ギリヤーク尼ヶ崎氏の公演へ行ってきた。
珊内在住時に岩内の障碍者施設「あけぼの学園」の校庭で行われた公演以来19年ぶりにギリヤークさんに会えた。
僕のpray=playの想いはギリヤークさんが基になっている。
祈りを具現化した舞いを19年前に目の当たりにして、そのビデオを毬音に見せると、毬音は涙した。
今ではギリヤークさんも91歳。19年前とは身体能力が全く違う。
それでも映画上映の後、舞いを披露してくれた。
パフォーマンスの技量として見れば、ただ転がり回っているだけとしか見えないだろうが、そこに展開されているのは、命の躍動だと感じた。
上映された映画の最期で、亡き母上の故郷の海岸で「念仏じょんがら」を舞っていたが、その時90歳のギリヤークさんの動態的パフォーマンスとしては、昔を知る人には悲しいくらいに動けていないのだが、海の波間で転げまわるギリヤークさんの舞いを見て、長年舞ってきた念仏じょんがらがこの時完成したんだと感じた。
前々からギリヤークさんを見て思うのは、彼の芸はテクニック云々では無く、生き様そのものであり、存在であり、唯一無二の芸なのだという事。
生のギリヤークさんを拝見できるのは、これが最後かもしれない。
帰り際に出入り口で車椅子に座り、お客さん一人一人と写真撮影をしていたが、僕は写真は必要ないので挨拶だけさせて欲しいと順番を待ち、「ありがとうございました」よ伝えて帰ってきた。
今日の写真は19年前の公演での1枚
19年前の自分の書いたページも引用してみます。
http://ginghiro.justhpbs.jp/giriyaku/giriyaku-hyosi.htm