ここ二日ほど、生活リズムが乱れに乱れている。
PM9時くらいに寝たかと思うと日付が変わる直前に目覚め、AM4時過ぎからウトウトし始めて、目が覚めるのは8時過ぎ!!
とにかく昼間が眠くて眠くて仕方ない!!
そもそも、こんなリズムになってしまったのは、やっさんの性だ(やっさん、ちゃんと読んでくれゆうかねー)。
「やっさん」といっても<A HREF="http://horiuchikei.com/omoi/20020726.html" TARGET="_blank">プライベートサイトの「思い」の「ごめんよ、やっさん(2002/07/26)」</A>に出てくる料理人の「やっさん」とは別人で、高知市内で株レコーという会社を経営していた「やっさん」こと故安岡敏男氏だ。
盲学校在学中、たまたま同じ寮の同じ部屋に集まった4人の仲間で結成したフォークソングバンド「エメラルド」は、NHK主催の「ヤングミュージックフェスティバル」の高知県大会に出場し、楽曲「やじろべえ」で銀賞を受賞した。
その時の審査員が、大会のプロデューサーで評論家の渋谷陽一(しぶや よういち)氏と、当時の高知レコー社長の安岡敏男氏で、それが「やっさん」との最初の出会いだった。
安岡夫人によると、その日のやっさんの帰宅第一声は「こじゃんと歌の上手い高校生に会うたぞ!!」というものだったらしい。
そしてエメラルドは、高知レコー主催の「アウトプットコンテスト」でグランプリを受賞し、その特典として、同社からシングルレコード「やじろべえ」をリリースした。
高知レコーは、レコード製作・番組製作・CM製作・ステージ音響など、音に関する幅広い仕事を手掛けていて、やっさんはあらゆる場面で僕達を引き立て抜擢してくれた。
その後エメラルドは、結成10周年記念アルバム「エッセンス」を同社から1,000枚限定でリリース、正にあっというまに完売したのを最後に活動を休止。
そして次第にソロ活動の機会が多くなった僕は、スケジュール管理と音響の仕事を主に株ユニゾンに依頼するようになっていくものの、やっさんは折に触れて声をかけてくれた。
そんなやっさんの異変に気付いたのは今年の8月だった。
15年間鍼師として病院に勤務し、毎日いろんな患者に接するうちに、相手の声や体臭等から、或程度体調を察することができるようになっていた僕は、夏祭りの仕事で久々に会うやっさんの声を聴いた瞬間「やっさんどうした??」って、思わず問いかけてしまっていた。
「どうしたって? 何が??」!!
そう訊き返すやっさんに、もう僕は、それ以上何も言えなかった。
側にいたお由美丼に「やっさんは……!!」と言いかけて胸が詰まった。
僕が今までに何人かの最期を言い当ててることを知ってるお由美丼は「見た感じもずいぶん痩せてるよ」と、ため息混じりに言った。
安岡夫人によると、やっさんはその時のことを「まだ誰にも気付かれてなかったのにKeiには一声でバレてしもうた!!」と話したらしい。
せめてあの時、解らないふりでもできてたらと、今更ながら胸が痛む。
「佳さん、レコーの安岡社長のこと聞きました??」。
テルがそう言ったのは、今月の11日、四万十市西土佐の宿舎だった。
「亡くなったか!!」
「えぇ… 金曜日に亡くなったって、ちらっと聞いたんですけど……」!!
10月の中旬、病院と病状を問い詰める僕に暫く口ごもった後「T病院におる」って言ったやっさんは、きっと顔だけでも出してほしかっただろうに、忙しさにかまけて見舞いに行けなかったことが悔やまれてたまらなかった。
そんなやっさんの生前の希望で、葬儀は自宅で密葬で行われ、日を改めて、23日に音楽葬という形で「お別れの会」が催された。
「生前の主人のたっての希望で、どうしてもKeiさんに歌っていただきたいのですが……」!!
安岡夫人からの思いがけない電話が心から嬉しくて涙が出た。
しかもこの時期の休日は、ほとんどスケジュールが入ってるのに、この日だけがぽっかりと空いている!!
「やっさんが… やっさんが空けてくれたんですね……!!」。
涙で言葉にならなかった。
人を大切にしたやっさんの人生を物語るように、当日はとても多くの列席者が集まった。
朗読された奥さんの手記によると、癌が見つかった今年初めから、やっさんは知り得るあらゆる手段を持って病魔と闘い、亡くなる1週間前、妻に向かってぽつりと「すまん」と言ったという。
まだまだやりたいことは沢山有ったろうに、さぞや口惜しかっただろうに……!!
次から次へと涙があふれた。
そして、やっさんが作った「よさこい」の音楽が流れ、有名なジャズダンスチームが鳴子の音とかけ声を響かせながら踊り始めた時、もうまるで堰を切ったように僕の両目から涙が流れ落ちた。
泣いて泣いて鼻も詰まり、まともに声も出ない中、僕は1曲目に、やっさんとの思い出の曲を口笛で吹いた。
それはもう20年も前、レコーディングの後で僕だけを側に残し、大好きな水割りをチビチビやりながら「けい…ちょっとこの曲を聴いてくれるか!」と言って、シーケンサーを回し始めるやっさん。
スピーカーから聞こえてきたのは綺麗なオルゴール調の音で、まるで「禁じられた遊び」をスローにしたようなCマイナーのゆっくりとしたワルツ!!
「はずかしゅうて誰にもよう聴かさんけど、これは苦労をかけてきた女房を思うて俺が作った曲なんよ! どんなや??」……!
「どっどんなって… なかなか綺麗な曲やん!!」
「そっそうか〜… そうやろう…… それで相談なんやけどよ…… この曲におまえが詩を付けてくれんか??」
「そっそんな〜… これはやっさんが奥さんのために作ったんやろう??」!!
「そっそうよな〜… おまえに頼むっていうのもおかしい話よな〜…… けどほんまにえい曲やと思うか??」
20年経った今でも、不思議と完璧に覚えていたそのメロディーは、ダミーのPA席で遺影という立場ながらチーフオペレーターとしてがんばってくれたやっさんのお陰で、参列しされた皆さんの心にちゃんと届いたはず。
昔から「Keiの音は俺が作る」と言って頑固にフェーダーを握っていたやっさん!!
あの日昼間っから飲んだ酒が未だに残って涙を誘うよ(/_;)