チャンカーはマリオン


 ●●●  誕生日
誕生日
22日に14日誕生日の奥さんと今日誕生日の僕の合同誕生日会を夫婦2人でささやかに行った。
今年は僕から奥さんには前部分に7キロまでのペットを入れられる袋の付いたニャンガルーパーカー。
奥さんから僕にはかなり大きめの赤のパーカーとグレーのスウェットパンツ。
ケーキはもちろんバタークリームのデコレーション。
寿司とオードブルで祝った。
23日は溜まった仕事をこなす予定だったが、札幌は50年ぶりの大雪に見舞われ、新千歳空港は2日間に渡ってマヒ状態。
仕事を日曜に回して駐車場で雪に埋もれたマイカーを掘り起こして汗だくの疲労困憊。
今年は大掃除を分散してやろうと、木曜に家中の窓と風呂場の掃除を済ませ、今日は雪かきでガタガタになっていたが折角休みにしたのだからとガスレンジや洗濯機の洗濯槽、排水溝等も掃除する。
後は自分の仕事部屋だけ。

ある程度の年齢になると誕生日が忌まわしい日なのだと感じている。
2016/12/23 (Fri) 22:58

 ●●●  137回目の毬音月命日
137回目の毬音月命日
15日がお休みだったので、1日前倒しでカッパ巻きやイクラ巻を作ってお供えした。
師走に入りいつも感じる1年の速さ。
何度かライブのMCで「1年の長さ」に関して話した自論がある。

年々1年という時間が短く感じている人も多いと思うが、
僕の思う1年の長さとは、10歳の人間にとっての1年は人生の10分の1の長さであり、
50歳の人間にとっては人生の50分の1。だから年を負う毎に1年は短く感じるのだろう。

これは尺度の問題になるのだが、思考は何かの基準で構成される部分が大きく、
比較が基本になっていると思われる。

1メートルの棒を長いか、短いかを問うても判断ができない。
想定した棒が2メートルであれば短いし、50センチであれば長いと判断する。
だから、良い・悪いも自分に培われた比較対象が判断の基準になる。

毬音は36歳で亡くなった。僕の父は34歳で亡くなった。
これは一般的に「短命」と言われるのは、平均寿命が83歳とされる現代だからだ。
平安時代であれば平均寿命は男性が「33歳」、女性が「27歳」と言われているが、
その基準であれば短命とは言えない。

比較を基準として考えなければ、命として生まれて死ぬまでが何年であれ100%と考えられると思うのだ。
3歳で亡くなれば、それも100%。 100歳で亡くなっても100%。
でなければ短命と言われて亡くなった人たちが気の毒だ。

比較の最たるものが、自分と自分以外の尺度だと思う。
この尺度が感情を持つ動物には大きく作用する。
人と比べて自分は劣っているとか優っているとか、必ず計算が働いてしまう。
人への施しは「人より優っている」という自我から発生する事がもっぱらだと思うので、
必ずしも悪く作用するものでは無いかもしれないが、やはり比較の範疇なのだろう。

昔仏教思想の「無」という考えから「魂」というものを考えた事がある。
僕の結論から言うと、「魂」は元々存在しない、若しくは一部の隙間の無いあまねくモノ。
白い大きな紙に、教育や習慣・環境・遺伝等の様々な色で埋められた部分が自我であり、
一部だけ色が塗られていない部分が魂と思えた。
様々な色を取り除き、白一色になったれば自・他の尺度も無く魂は無限に広がるのだろうと。
「無」を概念として捉えると、絶対に「無」は得られないともわかった。

そんな事を思いつつ、自分の不甲斐なさと100%生きた毬音を思う師走だった。
2016/12/16 (Fri) 13:41

 ●●●  奥さんの誕生日
奥さんの誕生日
毬音は36歳から年を取らないので、僕との年の差は間もなく22歳差になる。
今日は今の奥さんの誕生日で、ついに50歳に!!
僕もそうだったが、49歳と50歳の違いは思った以上に大きい。

49までであれば年齢を聞かれても答えるのに抵抗は無かったが、50になると恥ずかしくて答えにくくなる。
僕の場合、体力や気力の衰えもあるが、人生が余生として残された時間を見つめるようになった。
奥さんもそんな域に入ったようだ。

毬音が「死」を意識して旅立つまで経過した時間は本当に短かったと思うが、劣化していく肉体と精神への怯えを経験しなかったのは幸いなのかもしれない。

衰えた自分には自己否定的な考えしか浮かばなくなっている。

今年はこれをプレゼント。
2016/12/14 (Wed) 18:06

 ●●●  大雪
大雪
この冬は10月の初雪から積雪になり騒がれてはいたものの、札幌では小康状態が続き騒ぐほどの雪害はここまでは無かった。
しかし金曜の夜からの大雪は12月としては29年ぶり観測史上2番目の大雪になった。 札幌の市電も終日運休になるほどの大雪。
10日土曜は結婚式のパーティーでの演奏の仕事があったので、朝から車の雪下ろしをしたが、50センチほど駐車場に積もった雪は車に近づくにも苦労した。
車はかまくらの様相で埋まっていた。
汗だくになりながら1時間ほどかけて雪下ろしを終えた。
幸いベースの赤坂さんが車で迎えに来てくれるとの事で会場までの往復での困難は難を逃れた。
この日のパーティーはサックス:桜岡さん ピアノ:高島さん ベース:赤坂さん。
久々の営業ぽい演奏で、今まで好きな音を好き勝手に出していた自分の至らなさを実感。
明けた日曜は小康状態にはなったものの大雪の影響は大きく。買い物に行くにも再度車の雪下ろしが必要だった。

毎冬我が家のベランダの雪下ろしが必須だったが、昨シーズンは降っては溶けてを繰り返した事で一度も雪下ろしをしなくて済んだのだが、今シーズン初のベランダ雪下ろしを行う。
まだ降ったばかりの雪だったので軽くてここのところ腰痛が酷い自分としては助かった。
やはり雪下ろしは小まめに行うに越したことはない。
2016/12/11 (Sun) 20:58

 ●●●  136回目の毬音月命日
136回目の毬音月命日
帰省から戻り酷い咳に見舞われた。咳は体力消耗するようで咳きこんでいる間体重減少したが、
咳が治まると元に戻った。
この年になると朝起きて「すこぶる快調!」といった朝を迎えることはほとんど無い。

今年は冬の到来が早い。紅葉も雪に覆われ見頃も奪われた感じだ。
想のライブを終えて年内のライブは終了。年明けもほとんど予定は無い。
毬音の供養に僕の音の必要性を失ったのかもしれない。
それはそれで毬音が昇華したと考えると悪い事では無いが、僕としては寂しい。
自分の体調や諸々を考えるとライブ活動も潮時なのかも・・・

今日はガーリックライスベースのオムライスを作る予定。
炊いた線香は建仁寺の風神雷神の屏風絵をあしらった白檀の香。
何故かこの香は建仁寺では売っていなくて、京都国立博物館でしか買えないのだ。
2016/11/16 (Wed) 18:04

 ●●●  想ライブ@ジャムジカ
想ライブ@ジャムジカ
前回の想は1月8日。今年は想で2度ライブが出来た。
想の初ライブが2007年10月4日だからまる9年。
途中ベースの本間君が釧路へ転勤した事でベースを入れ替えてライブをした事はあるが、ギター古舘賢治 ピアノ中島弘惠 ベース本間洋佑がオリジナルとしての「想」なのだと実感している。
今回はボーカルにゲスト宮崎壮子さんを迎えてのライブだった。
宮崎さんのおかげで来客数もなんとか形になってありがたかった。
やはり自分の集客力では、この想はもったいないのだ。

来年で10年になる「想」
何とか来年10周年のライブを迎え節目としたいものだ。
2016/11/10 (Thu) 23:09

 ●●●  ミノヤトリオ@ジェリコ
ミノヤトリオ@ジェリコ
日曜の大雪の影響が小さな路地で若干影響はあったものの、大きな通りではさほど影響なかったのは幸いだった。
そんな夜、毬音お気に入りのお店ジェリコでミノヤトリオのライブ。
ベースはDAZZY。心配していた客入りも通りすがりの4名でどうにか形にはなった。
僕は咳がまだ治まらず、鼻をすすりながらの演奏で、いつ鼻水を垂らしてしまうか不安を抱えながらの演奏で若干集中力に欠けたかもしれないが、やはりジェリコでの演奏は毬音に一番近い所で音を出している気するのだった。

最近いろいろと体調不良な事も多いが、やはり演奏は楽しい。

明後日久々に自分のユニット「想」のライブだが、諸々考えるとこれが最後になりそうな予感が切迫している。
想のライブだけでなく、自分をリーダーとするライブはもう無理かもしれない。
2016/11/08 (Tue) 23:50

 ●●●  帰省10/29
帰省10/29
10/29 実家では墓参りとSkypeで使っているルーターの交換が目的だったので、昨日で目的は達成。
帰りの飛行機の便が以前に比べ時間が早くなったこともあり実家へ立ち寄るには余裕がないので、小倉城だけ見学する事にした。
小倉で揚子江の豚まんを札幌に送る手配をするが、商品の値段と送料がほぼ変わらないので豚まん1個が倍の値段になってしまうが、それだけの価値がある豚まんだ。
小倉から新幹線で博多。地下鉄で空港。 
若干の遅れで福岡を飛び立ち、新千歳到着。
福岡20度。千歳4度と気温差は16度。
帰宅して咳は更に悪化、結局風邪をひいてしまった。 翌日曜はゆっくり静養させてもらう羽目に・・・
2016/10/30 (Sun) 19:23

 ●●●  帰省10/28
帰省10/28
10/28 土砂降りの新門司港に到着。
無料送迎バスで小倉へ。9時から予約してたレンタカーを早めに借り実家へ向かう。
実家では僕の好きなイチジクや柿や豚まんを用意してくれていた。
昼前に父達の墓参りに行く。お寺の住職の奥さんがたまたま千葉での中学の同級生だった事からこの寺にお世話になっているのだが、うちの母に気遣ってくれてありがたいのである。
実は毬音もここの同級生である奥さんと合っているのだ。
墓参りもそこそこに終えて実家へ戻り昼飯を食って京都から送った荷物を待つ。この間にしばし昼寝をしたのだが、この時妙な咳が出るようになった。
2016/10/30 (Sun) 19:15

 ●●●  帰省の途10/27
帰省の途10/27
10/27は比叡山へ行き、そのまま大阪へとの予定だったが、急きょ変更。
早めにホテルをチェックアウトして9時から開く三十三間堂を目指す。
若いころの自分であれば5条から7条なんてまったくの徒歩圏内ではあったが、この年になると事情が異なる事を実感。京阪で移動。
三十三間堂も数えきれないくらい訪れてはいるが、何度来ても圧巻だ。
京阪7条から5条へ戻り、小野篁に縁のある六道珍皇寺へ。小さなお寺だが、怪しげな歴史のある寺院。そこから建仁寺。
写真撮影すべてOKとされている珍しいお寺なので、参拝者は気ままにカメラを構えているが、それが妙にうざったい。 口コミでは割と評価の高いお寺だが、僕にはそれほど感じるものはなかった。
建仁寺を後にして河原町まで歩き、阪急で梅田へ。
梅田では今年3月に久々の再開を果たした友人と、また久々の友人と合う約束。
2人とも僕の大阪ライフでは欠かせない重要な友人。
とにかく馬鹿々々しく楽しい昔に戻ったかのような時間を過ごせた。

友人らと別れ阪神電車で魚崎、六甲ライナーでフェリー乗り場へ移動。
1等和室を予約してたので、ゆっくりと寝転がって日本シリーズの試合を観戦。
トイレが付いてないのが不便ではあったが、まずまず快適な船旅だった。
2016/10/30 (Sun) 18:54

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