チャンカーはマリオン


 ●●●  4週間目の夜・大阪
4週間目の夜・大阪
今日実家の北九州を出て大阪に移った。今まで毬音の事で母の事を考える余裕もなかったが、今回さすがに一人で暮らす母を残して家を出るのには滅入ってしまう。 大阪では毬音と治療のため滞在したウィークリーマンションにあえて泊まることにした。それは毬音にも僕にも辛い事なのだが、僕にはコレを乗り越える必要があると思ったからだ。そして今夜は毬音逝去から4週目の「木曜」になる。やはり毬音が息を引き取った20:10は狂いそうに悲しく、もし今死神に僕が命を絶てば毬音の元に行けると囁かれようものならすぐにでも死んでしまいそうなくらい弱っている。ただ今日昼まで見ていた母の顔を思うとまだ僕は逝くわけにはいかないと思いとどまる。 死亡診断書上の21:27分までまだしばし死神の手招きは続きそうである。 とにかく毬音瓶を抱きしめて堪え抜くしかない。
2005/07/14 (Thu) 20:44

 ●●●  福岡・篠栗28番札所
福岡・篠栗28番札所
10日の日曜父の姉にあたる叔母の納骨だった。集まったのは母と弟と亡くなった父の妹にあたる叔母の家族と僕と毬音瓶。天気予報では大雨だったが、微かに数粒の雨は落ちたもののハッキリした雨は降らなかった。毬音の納骨だが、毬音父から毬音実家のある余市のお墓に8月3日執り行うとのメールが来た。分骨した大きいお骨は珊内の我が家にて留守番中で、毬音父は小さなお骨を持っていったのだが、やはりよくよく考えてみると、僕は大きなお骨を目の前に生活する自信が無い。そこで納骨の際大きなお骨を納骨してもらい小さなお骨は僕と未来永劫共に過ごす事にしてもらう。
僕の父姉の叔母の納骨が済み、予約していた始めていく寿司屋へ皆で向かった。新しくて寿司屋とは思えないような洒落た店であった。まぁオードブルなんかも出している店、会合・宴会用の店なのだろう。2階に座敷が2〜3室あっただろうか、しかし我々には奥にガラス扉に仕切られたテーブル席の部屋が用意されていた。 その部屋の扉に手をかけた時、僕はギョッとした。そのガラス扉には「ROOM YOKO」と書いてある。何の意味か不明なのだが、確かに書いてある。ここでひとつ明かさなければならないが、毬音の本名もYOKOなのだ。 寿司屋で何故「Room YOKO」なのだろう??? やはり毬音も叔母の納骨に家族として参加しているのだと確信した。 それ以外にもいろいろと妙な偶然や不思議な事があり、僕は今日博多から20〜30分の所にある篠栗・四国霊場八十八ヶ所めぐりの28番札所に行った。それはとある友人が(彼女は以前から抗がん剤治療を受けていて大変な状況なのだ)その28番札所を教えてくれたのだが、そこでは<口寄せ>いわゆるイタコさんのように降霊の儀式をしてくれるらしいのだ。しかし昨日の僕は実家でダラダラとしていてなかなか腰が上がらず、このまま行けないかもと思っていたら、一足先に東京に帰るため出ていった弟の忘れ物を発見。それで追いかけるつもりで博多まで出た。弟に追いついた僕は博多に宿を取り、翌今日 篠栗の28番札所に出向いたのだった。降霊はそこでは「おみくじ」と呼び加持祈祷・供養等も行っているのだが、毎日では無く しかも予約をしないと受けられないのだった。僕はお願いしてみた。するとちょうど今日は「おみくじ」の日で今日は何故か予約が少ないからと受けられる運びになった。なんて運がよかったのだろう。 僕は毬音に尋ねる項目を1:毬音の短い人生は幸せだったのか、2:この先僕にどうして欲しいのか要望を聞きたい、3:一緒になってくれてありがとうと感謝を伝えたい、と用紙に書いた。  僕の番が回ってきて今までの経緯を簡単に話し、幾つかの真言の経を老齢の女性住職と一緒に詠む。詠んでいるうちに住職の声が途切れ途切れになりトランスの状態に入っていると感じた。経を詠み終えた頃から小さな声でブツブツと語り出した。僕は必死に耳を傾ける。  「いろいろと看病してくれて本当にありがとう。私はあなたと一緒で幸せだったし今も幸せ。とてもすばらしい通夜と葬儀で嬉しかった。ずっとずっと一緒に居ようね」と言った内容だった。僕は住職に特別個性的な葬儀をした事も付ききりで看病したとも伝えていない。しかしこの辺の事は病気で連れ合いを亡くした人には当てはまってもおかしくない事柄だと思う、しかし「ずっとずっと一緒に居ようね」の言葉。これは僕が病床の毬音に囁き続けた言葉そのままなのだ。住職が知る由も無い言葉だった。僕は住職の前で大泣きした。 トランスから戻った住職は僕に言った。「奥さんはあんたにこれらの事を伝えたくてあんたをココに呼んだんだねぇ。今のままで充分だから特別何かしてもらいたいとは言ってないよ。今後はあんたの心の中で見守ってくれるからね。」
それから僕は時々涙を落としながら10キロほど歩いて幾つかの札所を回って博多に戻りこれを書いている。書きながら声を出して泣いてしまった。
まだ毬音の癌が再発する前の家で「私はもうダメかもしれない」と毬音はよく言っていた。僕は「毬音が居なけりゃ俺もダメなんだよぉ」と答えていた。それは毬音に存在意義を持ってもらうために言っていたのだが、毬音が居ないと僕は本当にからっきしダメなんだと思い知った。 博多の町は追い山ならしで賑わっている。
2005/07/12 (Tue) 17:00

 ●●●  北九州・マーフィーズカフェ
7日札幌近代美術館で円空仏を展示しているので見に行った。中でも両面堀の大きな観音立像の手印に惹き付けられた。「毬音の魂はしっかり受け入れたよ」と示しているようだった。札幌はようやく半袖で過ごせる暖かさが戻ったが、叔母の納骨のため福岡まで飛ぶ。千歳までの車窓は毬音の葬儀翌日 大阪へ行く際に見た景色と変わらず僕の中の悲しみも変わらない。時間の経過は僕を慰めてくれないのか。よくよく内観してみると、悲しみの内容が微妙に変わっている事に気付いた。葬儀翌日は毬音を喪った喪失感で悲しく、今も喪失感はあるが、毬音の記憶が遠退く心細さが加わりかえって悲しみは増したかもしれない。毬音逝って3週間。まだ苦しい。 苦しさを紛らす上でも北九州行きはある意味助かった。たった10日ぶりの里帰。前回 既に毬音はお骨になってたので、毬音の想い出に泣かされる場所・シーンは無く少し楽だ。 到着草々の夜、去年一月親父の法事で里帰した時マリオンと行き飛び入りでドラムを叩かせてもらった店・マーフィーズカフェへ。あらかじめ掲示板に毬音のためにサニーを演奏したい事を書き込んでいたので、受け入れ体
制を取ってくれていた。本当に感謝あるのみ。ジャムセッションが始まったのは10時近く。毬音瓶を出して聴かせる。サニー以外の曲も演奏し、毬音に捧げるサニーはアップテンポとバラードと2バージョンで演奏。 終電の0:08まで毬音と和やかに過ごせた。店を出ると土砂降りの雨。去年一月は店を出ると凄い降雪にマリオンの「ここ何処?北海道に戻ったの?」と言った言葉を思い出す。
2005/07/09 (Sat) 14:01

 ●●●  札幌・くう
札幌・くう
今日の昼、暇を持て余し部屋を出て何処へ行こうと考えながら行動をとっていると毬音が居たホスピスへ向かっていた。地下鉄・東札幌駅に着いてもホスピスへの足取りが思うように進まない。ホスピスへ行くつもりで来たはずなのだが、途中で不動産屋の広告を気も無く眺めてみたり後戻ってみたり。別に行かねばならない用事も無いのだが、どうして行くのか自問自答している自分があった。 結局病院にたどり着き3階のホスピス棟に階段で上がる。ナースセンターに行く前に、毬音が居た病室の前を通ってみた。毬音が出てすぐに入ったはずの人の名と違う名札がかかっていた。毬音が逝った6月16日から3週間。こんなに短い間に同じような悲劇が繰り返されたのだ。ホスピスでは悲劇しか生まれないのだ。そこで働く人達はどんな思いでいるのだろう。それこそ人の生死に麻痺するのではないだろうか。そうでなければやってられないだろうが・・・
毬音の元居た部屋の前を通る時はドキドキしてしまったが、デイルームでは涙は出なかったが、頭が絞めつけられる思いだった。 きっと一緒に連れてきた毬音も緊張しただろうと思いながら大通り西のウィークリーマンションに戻った。するといきなり毬音の記憶が襲いかかり涙が溢れて止まらなくなった。 これは毬音が「なんであんなところに連れていったんだよ!」と怒っていたのかもしれない。しかし僕には毬音の死を受け入れるためには行く必要があったように思えるのだ。だからまた行く必要があるように思う。そしてまた毬音に泣かされるのか。 夜にはこのウィークリーマンションから徒歩10分くらいのところにある「くう」というライブのお店があり、今晩はジャムセッション。去年9月にマリオンが入院している時もその店のジャムセッションに参加した。その事は以前にもココに書いた。今回も久々に行ったにも関わらずマスターは僕を覚えていてくれて「遠くからありがとうございます」と挨拶をされた。この「くう」という店は毬音の行きつけだったわけでなく、僕が「アガルタ通信」というバンドで演奏したのが最初なので毬音との関わりは無い。だから毬音瓶を剥き出しにさらして置いておけなかったので、収納袋の中で演奏を聴いてもらった。しかしチョットした隙に毬音を取り出して記念撮影した。今日の僕の演奏はそこそこ良かったようで、参加者の中の数人からすばらしいですと誉められ照れてしまった。それはきっと毬音に聴かせるための祈りが込められた演奏だったからだろう。 毬音、ありがとう。 こうなったら珊内を出て街で演奏活動でもするかな。 どうよ、毬音?
2005/07/07 (Thu) 2:58

 ●●●  札幌・インロックカフェ
今日の札幌は雨。昨夜 急に思いたって函館行きの夜行バスに乗ろうと思いながらビールで酔って乗らず。なので今日は何の予定も無く息苦しい思いで部屋にいた。 実は月曜に僕はウィークリーマンションを移った。毬音が息を引き取ったホスピス近くの物件に滞在するのは辛いからなのだが、今回の物件は なんと毬音が手術・入院していた医大の近く。おまけに窓から医大が見える! 部屋は前物件より広く有線放送も付いていて居住空間としては申し分無い。有線放送のジャズチャンネルで24時間ジャズを流している事で気が紛れるのだが、今日の札幌の最高気温が20度にもならない肌寒さからか、僕は毬音の記憶にやられる。何をやっても涙が溢れる。部屋から飛び出すと そこは毬音と通院で歩いた道。またやられる。 今回の物件の利点は、隣のビルに毬音が札幌に住んでいた頃よく通ってたカフェがあり、僕も何度か連れて行かれた。マスターはホスピスにも見舞いに来てくださった。毬音の葬儀後、マスターから店に立ち寄って下さいと言われていたので、夕方毬音瓶と一緒に店へ。 マスターが見舞ってくれた後から葬儀まで
の話しをした。毬音用にショットグラスをもらいビールを添えて飲んだ。 僕は毬音葬儀以来、飲まない日が無い。酒が無いと眠れないからだ。 浴びるほど飲むわけでは無いが、夜一人になる不安が眠らせてくれない。毬音がホスピスで昼は寝るのに、睡眠の点滴をうたれ激しい睡魔に襲われながらも唸りながら起きようとする姿を思い起こす。きっと寝てしまうと二度と目覚めないのではないかという恐怖と戦っていたのだ。 僕が眠れないのは毬音が起きようとした意識が憑依したのか。僕は毬音とは逆に起きていると辛いから、今夜も毬音と差し向かいでビールをあおる。 毬音はまだ僕の前に幽体として出てきてくれない。夢にも出て来ない。僕は毬音が結婚前から恋こがれる人がいるのを知っていたのだが、彼の所にでも行っているのだろうか。 いつでもいい、僕の前に出て来てくれる事があるなら、思いきりハグさせてくれよ。 今日は毬音お気に入りの清涼飲料ソフトカツゲンを買ってきてお供えし僕も飲んだ。カツゲンは毬音の匂いがした。 まだ札幌は雨が降る。雨音を聞きながら またビールをあおる。
2005/07/06 (Wed) 1:37

 ●●●  札幌・ジェリコ
札幌・ジェリコ
昼間、僕の母から電話があった。毬音のお骨を増量した事に対する叱咤の電話だった。お骨を粗末にする僕が我慢ならないようだった。いつまでもお骨を持ち歩くと毬音が成仏できない、可哀想、いい年して何やってんだと激しく叱られた。確かにお骨を持ち歩くのは非常識だろう。お坊さんから見れば罰あたりな行為かもしれない。母には世間の常識に沿った考えしか理解できないのだろう。少しは毬音の死から立ち直りかけていた僕は母の電話で落胆に引き戻された。僕は毬音を成仏させたくないわけではない。その時が来ればちゃんと光に戻れるように送り出すつもりだ。ただ、珊内に戻るまでは、毬音が行きたがっていた所や一緒に過ごす予定だった時間は一緒に居てあげたいだけなのだ。俺はそんなに悪いことをしているのだろうか? 毬音を喜ばせたいだけなのに・・・・
そんな落ち込んだ気分のまま毬音が行きたがっていた札幌のジェリコという店へ行った。前回は4月19日に毬音と一緒にライブを見に来た。ちょうど今日はジャムセッションの日だったし、店のマスターは毬音の通夜にも駆けつけてくれた事もあり、お礼の挨拶を兼ねて行ったのだった。札幌でジャムセッションをやっている店は何軒かあるが、僕はジェリコ以外の店はほとんど参加したことがあるが、ジェリコだけ時間の都合がうまくつかず、今日の参加が始めてだった。女房を亡くして自分は遊んでると見られるかもしれないが、僕にはドラムを叩く以外にこの苦しみを乗り越える方法は無いのだ。毬音瓶を前に僕は叩いて聴かせてきた。 毬音よ、どうだった?ジェリコは楽しめたか?
僕は母にまで情けないと言われる本格的屁たれなのだ。もし罰があたって僕が死ぬのなら、それはそれでいいと思っている。
2005/07/04 (Mon) 0:51

 ●●●  お骨増量・珊内
お骨増量・珊内
友人の運転で珊内へ行って来た。毬音の神恵内役場でのもろもろの手続きに行くため。珊内の自宅に戻ると、やっぱりつらい。友人が一緒に部屋に居ても毬音の気配の残る部屋はつら過ぎた。印鑑や年金手帳を探し、毬音のお骨を増量するため、骨壷を開けいい感じの骨を拾い瓶に移す。これで毬音は強化された。家では1時間足らずの滞在で出た。役場へ行き健康保険と発行してもらったばかりの障害者手帳を返還、高額医療費と社会保険から出る葬祭費の手続き。役場は明日から始まる神恵内・沖揚げまつりの準備で職員が少ない。 その後郵便局へ行き、毬音の預金口座解約手続き。しかし、、郵便局はいろいろと難問を突きつけてくる。毬音の死亡確認できる謄本・僕の印鑑証明・毬音の両親の印鑑証明が揃わなければ解約も名義変更も金をおろすことも許可してくれない。なんて面倒な仕組みなんだ。こっちは死亡診断書を持っているのに目も通さず、マニュアルに書いてある通りの事を要求してくる。終いには、「ガス料金等が引き落としになっているので残高が無くなるまでこのまま置いておくのはどうですか?」などとふざけた事を抜かしやがる。 確かに健康保険にしろ障害者手帳にしろ銀行・郵便局の口座にしろ毬音の形跡を消していくのは悲しい。身を削ぐ思いだ。しかし局の奴の言う言葉には悼みはまったく無く、事務的でコチラの心情を計り知ろうともしない。僕が札幌の郵便局で解約の相談をした局員の方が親身に考えてくれて、地元の局員がこの態度とは情けない。 役人意識は民営化で少しは変わるだろうか? 今後郵便局での預金はしない事にする。  そして職場の上司に会いに行く。どうやら早く仕事に復帰してほしいようだが、僕は再び北九州に行かねばならず、8月8日までの休暇を8月1日仕事復帰、ということで話しはまとまった。 どのみち毬音の居ない珊内に戻らねばならず、一人の珊内から逃げてばかりはいられない。思いっきり泣いて暮らす覚悟で7月31日に珊内に戻る事にした。 強力毬音を拝んでください。
2005/07/02 (Sat) 0:22

 ●●●  おいかどいちろう@岩見沢
おいかどいちろう@岩見沢
昨夜は辛い夜だった。嗚咽と涙で息苦しく、頭が割れそうに寂しい闇だった。幾人かの友人に電話をして少し落ち着き、久々に旅かっぱ芸人おいかどいちろうのサイトを見る。するとスケジュールに昨日・今日・明日と北海道は岩見沢で公演している。夜中の2時近かったが彼の携帯に電話してみた。案の定留守電になっていたのでメッセージを残した。おいかどいちろうとはニューヨークでの知り合い、一昨年は小樽で僕のドラムと彼の舞踊でジョイントした。その後毬音と3人で函館までドライブした。彼は毬音を知る一人でもあったので、毬音の逝去をメッセージに残した。そして今朝彼から電話があり急遽僕は岩見沢まで会いに、毬音と会わせるためにバスに乗る。札幌から岩見沢は1時間もかからないので楽な移動だった。  岩見沢に着いた時にはおいかどいちろうの芸は始まっていて、正直淋しい数に客に雑じって僕は毬音の携帯骨瓶と並んで彼の芸を見ていた。おいかどいちろうにとっても僕にとっても毬音にとっても、こんな形で再会するとは思っても無かった事だろう。彼の芸が終わり関係者の方々と交えて話をする。初対面の方だったが、毬音の瓶を手に取ってくれた。ありがとうございます。 おいかどいちろうも毬音の瓶を持ち再会を祝してくれた。 変わらないいちろう君の火吹き芸に毬音も喜んだことだろう。  僕にはあまり時間が無く2時間程で札幌に帰るバスに乗った。バスからの車窓にアベック(こう言うといつもマリオンに「アベック?オヤジ言葉だ。恥ずかし〜い」と言われた)の姿が目に入った。そして思う。毬音ともっといっぱい手をつないで歩けばよかった。もっといっぱい腕を組んで歩けばよかった。 皆さん、照れずに夫婦で手をつなぎ腕を組んで歩いてくださいね。
まだまだ僕は屁たれです。今日でちょうど2週間。
2005/06/30 (Thu) 17:14

 ●●●  小樽
昼に札幌に到着、ホスピス近くのウィークリーマンションへ帰り着いた。すぐに洗濯をして小樽へ向かう。小樽では毬音が行きたがっていた、遠藤ミチロウ氏がライブをやった毬音馴染みの店に行き、毬音の訃報を伝えた。僕が出した毬音の手紙は遠藤ミチロウ氏に渡ったらしく安心した。そして毬音の携帯電話の解約。これは悲しい。内地でふと毬音に電話しなきゃと何度となく思ったが、それはまだ北海道に毬音が居て電話すれば出るような気がしてたのだ。解約して毬音の携帯番号・携帯メールアドレスが消滅すれば、繋がりを絶つような気になった。解約を毬音父にメールすると「ひとつひとつ悲しさが募ります」と返信が来た。毬音とのメールのやりとりは僕より毬音父の方が頻繁だったから、さぞ辛かっただろう。解約の後は僕と毬音を結びつけてくれたジャズの店での月一のジャムセッション参加。僕は2ヶ月ぶりにスティックを握る。はたして叩けるだろうか心配だったが、叩き出せばいつもの自分になれた。但し練習不足はいなめない。寂しかったのは聴衆の中には毬音は居ない事。毬音の通夜に来てくれた店のマスターとしばし話した。北九州・大阪・東京より北海道は
毬音との想い出が多く、辛いのだ。僕はやっぱり屁たれな奴だった。
2005/06/29 (Wed) 1:28

 ●●●  北斗星Aロイヤル
列車の揺れでぼやけた写真になったが、トワイライトのウェルカムドリンクがコーヒーだけだったのに対し北斗星は、お茶缶・ペットボトル水・おたるワインのミニボトル・ニッカウィスキーミニチュアボトル・アイスペールとなんとまぁゴージャス!持ち込んだビールを含め僕とマリオンが酔っぱらうには充分。さぞかしマリオンも御満悦だろう。設備が若干トワイライトと違うものの快適さは同じ。ただ問題は、折角あるテレビモニターにはテレビ放送は入らず、たった2本のビデオが繰り返し流されるだけ。これはトワイライトも同じで以前マリオンもウンザリしていた。北斗星は乗車時間がトワイライトより短い分マシかもしれない。ウェルカムドリンクのアルコールは、退屈したらさっさと寝ろという意味か。 しかしマリオンの肉体存在欠如に僕が考え至った時、ウェルカムドリンクとビールを飲み干しても眠りにつけない気がする。 上野で入ったサウナの安物リンスの匂いが気になるので、マリオンと飲む前にシャワーを浴びよう。
2005/06/27 (Mon) 20:07

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