高校英語UG会 三島・裾野・御殿場

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小倉と門司
小倉と門司
2025年8月17日(日)
「立秋の尾瀬へ」
 8月11日は「山の日」。しかし天気予報は10日からしばらく雨、まるで梅雨の戻りのようだ。それで3連休初日の9日(土)久しぶりに「尾瀬」に行ってみようかと、渋滞を覚悟で東名から関越自動車道を群馬県の「沼田IC」まで走っていった。早朝なのにお盆の帰省が始まったらしく埼玉県を抜けるまでやはりノロノロ運転の連続だったが、奥日光に通じる「沼田街道」に入ってからは快調な走りで御殿場から300キロを6時間かけて「尾瀬」の入り口に着いた。しかし、あれ?ここではないぞ。マイカー規制が7年前から始まっていてシャトルバスに乗り換えて30分でやっと懐かしの「鳩待峠」1600mだ。見慣れた三角屋根の「休憩所」は閉鎖されてその隣に新たな山小屋「LUCY尾瀬鳩待」が建っているではないか。ホテルチェーン「星野リゾート」による「鳩待プラザ」という新たな休憩所も隣接して、軽食や飲み物が買えた。
 今回は日帰りだから「至仏山」に登るマネだけして大露天風呂のある「宝川温泉」に急ごうか。この尾瀬には15年前2010年の8月初旬、大学同期のいつもの3人を誘い「沼田駅」で待ち合わせ、私の車で家内も一緒に「鳩待峠」に行って、そこからは歩いて「尾瀬ヶ原」1400mに下り「山の鼻小屋」に一泊したのだった。男3人で夕暮れの散歩に出かけたら木道の先の茂みの中にゴソゴソ動く気配、「クマだよっ!」、目の前で小熊がミズバショウの実を食べていた。すると飛騨の山奥で育ったTA君、何を考えたのか演歌を口ずさんだ。するとその熊は一目散に逃げていったよ、「よかったあ!演歌がクマよけの効果あるのかね?」。翌朝は5人、元気な家内を先頭に花の百名山「至仏山」2228mの山頂に向かって「蛇紋岩」で有名な斜面を登っていった。紫色のヒメシャジンや純白のミネウスユキソウ、ピンクのタカネナデシコなど花々を愛でながら・・・

 そういうわけで8月9日は11時頃駐車場から「鳩待峠」に向かうシャトルバスに乗ったら、車内のラジオで「長崎平和祈念式典」が中継され鈴木市長の力強い平和宣言が聞こえてきた。帰宅後この日のジャパンタイムズをチェックしたらA walk through Kokura, the city spared nuclear destruction (原爆投下を免れた町「小倉」を散策)という記事と明治時代のレトロな西洋建築の写真に眼が行った。これ6月の関西九州旅行で訪れた門司港にあったなあ。それは「旧大阪商船」支店ビルだった。滞在していた「下関」から船に乗って10分で対岸に渡ると目の前に「門司港駅」のレトロな建物を見つけた。ここはアジアの各地に向けて輸出入の重要な窓口だったし日本帝国の「植民地化」政策に大きな役割を果たしたのだ。
 Now part of the city of Kitakyushu, the former castle town of Kokura, its collection of retro architecture and many of its inhabitants were once targeted for atomic catastrophe that eventually befell the population of Nagasaki to the south. (今は北九州市の区の一つだけど、昔の城下町「小倉」はレトロな建築群と住民の多くと共に一度は原子爆弾の大惨事になる標的になったのだ。結局それは南方の長崎市民に降りかかったのだが)。Like most Japanese cities, Kokura suffered its fair share of conventional aerial bombing during World War II, but the near-miss of the second atomic bomb led to a popular saying in the postwar period about a disaster unknowingly averted. (たいていの日本の都市と同様、小倉も戦争で従来の空爆被害を受けていたが、2回目の原爆がミアミスだったおかげで、「知らぬ間に大災害を免れた」という戦後にはやった言葉(小倉の運がある)が生れた。 尾上
2025/08/17 (Sun) 0:10


映画:木の上の軍隊
映画:木の上の軍隊
2025年8月10日(日)
「No more Hiroshima !」
 8月6日はあの日と同じ厳しい真夏の太陽の下、広島市平和記念公園で「原爆投下80年、平和記念式典」が挙行されその様子をテレビ中継で見ていた。広島市長の核廃絶への真摯なアピールの次に、こども代表の2人が世界に向けて原爆被害のむごさと平和の尊さを力強く訴えていた。1万人の市内小学校の生徒の中から選ばれた20人を代表した男女2人で、男子は英会話が得意な佐々木君、小6ながら英検準一級をもち平和記念公園で外人訪問客向けのボランティアガイドを実践している姿をYouTubeで見た。戦争を知らない世代に私もなにか言葉が残せるだろうかと考えた。
 昭和20年のこの日8時15分、広島市で10万人以上の老若男女が被爆したこの時間に私は何をしていただろう。その5か月前、3月10日の「東京大空襲」で新宿千駄ヶ谷の我が家は焼夷弾で焼かれていたから、疎開していた長泉村本宿の母の実家で2才の私と生れて4か月の弟はこの日の朝もご飯を食べていただろうか?その1か月前、7月17日の「沼津大空襲」では市内の軍需工場がB29の爆撃を受け市街地の90%が壊滅したという。私の家族がいた「黄瀬川」の東側には及ばなかったが、「空襲警報」のサイレンがなるたびに「ボーキー、ボーキー」と叫んで防空頭巾を母にかぶせてもらい裏庭の「防空壕」に1人でよちよち潜っていったし、弟は女学生の叔母に抱っこされて一緒に逃げていった、と聞いたな・・・

 今週のジャパンタイムズは「文化」欄で戦争映画をとりあげた。'Army on the Tree': World War II film leans into absurdist theater (映画「木の上の軍隊」、太平洋戦争が不条理劇に)の見出しで、二人の兵士がガジュマルの木の上に隠れている写真に注目した。実はこの日立ち寄った御殿場図書館に掲示されていた大きなポスターもこの映画だった。7月25日から全国公開されて三島の映画館「サントムーン」でもまだ上映中だ。広島に原爆が投下されて80年のこの日にLINEのトークで友人たちにこのポスターの写真を送った。高校時代のある友人からの返事は、「その映画の話は以前こまつ座の舞台で見たよ。大尉役の山西淳の熱演を今もおぼえてる。原作を読んでから映画も見てみたい」と。
 現地の若い兵士a local soldierと上官にあたる大尉a lieutenantとの二人芝居で、暗くなると木から降りて食糧を漁りウジ虫を食べるmaggot eating場面もある。戦争の終結を知らずに沖縄「伊江島」のガジュマルの木の上に2年間も隠れていた兵士の実話がベースになっている。井上ひさしは2013年の舞台初演の3年前に病死しているので彼の原案に基づいて上演された。he remained adamant throughout his life that ordinary Japanese people shared responsibility for what had happened. (井上は死ぬまで、起きてしまったこと(戦争)に普通の日本人が責任があると頑固に主張した)。新宿の「紀伊国屋書店」のホールで上演される「こまつ座」の舞台をまだ見たことはないけれど、井上ひさしの代表作「父と暮らせば」を始めほとんどの名作が書籍化され、図書館にあるものはすべて借りて読んでしまった。一貫して「戦争責任」がテーマで興味深い。 尾上
2025/08/10 (Sun) 0:10


イチロー野球の殿堂入り
イチロー野球の殿堂入り
2025年8月3日(日)
「箱根神社湖上祭」
 箱根の夏祭り「箱根神社の湖上祭」を初めて見た!薄暗くなったころ、白装束の10人ほどの神官たちが姉妹社「九頭龍神社」での神事を終えて「御供行列」の開始だ。拝殿前の階段をくだり無数の献呈提灯のトンネルに照らされた参道を湖岸へ下っていく。雅楽の笙の音が杉林に響く中、竿の上に掲げた白い提灯に先導されて、御供物の小箱を肩に担いだ二人の神官が続き桟橋から三艘の朱塗りの小舟「御供船」まで進んでいく。明かりの灯った一艘目に主神官がひとり乗り込んで、そのあとに雅楽の演奏船が続く。実に古式ゆかしい神事だなあ。すっかり陽が落ちて見えなくなったけれど、湖の沖合まで行き湖底の竜神様にお供えをしているようだ。湖上の神事が終わると、続いて勇壮な掛け声とともに巨大な金ぴかの御神輿が神社から下りてきて湖岸を練っていく。
 露天の店がいくつか出ていてかき氷や焼きイカ・焼肉などが美味そうな匂いを漂わせている。列を作って待つ人たちに混じって私も冷やし胡瓜と焼きそばを買って食べた。小学校の頃「三島大社」の夏祭りの夜店を思い出すなあ。涼しいそよ風も吹き始め、夜空には美しい三日月が出てさざ波の湖面にきらきらと照りかえる。元箱根港の「成川美術館」のあたりからこの神社まで弓なりの長い湖岸に1万人とも思われる大観衆が押し寄せて、静かに神事の成り行きを見守りいよいよクライマックスは花火5000発の打上げだ。8時、ドン!という大音響と共に赤・白・黄・青・緑など色とりどりの巨大な花輪が夜空に開いた。その光が静かな湖面に反射するから更に美しい!自然に沸きあがる拍手と感嘆の叫び声・・・

 先週のJapan Times で注目した記事はBehind the scenes at the Baseball Hall of Fame's new Yakyu/Baseball exhibit (野球殿堂で日米野球の新たな展示、その舞台裏)で、From the moment visitors enter, they are confronted with a suit of samurai armor presenting Japanese players as fiercely disciplined warriors across about 167 square meters in the museum’s thirdfloor Guggenheim Gallery.(来場者は入館すると3階の169平米の展示室に、猛練習を積んだ戦士たる日本選手を表現するサムライの甲冑に出会う。)展示コーナーは日本の明治時代から現代まで150年に渡る日米の野球の歴史を展望する。
 (1)1905年、早稲田大学チームの米国遠征。(2)1935年、ベーブルースなど米国代表チームの日本遠征。(3)1945年の終戦後、日本のプロ野球で活躍したリー兄弟など米国選手たち。(4)1964年、MLB最初の日本人選手・村上雅則の登場だ。その後に「ノーヒットノーラン」の野茂英雄、「ゴジラ」こと松井秀喜が続き、さらに「イチロー」と大谷翔平に焦点が当たる。A single mannequin of Ichiro, featured in celebration of his 2025 induction as the first Japanese-born player enshrined in Cooperstown, wears several pieces of memorabilia from his glittering career. (今年、日本人最初の野球殿堂入りを果たしたイチローの等身大の人形があり、輝かしいキャリアを記念するヘルメットなどの装備をいくつも身に着けている。) 尾上
2025/08/03 (Sun) 0:05


チャットボットがともだち
チャットボットがともだち
2025年7月27日(日)
「東京夢の島にサガリバナ」
 とうとう見たよ、幻のサガリバナ!見上げるような大木の枝から花火のように華やかなピンク色の花たちがつるし雛のように一列に垂れ下がっていい香りで咲きだしていたよ。庭木のネムの花が逆さに咲いているようだ。それを東京の植物園で見ることができ信じられない思い出になった。これは月下美人や夜来香のように夜咲いて朝散る夜行性の花なんだ。インドや東南アジアなど熱帯の花で、日本では沖縄県の石垣島と西表島にしか咲かない。それで旅行各社のグループツアー企画に参加しないと見られない。もっと近くで見られないものかと調べていたら、「京都府立植物園」で咲かせていると知り、先月の関西旅行では第1日に見に行った。しかし開園中ではもう散りかけた花しか残っていなかった。
 始めの出会いは3年前の12月で、沖縄「石垣島」に行った時マンゴーやパッションフルーツを栽培している「川平ファーム」に立ち寄ったら、ここでも咲くが6月の花だと教えられた。対岸の「西表島」では早朝まだ暗いうちにマングローブの海にカヌーを漕いでいけば散ったばかりのサガリバナが静かな水面に流れていく美しい姿が見られる、と聞いていた幻の花だった。京都でダメなら東京の植物園でも栽培していないかなと調べたら、「新宿御苑」の温室や「都立熱帯植物園」に咲いていて、後者がこの三連休中に夜間開放すると知り埋立地の「夢の島」初の訪問となった。A・B・Cと3つの大きなドームにラン科などの南国の樹木や花々が展示されて、6:30とうとう目の前に咲き始めのみごとなサガリバナ発見!・・・

 21日のJTデジタル版にはスマホを掲げる女性のイラスト。見出しはThe rise of AI companionship in a lonely Japan (ひとり暮らしの多い日本ではAIの友だちが人気)で、サブタイトルを見るとわかる。With isolation on the rise, Japan is turning to chatbots for mental health support and even dementia treatment. (日本ではひとり暮らしの人が増えて、心の健康維持や認知症の治療のためにも「チャットボット」を頼りにしている)。「チャットボット」とは「チャット」(対話)と「ロボット」の造語で、スマホのSIRI(シリ)のように会話で対応してくれるアプリのこと、10年ほど前からどんどん改良されてきているそうだ。32才独身のある女性は猫が飼いたくてチャットボットに相談したら親切な返事が戻ってきたそうだ。
 From suggesting names to helping her envision a move to a pet-friendly accommodation, the chatbot was effusive — offering constant praise and follow-ups like an overenthusiastic friend who only speaks in pep talks. (ペットの名前つけからペットが住める住宅への引っ越し提示まで、チャットボットは感情豊かで、励ましの言葉しか言わない熱心な友人のように絶えず誉め言葉と激励を述べてくれた)と。ある調査によると、Loneliness and isolation are pressing societal concerns in Japan, a rapidly aging and shrinking nation where 38% of all households were single-person in 2020. (日本では孤独や孤立が緊迫の社会問題になっていて、老齢化や人口減少が進んで2020年には全所帯の38%が1人暮らしだった。)さらに2050年には48%になりそうだとも言われている。 尾上
2025/07/27 (Sun) 0:11


推し活とは?
推し活とは?
2025年7月20日(日)
「ベネチアングラスと螺鈿細工」
 「箱根ガラスの森美術館」で18日から新企画「軌跡のきらめき」がはじまり、初日の午後に見ることができた。「神秘の光彩、ガラスと貝細工」の副題で、虹色に輝く20世紀のチェコ「ボヘミアングラス」や宝石の美を超えるような17世紀のイタリア「ベネチアングラス」に加えて、日本でも安土桃山時代に盛んになった貝殻の貴重な真珠層をはぎとって漆器などに貼り付ける「螺鈿細工」がたくさん展示してあった。金銀を用いた「蒔絵」に「螺鈿」を施した洋櫃(ようひつ)が特に美しかった。この伝統を研究し現代に螺鈿や蒔絵細工を生き返らせている作家の作品も興味深かった。女性がだれでも見たがる美の極致らしく、展示の前を行きつ戻りつする講師仲間の姿が面白かった。
 この日は御殿場市生涯学習「ひろがり学習塾」の講師研修旅行で、合計15名の男女が小型バスを借り切って箱根仙石原に出かけた。今年副会長に任命され自称研修部長の私は「英字新聞を読もう」や「ピアノ弾こう会」の講師をやっているが、ほかにも「太極拳」や「生け花」「着物の着付け」「陶器の絵付け」などの講師たちが参加した。午前中は自分の専門以外にさらに自然の美や力を感じてもらおうと、ガイドさんの説明を聞きながら「湿生花園」を一周して紫色の「ノハナショウブ」や白い「オカトラノオ」ピンクの「カライトソウ」などたくさんの花々にめぐり合い感動した。梅雨明けのこの日は真夏の太陽が照りつけたが、2階の涼しい研修室をお借りして昼食をとりながら講師の親睦会となった・・・

 先週「ジャパンタイムズ」はライトを掲げる群衆の写真の下にOshikatsuの文字があって気になった。記事の見出しはMusic idol and anime fandom merch is big business(音楽アイドルやアニメのファン用グッズが売れまくっている)で、「推し活」の話らしい。6月下旬、「東京ビッグサイト」を会場に「東京ライフスタイルweek夏」が開催され数千人が詰めかけたそうだ。このイベントでは台所用品、健康美容製品や文房具のほかに、人々の趣味や人気のグッズにも注目していた。特に最近のポップカルチャー人気に投資する会社が増え、例えば「Kポップ」の架空の人形など様々な「推し活」グッズを生産しているという。
 「推し活」とは、Oshikatsu — a Japanese word meaning to vigorously support someone or something, whether by cheering them on or buying goods to help support them — has become big business domestically and abroad. (人物や品物を、応援したりグッズを買ったりして熱心に支持するという意味のことばで、日本国内でも海外でも大きなビジネスになってきている)。この記事のまとめとしてOshikatsu expo underlines how eager businesses are to jump into the fray of fan obsession, but also just how central oshikatsu is to people’s lives who are finding connection and fulfillment from supporting someone else — real or fictional.(この推し活見本市は、熱狂的なファン層に企業側がどれほど熱心に参入しようとしているかを示しているし、さらに実在でも架空でも誰かを応援することでつながりや満足感を見つける人たちの生活に「推し活」がいかに大切になっているかも示している。) 尾上
2025/07/20 (Sun) 0:11


♫夏が来れば思い出す・・♫
♫夏が来れば思い出す・・♫
2025年7月13日(日)
「村山神社の開山祭」
 静岡県側でも富士登山シーズンが始まり、各地の浅間神社では10日に「開山祭」が催された。富士宮市では「本宮浅間大社」での開山式典だけでなく、「村山古道」の出発点になる「村山神社」でも古式ゆかしい「開山祭」があるので今年も見物に出かけた。幕末・明治に外国人が富士登山したがその後消えていた古いルートで、過去2回私はここから出発して山頂に挑戦した思い出の神社だ。十里木高原を越えて国道469号線を走り村山地区の神社に到着した。ここには本殿と隣り合わせに茅葺の「興法寺」が並んでいる「神仏混交」の珍しい神社なんだ。「三社祭」で有名な東京の浅草神社が雷門の浅草寺の隣にあったりするのと似ている。特別に開扉していた本堂には「大日如来座像」「毘沙門天」などの仏像が並んでいた。明治新政府の「神仏分離令」による「廃仏毀釈」を恐れて村人たちが仏像を山中に隠したおかげで残ったという。
 いよいよ開山祭のはじまりだ。京都の本山から来た法師たちが、山伏の黄色い法衣をまとって現れホラ貝の叫びをあげると共に「水垢離」(みずごり)儀式が始まった。地域の中学校の生徒数十名が入場して男子は白い褌(ふんどし)、女子も薄地の白い行衣(ぎょうい)だけで滝の水に打たれるのだ。次に山伏たちは村山登山道の入り口に整列し「お山開き」の口上を述べ登山の安全を祈る。「結界」のしめ縄を日本刀でバッサリ切ると登山の始まりだ。法螺貝を先頭に山伏・主催者・地元関係者らが続き私もそのしんがりにくっついて登って行った。。。途中で祭場に戻った神官と山伏たちは「水幣」(みずべい)の縄の内側で櫓の杉の葉に火をつけて「護摩焚神事」を始めた。弓矢を放って大気を清め、安全登山・家内安全・世界平和を唱える中、参列者が各人の祈願を書き込んだ木札を「護摩壇」に投げ込み手を合わせ・・・

 先週のジャパンタイムズで「夏」をテーマにした記事をみつけた。What’s the first thing you think of when you think of a Japanese summer?(日本の夏について真っ先に思い浮かべるのは?)という見出しで浅草恒例の「三社祭」の賑やかな写真入りだ。このアンケートに20代30代の回答を見たら次の10個が上がった。第10位からあげると「プール」そして9位「エアコン」8位「セミの声」7位「アイス」6位「スイカ」5位「夏休み」4位「かき氷」と続き、3位「海」2位「夏祭り」そして第1位は、、、「花火大会」だった。記事では日本語を学ぶ外国人にそれぞれの日本独特の表現を教えようとしている。Japan’s firework festivals are often tied to a wish for consoling the spirits of the deceased, long cherished by the local community. (日本の花火大会は死者の霊を慰める願いにつながり、昔から各地の集落が大切に守ってきたものだ)。
 エアコン(air conditioner)については、 AC is most commonly referred to by the abbreviation エアコン in Japanese, but people will also call it a クーラー or 冷房.(ACは日本語の略語でふつうエアコンと呼ばれているがクーラーともいう。「暑いからクーラーの温度を下げてもいい?」 (It’s hot, so can I turn the AC down?)のように。エアコンに関連の動詞を他にも紹介して、These nouns take other verbs, including つける, 入れる and sometimes かける, all meaning “to turn on” in this context, while 効く (to be effective) is also used. 例えば「この部屋、冷房が効きすぎだね 」(The AC is working too much in this room). 接続詞whileは「その一方で」の意味です。 尾上
2025/07/13 (Sun) 23:33


富士登山に入山料
富士登山に入山料
2025年7月6日(日)
「もうし、もうし、柳川じゃ」
 関西・九州旅行を満喫してもう1ケ月になる。先日JR西日本「瑞風」から小荷物が届いて、開けてみたら我ら夫婦の車中での記念写真付きのスタンドだ。本当に思い出がぎっしりと詰まった旅だったな。そうだ、書き残しておきたい訪問地がもう一つあった。それは福岡県の南端「柳川市」で熊本県の大牟田市や有明海に近い。今度の旅行計画の段階ではJR九州が走らせる豪華列車「ななつ星in九州」も魅力的で、調べたらそのルートに「柳川城跡とうなぎの昼食」があった。「ヤナガワ」といえば65年も前高校生の頃、男性合唱で歌った組曲「柳河風俗詩」で今でも不思議に北原白秋のその歌詞を覚えている。「もうし、もうし、旅の人、、馭者は喇叭の音をたてて赤い夕日の街に入る、、」。舟下りのできる水郷の町と聞いていたけれどんな所だろう、と好奇心が募った。下関からレンタカーを借りれば高速で2時間くらいだ。
 現地に着いてみてわかったよ!知らずに口ずさんでいた「馭者」とは西鉄の「柳川駅」から旧市街地まで「馬車鉄道」があってその御者だった。ラッパを吹いて発車や到着を知らせたんだな。そして歌詞に出てくる「かね(銅)の鳥居」「欄干橋」「のすかい屋」の意味も納得した。詩人「北原白秋」は城下町「柳河」の名家の生まれで、若いころに離れた郷里に思いをはせて「柳河風俗詩」を書いた。後に作曲されて初演は昭和30年に京都大学の合唱部が披露し、その5年後には私も高校の合唱部で歌っていたのだ。。。旅行のその夜は「柳川」藩主立花家の孫が城郭の中で料亭を開業したという高級旅館「御花」に泊まった。梅雨時のせいかほかに誰も泊り客がなく全く貸し切り!柳川名物の「鰻のせいろ蒸し」や白焼きに舌鼓を打った。翌日雨上がりのお濠「舟下り」も貸し切りで、竿をついて船頭が歌う白秋の「まちぼうけ」が水面に響いて・・・

 今週のジャパンタイムズの特筆すべき記事はWhat it takes to save lives on Mount Fuji (富士山の遭難者救助に必要なもの)という見出しで、山梨県側「吉田口」では今年も7月1日が開山の日になった。静岡県側の「富士宮口」「須走口」などよりも10日早い。副題にはWith the iconic peak set to open July 1, rescue teams brace for unprepared hikers. (富士山の開山を7月1日に控え、準備不足の登山者に対し救助隊はいっそう気を引き締めている)。with〜は「付帯状況」の構文で、節ならWhile the iconic peak is set to〜とも言える。記者は1972年3月の大きな遭難事故を伝える新聞をイラストに載せている。However, what began as an ordinary day on Japan’s highest and most iconic peak would soon turn into a nightmare.(しかし、日本の最高峰、象徴的な山頂での普通の一日で始まったその日はまもなく悪夢に変わるのであった)。天気が急変し、雨・みぞれ・強風による低体温や雪崩のために死者18名、行方不明5名の史上最悪の山岳遭難事故であった。(その40年後、2014年9月27日に木曽の「御嶽山」では突然の大噴火で死者58名、行方不明5名の史上最悪の火山災害となったが。)
 その年1972年秋、静岡県警山岳救助隊が組織され今では28名が活躍している。五合目登山口では協力金として1000円をお願いしていたが、今シーズンからは入山料として徴収することになった。山梨県では昨年は2000円だったが4000円にして静岡県と歩調をあわせた。Climbing fees have also been raised to \4,000 per person to help fund safety and environmental measures, (安全登山と環境整備の基金として、入山料も1人4000円にあげられた)。鉄製の頑丈なゲートを建造した吉田口の登山は一日4000人の上限で、 Yamanashi has also strengthened the authority of its Mount Fuji Rangers, who now have the power to turn away climbers who lack the appropriate gear. (山梨県は富士山レインジャーの権限を強化し、適切な装備を持たない登山者は拒否する権限をもっている)。 尾上
2025/07/06 (Sun) 0:11


フィトンチッドー森林浴の科学
フィトンチッドー森林浴の科学
2025年6月29日(日)
「関門海峡の下関と門司」
 幻の花「レブンアツモリソウ」が咲いたというから、先日信州「白馬」の植物園まで行ってきた。北海道最北の礼文島にしか咲かないと言われていたのに、4年前にとうとう長野県でも植栽に成功したのだ。ここは標高1500mで礼文島と気候がよく似ているそうだ。ラン科の大きな花で6弁のうちの一番大きな唇弁がボールのように丸いよ(この壁紙を見てください)。三つ峠に咲いているピンク色のアツモリソウはよく見に行くが、淡いクリーム色のを見たのは初めてだ。同じラン科の花で白い「クマガイソウ」は我が家にも咲くし箱根でもよく見かける。「源平合戦」で白旗だった源氏の武将「熊谷直実」にちなんだ名前で、一方ピンクのアツモリソウは平家の若武者「平敦盛」にちなんで名付けられた。平家は赤旗だったからね。「一ノ谷の合戦」で直実が息子のような若い敦盛を討ち取ったがそれを悔いて出家したという故事にちなんで牧野富太郎博士が名付けたそうだ。
 「源平合戦」は吉川英治の「新平家物語」全巻を読破したから詳しいし大好きな物語だ。先日京都から始まった私たちの列車の旅では終着駅「下関」で24人のJTBツアーが解団。その日は名旅館「下関・春帆楼」に宿泊して明治時代の「日清講和会議」の部屋を見学、翌日は隣接の「赤間神宮」に参拝し史料館で平家滅亡の歴史を学んだ。関門海峡の壇ノ浦で幼い「安徳天皇」を抱いて身投げした祖母の「平時子」の紙人形やほかの平家方の武将達の人形も。宿を出発してから「唐戸市場」に立ち寄り、ここからボートで対岸の「門司港」に10分で渡った。このせまい海峡こそ「義経の八艘飛び」や平家の武将たちが錨を背負って身を投げた故事の「平家滅亡」の海なんだ。高速自動車道「関門橋」の真下にある「みもすそ公園」には「源義経」と敵将「平知盛」が戦う像、「人道トンネル」の入り口では「壇ノ浦の合戦」をボランティアの女性が語る「紙芝居」で・・・

 21日のジャパンタイムズでThe science of shinrin-yoku: Why forest bathing feels good (森林浴、なぜ気分がいいのか)で美しい森の写真が気になった。Japan is the birthplace of forest bathing, or shinrin-yoku — the process of taking in the forest through your five senses as a means of relaxation.(日本は森林浴の元祖。それはリラックスの手段として森を自分の五感で吸収する行為)。日本医科大学の李卿医師は森林浴の権威で次のように語る。横棒のダッシュは直前の語の説明、すなわち。Spending time in nature offers a plethora of medicinal benefits — from enhancing the activity of immune cells and lowering blood pressure and heart rate to reducing stress hormones and levels of anxiety, depression and anger.(自然の中で過ごすことはたっぷり薬効があります。免疫力を高めて血圧や脈拍を下げることからストレスのホルモンや不安・ウツ・怒りを軽減することまで)。
 「なぜ森林浴が身体にそんなにいいのか?」という問いに応えて李博士はwhile there are still many unknowns, phytoncides — aromatic substances released from trees and grass to protect themselves from insects, bacteria and fungi — play a key role. (まだわからないことがたくさんあるけれど、フィトンチッドというというアロマ物質が主役だ。それは樹木や草から発生して昆虫・バクテリア・きのこなどから身を守る物質のこと)と語っている。動詞playの主語は前行のphytoncidesだね。2つのダッシュはフィトンチッドの説明を加えているからカッコ(    )と同じ働き。 Since two-thirds of Japan is covered in forests, the nation has more than its fair share of forest bathing destinations to choose from.(日本は三分の二が森だから森林浴できる場所はかなり広くから選ぶことができる)。例えば森林浴発祥の地・長野県木曽上松町の「赤沢自然休養林」とか東京奥多摩の「ふれあい森林浴コース」や都心の「新宿御苑」なども。 尾上
2025/06/29 (Sun) 1:54


デコカツ??
デコカツ??
2025年6月22日(日)
「関西万博に行ったよ」
 20日で82才になった。99才で大往生した母親譲りの丈夫な身体のおかげで、大腸がんで亡くなった父の年令を越えた。先日は山陽本線「瑞風」に乗って、下関でクルー達から祝辞入りのアルバムをお別れにプレゼントされて照れ笑い。少しでも歩けるうちに、という家内の希望で関西・九州8日間の長い旅に出かけ、帰りに関西万博まで見ることができて健康のありがたみを実感した。お気に入りの琵琶湖のホテルに前後3日も泊まって、20年数前NYで息子たちと共にお世話になった友人のアーチスト夫妻に京都で再会できたし、中途退学後が気になっていた沼津東高の教え子に24年ぶりに会えたりで本当に意義深い旅行であった。吹奏楽部で2001年のアメリカ演奏旅行にも一緒に行った彼女が、一人息子と共に京都駅まで「瑞風」の見送りに来てくれたのは最高に嬉しかった。彼女のホルンの師匠で私の音楽の友人・岩佐修氏が昨年郷里の岡山で亡くなったと知らされ驚いた!
 10日は九州博多から新幹線「のぞみ」で京都に戻り、翌朝マイカーで大阪港の夢洲(ゆめしま)関西万博会場のゲートへ。予約しておいたチケットの確認に手間取ったけどやっと入場出来て、まずは高さ20mのシンボル「大屋根リング」にエレベーターで登った。太い柱を縦横にふんだんに使った美しい木造建築だ。昼から雨も上がって青空も見え大阪港が目の前に広がり、高校時代に住んでいた懐かしの西宮の海岸線や六甲山系も遠くに霞んで見える。たくさんの外国パビリオンを横目に、4月13日開会式の中継で見た「1万人の第九・合唱」会場の海辺にも行ってみた。EXPO2025の赤青の大きなロゴマークの前で記念撮影の着物姿の女性、その順番を待つ人の列、どこでも行列ばかりだ。パビリオンは予約しておいたのに抽選ではずれ、あきらめているとオーストリア館は手招きして別口から入れてくれた。家内を車椅子に乗せて押していたおかげで障碍者が優先されたのだった。ショパンのピアノ演奏が鳴り響くポーランド館もオリーブの古木を植えたモナコ館も・・・

 15日のジャパンタイムズは「環境問題」でDecokatsu could save you money and help the planet. But you probably haven't heard of it. (デコカツすればお金の節約になるし地球にもやさしい。でもデコカツなんて多分聞いたことないでしょうね。)が面白かった。Enter decokatsu, an ambitious program to get people to live in ways that are healthier for the planet, but not necessarily restrictive.(デコカツを始めてみよう。それは地球のためにもっと健康的な生き方をさせようという意欲的な取り組みだ)。2022年、the Japanese government launched a campaign to encourage decarbonizing behavior and lifestyles.(日本政府は脱炭素の習慣やライフスタイルを奨励するキャンペーンを始めた)。単語を分析するとde(除去)-carbon(炭素)-ize(させる)となる。つまりデコカツとはa portmanteau of decarbonization, eco-friendly and katsudo (activity)(脱炭素化とエコフレンドリーとカツドウの造語)なのだ。
 Yet many of us are still not doing enough to cut our own carbon footprint, much less talking about decokatsu.(しかし、多くの人がまだ自分の炭素排出削減の努力を十分していないし、ましてやデコカツを話題にもしていない)。much lessは前文に加えて否定文を強調する。The United Nations’ Food and Agriculture Organization says the meat and dairy industry is responsible for about 12% of global greenhouse gas emissions, but some evidence suggests that it’s even higher and closer to 16.5%. (国連の食糧農業機関は、世界の温室ガス排出の約12%は食肉や乳製品産業のせいというが、もっとずっと高くて16.5%に近いという証拠もある)。Studies indicate that going vegan for even two-thirds of meals could cut food-related carbon emissions by 60%.(研究によると、食肉の3分の2でも野菜に切り替えれば食糧関連の炭素排出を60%カットできるという)。 尾上
2025/06/22 (Sun) 0:11


モンベル会長はアイガー北壁初の日本人
モンベル会長はアイガー北壁初の日本人
2025年6月15日(日)
「瑞風で京都から下関へ」
 京都から山口県の西端下関までは543キロ、新幹線なら3時間で行ける。先週7日、山陽本線の貸し切り夜行列車「瑞風」MIZUKAZEに乗って10時に京都駅を出発、翌日の16時に下関駅に着いた。なんとそれは10倍の30時間もかかる鈍行列車だった!新大阪駅・岡山駅でも停車はするけどドアは開かず、「倉敷駅」でやっと下車できた。瑞風と同じダークグリーンのバスで倉敷美観地区に行き観光だ。懐かしの大原美術館でエル・グレコ「受胎告知」を見たり創立者の生家を見学したりしてまた列車に戻った。夕食は隣の食堂車で名店シェフの西洋料理を味わったが、その間に我々夫婦のツインルームのソファはベッドに早変わり。ガタゴトの振動を気にしていたけど深夜は広島駅に5時間停車していたのでぐっすり眠ることができた。早朝の広島、悲劇のあったいくつもの川を渡って列車は「安芸の宮島」を遠望する。
 瀬戸内海と島々を見ながらの列車の旅はいいよ。神戸から先は「明石海峡大橋」が見えたし翌日の岩国から先では「大島大橋」の下をくぐって波打ち際を列車が走っていった。小窓を開けたら潮風が車内に流れて潮の香りが心地よい。2度目の停車駅「岩国」でも伴走してきた瑞風バスに乗り換えて、むかし高校生を修学旅行で引率した思い出の「錦帯橋」に観光だ。江戸時代に大水で流されないよう強靭に設計された5連の「太鼓橋」を歩いて渡り、山頂の「吉川藩・岩国城」天守閣を見上げ、古式鉄砲隊による火縄銃の演武を見物した。列車に戻るとランチは中国料理の名店シェフのフルコース。食べ終わったころ終着駅「下関」到着だ。夫婦、母娘など12組24人の乗客は、展望車やラウンジカーなど10両編成の列車に別れを告げた。一両を3つのコンパートメントに切っただけの贅沢なスペース、走る豪華ホテルだった・・・

 9日のジャパンタイムズでビジネスの欄に、登山用品で有名な「モンベル」の会長の写真があった。私も山登り20年、定年退職後の趣味だけどNIKEやadidasのウエアやシューズ、Montbellのソックスなどを御殿場アウトレットに行っては購入している。Montbell founder went from a feeble boy to a renowned mountaineer (モンベルの創立者はひ弱な少年から有名な登山家になった人)という見出しの下ににこやかな笑顔の辰野会長。1975年28才で友人とモンベル社を立ち上げ100億円の予想が創業50年で1600億円の売り上げ、今や国内だけで140の店舗を展開している。 It has also developed a large fan base outside its domestic market with shoppers from Hong Kong, Taiwan and mainland China flocking to its stores. (国内の市場だけでなく香港、台湾、中国本土の顧客も店舗に殺到してモンベル・ファンの層が大きく成長した)。with〜-ingが「付帯状況」の構文で「主語+動詞」の変形だと見るといい。
 「登山家は弱虫で用心深い人たちだ。雨や雪の心配をしていて冒険家なんかではない、」と自分の少年時代を振り返る。Tatsuno has applied a similar logic to his own business from its early days, planning ahead for survival. (辰野氏は同様の論理を当初からビジネスに応用し生き残りの計画を立ててきた)。 “It’s out of control. The company has grown automatically,” he laughs, joking that he had little to do with its rocketing success.(「コントロールできるものではない。会社はいつのまにか成長したのです。この急成長に自分はほとんど関係しなかった」、と冗談を言う」。21才で友人とスイス・アルプスの「アイガー北壁」に日本人として初登頂に成功したことがビジネスに生きている。Tatsuno was certain that fabric innovations could vastly improve outdoor gear. “We were the users, we knew what we needed and what was not available,” he said.(辰野氏は素材の改革でアウトドア用品が飛躍的に向上すると信じていた。「自分がユーザーで、何が必要で何が手に入らないかを知っていたから」と語った。) 尾上
2025/06/15 (Sun) 0:10


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