まだ山が色づいてないにも関わらず我が家では一昨日辺りにすでにストーブを使用した。 大雪山系では初冠雪したとニュースが伝えていた日だった。
そろそろ車のタイヤを交換するタイミングに悩む時期に入ったのだ。
今年はコロナのせいか、時間経過が異様に速く感じた。
ピアノ:桂田瑞穂さん べース:天野幹旦さん のトリオに、毬音の嫁入り道具に入っていたCDの中の1枚、サックスプレーヤー奥野義典さんがゲスト。
一昨日辺りから僕は膝に痛みがあり、歩行にも気を遣う状態だが、いざ演奏となると痛みを忘れて負担をかけてしまうのだ。
開演前に、奥さんからメールで「愛猫・通称おさかなちゃんが台所でオシッコしてた!」とショッキングな連絡が入った。
いよいよ痴ほう症状が出てきたのか。
相変わらず目が見えたり見えなくなったりを繰り返していて、次第に見えない時間が増えているように思え、そんな心配に新たな心配が加わったわけである。
そこで自問する。おさかなちゃんの延命は本人にはどうなのだろう? 単に自分の我がままなだけではないか。。。
これは毬音の危篤状態の時と同じ苦悩である。
まぁ嫁さんとペットでは比重は大きくかわるが、悩める内容は同じなのだ。
昔、東京暮らしの頃、ふと曼荼羅が見たいと高尾山薬王院に行った時、住職さんから問われた事が今でも鮮明に記憶にある。
住職が問う「大けがをした白鳥を見つけ世話をする事にした、その白鳥は生きたドジョウしか食べない。食べなければ白鳥は死んでしまう。あなたは生きたドジョウを白鳥に与える事ができますか? 白鳥の命かドジョウの命、どちらを選択しますか?」と。
僕は迷わず答えた「白鳥の怪我の手当てをしたら白鳥を自然に戻す。そこで自力でドジョウを捕まえて生き延びるかは白鳥の運命次第と思う」と。
しかし住職の返答は違ってた。「生きたドジョウを白鳥に与えていいのです。白鳥を手当てしようと思った所で白鳥との縁ができたのだから、白鳥を最後まで世話する。それでいいのです」といったような返答だったが、僕にはあまり浸透してこない返答だった。やはり白鳥が生きる死ぬは本人の生命力や定めになるのではないかと思っていたが、毬音の事やおさかなちゃんへの自分の気持ちを照らしてみると、住職の言った言葉も染みてくるのだった。
神恵内村がついに放射能乞食になるらしい。寂しい限りだ。









