長い板、白い柱、青畳の匂い……

それらを保つために、日常的にカバーをして
木そのものの風化による風格も示されないまま
取り壊されていった我が家。

戦前の物の不足していた昭和の日本を生きた
庶民の父たちの思いを理解はするが、
私がその父親の年齢に近づいて老いを迎えた今、
大事に取っておいた食器や
洋服など身の回りの物など
普段にどんどん使っていこうと
思うようになっている。

私が死んだ後、
残された息子には
何の価値も見出せない物だろう。
これらのモノたちに
日の光を浴びせ
物としてその機能を使ってやろうと
そう思うのだ。

2021/11/23 (Tue) 20:26


細い月と金星が大接近!
細い月と金星が大接近!
先程 職場を出て駅に向かう道すがら、
南西方向を見上げると
細長いお月さまと宵の明星の金星が
仲良く並んでいた。

残念ながら雲が多くて
ほんの少しの間だけのランデヴー鑑賞だったけれど
輝く金星がとても綺麗だった。

10月から 地方都市での勤務に変わり、
こんなふうに自然を楽しむことができる。

環境の激変に心身が悲鳴を上げそうになっていたが
気力で乗り切った1か月だった。

これから本格的に寒い冬を迎えるが、
こんなふうに
季節の風景の変化を楽しんで行きたい。



2021/11/08 (Mon) 19:39


追悼 コリン・パウエル氏
追悼 コリン・パウエル氏
photo. Wikipedia より

先月 10月18日、
コリン・パウエル氏が亡くなったという
ニュースが入る。
アメリカ合衆国統合参謀本部議長として
湾岸戦争勃発時の多国籍軍の総指揮官だった。

私がアメリカ留学した1991年の1月の
渡米の際、
無事にアメリカ合衆国に行けるのだろうか
と、ビザが下りるか否かという緊迫した中で
実行できた留学だったので、
パウエル氏の顔は、連日アメリカのTVで
お目にかかり、且つ
彼自身の話す英語をヒアリングの訓練に
聞いていた。

そして、彼のリーダーとしての優れた資質を
知るにつれ、尊敬する人の一人として
名前を挙げるようになった。

私にとって、「 湾岸戦争 」が始まった
1991年1月17日は、
愚息の誕生日である1月17日
であると共に
パウエル氏の思い出がリンクして
ずっと記憶に残っている。

その後、2001年 ブッシュ大統領政権下
アフリカ系アメリカ人として初の
国務長官に就任した。

彼の汚点になった
国連安保理事会での
「イラクが大量破壊兵器を開発している」
発言
によるその後のイラクの混乱。

そういうパウエル氏の一連の政治活動
について、日本でニュースに触れるたび
否、どんなニュースであっても
客観的に受け止めつつ、
尊敬する人であることは
揺るぎないものだった。

政治の世界から引退し、
しばらく耳に触れる機会になかった氏であったが、
この訃報を聞き、
時の流れの速さを感じ、
私自身の人生を改めて振り返ることとなった。

コリン・パウエル氏 84歳没。



2021/11/04 (Thu) 21:22


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