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兎の放蕩物語


本当に快適な高松のレイクサイドリゾートです。

本当に快適な高松のレイクサイドリゾートです。
そうして帰ってきた高松のリゾートマンションで都心部の猛暑から逃れ人間らしい快適な室温でゆっくり夜 眠ることができ🐰は幸せです。

働き盛りの若い人は何も考えずに仕事から帰宅して部屋はエアコンをかけて翌朝まで過ごすのは当たり前のことかもしれません。でも人工的に下げた温度の部屋は空気が乾燥してのどを痛めますし寝冷えしたりするかも知れません。
🐰は夜休む時は自然の涼風が網戸を通してそよそよと室内を通り抜ける様な生活が理想で健康のためにもそうして暑さから守られる土地や町に住んできました。だから夜間になって地表の温度が下がるべき土地がエアコンの室外機の放射熱で昼間と比べてむしろ温度が上がり不快な空気の中で睡眠を通ることをずっと避けてきたので夏過ごしやすい住まいを探し続け今日まで至ります。
そのような環境で普通に過ごせる今の生活に改めて感謝しています。
23/07/17 (Mon)


怒涛の東京出張は三泊四日でとんぼ返りも酷暑から脱出できてほっとする🐇

怒涛の東京出張は三泊四日でとんぼ返りも酷暑から脱出できてほっとする🐇
慌ただしい東京出張でしたが予定通りトラブルなく連休初日に早朝東京を出発し調布インターから中央道の諏訪湖経由で名古屋で新東名に接続、事故渋滞で湾岸線上の橋の上で13kmも車が進まず90分のロスタイムがあり12時間かかって夕刻無事に高松のレイクサイドに帰還しました。(本当に必要最低限の怒涛の3泊4日でした)。

その晩はいつもより部屋の温度は下がりが遅かったものの すぐにエアコンは必要なくなり温泉に浸かり 汗ばむこともなく安眠できました。

もう少し若い頃は東京で仕事して河口湖に帰還するという避暑行動をしていましたが今考えると鳴沢村の夏の過ごしやすさも最高でした。都心から1時間半で帰れる地の利が首都圏で仕事するには快適で絶好の避暑地でしたが地方に疎開して以来距離と時間がかけ離れて遠くなったことは事実です。

70代前半で間もなく健康寿命の年齢がすぐ近くに迫っていますがストレスなく我慢せずに自分らしい生活を維持する気力がある限り健康寿命なんのその…走り回りバタンキューで絶滅も覚悟の晩年の生活です。

写真は明石海峡から淡路島を渡り鳴門に来るともう高松は1時間で帰れる地点。四国に帰ってきたなあと実感できます。
23/07/16 (Sun)


暑いです

暑いです
高松から東京に来て3日目になります。

着いた時には郊外の八王子市で39.1℃、ここ狛江市でも37℃の気温まで上がり猛暑の中やってきた疎開中のお上りさんの🐇は暑さで参ってしまいました。

それでも一軒家の庭の管理は欠かせず3か月おくと雑草が伸び放題になるので1時間以上除草をして汗びっしょりで音を上げてしまいます。

普段 リゾート地の湖の傍や 高知のカルスト山麓の村で暮らしているので 首都圏の暑さと夜になっても気温が下がらず熱帯夜の中でクーラーをかけて寝るなんてやはりこの年では身体に悪く夜中からは扇風機に代えましたが 寝苦しいことは過去にないくらいです。
こちらでやるべきことの要件を済ませて早く脱出したい東京の夏です。
23/07/14 (Fri)


🐇は本当に 晩年のこの仕事が楽しそう…。

🐇は本当に 晩年のこの仕事が楽しそう…。
昨日は写真のハワイ州オアフ島から二泊三日で宿泊してくれたゲストを送り出し高松に戻りました。
写真を見ると分かるように🐇はとても生き生きと良い表情で楽しそうです。
これは事実で日本文化を外国の方に伝えるという使命感と 客人をもてなし各国の本当の暮らしや考え方を知り 国際交流することができるのは生きがいになっていると思います。

たまたまチェックインされた7月7日は「七夕」で前もって飾っていた七夕飾りに3人の方に短冊を用意して小さな願いを夫々に書き綴っていただきました。
日本に伝えられた「織姫と彦星の天野川伝説」も英語で説明して理解してもらいました。そして帰国前の二日目の夜は「さよならパーティ」を開催してみんなで飲んで食べて交流して歌いました。
お互いにハグしてairbnbが取り持った不思議な出会いを互いに驚きながら感謝の言葉を互いに伝え合った三日間でした。
雨の中、高松に戻り3か月ぶりに明日は東京出張になります。
四国が本社機能で東京は逆に🐇にとっては 出張所的な立ち位置になってしまいました。
23/07/11 (Tue)


あっという間の二泊三日

あっという間の二泊三日
アメリカ・ハワイ州のオアフ島から来てくれたゲストの一家は母親と息子夫婦の3名のファミリーユースでした。
旅程が複雑で新婚の花嫁さんが韓国出身なのでハワイで最初の結婚式をし 続いてソウルで二度目の挙式を済ませて日本へ一週間の予定で四国旅行を計画。帰国前の最後の二泊を🐇の古民家で過ごされた日程でした。

前にも書きましたが 世界は本当に「国際結婚」や「混血」の組み合わせカップルが多く 改めて陸続きではない極東の島国「日本」の単一民族国家の特異性を🐇は見いだしてしまった様な気がしました。

若い二人の結婚の馴れ初めは ギリシャのサントリーニ島で出会い 当時韓国の「ノヴァ」で英会話教師をしていた息子さんと彼女の共通項があり 互いにひとめぼれ、奥様はまだ24歳で大学院生、今月から韓国を離れ夫婦で東海岸のボストン暮らし。

奥さんも就職が内定しアメリカの化粧品会社に就職が決まり。…と目まぐるしく新しい人生を切り開く若いカップルとそれを見守るハワイ在住の日系四世のお母さんと一緒に日本旅行というストーリーです。

そんな訳で会話が弾み 昨晩はお別れパーティを開催して国際交流を深めた一夜でした。私の隣の日本人は英会話を勉強中の村の友人です。
時々招待して外国の方と交流する機会を彼に与えています。
23/07/09 (Sun)


今夜は七夕

<e781e>今夜は七夕<e355e>
7月7日七夕
織姫と彦星の天の川伝説。日本の伝統的な文化を外国からのゲストに伝えたい🐇は近くの森で竹を切り友人から大きな室内用の花瓶を借りてゲストが来る前に七夕飾りを玄関口のロビーに設置できました。
慣れない折り紙をカットして幼稚園生のように星をくりぬき短冊を作りホストとしてお迎えする準備をしました。
好きなことをしていると面倒なことをそうは思わず日本文化の伝道師の心境で今夕のアメリカハワイ州からのゲストを迎えます。
23/07/07 (Fri)


津野町観光推進課の方たちがトゥクトゥクに乗って…!

津野町観光推進課の方たちがトゥクトゥクに乗って…!
明日のアメリカからのゲストに備えて今、高知に来ています。
今日は前からアポイントがある津野町の観光推進課の方が町内で初めての外国人向けの民泊施設の営業を開始した🐇の山荘に取材に来てくれました。
約一時間、本館や宿泊棟を見学。館内や施設の説明を終えて直接🐇のこの施設に対して質問や現状や将来のことなどインタビューを受けてまずは町の観光ホームページに掲載していただき、次に年に一度発行される観光ガイドブックの宿泊施設部門に来年は紹介していただくことになりました。
色々ここまで紆余曲折があり何度か辞めようと考えた事業でしたが歯を食いしばり試練に耐え、少しずつですが良い方向に向かいつつあります。
23/07/06 (Thu)


少し落ち着いたので高松市内に買い物へ

少し落ち着いたので高松市内に買い物へ
高知の山奥から高松に戻るのは東京でいうと奥多摩から港区に戻る感覚と言ったら笑われますが、地方ですが田舎と都会の暮らしを住み分けて晩年を暮らします。
高松のダイニングの120cmのイタリア製 Arflex の円形テーブルに合わせてテーブルウェアを買いに市内に出かけて季節を考慮して魚料理用のガラス食器を購入して来ました。
身体の調子も回復傾向が見えて少し精神的にも安定してきました。あと二週間くらいでもとの白兎に戻りたいです。
23/07/03 (Mon)


早いもんだなあ…!でもいつも大変な🐇

早いもんだなあ…!でもいつも大変な🐇
🐇の還暦前後から約10年間「西伊豆海のアトリエ」と称し慣れ親しんだ沼津市戸田(ヘダ)の住まいを完全に引き払ったのが昨年の6月30日でした。
本当に早いなあと思います。あれから1年。

昨年から2棟(二軒)契約になった高知に別荘機能を移し完全に🐇は四国アイランドの島民 or 山の仙人になってしまい東京オフィスには2か月に一度 家の維持管理に直接高松〜東京(760km)のダイレクト走行になってしまって、ここ数か月を振り返ると もう長距離を往復するのは精神的のも体力的にも面倒になってしまった感もあり 6月には身体の不調もあったので東京行きを見送ってしまいました。

年齢的にきっと体力を消耗する感が強く自己体力防衛本能が働いてきたのかもしれないし、やはり中継地が静岡か知多半島辺りにないと8時間9時間の自動車での移動はきついなと実感するようになったみたいです。
写真は軽トラ「虎太郎」東京〜西伊豆〜四国を何往復もした昨年の光景。
今年だったらできなかったかもしれない。
23/07/03 (Mon)


Came from Hong KongA

Came from Hong KongA
私たち日本人は大陸から離れた島国に長く住んでいるので人種の多様性についてあまり実感がわかずに周りはほとんど同じ民族で固まっていますが、世界は全く別の次元で人々の混血が大陸部では当たり前になりあまり移民を受け入れていない私たち日本人の特殊性が浮き彫りになったような気がします。

まだ民泊スタートして間もない🐇ですがここ数か月で色々な国から訪れてくれたゲストの方と会話しているとその実情が分かりました。ニュージーランドから来てくれた女医さんもアジア系のルーツがありイスラエルからのドクターも父はドイツ系、香港からのゲストも夫々別の国籍を持つカップルでした。

私の場合実の妹もアメリカに渡りグリーンカードを取得して永住可能です。
日本人は海外旅行や商社マンの現地滞在など外国に暮らしたりする人は少なく日本から出なくても単一民族単一言語で安全に暮らせますが、海外では母国語の他に共通語の英語やもう一つの言語など三か国の言葉を話す方が多く、その面で日本人は井の中の蛙の様な気がします。

これも今の民泊を始めた西伊豆の時から7年間🐇が感じてきたことなのですが…。
23/07/01 (Sat)


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