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兎の放蕩物語


先期の会社の決算報告が完成

先期の会社の決算報告が完成
兎の会社は小さな会社ですが本店登記が北海道の札幌市になっているので毎年会社の決算報告と確定申告を札幌西税務署に提出しています。
本店が札幌で東京に支店登記していましたが昨年からは高松の四国連絡室に支店を移し高松から税申告をしている訳です。

この作業が経理資料や営業の売上報告や棚卸のリスト作成など毎年時間がかかっていて時間的な猶予もいただいていますがいつも1月にぎりぎりで提出していてこの期間はデスクワークに明け暮れる毎日で大変でした。

気分転換に自動車愛好家のグループに属して高松に滞在時時には時々郊外の五色台に車を駆り出し交流を深めています。
今月は提出書類を完成させた翌日の日曜日に写真のようにスポーツカーで集まり車談義やそのあと一緒に食事に行ったりで今回はポルシェオーナーのメンバーさんと五色台から初めて南側の盆栽で有名な「鬼無」に降りる初めてのコースで山道のダウンヒル走行をして楽しく気分転換できました。
25/01/14 (Tue)


日本にいる限り多少の我慢は必要かも…

日本にいる限り多少の我慢は必要かも…
高知の山荘の友人が10日の積雪情報を送ってくれました。
今季初めての積雪で15cm〜20cm位だと思いますが昨年はもっと早くクリスマス前だったので今年は暖冬かも知れません。

高松も10日の朝は積雪8cm前後で駐車場やバルコニーの雪は自然に解けて除雪の必要はなし、アメリカの東部にすむ妹は寒波襲来で連日氷点下の日々が続き高齢夫婦には除雪が大変らしい。

日本もどこにいてもこの寒波は避けられず大変だと思う。高知から避寒して高松に来ていても寒さは同じだ。ただ札幌やアメリカは家の作りが断熱材がたっぷり壁に入っていて二重窓や集中暖房設備があって外に出なければ家の中は温かい。

高知の古民家や東京の家は日本家屋でスカスカで真冬は部屋がなかなか温まらない。
不平を言っても始まらないし高松のマンションは作りがしっかりしていて睡眠時には暖房を消しても10℃以下にはなりにくいが高知でこの時期寝室は暖房を停めると部屋の中は2℃〜6℃やっぱり古い日本家屋は芯から寒い家の構造だ。

さて文句を言っても始まらない。高松では普通に生活できるので高知に執着する必要はなく軽井沢の山小屋だと思えばいいのだが、ロケーションや自然環境がいいのでもっと滞在していたい🐇は今年の暮れは暖炉が部屋に組み込めるものか検討したい。

タイやベトナムなどの日本に友好的な温かい国で物価が安い町でのんびり暮らすのもいいかもしれない。

写真は友人が送ってくれた望遠にして北から撮影してくれた今の山荘の写真です。この時期二か月間は寒々しい風景です。
25/01/11 (Sat)


悪天候の合間に…ナイトドライブ

<e125e>悪天候の合間に…ナイトドライブ
そんな訳で雨の少ない瀬戸内式気候の高松なのに ここ数日天候が愚図ついていて🐇は昨年修理が終わって復活した愛車MGFリチャードに乗る機会が制限されてしまい 意を決して雨上がりの夕刻に愛車を駆ってナイトドライブに出かけ エンジンの調子や各細部のコンディションを確認しながら山間路を走り戻ってきました。
写真は出発前に敷地内の弘法大師さまに挨拶によって短い時間ですが安全走行を祈願し出かけていきます。

アメリカ映画の「ナイトライダー」に出て来る大きなサイズのファイアーバードと違いライトウエイトスポーツの英国車ですがハンドルを握る楽しみは何物にも代えがたい🐇の小さな喜びでもあるのでテスト走行後は気分爽快でルンルン気分で家に戻ってきます。
25/01/10 (Fri)


そして高松に戻ると天候は安定せず…

 そして高松に戻ると天候は安定せず…
年明けの天候には恵まれたものの 5日まで高知に滞在し留守にする古民家二軒の最終点検をして高松に戻ると全国的な寒波の襲来もあって写真のように雨か雪がお昼まで続き、午後になると一転して雲が動き天気が回復しますが、雲の多いすっきりしない天気の日が続き 太陽が顔を出さない寒さを感じる日が戻ってきています。

今月は東京に行って売却が決まった家の家具や家財の処分 そして残置物を撤去したり リサイクルショップや廃品回収業者に不要物を持って行ってもらう段取り等、どうしても四国に持ち帰りたい家具などを引っ越しの手配もして帰らなければなりません。そんな大変な作業が待っていて🐇は少し気分が重いのですが 天候も優れず一喜一憂の老後の暮らしです。

幸い立春を過ぎて雪の心配がなくなる時期まで高知の民泊が臨時の冬季休業措置を取っているので腰を据えて東京に行って様々な所用を済ませる予定です。
25/01/09 (Thu)


新年3日目に高知に行きました!A

新年3日目に高知に行きました!A
次の日1月4日は早朝から4台の所有する車 最後の冬タイヤ交換に挑戦し丁寧に作業を終えて新旧タイヤの清掃をしながらタイヤワックスを塗り倉庫に夏タイヤをしまい、冬タイヤの空気圧も調整して帰路に備えました。
1台はオールシーズンタイヤを装着しているので倉庫には車3台分の夏タイヤが格納されてすっきりしました。今期は全部自分の手作業で時間はかかりましたがきちんと交換出来て16インチは重いけど まだまだ体力的には年寄扱いはされないなと自負しています。

また地元の友人が🐇の車が山荘に来ているのが見えたようで 作業が終わる頃に訪ねてくれてお茶を飲み またもう一人のお茶の先生のお宅にも呼ばれて抹茶とお菓子をいただき、クリスマスパーティの時の印刷した写真も渡せて二週間振りに村の人と新年の親交を深めました。
ありがたいことです。また町役場から案内が来ていて新しい融雪剤を無料なのですが3袋程新たにいただいて来て次の降雪時の山荘に上がる坂道の滑り止め対策に備えました。
25/01/05 (Sun)


新年3日目に高知に行きました!@

新年3日目に高知に行きました!@
昨年の後半から元旦・二日と高松で過ごし税務署提出の決算書を作っているとやはり高知が懐かしくなり箱根駅伝も青山学院大学が二連覇出来ることも確認して気分転換を兼ねて🐇は高知に向かいました。

四国は今年の元旦も次の日も青空が出て気温も比較的暖かいので高知もきっと晴れているだろうと…。
夕方到着しましたがやはり3日目も好天に恵まれ地元の人の話によると珍しく天気の良いお正月だと…。
まさにその通り天高くカルストの上まで晴天に恵まれ気温こそ夕方から冷え込みを感じましたが想像していたより過ごしやすく感動を覚えました。

昨年の今頃は12月のクリスマス前に積もった雪が残っていたのを思い出し新しい巳年の脱皮した環境の素晴らしさを実感しました。
25/01/05 (Sun)


高松で静かで平和なお正月を過ごすA愛用のスポーツカーと時間を共にする

高松で静かで平和なお正月を過ごすA愛用のスポーツカーと時間を共にする
昨年末に横浜から出張修理に来てもらって復活した英国車MGFリチャードを駆って近くのお気に入りの椛川ダムに走らせる🐇。

🐇の長い人生にとって 大学の自動車部に入部してからというもの多くの車に携わり それが縁でヤナセという輸入車の会社に🐇を導き1974年の入社日から今日に至るまで51年の歳月を好きな車と一緒に過ごしてきました。

リチャードは「18番」という希望ナンバーを装着していますが古い順番でいうとカルマンギア→フェアレディZ→アウディクーペから始まり直近のベンツSLKを経てMGFに至るまでのスポーツカーが18台目になった印でもあり「18K」というエンジン型式にもよる番号です。

ヤナセを退社して今までのドイツ車一辺倒からイギリスのジャガー3台・フランスのルノー・プジョーなどドイツ以外の国の車にも新しい発見をして英国車のシックな佇まいと内装や色遣いにジャガー所有以降は魅了されてきました。

もちろんメルセデスの安心感や信頼性は十分承知なのでファーストカーはクーペのCLKですが、好きなのはMGFかも知れません。

モーリスガレージというMGの車づくりのコンセプトは皆が気軽に運転や操縦できる車を作るというものなので その恩恵に預かりカタログ性能では計り知れない運転の楽しさを享受している🐰は今年は幸せかもしれません。
25/01/04 (Sat)


高松で静かで平和なお正月を過ごす@快晴の元旦

高松で静かで平和なお正月を過ごす@快晴の元旦
大晦日まで曇天ですっきりしなかった天候が一夜明けて巳年の元旦になった途端に嘘のような青い空が現れびっくりしました。
それほど竜の辰年は最後まで何をしたかったのか…?ぐずついて未練たっぷりとぎりぎりまで自分の思うようにしようとしていたのでしょう…。

昨年ほど辰の本来の恐ろしさを見た年はありませんでした。平和で何もかもうまく運んでいた🐇の年がたつに変わった途端に恨みでも晴らされるように暗転して激動の渦の中に巻き込まれた一年でしたから。

おかげで🐇自身も天変地異や運命を自然に受け止め天地との確固たる信念をもってこれは違う、自分は断固とそれを拒否すると強い意志をもって立ち向かえたのでこの年になって流れに身を任されながらも自分を通していく強さも身に着けることが出来ました。🐇を守って鎧になってくれた神々に感謝しています。

写真の信じられないほど空気が一新した空を見てください。
25/01/04 (Sat)


そして元旦を迎え巳年とどう向き合うかが課題です!

そして元旦を迎え巳年とどう向き合うかが課題です!
そして年が変わった今日元旦から新しい年「巳年」の一年が始まりました。
昨日まで空に漂っていた厚い雨雲が去り信じられないような青空に迎えられた🐇

丙度巳年とどう付き合ってお互いに共存共栄しながら何事もなく日々を過ごせていくか?
それが問題ですが、このことは全ての「生きとし生けるもの」に与えられたお互いに傷つけあわずにいかに共生して生きて行けるかが課題だと🐇は考えます。

悪く考えることはなく与えられた地球環境の中でいがみ合わず殺しあわず互いを生を尊重して共に生きていくことではないでしょうか?

🐇が高知に初めて暮らし始めた時に大きな青大将が玄関前を横切り挨拶していきました。宿泊棟を契約して二件目の家の環境整備を始めた時にマムシが宿泊棟の入り口付近で動かずにらめっこして30分後に去って行ってくれたこと。
そのあとマムシにどうか他の土地に自分の住まいを見つけて互いに無駄な戦いをしない様に頼みますと念じてその後ずっと姿を見ることがなかったことを…。
今、改めて思い出し夫々の意図と今後どう向かい合うかの真剣な交信が未来を創っていける気がします。少なくとも大きな天変地異は今年は起きないことを願いたい。
25/01/01 (Wed)


さようなら暴れ竜(辰年)の2024年🐉

さようなら暴れ竜(辰年)の2024年🐉
昨日は2024年の大晦日を平穏無事に終わらせることが出来て本当にほっとしました。過去の辰年の歴史的な出来事を考察すると
戌辰戦争(1868年)日露戦争(1904年)皇居前の血のメーデー事件
今年年頭の能登半島地震(2024年)良いことでは東京オリンピック・新幹線開業(1964年)など戦争・政変・天変地異が起こる年になっています。

竜が地下で暴れて大きな地震が起きたり過去の例を振り返っても万物が振動して大きな改革が起きる年だったのです。

平和で献身的な私の干支 🐇年の前年に万事がうまく行き充実した年だった翌年の元旦に大きな地震でびっくりさせられ日航機が海上保安庁の管制官の警告に気づかず滑走路に侵入してあわや大惨事が起こったかもしれない事故などこの年は最初から竜が暴れ放題で最後まで人々を苦しめた一年だったことは間違いありません。

私たち凡人はそのように仕組まれた歴史の中で荒波にもまれる様に危機的な物価高や円安誘導の流れでいいようにされた一年でした。

四国新聞の見出しではさようなら2024年と題され
猛暑の日が続いたが高松駅前の再開発が予定通り進行し駅ビル・徳島文理大学の移転・アリーナの完成など東京スカイツリーの完成(同じく辰年2012年)の例同様に建設的な出来事だったと記しています。

そのような情勢を見極めて🐇はこの年孤軍奮闘して持ちこたえ無事に年末を迎えた喜びに今更ながら浸った大晦日でした。
早く新しい歳になることを期待して…。
25/01/01 (Wed)


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