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兎の放蕩物語


富士山の補足

富士山の補足
冬は寒いとか、避寒したとか云ってもウサギはやはり日本人なので富士山の麓に住まう今の生活が好きです。

先ほどの日記の補足ですが鳴沢(西側)から撮影した富士山の右の裾野は方向的には南側になり静岡県側(朝霧高原)の領域に属します。

東海道新幹線や駿河湾から見た富士は右側に大きなこぶ(宝永山)があるのがわかり、少しダイナミックな姿に移りますが左右対称のきれいなラインの富士は北側・富士吉田市側から見た光景になり、雄大で尊厳のあるたたずまいが感じられます。
12/03/26 (Mon)


気温が低い日には空気が澄み切って…

気温が低い日には空気が澄み切って…
河口湖の今日は低い気温で推移しましたが天候は澄み切った青い空。

いつも車ばかり乗っていて足腰が弱っているウサギは早朝から早起きして別荘地の敷地内から鳴沢道の駅までの地元の散策コースを散歩です。

富士山の西側からのショットは右の裾野が少し長く凹凸を持っていることがわかります。
12/03/26 (Mon)


春の訪れが遅れている

<e235e>春の訪れが遅れている
今年は大陸からの寒波が何度、日本に来たことでしょう。
いつもなら桜が開花しているはずの東京もまだ蕾が開かず、河口湖も雲の動きがあって午前中晴れたと思えばお昼には曇り空にと変わってしまったりで春の訪れが遅れています。

中国の急速な工業化による大量の空気中への工場の汚染された排煙が冬には偏西風に乗って大陸から日本海を通って私たちの国に急激な気候の変動をもたらしているという感覚が強くあります。

あと数日で4月を迎えます。桜の開花が待ち遠しいこの頃です。
写真は東京から帰還したSLK戦闘機と河口湖北岸から見る富士山です。
12/03/26 (Mon)


忙しい日々…

忙しい日々…
3月8日にここ鳴沢の戦略基地に戻ってから2か月休養したあとの仕事が山のように残って、ウサギはここ二週間、河口湖〜東京の往復を何度、航空母艦からの発艦・着艦を繰り返したことでしょう。

3月は自動車関連の仕事に恵まれて日々多くのお客様とのアポイントを確実にこなす毎日でした。

その中で、ひとつ四国を去る時に自社の在庫リストを渡していて商談になったアウディA5の下取車・クラウンのエステートを納車することになり、高松まで届ける時間がない為、河口湖〜高松の中間地点の名古屋・豊田の東名高速のサービスエリアで先日、無事に納車が出来ました。

帰路は好きな焼き物の産地で岐阜の「美濃」に立ち寄り、宇和島で習ったお茶のたしなみとしての抹茶椀の適当なものを数点見つけて買ってきました。

今までワインを通じて人を呼んでいた我が家にも「お菓子をどうぞ」の利休のお茶の世界に招き入れることが出来ますように…。
12/03/26 (Mon)


好きな仕事に復帰しました!

<e125e>好きな仕事に復帰しました!
2月末に宇和島を後にしたウサギは、その後高知県室戸市の好意で提供してくれた住宅で太平洋に面した高知県の気候を体験し、3月7日に四国を後に帰路に着きました。

いよいよ2ヶ月ぶりに現役復帰です。
心身ともに疲労困憊の局地だった昨年末とは生まれ変わったように身が軽くなりこけた頬も血色が戻り体重も標準値に戻り健康体に復帰しました。

途中蒲郡の西浦温泉で最後の湯治を終え8日に鳴沢村に帰還、翌8日から早速たまっていて仕事を順番にこなし、二日間東京に滞在して新車の商談・保険の契約、お客様の車の車検のお預かり、提携工場への回送とめまぐるしく二日間首都圏を飛び回り、鳴沢に今夜、無事に帰還しました。
12/03/10 (Sat)


お世話になった宇和島を…

お世話になった宇和島を…
1月18日から今日2月29日まで滞在した四国の終着駅「宇和島」

この地で体験移住という名目で厳しい富士山麓の寒さから逃れ43日間も宇和島市に疎開してお世話になりました。
この地に住まい、多くの地元の方たちと交流し、市民講座でパソコンを教え、近い将来四国に住むことを夢見て様々な不動産物件も見に行き、愛媛新聞の取材を2日間に渡って受け地元の新聞にウサギの写真や記事が2面に掲載され、あっという間に宇和島での生活が終わろうとしています。

ミカンの時期が終わり続いて色々な種類のかんきつ類がミカン畑に実を付けご近所の方々から餞別にたくさんのみかん(デコポン・はれひめ・マドンナ等)も頂き、明日の朝、宇和島を後にします。

今年は全国的に寒波が何度も来て本来もっと暖かいお土地が残念ながらすっきりしない日々が続きましたが、東京に積雪があった今日はウサギを送り出す時に今までの寒さを挽回するような温暖な17℃の気温と快晴の天気をもたらしてくれました。

宇和島のみなさん本当にありがとう!
こちらでの御恩はずっと忘れません。近いうちにまた訪れます。
12/02/29 (Wed)


大分〜長崎 2時間半

<e125e>大分〜長崎 2時間半
長崎の平和記念像が、そしてクリスチャンのウサギは大浦天主堂が見たくて大分から西に高速道路を走り長崎に向かいました。

九州横断は思ったより近く250km。
ちょうど宇和島〜高松間の時間と距離感覚であっという間にジャガーは長崎に到着です。

函館・神戸・そして長崎の夜景は想像以上に美しく異国情緒に満ち溢れ、それまで慣れ親しんだ四国という土地がなぜか小さく田舎に見えた夜でした。

写真中央後方は「女神橋」母の姿を偲びました。
12/02/28 (Tue)


九州は近い

九州は近い
東京にいるときは九州というと外国の様に遠い存在でしたが、四国佐田岬からわずか70分であの関サバで有名な大分佐賀関に渡れる事がわかると九州が近く感じられるようになりました。

母のルーツを訪ねて国東半島の親戚を訪ねました。
86歳になる母の消息を知っていた最後の人と面会で来て、母がどのような女性だったかを少しだけ垣間見る事が出来ました。

少し吹っ切れたウサギのホテルの庭でのショットです。
12/02/28 (Tue)


別府湾を見下ろす母の墓

別府湾を見下ろす母の墓
母が亡くなったのは東京で下宿生活をしていた19歳の時。
15歳から兄弟2人だけで暮らしていたので母のことは記憶の断片をつないで行っても、よく覚えていない。

でも男子たるウサギはきっと母のDNAの多くをを引き継いでいるはず。
15年振りに母の墓参をすることは還暦になって人生の振り返りをしている自分がまず最初にしなければならない事でした。

母の実家のある別府市浜脇2丁目。
実家の家族のお墓を長年見舞ってくれた地元のお寺の住職夫人は何十年も前のことまでよく記憶していてくれてウサギが幼少時代に日豊本線の汽車を見せてもらいながらおじいちゃんに可愛がってもらった光景を語ってくれました。

母のお墓からは眼下に別府湾が見えます。
遠く離れた息子や娘にさぞ会いたかったのだと思います。
きっと今でも遠くから誰かの身体に魂が入ってウサギを傍で支えてくれているものと確信してお寺の駐車場に戻りました。
12/02/28 (Tue)


四国と母の墓参り

四国と母の墓参り
19歳の時に死別した私の生みの母は僅か48歳で他界してしまった。

四国に来ると九州別府の母の墓参りに縁があり、かなりご無沙汰してしまったがまた15年振りにその機会がやって来た。私も60歳、母が生きていれば89歳で色々な人生の分かれ道で相談も出来たはずですが、あいにくずっと一人で色々なことを決めてきた。

愛媛県佐田岬の三崎港から大分県の佐賀関港にはフェリーで1時間。
ここ宇和島から別府まで3時間もあればついてしまう距離で、今回の短期移住の締めくくりに母に挨拶をして母が晩年亡くなる前にお世話になった私の叔父に会って私自身のルーツも探してくる予定です。
12/02/22 (Wed)


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