チャンカーはマリオン


 ●●●  EXPLOSION@ジェリコ
EXPLOSION@ジェリコ
日曜に続き毬音お気に入りだったジェリコで自分のリーダーバンド・エクスプロージョンのライブ。
やはり自分のリーダーライブはお客さんが入らない(泣)
うちの奥さんが言うにも演奏が良かっただけにお客さんが入らなかったのは残念との事。
僕自身も良いライブだったと思う。
毬音も大喜びな内容だっただろう。

しかしどうすれば集客できるのかなぁ。。。

演奏は楽しいが、この集客ではライブはやはり続けられないかと…
2015/04/09 (Thu) 23:54

 ●●●  簑谷安紀子カルテット@ジェリコ
簑谷安紀子カルテット@ジェリコ
マリオンお気に入りのお店ジェリコでのライブ。
簑谷安紀子(p・leader)横山侑生(sax)重松忠男(b)のメンバー。
横山君 重松さんとは初の音合わせ。
朝は晴れていた天気が次第に曇天になり、昼過ぎからは小雨模様の生憎な天気だったが、簑谷さんのツテでたくさんのお客さんが来店くださった。

実はこの日僕は7時間ぶっ続けで仕事をした後で体力的に消耗モードではあったが、久々の演奏という事もあり、蓄積されてた演奏欲を解放できたのだった。

重松さんの安定したベースと、若いながら丁寧な音を出す横山君、とハッチャキドラムの自分が簑谷さんを盛り立てるという図式。
横山君は諸事情で演奏活動停止するらしいが、重松さんが帰り際に「音屋で辞めると言って辞めた人は見たことないから」と笑っていた。
もっともな話だと思う。

若さゆえいろんな苦悩があるのだろうが、悩むときは悩む方が良い。
それが自分に層を付けてくれると思うから。

しかし演奏はやっぱり楽しい、
2015/04/05 (Sun) 23:53

 ●●●  去りゆく命
1〜2度ライブでご一緒させていただいた男性ピアニスト高松氏が、急逝された。
昨日偲ぶ会が行われるとの事で、すでにサイズが合わなくなっていた喪服を至急買いに行き、時間に遅れたが焼香には間に合いお別れをしてきた。

聞いた話では、簡単な心臓手術を受けて術後の経過が悪く、手術2日後くらいで亡くなったとの事。
手術前の入院は不要で、演奏もしていたらしい。
一見何処が悪いのかも分からないくらい元気だったそうだ。
彼は晩婚で、僕の一つ年下だったが、2〜3年前に結婚したはずだし、子供も生まれたばかりで家も建てたばかりだとか・・・

そんな状況では奥さんが気の毒で仕方ない、しかし一番驚いて納得がいかないのは本人だと思うのだ。
手術ミスではないのかと疑う自分ではあるが、こればかりは親族が問題にしない限り明確になることもない。

命とは儚いものなのだとあらためて心痛した日だった。
2015/03/23 (Mon) 18:25

 ●●●  117回目の月命日
117回目の月命日
トワイライトエクスプレスに続き、北斗星も終了してしまった。

2002年2月マリオンとスウェーデン、デンマーク旅行の際、行は小樽からフェリーで新潟へ、新潟から新幹線で東京。そして成田からコペンハーゲンへ飛んだが、帰りは成田から上野。上野から北斗星に乗車して北海道へ戻ったのだが、そのアレンジをとても気に入ってくれたのだった。
それがマリオンの最初で最後の北斗星乗車だった。
僕は毬音逝去後に毬音の思い出をたどりながら再び乗車はしたのであった。

小学生の時、九州から千葉へ引っ越しの際、寝台特急さくらに乗ったのが初めての寝台列車だったが、これ以来寝台列車というより、夜行列車への憧れがあった。
北海道へ渡るには上野から急行・八甲田で青森へ行き、連絡船で北海道上陸したコースは何度となく乗ったが、連絡船が無くなってからは経済的にももっぱら長距離フェリーを利用していた。
なのでマリオンと乗った北斗星は僕にとっても本当に久しぶりの夜行寝台列車だった。

道内を走る夜行列車はとっくに消え去り、
札幌ー青森間の急行はまなすが現存する最後の夜行寝台列車になった。
利便性を求める世の中でノスタルジーは切り捨てられて寂しい気持ちになるのは、年を取ってしまったということなのか・・・


札幌の雪解けもかなり進み、今日の最高気温は10度近くになった。
今日の毬音の月命日には奥さんがお供えにとイチゴを買ってきてくれた。
イチゴとシュークリームとかっぱ巻き。そして僕が作ったオムライスが今日のお供えメニュー。
久しぶりにオムライスを手作りしたのだが、今日は何気に上手くできたのだった。

2015/03/16 (Mon) 20:02

 ●●●  トワイライトエクスプレス
トワイライトエクスプレス
2005年5月 マリオンの活性化自己リンパ球療法のため大阪へ向かう際トワイライトエクスプレスを利用した。
取れた席はシングル・ツインだったが、あまりの手狭な感じに閉所恐怖症の僕は落ち着かなかった。 急いで車掌さんにA個室は空いてないか聞いてみた。すると車掌さんはしばし考え「ひょっとするとキャンセル出るかもしれないので、ちょっと待ってください」との返答。
しばらく待つと「空きました!」と写真にあるA寝台個室ロイヤルの2人利用で取れたのだ。実にラッキーだった。

A寝台の利用は初めてだったが、B寝台(B個室)とは雲泥の差! ウェルカムドリンクは出るは、朝の新聞サービスはあるは、資本主義の格差を垣間見たのだった。

このトワイライトエクスプレスが大阪に到着した時、大阪駅は騒然としていた。それは3〜4時間前にJR福知山線脱線事故が発生したばかりだったからだった。

それからウィークリーマンションにて3か月間治療に通うのだが、1か月ほどでマリオンの状態が危なくなり、混濁状態に陥った。
治療中途で断念して北海道に帰ると決めた時、マリオンに帰る事を告げると、混濁状態の意識にも関わらず「トワイライトエクスプレスに乗りたい」と言うのだった。
急いでJRに問い合わせたところ、やはりトワイライトエクスプレスのチケット入手は簡単ではなく、マリオンの希望を叶えてあげられないのが悲しかった記憶が強く残っている。 
結局フェリーで北海道に戻ったのだが、もう一度マリオンをトワイライトエクスプレスに乗せてあげたかった気持ちはいまだにあり、そのうち毬音の魂と今の奥さんと一緒にトワイライトエクスプレスに乗れる日を期待していたのだが・・・
今日がトワイライトエクスプレスの最後の運行との事。
乗車はもうかなわない夢となってしまった。

良くも悪くも、何もかもが消失して行くのが時間の流れなのだ。
          諸行無常也
2015/03/12 (Thu) 17:38

 ●●●  ギタリスト秋山一将氏
※残念ながら写真無し
ジェリコへライブを聴きに行く。
ギター:秋山一将 ピアノ:中島弘惠 ベース:秋田祐二 ドラムス:小山彰太
中島弘惠さんは、僕のユニット「想」のメンバーであり、秋田さんには時々お世話になっている知った仲である。

秋山さんと会うのは30数年ぶり。 秋葉原にあったホットミュージックスクールで古澤良次郎氏についていた頃、秋山さんからいろいろとアドバイスを頂いたり、おさがりの服を頂いた事もあった。
秋山さんから頂いた洋服でのエピソードがある。
派手な緑色したジャケット(秋山との刺繍も施してある立派なもの)を頂いた。 それを友人の結婚式に着て行ったのだが、記念撮影の際、カメラマンから「こちらへ」と指示されて座った席は新郎の席だった(爆)
それほど派手で目立つジャケットだった。

小山彰大さんは生前の古澤さんからよく話を聞かされていた。
古澤さんが小山さんに「お前の好きなドラマーって誰よ?」と訊ねたところ、小山さんは「小山彰大です」と答えたそうな。
それが古澤さんはかなり気に入っていたようで、あいつはすごいよ!と笑っていた。
そんな彰大さんともやっとまともにお話をする機会に恵まれたのだった。
なんと言っても山下洋輔トリオでの圧巻な演奏を知る僕にとっては、憧れでもあったわけで、この日のライブは実に有意義だった。

秋山さんも気分が乗っていたのか、曲数も多く長い演奏だった。終えた後僕のところへ来て「長くなっちゃった」と微笑んでいた。

とても素敵な時間を過ごせたライブでした。
2015/02/28 (Sat) 23:59

 ●●●  Explosionマイナスワントリオ@くう
Explosionマイナスワントリオ@くう
ギター池田伊陽氏が都合で出演できず、エクスプロレーションのピアノトリオでのライブ。

以前 池田さんの肉親の御不幸で急遽トリオで演奏した事があり、エクスプロレーションマイナスワンのピアノトリオ演奏は二回目になる。

今日は昼間にはプラス5度になるほど2月と思えない気温になり雪解けが進んだようだ。

気温も高めで外出も楽だから人出も増え来客もと微かに期待するが、フタを開けてみれば、来客数より出演者が多いと言ういつもと変わらない状況だった。

目覚めた時から風邪気味で、体調がすぐれなかった。演奏は十分楽しんだが、毬音好みのカオスな音出しが集中力を要し、終えた時は疲労困憊。
自分の演奏は音的にあまり満足できるものではなかった。

今年はすっかりライブ数が減ったにも関わらずこの客入り! 流石だな、オレ(┳◇┳)
2015/02/19 (Thu) 23:59

 ●●●  116回目の月命日
116回目の月命日
この冬は週末が荒れて飛行機やJRに乱れが出ているが、札幌の積雪は少ない。おかげでベランダの雪下ろしはまだ1回しかしてない。 しかし網走などの道東は記録的な大雪に見舞われているようだ。

マリオンは一度だけ僕の帰省に付き合い北九州を訪れた事がある。 2004年の1月、11年前の事だった。 その時の北九州は記録的な大雪で車道は圧雪アイスバーン状態でなんら北海道と変わらない風景・状況だった。
そんな帰省で揚子江の豚まんの溢れる肉汁に僕もマリオンも苦戦しながらおいしく食べたのだった。

今日の月命日に先々週帰省した際に買った揚子江の豚まん(ミニまん)をお供えした。さぞかし毬音も懐かしく食べてくれただろう。

今日のオムライスはドライカレーのオムライスにしようかな
2015/02/16 (Mon) 13:59

 ●●●  バレンタイン
バレンタイン
先日のバレンタインデーで、現奥さんと入籍してまる三年。

毬音を喪って数年間はすぐに死んでも良い、早く死ねたらとしか思考が働なかったが、今は奥さんと猫を残して死ねないと思える。

この暖かな状況に深く感謝!
2015/02/15 (Sun) 16:52

 ●●●  帰省2・納骨
【ここでも写真無し】

何も観光ができなかった阿蘇。
北海道でも味わえないくらいの雪での惨敗感を味わった阿蘇。
奥さんの結論
1:冬の阿蘇は寒い。
2:レンタカーを借りるなら金を出し惜しみせずにスタットレスタイヤのオプションを付けろ。
3:九州でも雪は積もる。
良い思い出も無いままに奥さんは翌6日一人で札幌へ帰った。
留守番している猫を放置できるのは2泊が限界だろうと、いつも奥さんは2泊で帰る羽目になるのだ。

小倉駅で奥さんを見送り、実家へ行く。
母と弟と3人で去年墓を閉じた事でお寺に預かってもらってた我家系数人のお骨を最近完成した納骨堂に収めるため、お寺に向かう。
古びた骨壷を新しい骨壷に移すのだが、僕は僕の父のお骨を躊躇なく素手でまだ形として残っている骨を選別しながら新しい壷へ収めていく。
弟は弟の父のお骨を全別して新しい壷へ収める。
僕の父のお骨は、墓から出した時は壷の中が水浸しだった事で、酷く湿気ったお骨だったので、生乾きのコンクリートを触った後のような手になった。

住職の奥さんは僕の中学時代の同級生である事もあり、納骨を終えるとありがたい事に、住職の奥さんが家まで車で送ってくれた。

これで今回の帰省での重要な要件は終わったが、日曜に弟が北九州マラソンに出場する。それを母は見たい応援したいと言うので付添うつもりでいたが、僕の仕事の関係と、札幌では雪まつりの最中と言う事から日曜だけがたまたま安値のチケットがあった事で、弟の完走を見届けずに帰る事になるのだが、時間的に応援する母への付き添いはギリギリ間に合うかどうかと行ったところだ。
明日(今日)は朝に少し仕事をしなければならないが、それが終わったら実家へ行って、モバイルWi-Fiルータでのskypeを母に指導しなければ・・・

母は今年80歳になる。
2015/02/07 (Sat) 1:12

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