4年間続いたコロナ禍の生活で🐇の心の中から東京の存在がだんだん離れて行き、地震や災害・他国からの軍事攻撃の脅威など年を追うごとに東京で暮らす意味が薄れていき今やすっかり地方での多拠点生活が晩年の暮らし方の中心に変化していってしまいました。
たまに郊外の東京の家に帰ってきてもあまり生活する意味を見いだせなくなってしまいました。これは私の生活レベルが庶民的で若いときの様な収入もなく平均レベル以下だからかも知れません。住民税や所得税を支払っているので底辺ではありませんが住居費や食費などの物価がどう考えても地方の方が効率がいいのです。でも都内の一等地に幸いにも住居を持つ富裕層にとっては東京程暮らしやすく便利な都市はないかも知れません。
小学生から中学生の1年生までと大学生活から企業に就職して地方に転勤になるまでの27年間、会社を辞めて独立してから9年間なども含めると41年程は首都圏に住まい働き生活をしていたのに…。
きっと後半から別荘地にセカンドハウスを確保した富士山麓の鳴沢村や、西伊豆のアトリエ、高松の海の見えるアパルトマンの屋上階のある二拠点・三拠点生活を始めてから一つの場所に住まなくても行きたいときに季節やその時の気持ちに応じて好きな住まいに移動する楽しさがきっと自分を変えてくれたのだと思います。
さあこれからちょっと大変です。
高知の山荘の民泊が12月からの冬季休業の時間を有効に活用して12月〜2月までに東京完全撤退の計画を着地させなければなりません。人生最後の本格的な引っ越しを目の前に控えて🐇は最後の力を振り絞ります。