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兎の放蕩物語


今年も立春を迎えることが出来ました…!

<e235e>今年も立春を迎えることが出来ました…!
手帳を振り帰ってページを見ていると12月は26日、1月も25日間は高松で過ごしていました。高知には家の様子を見に二回ほど帰り一週間も滞在しないで村の友人と交流し情報交換して二つの家の状況を確認して寒いのですぐに高松に戻るような生活で、もちろんカルスト高原が降雪で愛媛〜高知の山頂の横断道や山荘からカルストに続く県道も通行止めになりairbnbの宿泊予約も12月・1月とも宿泊予約が入りませんでした。冬季休業というか閉鎖が2か月程度余儀なくされています。自分も寒すぎると感じるから泊るお客様からするともっと深刻な寒さの問題です。

もうそれで腹をくくって冬季は高知をあきらめ高松で過ごす日々が多くなった訳です。

だから昨日の節分・今日の立春は旧暦の24節季から来ていますがこの2年間の経験から山の暮らしの基準になってその通りに季節が進んでいくことが明らかで立春を迎えると心から喜べる🐇なのです。

そんな中で年末には一年間の疲れが出たのか体調を崩し4年振りの発熱や呼吸のし辛さに苦しみ能登半島の地震・羽田の航空機事故などが続き好調だった🐇年の1年からとんでもない龍が暴れる変革の一年になっても心の切り替えがうまく行きませんでした。

人の心は折れやすく喜怒哀楽や天候による気分の落ち込みや趣味に没頭できるときの快活なポジティブな心と内部で葛藤しようやく春の訪れを心待ちに出来る喜びに心を元気づける春への憧れの日々が続きます。気難しく年を重ねてきた72歳の老🐇の実態です(笑)


24/02/04 (Sun)


節分に鬼になる🐇

<e277e>節分に鬼になる🐇
2月3日の今日は「節分」明日は「立春」になります。
年齢を重ね外国人と交流が進むほど日本の歴史や風土、干支、そして季節を細かく刻む「二十四節季」に興味がわき伝統的な日本文化を大切なものと考えるようになった🐇
今夜は恵方巻を食し鬼の面を身に着けて「鬼」になり節分に出現する邪気を一緒に暮らすラブラドールレトリバーのルークとともに追い払いました。
あいにく外は雨ですが確実に春が迫っていて今日を境に空気が変わっていくはずです。
明日は「立春」もうすぐ梅や菜の花・桜が目を出し始める春が待ち遠しい🐇です。🐇の高知の山荘と民泊「四国カルスト犬姫の館」も少しずつ予約が入り始めました。

地中で暴れる龍に気を付けながら慎重にでも大胆に突き進みます。
24/02/03 (Sat)


高松でファーストカーになるMGFの車検整備で工場に入庫

高松でファーストカーになるMGFの車検整備で工場に入庫
昨日は2月9日に車検を迎える愛車 Richard(英国製Suportcar)を整備工場に入庫しました。

還暦の時にお客様からプレゼントされたベンツのSLK(4年使用)に代わりもう8年も維持し車庫の中に入れて大切に可愛がってきました。そのせいか過保護で年間走行距離は1,000kmにも満たず宝の持ち腐れを食い止めるべくこの子をメインに毎日高松で使うことにすると新年の決め事に添って断捨離で廃車する対象から外し🐇のファーストカーに決めたのです。
高齢で免許返上も将来待ち受けられるのでマニュアルミッションの車でギアチェンジしながらボケ防止もかねて今年は雨に濡れようが雪を被せられようが手元に置き毎日声をかけ乗ってあげる様にします。きっとリチャードは期待に応えてくれて🐇を愛し一緒に暮らせる喜びを感じてくれるでしょう。
24/02/01 (Thu)


高知の二度目の雪も解けてくれて…。

高知の二度目の雪も解けてくれて…。
昨年の今頃は山荘の積雪が心配で現地で滞在して道路に「塩カリ」融雪剤を撒いて傾斜の強い私道の雪対策をしながら雪を待ち、降った後でもシャベルで解けなかった雪を退けたりいればいたで寒い気温の中、自分の目に見えて安心だったものの 一週間の暖房の灯油代とか電気代が無駄な気もして今年は撤退して高松で遠くから見守り、毎日集落の友人から積雪状況や雪解けの様子を写真を確認しながら逐次把握して温かい高松で過ごしました。

結果的に水道管凍結の心配も多少ありましたが、かなり気温の低い現地にいなくて良かったかなと思います。
ただそうはいってもまたそろそろ現地の様子や家の状況を自分でまた確認し2月中旬には3泊の予約も入っているので暖房機器や浴槽の作動状況も確認したいと考えています。
写真は雪解けも進んだ集落の様子。一番上の左が🐇の山荘です。
24/01/31 (Wed)


ひつまぶしを食べに徳島へ…

ひつまぶしを食べに徳島へ…
徳島の鰻がおいしいと知らされたのはもう25年も前のこと。
ヤナセ四国勤務時代に教えてもらった「山口屋」がスタートでした。当時はランチタイムは1,000円以下で「ひつまぶし」が食べることが出来ました。今考えると信じられないコスパでした。
その山口屋が店をたたんだと聴きその代わりになる「うなぎや」さんを紹介されました。徳島の藍住と吉野川市の二店あります。

高松にも鰻やさんが固まった場所に二、三軒ありますがいつも混んでいるのと狭い店内がゆっくりできなくて次第に遠ざかってしまい
高知は四万十の天然鰻が美味しいですが季節が決まっているのとかなり高価な料理になります。

そんな訳で徳島はリーズナブルでかつゆったりとした座席で味も地場の徳島産の鰻を調理する規定以上のレベルを維持していているので時々訪れます。
写真はひつまぶしの定食です。
24/01/29 (Mon)


辰年に龍が暴れると聴きました

辰年に龍が暴れると聴きました
昨年年男だった🐰は今年の辰年になって どうも調子が出ずに新年の二週間を過ごしてしまい、ようやく立ち直って本来の🐇になった今日この頃でしたが 偶然その「龍」のクリアファイルを昨年もらったことを思い出し写真に収めました。

日本ではタツノオトシゴの小さくて優しいイメージの辰ですが、お隣の国中国では辰は龍だと考えられていて 辰年には龍が大暴れするので地震が起きたり天候が荒れたりすると聞き新年の元旦を思い出しました。

苦手な人や動物と付き合うのは難しく、多少時間を要して合わせていくように本能的には人は環境に順応していくのかも知れません。
でも🐇の直感が当たり、何か変だ!昨年と全然違う新年のスタートになってしまったと自分も順応するのに時間を要したものです。

この龍のファイルは濱田珠鳳という女性の画家で、驚くことに指や爪で絵を描く「指画」と呼ばれる特殊な技術によるものだそうです。絵も迫力があり今にもとびかかってくる勢いがある龍でした。

そんな訳で今年は細心の注意を払って生きていかなければなりません。何が龍を怒らせて起きるか分からない年になりそうだからです。
24/01/27 (Sat)


Sport car を日常使いする生活に…!

<e125e>Sport car を日常使いする生活に…!
これまでにも書いてきましたが 車を複数所有しているとなかなか乗れずに車庫にしまいっぱなしの状態でバッテリーも上がってしまったり 車のコンディションも悪くなったりします。

高知の車庫に入れていてオフシーズンに高知には一か月近くも行けずに気になっていた英国製のスポーツカー MGFを先日、高松に回送し整備工場で車高を再調整して高松で市内への買い物や病院通い 他、日常使いに活躍してもらうことに決めた今年。

愛称「Richard」Ricは期待通り相棒として🐇の日常生活を支えてくれるようになりました。ただここ数日粉雪が舞い、窓が凍り付くような寒い日にマンションの駐車場は屋外で 屋根がないので雨に濡れ、雪に耐えてもらっていますが自動車愛好家にとってはなぜか可哀そうです。でも本人に聞いたらご主人の🐇にいつも乗ってもらって 目にかけてもらう方が生きがいが見いだせますと申していて🐇も ならば しばらく余の傍にいなさいと話しています。

昨日雪が収束してリックとミルクの2台を洗車 水拭きして綺麗にしてあげます。寒風厳しく手が冷たいことも彼らの為に当然の仕事です。自動車は犬や猫・馬と同じように家族同然なので乗りっぱなしや手入れをしないで所有することは罪なことです。
24/01/26 (Fri)


香川輸入車ショー

香川輸入車ショー
この1月は例年より雨が多く松の天候はすっきりしない日が続いています。
週末に予定されていた「香川輸入車ショー」も初日は終日雨だったので翌日の日曜日の午前中に雨上がりの曇天の中、会場のサンメッセ香川に出かけて来ました。
でも あまり面白みもワクワク感もなく一言で云うとつまらない展示会でした。

コロナ禍で暫く開催は見送られていて昨年3年振りに開催され続いての2024年の催しだったのですが世の中の流れや世界的な自動車の日本の技術潰し策略の電動化一辺倒の風潮に当の被害国日本が電気自動車に侵略されたかのごとき会場の雰囲気は暗く重苦しいものだったからです。
日本に中国車は過去にはほとんど輸入されていない中、この地方都市の松に何と販売店が2月に登場するとは輸入自動車業界のトップは愛国心も国際的な視野も持ち合わせている経営者もいなくなってしまったのか?過去の人になってしまったヤナセ次郎元輸入車組合理事長だったらきっと今の時勢を嘆いて世界にものをはっきり言ってくれたことでしょう。

写真は一番まともなショーカーのイタリアのマセラティのクーペです。それ以外は未来の墓場に行く間違った車たちばかりでした。
24/01/24 (Wed)


会社設立20年終了後の決算報告を提出

会社設立20年終了後の決算報告を提出
🐇がヤナセ最終勤務地の札幌で退職を決意、何年も現役を離れた上での覚悟の独立を東京に戻り世田谷の成城で一人で会社を始めたのが2003年51歳の時でした。それから20年目の決算報告をこのほど担当税務署に提出しました。

約20年間 利益はあまり出せませんでしたが 500万の借金を返済し 倒産しないでここまで来たのは奇跡としか言いようがありません。もしくは いじめにあい会社を辞めるきっかけになった札幌支店の面々へ意地とプライドとヤナセロイヤリティの堅持だったのかも知れません。
北海道での自動車セールスマンの社会的地位はヤナセ・トヨタと云えども低く皆プライドを持って仕事に取り組めない人がほとんどでした、それと特殊な雪国事情で四輪駆動車のシェアが多かったので高級車や二輪駆動の輸入自動車は売れなくても当然だと誰もが思っていた地に 東京からやる気満々で転勤になったわけで 一人で張り切って大手法人の新規開拓を管理職仲間に進言しても誰もやる気がないだけではなく異端児を排除する地場の古手の管理職の攻撃に合い ただただ苦悩の4年間でした。

そんな私は意地でも自分の考えを通しヤナセイズムを取り戻すための覚悟の反乱だったのですが 若気の至りでぬるま湯に浸かって適当に流せる策も持たず 一人苦戦するのみの苦い人生経験でした。

自動車だけではなく文化事業もしたくてワイン教室やパソコン教室も三鷹駅前で展開した最初の10年。以降民泊業務やホテルの再生に協力する形で中禅寺湖畔にまで住まいを一時的に移し真剣勝負で大改革を実施したりの 波乱万丈の年でしたが、逆に得るものも多く🐇の得意分野で活躍したり晩年は自分らしく生きることの自信も得られた年でもありました。

72歳になった今、会社を存続させるか たたむか次の決断も近い時期です。
民泊事業の行方で判断するつもりですが、昨今の何が起きるか分からない世界で生き残るしたたかさも身に着けていかなければなりません。厳しい一年になりそうな予感です。
24/01/20 (Sat)


日常のリズムを取り戻せた🐇です!

日常のリズムを取り戻せた🐇です!
年明け早々の2024年の日本の波乱万丈なスタートや自分自身の健康のこともあってちょっと調子が出ないまま半月を過ごしてしまった🐰でした。

高知に一度戻って、また高松に帰ってきてここ数日自分のリズムが戻ってきたような気がします。色々な巡り会わせで不幸があったり病気をしたり、悪い人と出会ってしまったり人生は生きていると色々な事がありますが自分の立ち位置やスタンスをブレずに維持していけたら何とかなるものですね。まあ、なるようにしかならない部分もありますが深刻に考えずにあらゆる流れに身を任せ客観的に自分を俯瞰して観察できれば大丈夫なのかもしれません。

ここ高松に最初に部屋を借りてから早や10年、海を見ながら既に4軒目の湖の傍の家にたどり着き 高知にも もう一か所 山の家を西伊豆の海のアトリエの代わりとしました。故郷のなかった🐇が見つけた心のふるさと四国で🐇は骨をうずめるかもしれません。
写真は10年前に瀬戸大橋の下「沙弥島」で撮影したもの。
24/01/20 (Sat)


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