チャンカーはマリオン


 ●●●  3時間の帰宅
3時間の帰宅
19日に病院へ外出届けを出していたが、ステロイドの減薬に伴うリバウンドからか38度の熱を出してしまい、一時帰宅が叶わなかった。 僕の病室は6人部屋でほとんどが2〜3泊の検査入院や処置入院の患者。そんな短期入院であっても、奥さんや家族が付き添い見舞っている。そんな病室で僕は一人本を読んだりボンヤリ外を眺める。時々毬音の写真に見入り、盲腸で入院していた時のマリオンの見舞い姿を思い浮かべたり、マリオンが入院していた時の事を思い起こす。
何より不便なのは、何かが必要な時、自分が動かなければどうしようもないことだ。 病院側としては安静を守るためには家族に要を頼めと言うが、僕には無理な話である。
先日病院の風呂で80歳を過ぎているであろう老人と一緒に入浴していて話をした。彼も奥方を亡くされ「私の役目はもう終わったからねぇ。後は家内の許にいくだけですよ」と まるで僕の言葉を復唱してるかのような台詞を聞かされた。でも僕は「お子さんやお孫さんが居るんでしょ。だったらまだまだ役目は終わってませんよ」と返答した。足腰の弱っていた老人を一人風呂場に置いて出るわけにもいかないので、老人をサポートしながら一緒に風呂を出て部屋まで付いて行った。 その老人も今日、外出を予定していたらしく病衣を普段着に着替えていた。「外出ですか」とたずねると、「家に帰ってもひとり暮らしだから、一人での生活に少しでも慣れるようにしなければね」と言う。 老人の心中と状況が自分とダブってしまう。
僕も急ぎ家に帰ってみると、月命日に供えたチューリップがまだ枯れずに咲いていた。
老人の多い病棟で、僕の心中は彼らと同じ場所に居るかのように思えるのであった。
24か25日の検査で退院できるかもしれない。だとしてもしばらくは自宅療養になるだろう。
2007/01/22 (Mon) 14:48

 ●●●  19回目の月命日
19回目の月命日
僕が入院して3日経った。その間毬音は留守番してるわけだが、やっぱり気になって仕方ない。今日は毬音の月命日。無理を言って外出届けを出し、一時帰宅。今日は僕の手作りとはいかず、出来合いの物で毬音には勘弁してもらう。僕の入院生活は単に毎食後に薬を飲むだけで手術や点滴すら無く、特別な処置もなくまったく退屈な時間を過ごすだけ。これなら通院で良いのではと本日やっと医師と話ができた。現在、自分では何の体調不良も感じないのだが、投薬されている薬はかなりの劇薬で、今感染症を起こすと死に至るほど危険な状況らしい。それは僕の病状が危険なのでなく、治療としての投薬の副作用で一時的にそんな状況になっているのだ。 幸い僕の動脈瘤はまだ手術するほどには大きくないので、薬による治療を施しているらしい。その治療上で一番リスクが大きい時期が今! 今夜から劇薬の量を徐々に減らし24日に検査をして改善されていれば退院して、自宅療養による通院が可能になるが、あまり改善が見られなければ入院は継続されるらしい。 これらの説明を医師から受けたのだが、やはり高圧的に「当方の言うことを聞けないのであれば、他の病院で治療を受けろ!」的な事を言われる。 毬音の時もそうだったが、医療とはなんだろう? 患者の生活はお構いなしで、患部を修理することが自分の仕事!と見受けられる。命を救ってやるんだから言うこと聞けよ!と言われてるようで気分悪い。 俺の命はテメーにもらったわけじゃないんだよ!親から授かったんだよ!と言ってやりたい。その点でも命は粗末にはできないが、毬音の寿命を考えると、命を永らえる事が良い事と思いたくないのが正直な気持ちなのだ。
2007/01/16 (Tue) 11:21

 ●●●  ライブ@新アットマイプレイス
ライブ@新アットマイプレイス
去年10月までススキノにあったお店が新年から北24条で再オープン。本日はそこでの杮落としと言うか最初のライブ出演だった。渡辺孝之(tp)川手博史(g)松尾英憲(b)中島弘恵(p)と僕の出演。ススキノでは21時から2ステージだったが、新店では20時から3ステージ。そしてススキノではお客さんが居ない日が多かったのだが、今日は5〜6人のお客さんが居て、やはり演奏はお客さんが居る方が楽しい。毬音には馴染みのない場所だけど、僕が叩く限り何処でも一緒なのだ。
明日から僕はしばらく入院することになっている。実は10日の通院で「今日から入院しなさい」と言われたのだが、今日のライブがあったので明日土曜日にしてもらった。入院期間はわからないと医師に言われるが、僕としては最長で2週間と決めている。手術があるわけでもなし、毎日点滴するわけでなし、原因不明の病に対してステロイドの投与と経過観察の為の入院と思われる。なのである程度の時点で通院でもいいのではないかと思っている。ステロイド・・本当は嫌なのだが、仕方ないらしい。 入院に毬音を同伴するか悩んだ結果、毬音を病室に置くには気の毒すぎると考えた。毬音には家の留守を頼むことにした。しばし毬音とも離れることになるのだ。寂しいね。 2年前僕が盲腸で入院した時、マリオンは毎日雪道を歩いて見舞いに来てくれた。今回の入院は精神的に辛いかもしれない。 来週の金曜のライブは病院を抜け出して演奏する予定。 
2007/01/13 (Sat) 1:30

 ●●●  初涙
初涙
ようやくバイトに復帰したと思いきや、本日は熱が下がらず、また休んでしまう。 髄膜炎と思われるこの症状から開放されるのはいつになるのだろう? 昨日の元日は昼間雨が降った。今日郵便受けを覗くとわずかに年賀状が届いていた。その中に以前の住居宛の年賀状が神恵内郵便局の封筒入りで転送されていた。なんとなく予想されたのだが、中を開けてみると、1枚は中古車屋からの僕宛の年賀状。
もう1枚は・・・・・毬音が手術・入院していた病院内の美容院から毬音宛に。 毬音が退院前日に1度だけその美容院へ行ったのだが、その時の記憶が鮮明に甦ってしまう。毬音の宛名を見ていると次第に涙が。。。。。 
今の自分の健康状態が及ぼす内なる影響は大きい。労働できないジレンマ。収入減と医療費による生活不安。演奏時の集中力欠如。 その行き着く先はやはり自己存在意義の希薄。
どうせなら、一気に毬音に引き上げてもらいたい。
2007/01/02 (Tue) 22:59

 ●●●  ギグ@ロンド
今年最後のライブ。ここしばらくの体調不良で演奏できるか危うかったが、熱も時々7度を超えるもののほぼ平熱に落ち着き、どうにか出演出来た。という事はバイトも復帰という事である。 僕のお気に入りの近所の店ロンドでの演奏。しかしこの年も押し迫った、演奏後には忘年会を兼ねて飲める環境にありながら、バイトへ急がねばならない悲しい状況。 とにかく今日の体調でどこまでの演奏ができるか。 そして演奏後の夜勤中身体が持つのか。不安を抱えながら挑む。

やはりこの体調では集中力に欠ける。しかしながら必死に自分を引き出し叩いた。 演奏終了後、忘年会として様々なつまみが用意されていたが、わずかを口にしてバイトに急ぐ。 毬音は今の僕をどう見ているのだろう。
2006/12/30 (Sat) 23:07

 ●●●  ギグ@ラジレコ
ギグ@ラジレコ
折しも本日は僕の誕生日。しかし昨夜深夜に39度近い熱を出し散々な状態。今は薬で熱を抑えている。そんな中、以前ジャムセッションや知人のライブを聴きに来た事はあった店、ラジレコでの初の演奏。この店もロンドと同じく我が家の近所、徒歩圏内にある。今日のメンバーは、ほぼ固定しつつあるギタートリオ、古舘賢治・ギター、柳マサヤ・ベースでの3回目のライブになる。このバンドは2月にもすでにジャムジカでのライブスケジュールが入っている。
毬音が僕のドラムを好きだったのは、その奇妙なところにあったのだと思う。しかしその奇妙さは共演者に好かれるか嫌われるかのどちらかであると思われる。僕の奇妙な音を使ってもらえるだけでもありがたい。
薬で熱を抑えながらの演奏はきつい。身体が思うように動いてくれない。しかし毬音を横に必死に叩く。幸か不幸かお客さんが結構入ってくれている。その中下手な演奏は出来ないので限界で頑張るしかない。 あとの夜勤バイトは限界を超えたところでやるしかないな! 毬音頼むぞ!

夜勤バイトにて、、
今夜の仕事は落ち着いていた事もあり、クリスマスと僕の誕生日を兼ねて深夜3時頃つまみとシャンパンとビールでパーティーになった。 熱があるのを忘れ、つい飲んでしまう。そして仕事中、貧血に陥り更衣室で横にならせてもらう。結局そのまま仕事を上がっていいと言うが、動けない。午前8時近くになりやっと動けるようになったので帰宅しようと思うのだが、まだ頭がふらつくのでタクシーを呼んでもらう。外に出てみると大雪! 2時間で15センチ積もったそうだ。家の前までタクシーにつけてもらうが、降りると足首上まで雪に埋もれた。仕方なく靴を雪まみれにして帰りついた。
2006/12/23 (Sat) 22:26

 ●●●  ギグ@ジェリコ
ギグ@ジェリコ
毬音が僕と知り合う前から持っていたCDのミュージシャン・アルトサックス奥野義典氏とのライブ。しかも毬音お気に入りの店ジェリコ!毬音が生きていたら大喜びだったと思う。今回ベースの福田晋平氏以外、奥野氏とピアノ高木圭氏とは初の共演。にも関わらずリハーサルは無かったし譜面が前日に速達で届くという師走らしい慌ただしさ。
しかし、みなさん凄腕の持ち主なので演奏は盛り上がった。正確に言えば、僕は盛り上がった。メンバー・お客さんはどうだったかはわからないが、僕はかなり楽しんだ。 自分の音を評価されようがされまいが、自分が楽しめて毬音が楽しめればそれでいい。こんな姿勢では共演者も居なくなるかもしれないが、出したい音を出す。これを毬音は喜ぶのだから。「吟ちゃんらしく叩けばいいんだよ」と言う声が聞える。
昨夜初めて毬音の夢を見た。お互いに行った事も無い冬の伊香保温泉。何が楽しかったのか分らないけど、そこが気に入ったらしく、連泊をするために宿を探している夢だった。なんのこっちゃ? でも、一瞬の夢でも毬音と一緒に居れた事が幸せだった。
さてお次のライブは、たまたま僕の誕生日。これは自分を生んでくれた親への感謝を込めて叩こうか。
2006/12/19 (Tue) 20:16

 ●●●  18回目の月命日
18回目の月命日
体調不良に、僕にとっては巨額を投じた検査の結果、恐れられていたリンパ腫の可能性はまず無いとわかった。しかし動脈周りに炎症は認められ、それが痛みの原因であろう事はわかったが、炎症の原因は未だ不明。とりあえず毬音との再会は先延ばしになってしまったが、今はとにかく薬で痛みが抑えられているのならそれでいい。1週間も休んでいたバイト。このご時世そんなに休めばクビになっても仕方ないのだが、バイト先から、僕が抜けるのはとても痛手なので、身体を労わりながらでも継続して欲しいと言ってもらえる。少なくてもバイト先からは少しは必要とされているようだ。しかしこの先何年も続けられる仕事でもないと思われるが、ありがたい言葉だった。
昨日はバイトも休みで1日早めに毬音の墓参りに行く予定だったが、病院での検査が長引き行けなかった。今日は夜勤のバイトがひかえているので行けない。毎月の事だが、僕の手作り料理を作る。 毬音はもう飽き飽きしてるかもしれないが、言わずと知れたカッパ巻を作る。実は僕の北九州に住む母も毎月毬音の月命日にカッパ巻を作ってお供えしているらしい。 この日毬音はカッパ巻三昧である。昨夜ふと毬音はサーモンも好きだった事を思い出した。なので今日はサーモンも買ってきてカッパ巻とサーモン巻を作った。サーモンが安物だったからそれほど美味しくはなかったが、毬音は「吟ちゃんが作ってくれたのだから美味いよ」と言ってくれているだろう。デザートは安いエクレア。なんだか貧しい夕餉だが、我家らしいよなぁ。もうすぐ僕の誕生日とクリスマス。何もする気がないが、毬音は祝ってくれるだろう。だから毬音の気持ちで小さなバタークリームケーキでも買ってこようか。
あとどのくらいで毬音に会えるのだろうか・・・
2006/12/16 (Sat) 18:04

 ●●●  小樽でデート
腰と下腹部の激痛で先週から病院で検査づくめ。今日で通う病院も3件目。使った医療費も6万近くになる。しかし検査はまだ終らず、腫瘍マーカーと造影剤を使った内蔵のCT撮影が残っているので医療費はまだ重む予定。
今のところ検査結果からは重大な病気は出てない。それがかえって痛みの原因を判らなくしてるわけである。 本日やっと鎮痛剤を出してもらう。これが効けばバイトにも復帰できる。鎮痛剤の効果を今日1日試す。 少し様子も良いので毬音と久々に小樽でデートする。小樽ももはや根雪だろうか、雪道に足をとられながら歩く。毬音に「どこ行きたい?」と訊ねながら歩く。果てには毬音との縁結びのお店フリーランスで記念撮影。フリーランスでは6つほどのバンドの合同ライブが行なわれていた。 貧血を恐れながら毬音とビールを飲む。
薬が効いて今夜痛みが出なければ、腫瘍マーカーと3度目のCT検査の結果を待たずにバイトに復帰する。
2006/12/09 (Sat) 18:57

 ●●●  初ドラムソロライブ@スモールアワーズ
初ドラムソロライブ@スモールアワーズ
今日は午前中晴れていたが、昼から降り出した雪がボコボコ積もった。そんな中、我ドラムセットを車に積み込み、自分にとっても店にとっても初の試み「ドラムソロライブ」 夜勤明けで1時間ほどウトウトしただけで、ライブに挑んだ。道路は雪道で慎重な運転で円山にある店を目指す。店に着くと、食事をしているひとりの女性客が居たが、どう見てもライブを目的としてるように見えない。僕は楽器を降ろしセッティング。今回はソロなので音のバリエーションが出しやすいように太鼓のチューニングを緩めにした。開演の20時を前にして、たった一人居た女性客が帰って行く。これで客はゼロ。あぁ情けない。きっとこの雪のせいだと自分に言い聞かせる。客は居ないが聴衆は居る。お店のオーナーやスタッフの計4人が始めて観る、聴くドラムソロライブに興味津々のもよう。僕にしてもバンドのライブでのドラムソロや、海辺や野原でひとりドラムを叩いた事はあったが、お金をいただきお店でライブとしてのドラムソロは初めて。お客さんが居なくても毬音を僕のすぐ後ろに添わせて演奏を始めた。これといった突飛なアイデアもなく、ただ珊内の海の波の音をバックに流しながらドラムを叩くくらいの考えしかなかった。
自分で言うのもおかしいが、今日の自分の音は良かったと思う。いろんなスティックやマレット・ブラシを使い、その場で思いつく音を気のままに出しまくった。30分2ステージ。最初は間が持つか心配だったが、難なく時間はこなす事ができた。2ステージ目では、内心これはやめておこうと思っていた、「手でドラムを叩く」プレイをしまうほど気分はノッていた。これをやってしまうと、指が腫れあがってしまうから辛いのだが、何故か今回は腫れる事もなく痛みも残っていない。  結局2ステージの演奏の間お客はゼロのまま。しかしお店の方から「どんなものになるのか想像もできなかったけれど、ドラムソロだけでこんなに感動できたのは驚きだった」と言っていただけた。おまけにオーナーに僕のオリジナルCD「海のJAM」「海のJAM Vol2」「海のJAM Vol3」を買っていただいた。ひょっとすると、またソロでライブをやらせてもらえそうな雰囲気。 でもね、これは僕の力だけじゃないのね。毬音の存在があってこその本日の音が出たのです。毬音よ、満足してもらえたか?!
今日はお店での写真を取り損ねたので、帰宅した後の我家からの景色を載せました。
2006/11/30 (Thu) 23:44

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