またひとつ毬音と歳の差が開いた。
昨日のギグのギャラが思ったより多かった事もあり、思い切ってバタークリームのデコレーションケーキを買った。これを独りで平らげるのだ。自分への誕生日プレゼントは、ドラムスティック(英語の俗語で、チキンの骨付きモモ肉の意味もあるが、これはホントのスティック)一組と、もうボロボロになって使いものにならないのに無理に使ってたマレット一組(マレットは先っぽにフェルトが付いたスティックで結構値がはるのでなかなか買う勇気がなかった)を買替えた。スティックとマレットで5千円ちょっとナリ!
人によって誕生日への想いはまちまちだと思う。まったく気にして無い人も居れば、大切な日と思う人も居る。僕は後者である。人の誕生日であっても大切な特別な日と考える。
中学を卒業した年の一年間、同級生全員にバースデーカードを出した。親しい友達はもちろんだが、たいして話した事の無いクラスメイトにも出していた。それほど僕には誕生日は特別な日と認識されているのだ。誰かの誕生日となれば祝福せずにはいられない。
だが、自分の誕生日では、祝福してもらった記憶は、自分の親とマリオンくらいしかない。 だから物心ついて以来、自分の誕生日には自分でケーキを買い自分にプレゼントを買ってきた。
考えてみると、本来誕生会を開くとすれば、誕生日の本人が主催するものなのだろう。少なくとも西洋ではそーである。まぁ僕のように友達が居ない者はパーティー開くとしても誘える相手も居ないわけで、結局独りでケーキ喰いながら、親へ感謝して終わるわけである。
今年の誕生日には、マリオンと僕共々お世話になった、僕の中学時代の同級生からプレゼントが届いた。涙がでるくらいに有り難かった。




