「立秋の尾瀬へ」
8月11日は「山の日」。しかし天気予報は10日からしばらく雨、まるで梅雨の戻りのようだ。それで3連休初日の9日(土)久しぶりに「尾瀬」に行ってみようかと、渋滞を覚悟で東名から関越自動車道を群馬県の「沼田IC」まで走っていった。早朝なのにお盆の帰省が始まったらしく埼玉県を抜けるまでやはりノロノロ運転の連続だったが、奥日光に通じる「沼田街道」に入ってからは快調な走りで御殿場から300キロを6時間かけて「尾瀬」の入り口に着いた。しかし、あれ?ここではないぞ。マイカー規制が7年前から始まっていてシャトルバスに乗り換えて30分でやっと懐かしの「鳩待峠」1600mだ。見慣れた三角屋根の「休憩所」は閉鎖されてその隣に新たな山小屋「LUCY尾瀬鳩待」が建っているではないか。ホテルチェーン「星野リゾート」による「鳩待プラザ」という新たな休憩所も隣接して、軽食や飲み物が買えた。
今回は日帰りだから「至仏山」に登るマネだけして大露天風呂のある「宝川温泉」に急ごうか。この尾瀬には15年前2010年の8月初旬、大学同期のいつもの3人を誘い「沼田駅」で待ち合わせ、私の車で家内も一緒に「鳩待峠」に行って、そこからは歩いて「尾瀬ヶ原」1400mに下り「山の鼻小屋」に一泊したのだった。男3人で夕暮れの散歩に出かけたら木道の先の茂みの中にゴソゴソ動く気配、「クマだよっ!」、目の前で小熊がミズバショウの実を食べていた。すると飛騨の山奥で育ったTA君、何を考えたのか演歌を口ずさんだ。するとその熊は一目散に逃げていったよ、「よかったあ!演歌がクマよけの効果あるのかね?」。翌朝は5人、元気な家内を先頭に花の百名山「至仏山」2228mの山頂に向かって「蛇紋岩」で有名な斜面を登っていった。紫色のヒメシャジンや純白のミネウスユキソウ、ピンクのタカネナデシコなど花々を愛でながら・・・
そういうわけで8月9日は11時頃駐車場から「鳩待峠」に向かうシャトルバスに乗ったら、車内のラジオで「長崎平和祈念式典」が中継され鈴木市長の力強い平和宣言が聞こえてきた。帰宅後この日のジャパンタイムズをチェックしたらA walk through Kokura, the city spared nuclear destruction (原爆投下を免れた町「小倉」を散策)という記事と明治時代のレトロな西洋建築の写真に眼が行った。これ6月の関西九州旅行で訪れた門司港にあったなあ。それは「旧大阪商船」支店ビルだった。滞在していた「下関」から船に乗って10分で対岸に渡ると目の前に「門司港駅」のレトロな建物を見つけた。ここはアジアの各地に向けて輸出入の重要な窓口だったし日本帝国の「植民地化」政策に大きな役割を果たしたのだ。
Now part of the city of Kitakyushu, the former castle town of Kokura, its collection of retro architecture and many of its inhabitants were once targeted for atomic catastrophe that eventually befell the population of Nagasaki to the south. (今は北九州市の区の一つだけど、昔の城下町「小倉」はレトロな建築群と住民の多くと共に一度は原子爆弾の大惨事になる標的になったのだ。結局それは南方の長崎市民に降りかかったのだが)。Like most Japanese cities, Kokura suffered its fair share of conventional aerial bombing during World War II, but the near-miss of the second atomic bomb led to a popular saying in the postwar period about a disaster unknowingly averted. (たいていの日本の都市と同様、小倉も戦争で従来の空爆被害を受けていたが、2回目の原爆がミアミスだったおかげで、「知らぬ間に大災害を免れた」という戦後にはやった言葉(小倉の運がある)が生れた。 尾上
