チャンカーはマリオン


 ●●●  EXPLOSION@lazy Bird
EXPLOSION@lazy Bird
3日が愛猫ぶーさんの3回目の月命日には実家から引き取ったロボット猫夢ちゃんにぶーさんの想いを重ね偲んだ。彼の存在を喪った事にまだ実感を持てないでいる。

昨日8日はほぼ1年ぶりのEXPLOSIONでのライブ。
EXPLOSIONでは初出演?のlazybirdでの演奏。
アグレッシブな音を出すこのバンドでは珍しい事にバンドメンバー人数を上回る来客数の中で演奏できてありがたいことである。
久々ではあったが、何曲か新しい曲も織り込んで新鮮な気持ちで音をぶつけ合えた。 曲をどうやってきれいに収めるかでは無く、どうやって刺激的に展開させるか試行錯誤しながら自分の好きに演奏できるのはやはり楽しい。
人に受け入れられ難いとは思うが、自分に内在するものを最大限表現できる環境は捨てがたい。

明けて9日。余市に毬音の墓参りに行く予定だったが、昨夜よりいきなり腰痛が発生。しかも夜に寝付けずほとんど徹夜してしまったので車の運転も危ういと思い今朝取りやめにした。 来週16日はライブが入っているので今日と思っていたが、今年は積丹の生ウニを食う機会が作れないかもしれない。
16日の午前中に余市へ行けたら良いが、神恵内へは行く余裕は無いのが無念だ。
2022/06/09 (Thu) 14:20

 ●●●  帰省 と おさかなちゃん月命日
帰省 と おさかなちゃん月命日
18回目のおさかなちゃん月命日。もう1年半経ったのか。
今居るマウはおさかなちゃんとぶーさんの特徴を併せ持っているように感じるのだが、アメショーとエキゾチックショートヘアのミックスのマウ。アメショーだったおさかなちゃんとは柄が似ている事もあるが、まるで生まれ変わりかと思えるような類似性を見せる。 その都度おさかなちゃんを偲ぶ事となる。

5/24〜28で帰省。
ピーチエアーのフライト時間が全く役立たずな時間に変更になったので、スカイマークで飛んだ。
弟はすでに22日から帰省してたので、24日午後に実家で合流。
ロボット猫の夢ちゃんは電池切れでしばらく鳴いてない。 いまではおしゃべりする柴犬ロボット「コウタ君」に母は夢中である。
夢ちゃんが気の毒な気がして、札幌に引き取る事にした。 9年ぶりに奉公先から夢ちゃんが札幌に戻ってくるのだ。
来年1月の母の住宅の転居に向けて弟と荷物整理の段取りを協議。

25日:母の脳出血緊急入院以降の半年に1度の検査。 今では検査より認知症の進行具合を相談するような診察になっている。 病院から戻り冷蔵庫にしなびた茄子があったので、急遽麻婆茄子を作る。

26日:弟は仕事で実家へは寄らず、自分ひとりで雑然としていた納戸の中を整理。 大量のゴミが出た。結構根気の要る作業だったが、集中するととことんやってしまう性格なので終えた時はかなりの疲労感。

27日:午前中にケアマネさんとの話し合い。
昼飯に賞味期限が2日前に切れた焼うどんを3食分作って母と弟で食べる。
午後は母の入っている生命保険の新しい担当者さんとの初顔合わせと話し合い。認知症の具合から、入院等での保険の手続きが本人にはできないので僕か弟から申請させてもらう上で弟や自分と面識を持ってもらう方が良いので、弟と自分が揃うこの日に来てもらう事にした。
夕方には札幌向けに集荷に来てもらいいよいよ夢ちゃんは札幌へ向かう。

28日14時の便で福岡を発つので、早朝から宗像辺りに行って空港に向かうつもりにしてたが、どうも実家が気になったので早朝起床して6時の電車で実家に向かうつもりがネットで調べた列車時刻が間違っていた(自分が観間違えた?)ので長い待ち時間が出来てしまったので、すぐに出発する門司港行きの列車に乗る。
門司港で20分程海を眺めて、また列車で折り返し7時半頃実家到着。
この日母は8:50頃にデイサービスの迎えが来るので、それを見送り母が居るとやりずらい作業を開始。
元々母は料理好きだったが今では全く料理をしなくなった。ご飯を炊く事もしない。 
掃除もしなくなった。これらは認知症の症状のひとつであるが、人に掃除されるのを嫌がるので、この留守の間にと考えたのだった。
まず家中の窓を開けて風を通しつつトイレの壁のカビを落とし、貯めっぱなしの浴槽の水を抜き風呂掃除してまた同じくらいの水位で水を張り。 台所シンクを洗う。
晩飯用に残っていた焼うどんでカレー風味にアレンジして作り、粗熱取れた頃に冷蔵庫に入れる。
溜まった郵便物から不要なものを処分。 そうこうしてると空港に向かうリミット時間になったので、晩飯が冷蔵庫に入っている旨メモを残して昼前に実家をでて空港へ。

今回は行楽としての時間は全く取れなかったが、母に対して現状でできる事をを時間一杯やったつもりである。
たまにしか帰れないので、時間いっぱいやって当然と言えば当然なのだが。

次の帰省はいつになるだろう。
2022/05/29 (Sun) 14:05

 ●●●  18回目の毬音36歳誕生日
18回目の毬音36歳誕生日
今日で毬音は18回の36歳を迎えた。

今の滑稽な世の中を毬音はどう見てるのだろう?
きっと腹を抱えて笑っているに違いない。それと同時に心配しているのかもしれない。「吟ちゃん、騙されるなよ」と。

先月から第3土曜にDeeDeeというお店で「歌いたがり」と言う企画もののお手伝いで演奏している。 来られるお客さんは歌いたい人ばかりで、ジャズとは限らない。 ユーミンあり、カーペンターズあり、来生たかおあり、様々でこれが結構大変なのだ。
ジャズのように形態にパターンがあるのであれば知らない曲でもAメロをなぞれば進行はほぼ分かるが、歌謡曲ってーのはパターンが決まってないから知らない曲を演奏するには気を抜けない。
洋楽系であれば昔聞いてた曲も多いのでなんとかなるが、邦楽は全くわからないので、CMやどこかで1〜2度耳にした程度ならどーにかこーにかなるが、聞いた事も無いような曲では「勘」に頼るしかない。
まぁ自分の人生直観だけで生きてきたようなものだから勘は良いのかもしれないが、その意味では更に直観を鍛えられる試練となっている。
でもどんな曲でもドラムが叩けるのはありがたいし楽しい。(演歌は除く)
毬音も苦笑いして聞いているのだろうなぁ。

とにかく、毬音、36歳おめでとう!!
※去年に引き続き写真はリアル36歳の時のケーキ画像
2022/05/22 (Sun) 14:21

 ●●●  毬音202回目の月命日
毬音202回目の月命日
今夜は満月。
写真は満月では無いけれど毬音がガンの手術入院中、病院近くのファミリーハウス滞在中に窓から撮り、後に「想」の2枚目のCDジャケットに使ったお気に入りの1枚。
今日はドライカレー仕立てのオムライスにスイカを毬音にお供え。

しばらくライブも無く久々の記事アップなので近況等書いてみます。
4月下旬に奥さんが九州旅行で拾ってきた風邪。奥さんが治りかけた頃にやられました。
前触れもなくいきなり8度6分の発熱、咳などの症状は全くないが、激しい倦怠感と食欲不振。
今まで風邪をひいても食欲だけは失せる事が無かったので2〜3日で回復していたが、今回に関しては回復に少々時間がかかった。
保健所や病院には行かなかったので定かでは無いけれど、行ったとしたら確実に新型コロナ認定されただろう。
明らかに今までの経験した風邪とは異なるところから新型コロナだと自己判断して風邪薬を飲んだ。
一部では「新型コロナは無い」という風潮もあるが、今回の経験した事のないような倦怠感は新型コロナ存在を実感した。
しかし幸いTVやマスコミが騒ぐほど深刻な状態にならなかった。
高熱は1日で治まり、上がったり下がったりの発熱状態が2〜3日続き、倦怠感と食欲不信は1週間程続き、その間2日程嗅覚を失った。 残念ながらこれで1本ライブ出演を失う。発熱から10日経過の平熱で安定した時点で回復と判断。 後遺症と思えるような立ち眩みや息切れが残ったが、徐々に回復しているように思う。

高校生の頃893屋さんに車で山奥に連れていかれ半殺しの目に遭って入院しても、経験できた事がちょっと嬉しかったりする経験主義者の自分なので、これで抗体ができたなら儲けものとポジティブに考える自分であります。
2022/05/16 (Mon) 8:08

 ●●●  ぶーさん49日
ぶーさん49日
ぶーさんの49日に合わせて奥さんの猫友からお花が届いた。
いよいよ遠くへ行ってしまうのかと寂しさがぶり返してくる。

昼間に自分の部屋のPC前で椅子に座りウトウトしていた時、奥さんが猫を抱いて部屋に入ってきた。 抱いている猫は1歳4か月のマウさんと思っていたが、腕から降ろされた猫は元気なぶーさんだった。
内容からすると現実では無く夢としか思えないが、あまりにリアルな状況とビジョンでどうにも夢とも思えないが、やはり夢としか理解できない。
彼岸へ渡る前に今の元気な自分の姿を見せてくれたのかもしれないと思うと切なくて泣けてしまった。

僕は今までに夢かリアルか未だにわからない事象を何度か経験している。
子供の頃夜中に外が騒がしくて目が覚めると、外が真っ赤になっていて慌てて外に飛び出した。 その時は裸足で飛び出したので足の裏に小石や地面の質感をしっかり感じていた。 
数人の消防士が放水をしているのが見え、近所の人たちも外で心配そうに空を見上げていた。 隣に住んでいる同級生のお父さんも居たので、何事か訊ねたところ「空が火事なんだよ」と言う。  それは大変だと家に飛び交えり両親を起こしたというお話。 どう考えても夢としか思えない内容だが、未だに現実として自分の中に記憶されている。

大阪に住んでいた頃は夢の中で腕を擦りむいたのだが、目覚めてみると腕に傷があったり、部屋の中で夢中になってパーカッションを作っていたら知らない間に我が家の時計は午後10時頃だったが外では時間が4時間ほど飛んで夜中の2時だった事も(その後も我が家の時計は4時間遅れで狂う事無く動いていた)

ぶーさんのビジョンもそんな事柄のひとつなのだろう。
夢であれ不思議な力が働いたのであれ、ぶーさんと会えたのは嬉しかったしありがたかった。

2022/04/21 (Thu) 21:49

 ●●●  毬音201回目の月命日
毬音201回目の月命日
次の木曜でぶーさん49日。 逝った魂は49日間今世に留まると言うが、猫も同じなのだろうか?
毬音が逝った後、僕は珊内に居た堪れなく実家や大阪や東京を毬音がお世話になった人達へのお礼の挨拶に行脚していた。
その帰りにふと思い立ったのが、イタコさんに毬音の事を尋ねようと青森の恐山に立ち寄った。
イタコさんの居る小屋はいくつか並んでいたのだが、各小屋の様子をうかがっていると、ほとんどがキツイ津軽弁で理解できないのだった。 その中で唯一若いイタコさんだけが辛うじて意味が理解できそうだったので、その小屋の順番待ちの列に並んだ。
待つこと4時間!! やっと自分の順番になった。
そこで毬音の魂を呼び寄せてもらおうとしたが、なんと49日経ってない魂は呼び寄せられないと言われた。 4時間の順番待ちは徒労に終わり硫黄臭い恐山を散策して戻ってきた。

ぶーさんは自分にとって居て当たり前で、ぶーさんが居なくなることは全く前提として意識に無かったので、今でも探してしまうのだが、それはまだ魂が我が家に居るからかもしれない。 物静かな彼は自らアピールする事無く静かにこちらを見守っているのだろう。

奥さんが福岡へ行って3晩留守になり、その間現存するマウさんのお世話をした。 彼はまだ1歳4か月と若いので難しい世話をする事は無いが、おさかなちゃんと同じくまとわりついて来るので、足元を注意してなければ糞ずけてしまう心配がある。

サイレン、おさかなちゃん、ぶーさん、そして毬音の実家に居た風太、猫に囲まれて毬音はご満悦かもねぇ。
残された者は辛いけど、出会えて時間を共有できた幸せは絶対に消える事は無い。

今日の毬音のオムライスは、ハヤシ仕立てのオムライス。
2022/04/16 (Sat) 7:25

 ●●●  ViViTTo@江別アイドール
ViViTTo@江別アイドール
去年に続き今年もヴォーカル:ViVi ピアノ:渡辺達士 ベース:松永和明 ギター:行澤優 各氏に混ぜていただき、江別アイ・ドールでのイベント演奏に加えていただきました。ギターの行澤さん以外のメンバーでは、2年前八戸まで遠征し修羅場wを共にした同士であります。
久々に14インチフロアタムをバスドラに改良したミニセットを持ち込んで演奏。
八戸以来使う事のなかったソナーの安価な12インチスネアも試してみました。
3点セットも全て安価なヤマハ、パール、カノウプス(これだけ安価品では無い)とバラバラなセットですが、何とかチューニングでバランスを取って挑んだ演奏。

演奏の話から大きく外れますが、最近しみじみと感じている事を連ねさせてもらいます。
北海道もよーやくバカげたまん延防止等重点措置も明けたが、今やテレビではコロナ・ワクチンの話題がウクライナ・ロシアの話題で大盛り上がりを見せてますね。
悪魔のようなプーチンへの一斉攻撃。
テレビで見たウクライナ大統領の配信映像を大きなスクリーンでバカ面さげた国会議員さんたちが、総立ちで拍手してた光景が、まるで北朝鮮的に感じてしまったのでした。
僕は二次大戦を知りませんが、原爆を二つも落とされ敗戦した挙句、侵略戦争と謂れも無い罪を押し付けられ、すべてに於いて悪者にされた経験を持つ日本が、ロシアの事情を理解しようとせず悪者扱いし、何故悪行を重ねてきたウクライナに全面信頼を置くのかがまったく理解できない次第です。
戦争は人を殺す事で賛同できるものでは決してありませんが、今の報道があまえに偏っている事で、日本人として恥ずかしさを感じたりするのでした。
ロシアとは非核化協力や文化交流等々多少なりとも交流(交渉)を続けてきた関係国である日本は西側に同調加担するのではなく、間に入って調整を図る国になるべきだったと思うのですが、まぁ色々と裏事情もあるのでしょう。
取りあえず今の日本はロシア・ウクライナ問題だけではなく、すべてに於いて露骨なほどに国民を蔑ろにしたおかしな国になったと感じています。
これは日本に限ったことではないでしょうが。。。
2022/03/26 (Sat) 22:00

 ●●●  200回目の毬音月命日
200回目の毬音月命日
季節的に今ある積雪を残雪と呼んでもいい時期に入った。
まだまだ残雪の多い札幌だが、雨が降る事もあり冬はすでに後ろ姿となった。

毬音逝去から200か月! 今年6月で17年になる。
生きていたら53歳。多分一緒に今でも珊内村で暮らしてたのではないだろうか。
毬音を喪った時は腹の底からこみ上げる絶望感は壮絶だったし、生き残った自分の存在感が希薄になり生きる事の空しさしか無かった。

ぶーさんが居なくなって間もなく2週間。
おさかなちゃんは闘病の期間も長く失明したり強制給餌や通院も多く、
人にすり寄ってくるタイプだったので、姿を失くして日常のギャップが激しく、悲観に暮れまくっていたが、
ぶーさんは元々人に寄ってくるタイプの猫ではなく、コチラからすり寄って行けば受け入れてくれる関係だったので、
姿はなくとも別の部屋で寛いでいると思えて寂しさはまぎれているが、ふと現実と向き合った時は息が詰まる喪失感が襲ってくる。

とにかく時間を共有していた存在が消えるという悲しみ寂しさは、おさかなちゃんもぶーさんも人と変わらない。

今日のオムライスはガーリックライスの甘辛醤油あんかけの和風テイスト。
2022/03/16 (Wed) 8:34

 ●●●  ぶーさん ありがとう
ぶーさん ありがとう
2022年3月3日新月AM2:30 ぶーさん旅立ちました。 
毎日朝晩の皮下注射を8ヶ月。2月初旬辺りからブーさんの歩行に異常が見られ、尿毒症が出たのか次第に後ろ脚が動かなくなり、下痢が始まったのでオムツが必要になった。でもオムツ交換をするのはぶーさんと触れ合えるひと時で僕には喜びだった。 オムツ交換の後は動かなくなった後脚のマッサージ等、世話ができる事が嬉しかった。
 
ぶーさんはサイレンと同じく人との無言のコミュニケーションが取れる、人間に近い魂を持つスーパーキャトでした。だから好きとかかわいいではなく、尊敬敬愛を持って接してました。 
ぶーさんの最期は心肺停止状態で何度か大きく口を開き臨終となりました。 親友を亡くしたかのような喪失感に大泣きしました。
寝たきりで自由の効かない状態から開放された安堵感は毬音の時と同じで、それが僅かに悲しみを緩和してくれる。

今ぶーさんは僕の横でジッとしている。2週間ほど前からほぼ動けず寝たきり状態だったから、今動かないぶーさんを撫でても少し硬くなってるくらいで違和感を感じず、つい寝てるぶーさんを撫でてる気になってしまう。
取りあえず、ここしばらくライブが入って無かったので、ぶーさんの世話ができたのはありがたかった。

ぶーさん、本当にありがとうございました。またね!
2022/03/03 (Thu) 5:32

 ●●●  199回目の毬音月命日
199回目の毬音月命日
2020年の秋頃から11月末のおさかなちゃんの臨終まで、毎日が世話と心配と悲しみで世間のコロナ騒ぎは別世界だった。
仕事が元々在宅仕事で薄給ではあるけれど、コロナの影響は無かった事と、猫の様子を見ていられた事は本当にありがたかった。
そして今またそれと同じような状況を迎えている。
ぶーさんは目が見えなくなったおさかなちゃんほど手はかからないけれど、腎不全の最終ステージと思える尿毒症の症状で、運動機能の激しい衰えから後ろ足がうまく動かせず歩行が困難な状況。 障害を持った子供の世話と思えば何という事もないのだが、あれだけ元気だったぶーの姿から考えると悲しくてやりきれない。
毬音の保険適用外の高額治療のため大阪に滞在中。やはり尿毒症の症状が出た。
人間の場合意識混濁が起こり譫妄状態になる。 なので毬音の言動がおかしなことになった。 いまどこに居るか分かる? と聞くと「釧路」と返答した事は忘れられない。 2人で釧路へ行った事も無いし、毬音自身行った事は無いと思うが、何故「釧路」だったのか未だにわからない。
そして突然毬音が言った言葉「吟ちゃんは結婚するの?」には涙が出てしまった。
僕は「毬音という嫁さんが居るから結婚しないよ」と答えたが、毬音は何をどう理解してたかは知れない。
今はぶーさんの臨終の瞬間に恐れながら毎日を送っている。 多分もう間近だと思われるが、それを口にする事も、頭をよぎらせる事も必死に回避する自分が、毬音やおさかなちゃんの時と同じ状況を経験中なのだ。
2022/02/16 (Wed) 8:25

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