チャンカーはマリオン


 ●●●  肉の日
肉の日
本日引っ越し祝いのすき焼きパーティーを開催。

なんと言っても嬉しかったのは毬音に素敵な花束を持ってきてくれた事。 ホントにホントに感謝!

久々のすき焼きも美味かったし、楽しい一時を過ごせました。

すべての皆さんに感謝しつつ、美しい月を眺める。
2010/05/30 (Sun) 1:15

 ●●●  小樽フリーランス・ジャムセッション
小樽フリーランス・ジャムセッション
久々に、マリオンとの出会いのきっかけだった小樽フリーランスへ行く。
今夜は月に一度のジャムセッション。
先月この世を去った友人は、このセッションの発案者であり、毎回居て当たり前だったので、つい居るか確認してしまう。
当然姿は無かったが、毬音と共にセッションを楽しんでくれている気がしてならない。
きっと二人で「あっ、今ミスったよねぇ」なんて喋ってるのだろう。
他界した友人の意志を継ぐべく、ジャムセッションを継続させようと趣向を暗中模索しての開催だったが、実に楽しめた。 小樽ならではの趣を凝らす事を目指しているらしい。 それとても素晴らしい事だと思う。
フリーランスのジャムセッションはマリオンと一緒に神恵内くんだりから出てきて参加してきた、僕にとっても沢山の想いのある貴重な場。 陰ながら応援していきたい。
2010/05/26 (Wed) 1:23

 ●●●  永遠に36
永遠に36
夕日は、珊内在住時マリオンとよく見に来た窓岩近くに移動。
日本海側は水平線に沈む夕日が特色だが、慣れ親しんだ西積丹での夕日は感慨深い。
寒い時期、マリオンは寒いからと、車の中から夕日を眺め、そのマリオンを僕が眺める。 そんな何気ない一時が、無性に恋しい。

珊内での満点の星空を見たくて、夜の闇を待つ。 残念ながら、月明かりと微かなモヤで満点にはならず。 しばらく海に照る月を観賞。 肌寒さで車に戻り寝床を作ろうとしたが、翌日曜の帰り道の交通量が頭をよぎる。
さほど運転好きでは無い僕は、空いている夜、それも眠くなる前に帰ろう!と思い立ち、10時過ぎに珊内を後にした。
2010/05/23 (Sun) 1:57

 ●●●  毬音誕生日@珊内
毬音誕生日@珊内
東積丹はべた凪ぎで、まだ6月前だがウニ漁が始まってるようだった。
珊内の海はほど良く波があり、波打ち際近くで波音と日差しに包まれた状態が快適だ。

山にはホトトギスの声、海にはカモメと海猫がさえずる。

珊内を出て四年半。
ようやく悲壮感は薄らぎ、懐古に浸れるようになった。
本当の意味で僕が踏み出せるのは、これからなのかもしれない。

毬音の実在は、僕の記憶ではなく、この世の事実なのだとわかり始めた。
2010/05/22 (Sat) 16:47

 ●●●  今年も年を取らない誕生日
今年も年を取らない誕生日
カーネーション・バラ・ガーベラ・かすみ草、まるで墓参りには似つかわしく無い花と、かっぱ巻・サーモン巻・ビールとケーキ。
これまた奇妙な取り合わせのお供え。 まぁ 世間で言う、俺流。
形式ばったものを好まないのは僕と毬音の共通したところだから、これでいい。

墓前では、鳶やカッコーの声が聞こえる。 札幌暮らしで忘れていた空気。

さて これから珊内を目指す。
2010/05/22 (Sat) 14:29

 ●●●  想ベーシック@くう
想ベーシック@くう
今回の想は、ボイスの松橋めぐむが都合で出演できず、想の基本形の古舘賢治(g) 中島弘惠(pf) 本間洋祐(b)での演奏。 午前中は晴れていたので洗濯をしてベランダに干したまま演奏に出かけたが、出発矢先に霧雨が降って来た。そんな天気にも関らず、想にとっては沢山(自己流来客数の数え方:1・2・3・沢山)の来客に感謝。  しかし、開演時間になってもベースが到着しないので、最初の1曲目はベース抜きで始め、2曲目からは4人での演奏にこぎつけた。 ボイス参加以降、めったに演奏チャンスが無いレパートリーもあるので、その辺を中心に演奏。 ボイス参加前での演奏では、曲の構成やイメージ固めに心注いでいたが、今では想サウンドも円熟してきたこともあり、自由度の高い演奏ができた。
僕のオリジナル曲「字 珊内」は、5月22日が毬音の誕生日ということもあり、毬音と過ごした珊内を強くイメージして音を出した。毬音に伝わっただろうか。
良いお店と良いお客さんと良いメンバーのおかげで、幸福感に包まれた夜だった。

先週の毬音月命日にお墓参り兼ねて珊内へ行くつもりだったが、体調不良で叶わなかった。明日は毬音の年を取らない誕生日ということもあり、お墓参り・珊内行きを実現させるか!
2010/05/21 (Fri) 23:59

 ●●●  ライブ@ジェリコ
ライブ@ジェリコ
毬音お待ちかね、ジェリコでのライブ。
メンバーはp奥山文子b矢木章のピアノトリオ。
このトリオでのライブは、これで4回目かな?

ここのところの体調不良でどーなる事やらと心配したが、いざドラムの前に座ると演奏を楽しむ自分になる。
ジェリコとなれば、毬音とビールは切り離せないので、自分の体調も省みず注文して、飲みながら演奏に突入。
ビール傍らに毬音は楽しんでくれただろうか?
演奏を終えてタクシーに乗り込む。 運転手さんの言葉に関西訛りが聞き取れたので、関西の話しで盛り上がり自宅に到着。降りしなに「運転きをつけて!」と声をかけると「おおきに!」と返ってきた。 そんな些細な事でも気持ちは温かくなるものだ。
家のベランダで川音を聞きながら一服。空を見上げると、札幌でもこんなに星が少ないのかと、珊内の満点の星空が恋しくなった。
この週末は珊内に行けたらいいなぁ…
2010/05/18 (Tue) 0:58

 ●●●  59回目の月命日
59回目の月命日
新居生活も2週間以上経過した。
間取りやベランダからの景観は文句なし。しかし細かな作りがチャチな事に気が付いた。
各階2世帯作りの構造では重量鉄骨では無いわけで、階上の無神経なドタドタとした足音が時折聞こえ、排水の音も聞こえる。 この点では前のマンションは結構しっかりしていた。  新居での地盤にもちょっと問題がありそうな気がするが、細々と問題を挙げても仕方ないわけで、現状を楽しむ方向を考えるべきだろう。
実を言うと、先週火曜から高熱発熱してしまった。 病院へ行き、インフルエンザの検査を受けるが陰性。 風邪の類では無いようだった。 もらった薬が効いているうちは熱も下がるが、効き目が切れる頃にはまた熱が出る。  喉の痛みから扁桃腺の炎症と自己判断。その自己判断を基に定期検診を受けている病院へ行ってみた。検査結果、炎症反応からして判断は正解だろうと。 前の病院でもらった解熱剤では根本的改善はできないので抗生剤を出してもらう。しかしその抗生剤が合うかどうかが問題になってくる。来週も熱が下がらないようであれば、抗生剤を変えます、って事で帰宅した。
本当であれば毬音の墓参りを兼ねて珊内に行こうと思っていたが、結局部屋でグッタリと過ごす事になった。
だが、今日は月命日。 花を買いに行き、オムライスを作った。
今日のオムライスはひき肉・ピーマン・玉ねぎとご飯をレトルトのナポリタンで炒めてみた。 5月末に亡くなった友人にも一緒に食べてもらおうと大きなオムライスを作った。
実のところ、まだ食欲が無いので、お供えしたままになっているのだが、食べるとしても半分も食べれるかどうかといったくらいの大盛りなのである。
明日はライブなので、少しばかり練習もした。 思いのほか、体調は回復してる気がする。

我が家のベランダから川向うの児童公園に盛りを少し過ぎたささやかな桜が見える。川音が聞こえる生活は良いものだ。上の住人の足音さえなければ、もっと癒される空間になっただろう・・・・
2010/05/16 (Sun) 17:47

 ●●●  新居にて
新居にて
新居にて今夜で3夜目を迎える。
4月28日友人のお通夜で小樽へ行き、そのまま小樽で夜を過ごし、29日に見送り、30日に引っ越し、5月1日は旧居の大掃除と新居の荷解き、5月2日旧居の明け渡し。
けたたましく数日が過ぎて行った。
新居の荷解きもほぼ終え、生活空間が広がると、何故か間が持たず閑散とした気分になってしまうのは、根っからの貧乏性なのか。
持て余した時間ができると、忙しさにかまかけ、逃げていた友人の死と向き合わねばならない。
今夜は弔にと、2005年の小樽のイベント、音座なまらいぶで毬音追悼のため演奏したバンド・mariyoonのDVDを観ながらビールをあおった。
映像の中で先日亡くなった友人は、毬音の形見分けのギターを弾いている。
彼のバンドOYA2に参加させてもらったのは2001年だったと記憶してるので、彼との付き合いも9年になる。
ニューヨークから神恵内字珊内のような僻地に居を移し、北海道移住での演奏活動ができるようになったのは彼のおかげであり、彼と知り合ったことから小樽・フリーランスという店を知り、その店でマリオンと知り合えた。
それを考えると、マリオンと出会えたのも彼のおかでなのだ。
そんな恩人がもうこの世に居ないのは、僕にはまだまだ現実味を帯びていないのだが、もう二度とmariyoonの演奏は実現しない事は確かであり、あの温厚な笑顔と声に触れられない現実を受け入れなければならないのだ。
毬音と同じく、肉体を離脱した今の彼には健康面での辛さはすべて消え去り、毬音の住む否定の無い無限に広がる世界に旅立ったと思うと、不謹慎かもしれないが、少しばかり羨ましく思える。

しばらくは毬音の写真の横に、友人の写真も飾らせてもらうことにした。

存分にギターを弾いてくださいね。。。
2010/05/03 (Mon) 0:27

 ●●●  小樽の夜
小樽の夜
26日の夜に小樽の友人が心筋梗塞で急逝した。
彼はマリオンの闘病中やその後もいろいろと細かに気を使い我が夫婦を支えてくれた恩人であり、毬音が逝った後も追悼ライブでのバンドMARIYOONのメンバーでもあり、彼のバンドOYA2にもかなりの数参加させてもらった、毬音にとって馴染みの深いギタリストだった。
毬音逝去の際、毬音の嫁入り道具のひとつであるフェンダーストラトキャスターを形見分けとして受け取ってもらった友人である。

その彼が、実は6〜7年前から癌にかかっていて治療していた事はうすうすは感じていたが、本人は口にしなかった。それもあって毬音の事を人事と思えず気にかけてくれてたのだろう。

小樽=彼 という公式らしきものが無意識に僕の中にあるわけで、今日も彼のお通夜と言うのに、参列者の中に彼を探している自分が居た。

僕は実に沢山の人の恩を受けて生かさせてもらっているのは痛感しているが、それらの人たちに何一つ恩返しできずに居るジレンマも感じている。

また一人、恩を受けたまま返せずに恩人を喪ったのだ。

今夜の満月を見上げ、毬音が息を引き取った時も満月を見上げてたのを思い出した。
今夜は小樽を離れる気がせずに、宿をとって明日の告別式に参列することにした。

毬音、申し訳ないが そっちで恩返ししておいておくれ。
2010/04/28 (Wed) 23:28

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