チャンカーはマリオン


 ●●●  毬音214回目の月命日
毬音214回目の月命日
今年に入り長期帰省や急遽の帰省で出費は嵩み、車検時期も重なり世間は異様な物価高。 軽自動車の税金が12800円の請求が届いたのには驚いた。
30年給料が上がってないと言われているが、上がるどころか目減りしかしてない。 こんな状況の中、毬音にお供えする花も菓子類も上げられず、申し訳なくも情けない。 
玉子高騰で厳しいながらなんとかオムライスはお供えできた。

福岡に居る母も認知症が酷くなり、6月頭に老人ホーム入所が決まり、また帰省しなければならない。 来月は毬音の命日の月で墓参りに行きたいが、どうやら行けそうにない感じがする。 なにもかもがネガティブな流れになっているが、負けてなるものか!

挙げられる写真が無いので、3年前の5/16のぶーさんとおさかなちゃんが仲良く並んでいた写真を挙げる。
2023/05/16 (Tue) 8:39

 ●●●  キロロ
キロロ
毬音が独身時代に勤めていたキロロ。当時毬音はタロット占いに凝っていて良い事も悪い事もかなりの的中率だったらしく、周囲の人から占って欲しいと頼まれ占っていたらしいが、悪い事が的中する事に恐れをなしタロットはやめたという経緯アリ。
そしてなんと、時期的には違うのだが、今の奥さんもキロロで働いていた事がある。
そこで自分もなんとかキロロと関りを持ちたいと思い。小樽ジャズ倶楽部に定期的に演奏依頼(ほぼボランティア)がある中で自分の都合が付く日に出向き演奏してきた。
メンバーはジャムセッションで一度ご一緒したベースの大高領さん、キーボードは初めてお会いする中畑紘子さん。
本来グランドピアノのある会場での演奏だったのが、当日急遽会場変更になりレストランの入り口でウェルカムミュージック的な演奏形態になり、大変なのはキーボードを持ち込む事態になった事。
キャンセルするかどうか悩んだ末、久々に自分の楽器を鳴らしたいという気持ちもあったので、決行することにしてキロロまで行った。
毬音や現奥さんが務めていた時と今のキロロは、経営がヤマハから中国企業に変わり内容も一変しているようだ。 スタッフはほぼ外国の方々で客も海外が多く、日本人と思える客も一見してタダものでは無い奇抜な様相の人々。
レストランに来店する客が目の前を行き来する中で行われ、チンドン屋の呼び込み気分で演奏。 各自は食事目的で来るので生演奏を聴くスタンスでは無く無反応だったが、演奏の終盤にはバンドの近くで立って聴き入ってくれる人も現れ、なんと多くの拍手まで沸き起こった。
準備段階ですったもんだあったものの、演奏を終えてみると行って良かったと思ったし、フレンドリーなスタッフにも感謝の念を持って帰って来れた。
特に和食コーナーの日本人の男性も趣味でドラムを叩いているらしく、楽器に対する詳細な話をしたり、シンバルの音をとっても褒めてくれたのが嬉しかった。まぁシンバルが良い音出してくれたからなのだが。。。
中国がグローバルイメージで日本を浸食している現状を見てきたわけだが、共産的な部分は感じ取れず、暗部まではわからなかった。
2023/05/04 (Thu) 23:21

 ●●●  勝本のりおquartet@DeeDee
勝本のりおquartet@DeeDee
仙台から来られたベース:勝本さんとピアノ:パキさん、サックス:奥野さんでのカルテットライブ。
勝本さんは以前旭川でライブハウスを営んでおられ、もう10年以上前になると思うけれど、1度旭川のお店に出演させていただいた経緯がありますが、それ以来というとても懐かしいお手合わせでした。
奥野さんとの共演も2年ぶりくらいかな?
選曲の良さも相まってとても楽しい時間を持たせていただきました。
この機会を与えてくれたDeeDeeのマスターに感謝。

自分のリーダーライブでは考えられない女子率の高い来客に少々ビックリ。
毬音も喜んでくれそうなライブでした。

札幌もそろそろ桜が見頃を迎えました。
2023/04/21 (Fri) 23:16

 ●●●  毬音213回目の月命日
毬音213回目の月命日
4/7から4/15まで帰省。中9・10日は初めての広島訪問。今までずっと気になっていた原爆被害の地の慰霊が叶った。
厳島神社にも訪問して大聖院も訪問。今回の写真は大聖院の遍照窟。
毬音への供養の意味もこめて祈ってきた。

帰省の目的のひとつは、母親の施設入所へ向けて面談立ち合い他遠隔操作する機器のメンテナンス。 取りあえずは連日洗濯と食事の用意で過ごした。
前回までの帰省と大きな違いは、飛行機機内でもノーマスクでOKな部分。これは楽だった。
今まで飛行機に乗る時だけマスクをして降りた瞬間にはマスクを外していたが、マスクを持ち歩く必要が無いのは大変大きな違いになる。
しかしまだマスク着用者の多さに驚く。 帰りの飛行機で搭乗口に居た2名の航空会社係員の一人がノーマスクだったのは嬉しかった。
空港関連のスタッフはほとんどがマスク着用の中で見かけたその一人の人は、ノーマスクで居る事にどれだけ勇気を必要としたかを想像してみると、その人に対し心から拍手を送りたい気持ちだった。

今日の毬音月命日のお供えは大宰府の梅ヶ枝餅。オムライスは昼に作ろう。

2023/04/16 (Sun) 10:19

 ●●●  BONquartet@レージーバード
BONquartet@レージーバード
有難くも小まめにお店のマスターから「何かやりますか?」とブッキング可能日を知らせていただきライブを組ませてもらっているレージーバード。
今回は去年11/10以来同じくレージーバードで演奏したBONquartetでの出演。
4か月ちょっとぶりではあったが、この4か月の間、かなり濃厚な時間を過ごし気が付けば体重が6〜7キロ減っていた。
普通これだけ減量すれば歩行時は運動時に軽くなった事を自覚できそうだが、まったく自覚無し。 多分ドラムの演奏にも何らかの影響が出てると思うが、それも自覚無し。
別に体調不良があるわけではないので、悪い事では無いと思う。

毬音には馴染みのないお店だが、以前奥さんが住んでた所に近いレージーバードは、僕より奥さんの方が馴染みがあり、今回久々に奥さんも来店。
お店のドラムセットのスローン(椅子)がカノウプスの使いやすい物になっていて、スネアがグレッチが備えてあった。なんだか微妙にグレードupしていたけれど、自分のスネアも久しく鳴らして無いので、自分のスネアを使用。 楽器は鳴らさなければ鳴らなくなるから、できる限り自分の楽器を使いたいのが本音。 時として自分のセットよりお店のセットの方が鳴る場合もあるけれど(;^ω^)
毬音好みの選曲は今回は少なかったと思うが演奏(祈り)できる事が僕にはありがたい。
さて来週はまた母親の介護として帰省するが、2か月ぶりなので息子と判断してもらえるか不安ではある。
2023/03/30 (Thu) 23:35

 ●●●  毬音212回目の月命日
毬音212回目の月命日
今までも強制では無く個人判断だったマスク着用が、3/13から「個人判断」と公的に情報としてメディアに流された。
これで航空会社は機内でのマスク着用は一部を除いて緩和されたようで、帰省の時の一番の苦痛が取り除かれたが、近所を見渡してもマスク着用率は大して変化は無い。 何故なのだろうか・・・まったく理解できない。
多数死者が出た注射も継続・推進。 政策としてコオロギを食わされたり、知らない間におかしな法律ができてたり、世の中の転倒ぶりが異常と感じる。
奥さんの故郷である釧路の観光名所の釧路湿原。ここに膨大な太陽光発電が出現してた事には驚愕した。 知らなかったのだが、それはメディアが取り上げてなかった事も一因。 
国立公園も簡単に企業利権に食われる世の中になったようだ。
こんな狂気の沙汰な今を毬音はどう見てるのだろう?  

物価に関しても上昇に歯止めが効かず、電気料金等は来月から倍額になる模様。
節約生活に入った我が家。生花を買うのを控ながらも、リューココリーネがあったので頑張って購入。 朝からオムライスも作った。
母の認知症の進行具合も含め、不安しかない先を見ても仕方ないので、今日ある自分の現状に感謝しつつ毎日を送るようにしている。
2023/03/16 (Thu) 23:00

 ●●●  ぶーさん逝ってまる1年
ぶーさん逝ってまる1年
コロナ、コロナと騒ぎだした2020年におさかなちゃんが逝き、2021年も続いたコロナ騒ぎの最中に母の大腸がんの手術・入院をきっかけに認知症がジワジワと迫り、去年3月3日日が変わって間もない時間に息を引き取ったぶーさん。
今でも居なくなった現実をどこかで受け入れられない自分が居るような気がするのは、この1年が母の認知症の進み具合の速さに翻弄され、ぶーさんの「死」を自分に浸透させる暇が無かったからかもしれない。
特にペットと飼い主という関係では無く「同胞」の意識を持っていた事もあり、喪失感に浸るのが怖かった事もあると思う。

1月に転居した母の住宅の後片付けをして、34年間母が暮らした部屋が空になり最後に家を出る祭には、深くお辞儀をして「お世話になりました。ありがとうございました」とお礼を述べた。 
去る者より残された者の方が辛い事を身に染みて分かっている自分には、去り際に住処への挨拶は必然と思えた。

どんな形であれ、別れの際には感謝の念を忘れないようにしなければ。

毬音と過ごした時間よりおさかなちゃん、ぶーさんと過ごした時間の方が長いから当然と言えば当然カモしれないが、おさかなちゃん、ぶーさんの喪失感は居残る。
我が家に来て2年目になるマウ君が健やかに育つよう祈りつつ接する事が唯一の慰めになっている。

2023/03/03 (Fri) 8:24

 ●●●  毬音211回目の月命日・想ライブ@ジャムジカ
毬音211回目の月命日・想ライブ@ジャムジカ
2月1日に長期帰省から札幌に戻り、山積みの我が家のベランダの雪をおろし、日常を取り戻しかけた矢先に母が夜に徘徊未遂で警察の介入する案件が発生。それに加え母の家のネット接続が切れてしまい見守りカメラが稼働せず、状況がまったくわからない事態に!
急遽9日にまた帰省する事になった。
年末から1月にかけた帰省も2/1と2/9の札幌行のチケットを取っていたわけで、遅ければ9日に帰札予定だったのが、まさか9日に逆コースの

福岡に飛ぶ羽目になるとは。。。
実家に到着して即座にネット環境を改善、玄関ドアに遠隔操作できる装置を設置。役所へ徘徊の際の捜索用の書類を作成・提出等で駆け回る。12日に帰札の予定が平日でなければ成せない事があり結局14日の帰札になった。
認知症の進行速度は、人によって違うのだろうが、母の進行は速いと感じた。
なんせ僕が息子だと分からない時が多くなった。
大きな不安を抱えながらも札幌での自分の生活もあるので14日には帰って来て、どうにか16日の「想」のライブに間に合った。
諸物価高等の煽りで我が家は今年から生花を買う事を控ていたのだが、毬音の月命日のため奥さんが鼻を買って来てくれた。 オムライスは自分で作り帰省で買ってきた通りもんとチロリアンをお供え。
そして夜は「想」のライブ。 去年年末から生の楽器を触る機会がほとんどなく、しかも練習もろくにできなかった割りに、良い演奏だったと自負している。
セッション仲間の男性がライブに来店くださり、僕の事情をその方の102才になる母上に話をしたところ、102才の母上から僕に見舞いとして現金の入った封筒を預かっていると届けてくださった。
心がはち切れそうなくらいの感謝で泣きそうになった。
この場を借りて感謝を伝えさせていただきます。
本当に本当にありがとうございます。
そして一度「想」でゲストとしてボーカルで参加して頂いた事のある去年年末逝去した女性の詳しい話を聞き、無念の思いを抱き様々に大量な心情を受けた1日だった。
2023/02/16 (Thu) 23:42

 ●●●  毬音210回目の月命日
毬音210回目の月命日
この1か月更新してなかったが、特筆する事が無かったわけではなく、あまりの慌ただしさで更新ができなかった。
12月22日福岡に飛び、前日に帰省から帰った弟と入れ替わりでショートステイから戻った母を出迎えた。実家は狭いのでウィークリーマンションで2週間少々過ごしつつ毎日母の元へ行き朝食・昼食の用意をして食べさせる。デイサービスがある日は昼の間は息抜きできた。晩御飯は弁当が届くので助かっていたが、年末年始は弁当も福祉サービスもお休みになるので、朝昼晩と食事の世話をして年末年始の慌ただしさとは全然違った慌ただしさで年を越した。
母と正月を迎えたのは40数年ぶりだと思う。
大阪暮らしだった頃、まだ福岡には近い事もあり、正月に帰ろうと思えば母は「あんたが来たら料理つくらないけんけ、来んでいい」と断られたこともしばしば、そんな訳で一般の人々のように正月は田舎で家族と過ごすという常識的な帰省は無かった。  ケアマネさんから「お母さんと一緒に正月を過ごすのは最後になるかもしれませんよ」と言われたが、自分としてもそのつもりだったが、認知症の母には年末も正月も関係なかった。
年明け1週間後に母の住む公団が取り壊しでの転居先のカギを受け取り、何もない部屋で一人、母の家に通いながら新居での受け入れ態勢を整えていた。カギを受け取るタイミングで弟も帰省して母の世話は分担できたのは助かった。
今回の本来の目的でもある引っ越しを1月14日に行った。
認知症には大きなリスクを抱える引っ越しが今回の山場である。
引っ越し当日の朝、頼んだショートステイの迎えが着て見送り、1時間後には運送屋が来るので弟と2人で大急ぎで荷造り。引っ越しとは言っても引っ越し先は200メートルも離れていない住宅なので、大物荷物だけ運んでもらい、日用品・衣服や小物は自力でピストン搬送なのでとにかく2泊3日で母がショートステイから戻るまでの間に新居での生活スペースを作り上げる必要があった。 荷物をまとめていると、母が30年程の間あらゆる工夫を施して築いたこの生活空間を取り崩す事の後ろめたさと、寂しさと悲しさに何度も苛んでしまう。たまにしか帰ってこない自分でもこんな悲しい気持ちになるのだから、母にはいたたまれない気持ちなのだろうと想像すると、ショートステイから戻ってくる母の反応が恐ろしく、母が戻る16日は朝から緊張しつつ毬音には冷凍もののオムライスで勘弁してもらい月命日の祈りを捧げた。 
当初は「家に帰る。帰りたい」と言うだろうと弟と予想してたが、念入りに考えてコーディネイトした新居に拒否感は無く、いい意味で予想を裏切られた。新居も狭いながら、何とか一人は泊れるスペースを確保していて、母の様子次第では弟か自分が泊まってケアするつもりだったのだが、母の口から「もう外は暗いけど、宿に帰れるか? 狭いけど泊まっていってもいいよ」という言葉が出たので一安心。  今後ここで一人で暮らす母を思えば取りあえず新居で一人で寝る感覚を覚えて欲しいので、弟は宿へ、僕は母が住んでいた転居元の住宅に戻った。転居での住所変更や諸々の事務処理と母が新生活に慣れるまでのケアと旧居に残った家具の処分とごみ処理のため2週間ほど滞在予定。 母がすんなり新居に収まってくれたのも毬音のおかげがあったかもしれない。
写真は荷物整理をしていて発見した、懐かしい牛乳の蓋を開けるオープンナー。
2023/01/17 (Tue) 0:59

 ●●●  毬音209回目の月命日
毬音209回目の月命日
12月10日早朝、実家母宅の見守りカメラを確認すると、居間で倒れ込んでいる母を発見。たまたま帰省中で小倉のホテルに泊まっている弟に連絡を入れ、実家に急行してもらう。 カメラではまったく動かない母は事切れたかと焦り速攻で当日の飛行機のチケットをネットで購入。
弟が実家に至る途中で途中で救急車を呼んでくれたが、弟が到着したとき母は半身億上がって反応したらしく、救急隊員が来た時は立つこともできていたとの事。ただ発熱があり、2日ほど前検査入院から帰ってきたばかりの時にも発熱してかかりつけの往診医師に来てもらいコロナ感陽性が出た事もあり、救急車で搬送された。 母の状態から自分が急いで帰省する必要も薄れ、1月には母の転居で1か月帰省する予定を前倒しで25日に帰省する事とし、当日の飛行機キャンセル、25日帰省時期で値上げ傾向の飛行機チケット購入と結構な出費となる。
本来その日埼玉に帰る予定だった弟は濃厚接触者という判断から動きが取れなくなり北九州滞在を延長せざるを得ない状況が幸いした流れとなったが、10日以上の想定外の帰省期間での出費は大きかったようだ。 その出費に比べると自分はまだ傷は軽い。

そんなこんなで慌ただしい1日以降日常の生活サイクルを送れたわけだが、心情は穏やかでは無い日を過ごしていたという言い訳なのだが、毬音の月命日を忘れていたわけではかく、しっかりとオムライスや花のお供えは欠かして無い。 しかし祈りであるライブ演奏は11/15日以降無い。来週から帰省して5週間以上札幌を留守にするので、毎年1月に小山彰太さんと自分とパーカッション宮木さんとのドラム2台とパーカッションの変則トリオの年始恒例となっていたライブも行えず、毬音も自分も寂しい思いをしている。
帰札予定は2/1だが、転居での母の認知症進行状況で帰って来れるか心配なので、一応2/9のチケットは押さえてある。 しかし2/16は「想」のライブを入れてあるので、2/9には帰ってきたい。

そして1か月以上留守にする家も心配で、しかも年末年始も留守にして新年を一緒に迎えられない。 奥さんと愛猫マウが寒い思いで年越しと考えるとやるせない気持ちになる。

今日の写真は毬音と行ったスウェーデンだかデンマークで飲んだビールの写真。

2022/12/18 (Sun) 17:19

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