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兎の放蕩物語


そして元旦を迎え巳年とどう向き合うかが課題です!

そして元旦を迎え巳年とどう向き合うかが課題です!
そして年が変わった今日元旦から新しい年「巳年」の一年が始まりました。
昨日まで空に漂っていた厚い雨雲が去り信じられないような青空に迎えられた🐇

丙度巳年とどう付き合ってお互いに共存共栄しながら何事もなく日々を過ごせていくか?
それが問題ですが、このことは全ての「生きとし生けるもの」に与えられたお互いに傷つけあわずにいかに共生して生きて行けるかが課題だと🐇は考えます。

悪く考えることはなく与えられた地球環境の中でいがみ合わず殺しあわず互いを生を尊重して共に生きていくことではないでしょうか?

🐇が高知に初めて暮らし始めた時に大きな青大将が玄関前を横切り挨拶していきました。宿泊棟を契約して二件目の家の環境整備を始めた時にマムシが宿泊棟の入り口付近で動かずにらめっこして30分後に去って行ってくれたこと。
そのあとマムシにどうか他の土地に自分の住まいを見つけて互いに無駄な戦いをしない様に頼みますと念じてその後ずっと姿を見ることがなかったことを…。
今、改めて思い出し夫々の意図と今後どう向かい合うかの真剣な交信が未来を創っていける気がします。少なくとも大きな天変地異は今年は起きないことを願いたい。
25/01/01 (Wed)


さようなら暴れ竜(辰年)の2024年🐉

さようなら暴れ竜(辰年)の2024年🐉
昨日は2024年の大晦日を平穏無事に終わらせることが出来て本当にほっとしました。過去の辰年の歴史的な出来事を考察すると
戌辰戦争(1868年)日露戦争(1904年)皇居前の血のメーデー事件
今年年頭の能登半島地震(2024年)良いことでは東京オリンピック・新幹線開業(1964年)など戦争・政変・天変地異が起こる年になっています。

竜が地下で暴れて大きな地震が起きたり過去の例を振り返っても万物が振動して大きな改革が起きる年だったのです。

平和で献身的な私の干支 🐇年の前年に万事がうまく行き充実した年だった翌年の元旦に大きな地震でびっくりさせられ日航機が海上保安庁の管制官の警告に気づかず滑走路に侵入してあわや大惨事が起こったかもしれない事故などこの年は最初から竜が暴れ放題で最後まで人々を苦しめた一年だったことは間違いありません。

私たち凡人はそのように仕組まれた歴史の中で荒波にもまれる様に危機的な物価高や円安誘導の流れでいいようにされた一年でした。

四国新聞の見出しではさようなら2024年と題され
猛暑の日が続いたが高松駅前の再開発が予定通り進行し駅ビル・徳島文理大学の移転・アリーナの完成など東京スカイツリーの完成(同じく辰年2012年)の例同様に建設的な出来事だったと記しています。

そのような情勢を見極めて🐇はこの年孤軍奮闘して持ちこたえ無事に年末を迎えた喜びに今更ながら浸った大晦日でした。
早く新しい歳になることを期待して…。
25/01/01 (Wed)


2024年あと二日…!

2024年あと二日…!
2023年の🐇年は良いことづくめで悪いことは一つもありませんでした。さすが年男!!
それに引き換え、龍が地下で暴れまくった2024年の🐉年
今年が本当に波乱万丈の悩み多き年だったことは撃的な変化だ。
霊的予知能力のある多くの友人から高知の山荘のある小さな村に大きな災害が来ると忠告され 撤退を促された梅雨時以降の🐇は 揺れに揺れ 高知の民泊事業さえ断念に追い込まれるところを自分の意思で江戸時代以降の当地の南海地震による被害状況も徹底的に調べ上げ、地元の長老の体験談も聴いて不安は無用と断固として踏ん張った。
会社設立以来 22年間続けた東京海上の代理店委託契約も年明け3月には返上してソフトランディングを目指す計画も不本意ながら着地に向かう。東京の住民票登録も来春までだ。生活の基盤が完全に四国に移る。

その辰年をようやくあと少しで脱出して新しい年を迎える。

高松で復帰したスポーツカーに乗って年末の買い出しに足を運びお正月を平安に迎える準備も終わった。

今日は先ほど注文していたおせち料理も無事に手元に届いてあと一息だ。
🐇を理解して色々とお付き合いしてくださった方々に感謝します。
ありがとうございました。
24/12/30 (Mon)


お正月は高松で二台の姉&弟と過ごす🐇

お正月は高松で二台の姉&弟と過ごす🐇
駐車場に戻った弟のMGFリチャードを心配そうに迎える姉のベンツのクリスティーヌ。
弟は今年から高松で過ごすつもりで高知の車庫からこちらのマンションに来ましたが青空駐車場が災いしたか何回も病気して半年間は動かせませんでした。
🐇の家に来て8年経つがこんなことは初めてで運命を呪いました。でも半年後に救世主の横浜の主治医が高松に出張に来てくれて復活しました。
姉はもう12年も一緒に暮らしていますが🐇が高松から泣く泣く札幌に転勤になったときの記念の年の車なのでずっと所有していこうと思っています。幸いベンツの90年代の車は作りがしっかりしていて色々部品を交換しながらベストコンディションになっています。今年は東京で免許証を更新してまだまだ自動車は🐇にはなくてはならない生活の基盤ツールです。これからも彼らを大切にしていきます。
24/12/28 (Sat)


Googlemaps に冬季休業案内を載せて

Googlemaps に冬季休業案内を載せて
そんな高知の山荘の2024年最後の滞在をあとに🐇は温かい高松に帰還します。
今まで二年間宿を運営してきて本当にこれからの二か月間は予約が入らないのです。それで冬季休業の知らせもインターネット上で告知しなければなりません。

ここの処の一番多いネット検索で「googlemaps」があります。今やグーグルの地図情報をスマホで見ながら観光するケースが多くなって絶えず自分の施設のページをメンテナンスして新しい情報を掲載しています。

二年前の12月30日のこの写真は🐇の山荘の敷地に上がる私道です。
年に二、三回の積雪があり積もるとこのようになかなか解けないので天気予報を見ながら積雪予報があると高知に行きこのような状態にならない様に融雪剤を撒いてきます。
富士山麓の鳴沢村で暮らしていた頃を思い出します。
24/12/27 (Fri)


クリスマスは村の友人と過ごす

クリスマスは村の友人と過ごす
早いものでカルスト山麓の集落に住み始めて4年目の冬を迎えています。
最初は車庫付きの二階建て母屋一軒を借りての美しい景色を見るための別荘でした。そして一年半後に敷地内のもう一軒の平屋も手に入れてこちらを外国人に日本の里山の原風景を見せたくて民泊申請を県庁に出して許可を得て消防署にも防火設備機器の取付確認で承認をいただき保健所には旅館業と飲食店営業許可をもらって二年前の秋に宿泊受け入れを始めて二年が終了。二年間で150人のゲストをお迎えして外国の方たちとの国際交流も活発にできました。それで高い評価を得られて世界的な民泊サイト「airbnb」からSuper Host の称号認定を受けました。ある面🐇の目的は達成できています。

これから3年目の春を3月から予約が入り始めたオフシーズン(12月〜2月)の今、待ち望みます。

村の人には集会で民泊営業の報告をして協力を仰ぎ 村の中での認知度も上がり 写真のお花の先生には外国人が来られた時に生け花や抹茶を教えていただき 男性の大工さんには地元の気候や環境整備の知識をたくさんいただきました。今日は家族が入院して来られなかったもう一人の元地区長さんの男性には農家の野菜や卵、ゲストが来た時の手助けや茶摘み体験のオプションに協力してもらいました。
地元の理解や助けがなければ🐇だけではここまで来られなかったので本当に感謝しています。それで村のお友達を呼んでクリスマス食事会をして親交を深め今年最後の高知滞在としました。
24/12/26 (Thu)


今年最後の高知の山荘滞在

<e112e>今年最後の高知の山荘滞在
昨年の高知の冬はホワイトクリスマスでした。
辺り一面がクリスマス前に振った雪で覆われた集落の風景で…。
でも今年はきりきりに寒いのですが湿気が少なく雪が降る条件が整わないようです。

一度冬対策をして高松に帰って過ごした二週間はスポーツカーMGFリチャードの復活した日々を除いて平凡で退屈な日々でした。
温泉付きのマンション住まいは日当たりも良く快適ですが、どうも外出しないときは部屋に引きこもりてきな生活になってしまって🐇は運動不足で体重が増えていきます。

高知にいれば絶えず外に出ていて 家の周りやお客様が宿泊する平屋建ての住宅の環境整備に絶えず身体を動かしているのですが、高松では運動不足気味で 自由に車を手入れしたり散歩したりという時間が監視されているような気もして自由に行動できないような気がするのです。

それでというわけでもないのですが約束したVWビートルのミルクと高松に連れ帰ることも思い出し冬タイヤに既に履き替えた軽自動車Kei439与作号で高知に向かいました。

今年の高知は本当に雪とは無縁で 寒くても青い空と夜間の星がいっぱい輝く日々はやはり快適で特別なものでした。写真を見てください。青い抜けるような空がカルスト方向に展開して小さな山麓の村が愛しく思えます。
24/12/25 (Wed)


高松の日常A和食の朝

高松の日常A和食の朝
ここ数十年 🐇の朝食はお米を炊いた和食のご飯がほとんどで これは住まいを移しても どこにいても規則正しく味噌汁も毎日味噌(御前味噌・白みそ・合わせ・白みそなど)を替えながら納豆・豆腐・大根おろし・焼き魚・卵料理・漬物などだいたい7品目位の小鉢やおかずを早朝に約一時間くらい調理しながら午前7時前後には食卓に並べて朝のニュースを見ながら8時頃まで掛けてゆっくり食します。

この習慣が日常化していて 面倒でもなく苦にもならないので高知の民泊に泊まってくださった外国人ゲストにもメニューを説明して日本の朝の和定食を同じように食文化の一部として提供しています。

卵を切らした時には茄子の煮びたし やきんぴらごぼう・ジャガイモのベーコン玉ねぎ炒めなどで流用して 焼き魚は季節の良い窓を開けて寒気が出来る時期は 卓上コンロに小さな鉄鍋を置いて蓋をして固形燃料で目の前で調理したりして旅館の朝食的な献立を作りマンネリにならない様に小皿や器の品ぞろえをしてカラフルに提供するのが好きです。

写真はその一例で和盆も視覚以外にひし形や丸井盆も或いはランチョンマットにしたり工夫をしています。みそ汁は右のグラスを空けた後に定位置に並べられます(笑)
食事は自分の為というより喜んで食べていただく人の為に作っているのかも知れません。
24/12/23 (Mon)


高松の日常@冬至

高松の日常@冬至
昨日は2024年の冬至でした。
写真は四国新聞の切り抜き記事です。

ここ数日愛車リチャードが復帰して安心したのか目が覚めるのが7時を過ぎることが多く慌てて朝食の支度をします。

高知の宿や高松でも朝7時には朝食の準備が済んでいるはずが朝食が8時頃になってしまいました。それもそのはず冬至までは夜が一番長く高松は7時になっても明るくならないからです。(東京は30分早い)布団の中に長くいてしまう🐇になってしまいました。

12月は🐇の誕生日、愛車の復活とうれしいことが続いて何となく予約も入っていない寒い高知に家の様子を見に行くことが寒くて億劫になってしまった昨今。
人はずっと情熱を持って果敢に生きることが大切ですが、たまに面倒くさくなったりずぼらになるのも体内時計や季節の変化にも影響を受けてしまうのかも知れません。

冬至を過ぎれば日の出は一分ずつでも早くなり、日没も同様に伸びるわけで明るい時間に活動できる楽しみが少しずつこれから日ごとに増えることは人(🐇)の気持ちを明るくさせてくれますね。自分で納得する🐇でした。
24/12/22 (Sun)


リチャードが日常に戻って来て

リチャードが日常に戻って来て
そんな訳ですっかり元気になったMGFアビントン(Richard)がレイクサイド塩江に戻って来てまた静かな日常生活を送れる事になり🐰も心の安静を得て幸せな毎日が過ごせます。
来年になるといよいよ東京脱出計画が始まり、先ずは1月には上京して家屋の解体工事の前に残置物の撤去や不要品の整理、必ず残しておきたいものを高松に送る手配など控えて神様がつかの間の平和な時間を🐰に与えてくださったのかも知れません。
夜もぐっすり眠れて、朝も早起き出来て健康的な生活も続けられそうです。
24/12/20 (Fri)


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