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兎の放蕩物語


漸く車にかまってあげられる時間がなくて…@

<e125e>漸く車にかまってあげられる時間がなくて…@
VWビートルのタイヤ交換
東京で車検を取って高松に連れ戻したミルク(New Beetle)は4月の時点ではまだ名神高速道路に雪が降る可能性があってスタッドレスタイヤのまま高松で乗っていました。
高知の山荘にはガレージの横に小さな倉庫があって小さなバイクやタイヤを4台分くらい置けるスペースがあって一か所に集中して保管している状況もあって全て高知で時間のある時に自分で季節ごとに年二回(12月と5月)タイヤ交換を老体に鞭打って交換しています。
今回はミルクの番でサイズが少し大きい16インチなのでアルミホイルですがやはりそれなりに重量があり一か所ずつ4本一時間くらい時間がかかりますが無事交換できました。(軽自動車は軽いので40分くらいで交換できます)
そしてすっきりしました。
自分で交換擦り理由は体力が続く限り外した時のブレーキのディスクの摩耗状況やブレーキパッドがあと何ミリあっていつ頃交換したらよいかこの目で確認できるからです。
23/06/09 (Fri)


宿泊棟に薔薇が咲いて

宿泊棟に薔薇が咲いて
平地と山間部では咲く花の時期は異なりますが標高550mの高知の山荘に咲く花も季節が少し遅れて花が咲きます。
先回は本館前の植え込みに菖蒲が群生して咲いていてそれが散った後今回は宿泊棟に前から蔓を巻き揃えていた野生の薔薇が綺麗に咲いていました。

他にも石垣には躑躅が咲いて、ここにはありませんが集落では大切に育てられた紫陽花も咲き始めました。
23/06/08 (Thu)


高知の山荘に移動しました

高知の山荘に移動しました
今月は民泊の予約は6月下旬までないのですがこの時期色々とやることもあって高知に移動しました。
3月から続いている敷地内を通る砂防ダムの用水路の工事も連休中に予約が入っている日は出入り禁止でお願いしていましたが いよいよ大詰めを迎え今月には完成するので地権者として工事の状況を見守ったり出入りするコンクリートミキサーの出入りをチェックしたり貸している駐車場の整地も依頼しているので常に確認して現場監督と色々やり取りが必要なことが多いです。
写真は上から流すコンクリートを下で作業員が待ち受けて平らになめしながら護岸の上の遊歩道を作っていく最終段階に入っています。
23/06/07 (Wed)


「梅雨入り宣言」はもはや必要ないかも…?

「梅雨入り宣言」はもはや必要ないかも…?
今までの過去の話をすると日本では6月6日前後に梅雨入りし約45日間「梅雨」に季節が続き7月20日頃に梅雨明けという共通のリズムがありました。

ところが地球の様子が変わってきていて 梅雨だけではなく台風の動きも偏西風が北に移動傾向にあるので日本直撃の回数も減ってきています。

梅雨ではなく低気圧の発生や雨雲がひとところに集中して長く滞留する動きもあって7月も9月も10月も長雨に見舞われ 逆に「梅雨」の期間は雨が少なく曇った日だけが続く傾向もみられ🐇が10年間暮らした西伊豆を脱出した理由も7月の長雨が「ノアの箱舟」の物語のように三週間も集中して雨が降り続いたことも関係あるのです。動物が危険を予知して逃げ出す様に気に入った土地でも離れる理由になりました。だから🐇は気象庁の発表は信用できないというか当てにしておらず自分の目で毎日空を見、空気の湿度を肌で感じそれをもとに行動するようになったんですよ!
なるようにしかならなくてもある程度の予知は自分で出来ると思います。
23/06/04 (Sun)


犬と家族

犬と家族<e247e><e346e>
🐇は遊牧民族なので今は東京・高松・高知と移動しながらの生活を送っています。
会社の四国の窓口は高松に置いてあって「四国連絡室」の室長は🐇ですが、この家の家長はゴールデンレトリバーでイタリアから来てくれたルークが担っています。昨日はルークが家長として3年無事に我が家を守り家来の犬たちを従えて絶えず外敵からの侵入がないよう教育し監視してくれたことに感謝の意味も込めてテーブルを囲みその労を労いました。
🐇の右隣の犬はメアリー(アメリカン・コッカスパニエル)でルークを慕う雌犬です。みんな仲良しの🐇の家族です。
ルーク(Luce)3年間ご苦労様、そしてこれからもよろしくお願いします。
23/06/01 (Thu)


5月はあっという間に終わってしまった

5月はあっという間に終わってしまった
春になってから🐇は忙しく動き回り4月は東京で仕事と庭の木の伐採をして10日以上滞在しVWビートルと新車キャストの2台で四国に戻り 高知の山荘の民泊の予約がかなり入って連休の前後はフル稼働、連休後もゲストの対応に終わり、今やっと高松に戻れてで温泉に入ってゆっくりできているが今日で5月も終わってしまう。本当に早い晩年の毎日だと実感しています。

健康寿命まであと数年。このまま健康に毎日が送れるように祈るばかりです。東京の庭の木の伐採時から体の手足に木の樹液がついて被れたり高知の山荘の手入れで除草に夢中になりマダニにかまれて両手・両足・背中に発疹が出てなかなか完治せず毎日皮膚科の診断書の塗り薬で対処してきましたがなかなか治らず、ここのところ漸く落ち着いてきて 温泉の湯治効果が出たのか手足が元通りにすべすべになって来つつあるのも今のんびり過ごせているせいかもしれない。

働きバチやアリさんの様な性分はずっと消え失せず絶えず何かをしていなければ落ち着かなかった🐇も昨日から四国も「梅雨」に入り 雨の中の外出も億劫になって のんびりできているのが良いのかも…。
たまに心底のんびりしても罰が当たらいでしょう…。
23/05/31 (Wed)


高松に戻って少しのんびり過ごします…

高松に戻って少しのんびり過ごします…<e247e>
いくら好きなことをして楽しみながらゲストを迎えるといっても一所懸命おもてなしの時間を捻出しているので5月は少し疲れてしまいましたね。

松山や砥部焼の産地を訪ねて気分転換はしましたが再び高松のリゾートマンションに戻って次の6月の予約日まで ゆっくり過ごすことにしました。

本当は車庫の英国のスポーツカーを走らせてあげようとしたのですが、あんまり乗らない日が続いたのでバッテリーが完全に上がってしまいました。
するとベンツとつないでエンジンをかけようとしたら盗難防止装置が働いてけたたましく警告音が集落に響き渡ってしまい次回じっくりと向き合いながら対処することにしました。
リチャード(MGF)とクリスティーヌ(ベンツ)を車庫に残して高松に向かいました。
高松では置いてきたビートルを市内の買い物にまた乗ってあげるつもりです。
23/05/28 (Sun)


久々のオフタイムは松山にドライブA

久々のオフタイムは松山にドライブA
松山といえば南の郊外に位置する砥部町が焼き物の産地で多くの陶磁器を生み出す窯元がたくさんあり時間ができると訪れることが多いお気に入りの陶芸の町です。

砥部焼は白磁に藍色の手書き模様が入ったものが主流で価格も手ごろで何年使っても色あせず実用的かつ泥臭くないので気に入っています。

首都圏で生活しているときは益子焼や風間焼を見に栃木近郊まで出かけましたが伝統的な土色の陶器が主流で価格も高かったことを思うと砥部焼はある意味日本の文化を身近に味わえる貴重なものだと考えて時々買いに行く🐇です。

高松からは距離も遠く時間も高速代もかかるので泊りがけでないといけませんが、津野町に山荘が出来てから宇和島も松山も一般国道を利用して1時間前後で行ける位置なのでありがたい環境です。
23/05/25 (Thu)


久々のオフタイムは松山にドライブ@

久々のオフタイムは松山にドライブ@
ここ🐇のカルスト山荘は高知県の西部にあり県庁所在地の高知市からは100km前後離れていて ここから高知に行くのも愛媛の県庁所在地松山に行くのもほぼ同じくらいの時間がかかります。

五月はゴールデンウイークの時と連休が終わって一週間後の第二弾まで民泊のゲスト対応をしてきました。この年齢で多くのお客様の接待が続くと好きなことをやっていても やはり精神的にも肉体的にも疲労感がありますね。

それで昨日は気晴らしに松山方面に向かい最初は道後温泉の街を散策してきました。坊ちゃん列車にしても路面電車も人力車の行きかう温泉街も明治時代道後温泉創業からの懐かしい昭和の光景ですね。

続きます→A
23/05/24 (Wed)


次の日は遠くテルアビブからゲストが到着A

次の日は遠くテルアビブからゲストが到着A
民泊を開業して考えさせられることは日本人のゲストは airbnb の本来の意味や使い方をよく理解できていないことと日本の国の持っている自然のある暮らしの美しさや長い歴史、伝統的な文化をさほど理解せずまた知識もないままビジネスホテル並みの宿泊料金だけがメインに宿を選び 家主であるオーナーとの会話やコミュニケーションはさておき観光や浅い知識で旅をしているということ。
外国人の場合は airbnb のホストとゲストの位置関係や家を使わせてもらうという基本概念が徹底していて 部屋をきれいに使い布団や備品をもとの位置にきちんと戻して時には浴室の清掃もしてくれる感覚が身についていることと、誰もが目的をもって来日し自国の事や日本文化・歴史を教養として身に着けていて「英語」という世界共通語でコミュニケーションを大切にオーナーと会話をしてくれるということに尽きます。

そんな訳で🐇はこれからは本来自分が欲していた外国の方との国際交流をメインにお客様を選んで泊めていきたいと確信するのです。

今の日本人は30年以上に渡る景気の低迷や所得の少なさから何となく内にこもり留学や海外旅行などにあまり行かずに教養を磨く時間も重要視せず、生活感のありすぎる生き方が多く、かつての日本人のように良い生活を体験せずに今のせちがらい毎日を惰性で生きているというと言い過ぎかもしれませんが滲んでくるような奥の深い人にはなかなか巡り合わないのが残念です。

そんな中でも集落のもと地区長だった🐇の友人のМさんは私と同じように歴史を学び自然の美しさに感謝しながら好奇心を持ち農耕生活の地味な毎日を送りながらも読書に励み 時にはエッセイや随筆も書き🐇の処に外国のゲストが来るときには承諾を得ながら英会話やフランス語の勉強に役に立つと思い私たちと同じ国際交流の輪に入りたいと自らチャレンジして一緒に話の輪に入ります。

写真はそのМさんを交えてユダヤ教の話題に参加して意見を述べた時の記念撮影です。🐇はそういう人たちと交流したいなあとつくづく実感するのです。
23/05/23 (Tue)


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