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兎の放蕩物語


スパムメールの攻撃を受けて

スパムメールの攻撃を受けて
8月のウサギは手術をしたり入院をしたりして大きなダメージを受けましたが、ようやく心身ともに回復していた矢先に、この日記に大量の嫌がらせ書き込みのメールが送りつけられました。

昨日はその数600件以上。
兔の日記を読んでくださっている方もどうしたんだろうと驚くほどの嫌がらせ書き込みの数でした。

踏んだり蹴ったりの状況に日記の運営サイトにお願いして書き込みが出来ない書式に変更してもらって630件ものスパムメールの削除をしてもらいました。

不思議なことにヤナセやベンツの話題のページに集中的に書き込まれてしまいましたが、ヤナセとともに13年も仕事をしているのでベンツの話題を避けるわけにもいかないので悪意のある嫌がらせには断固として戦うことにしました。

ウサギは柔和でおとなしいと思われがちですが納得のいかないことや不条理なことには徹底的に交戦しますので自分の信条や考え方を曲げるようなことは絶対にありません。

同時にキリスト者ですから他人を傷つけたりすることもないと確信しています。
16/08/25 (Thu)


仕事に復帰

<e125e>仕事に復帰
まだ病み上がりですが、お客様との約束も延び延びになっていたので今日からウサギは仕事に復帰です。

天使はお客様
花束を持ったウサギは私
そしてヤナセのメルセデス
16/08/15 (Mon)


どうした ウサギ

どうした ウサギ<e247e>
せっかく退院できたのに…!

近所の銀行に記帳に行くのにミニサイクルを持ち出しすいすいと左側通行で走っていて目的地の手前で歩道にそのまま乗り上げるつもりが転倒

大型バイクを乗り回せるウサギがどうしたのだろう!
急なことで歩道に投げ飛ばされてしまった。
幸い柔道の受け身で回転したものの全身が痛い…。

まだふらふらしているのか?老化現象か?信じられない愚かさと天然さに呆れてしまった。
16/08/14 (Sun)


鎖に繋がれたヨハネの心境

鎖に繋がれたヨハネの心境
人生で初めての全身麻酔に依る手術。
人工呼吸器をつけて生還したものの、この一週間は地下の牢獄に入れられ手足を点滴の鎖で繋がれまるでバプテスマのヨハネになった様な心境で病院のベッドの上で過ごしました。

三カ所の点滴と下半身をパイプで拘束され命は助かったものの獄中の生活は一週間でも一年に相当する拷問で自由奔放なウサギは良く耐えたと思うのです。

先ほど最後の点滴が外され明日は自由の身。正式退院です。

ベッドで色々、過去のこと、これからのこと、生き方や生活の仕方、身辺整理や断捨離と考えること多数。
明日から人生をもう一度再考しなければいけないのでは…、と思います。
16/08/12 (Fri)


人間五十年 ウサギは…!

人間五十年 ウサギは…!
今年、高齢者の仲間入りするウサギは持病と上手にお付き合いしながら何とかこの年齢まで元気に生きて来ましたが、どうやら若いときから無理をして来た様で今年は病院にお世話になる事が増えて来ました。

と言っても生き方が手抜き出来ない几帳面な完璧主義の積み重ねがそうさせた訳ですが。西伊豆の民泊の予約がフルに入って高松から東京経由で伊豆に戻る予定の未明に高熱と低血圧で倒れてしまい病院に緊急入院して有無をいわさずその日の夕方には人生初めての手術を受けることとなり、無事生還しました。

8月5日の事です。
ベッドに縛り付けられての入院生活の6日目の今日。日記を書く気になれた状況ですがとても不本意で早く退院したい気持ちばかりです。
この日を機会にもっといい加減に、手抜きをしたり怠惰に生きても良いのかなあと自問自答しています。
16/08/10 (Wed)


手紙は書く方ですか?

手紙は書く方ですか?
年齢には関係なさそうですが、ウサギはわりと筆まめな方です。

手紙を書くのは面倒ではないし、切手も郵便局に行ってその時のデザインのよさそうな記念切手を貼って葉書を書いたりセールスレターを出したりしています。

パソコンやスマホが普及してメールやラインで伝えれば済むこともアナログ的にその人一人一人を思い、一筆添えたりして暑中見舞いも出しました。
性分だから押しつけがましいと思わないでくださいね。

ヤナセからもやはりきちんと立秋前には暑中見舞いも届き(写真)基本は大切だと痛感します。
16/08/04 (Thu)


高松から暑中お見舞いを

<e129e>高松から暑中お見舞いを
♪六月六日に雨ざあざあ降ってきて…、三角定規にヒビいって…♪

「梅雨の期間」はこの歌を歌い始めて45日間くらいというがウサギの経験値です。

すると今年は21日前後かなと考えていたら高松は早くも18日に梅雨明け宣言が出されました。西日本はそれから猛暑日の連続です。

今年は高松のUsagi-Art四国連絡室の仕事部屋で暑中見舞いの葉書を制作と印刷をして本日投函致しました。

既に東京のオフィスには何枚か届いていて少し遅くなりましたが立秋前にお客様や大切な友人に挨拶できてほっとしています。
16/07/27 (Wed)


ブラッドムーンを見た

<e490e>ブラッドムーンを見た
満月の数日後、瀬戸内海の水平線ぎりぎりの低い位置に突然オレンジ色に輝く球体が出現し慌てて地元の友人に電話で報告しました。

するとブラッドムーンと呼ばれる月だと分かりました。

海面にもきらきらと反射光が溢れて、UFOに遭遇したのかと大慌ての白兎でした。
16/07/25 (Mon)


花火を見てきた思い出

<e169e>花火を見てきた思い出
今週末に瀬戸内海の高松市の東郊外にあるさぬき市志度の志度湾で花火大会があります。

それに合わせて西伊豆から高松にやってきました。
昨年秋に転居をして今の場所に来てから最上階のルーフバルコニーから眼下に瀬戸内海が見える環境になったので時々友人を招いて食事をしていますが、今週末は花火大会を鑑賞する目的で友人を誘ってパーティーを開催します。

思えば、花火は夏の風物詩ですが最近のものから記憶をたどっていくと様々な場所で色々な人たちと夜空を見上げていたことを思い出します。
2015年: 東京オフィスのある自宅の窓から調布の花火を室内から鑑賞

2014年: 西伊豆土肥の海岸で友人に誘われて砂浜で鑑賞

2011年: 河口湖にて遊覧船ソレイユから海上花火見物

2010年: 東京二子玉川の多摩川河川敷で友人夫妻に誘われて川辺にブルーシートを敷いて寝そべって

2002年: 札幌の仕事場の自宅マンションから豊平川の花火大会を一人で窓越しに鑑賞。

過去、結婚して子育て時代には仕事中心で家族を連れてみた記憶はありません(いやあったと思いますが記憶が…)仕事の事しか考えていなかったのか?
幼少時代: 埼玉県入間川の河川敷で浴衣を着せられて両親に連れられてみた記憶が最後です。
そんな記憶から65年生きていても数回の記憶しかないのは不思議です。

なので今回は人込みにも巻き込まれず食事をしながら友人たちと過ごす一瞬は貴重なものになりそうです。
16/07/19 (Tue)


西伊豆戸田の歴史に触れる B

<e214e>西伊豆戸田の歴史に触れる B
続きます。→

上陸したロシア人約500名は陸路を戸田村へ入ってプチャーチンやスリゲート公爵など上官は●宝泉寺●を宿所とし、士官は本善寺に他の乗組員は付近に長屋4棟を急造して3カ月余の戸田村の生活を始めたのです。

プチャーチンは宝泉寺に100余日滞在し日露交渉に当たる一方で新しい軍艦の造船を指揮しました。
日本滞在中の5回の会談の結果、12月21日には下田長楽寺で日露和親条約の締結に至ったのです。

A「戸田号」の建造

造船場所として戸田港の牛が洞が建造地として決定され設計は技術将校モジャイスキー大尉指導のもとに工学士と士官が担当し、これに日本人大工が同席しました。
設計にあたっては所持品の中にあった『海事集録』(1849年第1号)という雑誌が参考にされたのです。

作業は露天で、テーブル代わりに樽を逆さまにして戸板をのせ、その上で行われました。日本側も西洋式造船術を会得する絶好のチャンスと考えて積極的に協力し設計図ができあがると仕事は日に夜をついて強行されました。
日本側からは戸田の7人の船匠(船大工の棟梁)と船大工約40人・人夫150人が招集され日本側の者は、この様な洋式造船は未経験だったために直接帆船の建造に参加したのはこのときが初めてだったのです。

この船の建造を開始したのは安政元年(1854)12月24日で、仕事は順調に進行し設計から100日余の翌安政2年3月15日ころに竣工しました。そしてこの船はプチャーチンにより「戸田号」と命名されました。

2本マストの帆船で87トン、50人乗りで建造費は三千百両二分と記録されています。

プチャーチンと部下47人は、3月22日この戸田号で帰国の途につき、7カ月後の11月末に首都サンクトペテルブルグに到着。その他乗組員は下田に入港していたアメリカ船を雇い2月に159名の部下をペトロパブロフスク・カムチャツキーへ先発させていて残りの乗組員300名程は戸田号出航後にドイツ船で帰国しましたが、途中でイギリス船に拿捕され捕虜となっています。なお下田では1名、戸田で2名のロシア人が死亡してます。

Bロシア人と戸田村民との友好

滞在中のロシア人に対しては、「もらうな、やるな(与えるな)、つきあうな」という禁制があったにもかかわらず、戸田の村民は人情豊に面倒をみたそうです。
マホフ神父の記録の中にも、「かれらは客好きで善良である。オランダ人以外の外国人を入国させないという法をまげてまで私たちを愛想よく迎え住居を提供し生活に必要なものをすべて持ってきてくれた。かれらは友情に厚く同情心に富み、私たちは滞在中誰一人として侮辱を受けた者はいない。常に好意と尊敬を示し、日本を去るときにも友情を示し別れを惜しんでくれた」と記しているそうです。

長くなりましたが、地元の方に案内してもらって今までの滞在とは違う現地に少し密着できたような気もしています。

写真:左の船が沈没した船で右が戸田村で建造された新しい船です。

笹川平和財団:海洋政策研究所の資料を参考に使用しました。
16/07/08 (Fri)


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