【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。
no title [side B]


微笑み
 雛森が刀の切っ先を向けた。それに藍染は微笑む。
 これで。
 これで君を完全に殺せる。

 甘い毒の海に沈めて溺れさせた。そのまま息絶えると思っていた。目を閉ざし、耳を塞ぎ、小さな体を丸めて全てを拒むと。
「……夢をみていれば、よかったものを」
 藍染は呟いた。そして視線を動かすと、笑みを深める。
「そうだろう? ギン」
 闇の中にいれば。
 影のように離れない足元の血溜まりすら闇に溶けるというのに。
「お前が背に庇う者は光などではない。ただの、女だよ」
 それは囁きだった。
 しかし屋根一つ向こうのギンが、聞こえたかのようにへらりと笑った。
2008/04/11 (Fri)



現実
 雛森は、印を結んだまま強ばっている指をほどくこともできないでいた。
 縛道を崩し、日番谷が力で砕けるまでそれを薄くすることに集中力と霊力をぎりぎりまで高めていたのは確かだ。そのために砕けたときには全身の力が抜けて、雛森は糸の切れた人形のように座り込んだまま立ち上がれないでいる。
 しかしそれ以上に、目の前の展開に意識を奪われていた。
 光の檻を中から破壊する直前に見えた、“藍染隊長”と乱菊の間に滑り込んだ白い姿。次々と繰り出された斬撃が一段落ついた今、ここからでも分かるほどに息を切らしている白い影は市丸の姿をしていた。
 どうして。
 雛森は混乱する。光の檻の残骸が煌めきながら消えていく向こうで、硬い横顔で市丸が前を、“藍染隊長”を見据えている。そして唇を小さく動かした。声は聞こえない。しかし、応えるように唇を動かす乱菊の、呆然、といった表情が雪が溶けるように崩れた。雛森は息を呑む。
 こんな顔をするんだ。
 こんな顔をさせるんだ。
 乱菊がふらつきながらも立ち上がる。滑らかな顎を伝った赤い血が、ぱたぱたと屋根に落ちた。乱菊は顔をしかめる。そして。


 いきなり市丸を拳で殴った。


「こんの、大馬鹿野郎っ!」
 今度は聞こえた。
 それはそうだ。乱菊は怒鳴っている。血を流したせいで白かった顔をわずかに紅潮させてまで怒鳴っている。
「あんたどこまで馬鹿なのよ! 昔っからホント馬鹿! 怪我ぁ? そんなもんより他にあるでしょうが言うことが!」
 市丸は殴られた後頭部を押さえて軽く前かがみになっている。声は聞こえないが何か言ったらしく、乱菊の頬に更に赤みが増す。
「なら全部言いなさいよ! 謝ることも話すことも全て残さず余さずきれいさっぱり! あたし言ったじゃない! 全部、半分にするって、言ったでしょうが馬鹿野郎!」
 雛森は呆気にとられていた。しかし、すぐに気付いて目を細める。目頭が熱くて、そうでもしないと我慢できない。
 乱菊は、ほとんど泣いていた。
 蒼い目は濡れて光っている。声は震えている。涙が零れるのを堪えているのか。笑みが零れるのを堪えているのか。そして怒りを堪えているのか。乱菊はかなり複雑な、しかし、とても綺麗な顔をしていた。薄い膜が剥がれたような、普段と同じはずなのに初めて見る顔だった。
 市丸もまた、見たこともない横顔だった。ほんの僅か綻ばせた口元は柔らかで、消えそうで、雛森は戸惑う。見慣れた、薄い笑みではなかった。そこには温度があった。そこに作り物の嘘はなかった。

 しかし市丸は乱菊を振り返らない。一瞬も“藍染隊長”から目を離さない。離せないのだろう。雛森も“藍染隊長”を視界から外すことはできない。乱菊も同じなのか、体が、決して弛まない。
 雛森は木でできているような指を無理矢理にほどいた。急に血が通い、熱を帯びるのを感じる。膝の震えを堪えて立ち上がる。斬魄刀を抜くと、重みが雛森を落ち着かせた。そう、この光景が現実だ。雛森は思う。真実は知らない。事実すら全てを知りえない。ただ、目の前で“藍染隊長”は自分達に殺意にすらならない酷薄な意志を向け、乱菊は血を流し、そこに市丸が割って入った。乱菊を庇い、“藍染隊長”に刀を向けて。
 人の想いは知らない。望みも知らない。言葉にされてもその本当の形は決して知りえない。だからそこにあることを信じるしかない。雛森は前を向く。刀を構え、呟く。
「……藍染、隊、長」
 今、雛森にあるのは、この残酷で、どこか体の奥底で気付いていた現実だった。無意識に刀をとり、縛道に捕まる直前に反射的に鬼道を放った自分だった。

 市丸が何かを囁くのが見えた。乱菊が、ふっ、と一瞬だけ笑う。そして体勢を整えた。ふらつきが消え、乱菊が刀を構える。
 斜め前にいる京楽の表情は雛森には伺えなかった。彼独特の二刀流の構えのまま、京楽は動かない。しかし彼の霊圧が柔らかに揺れて、雛森は京楽が微笑んでいるのだろうと思う。日番谷の背中は微動だにしていないが、雛森には分かっていた。
 そして懐かしくも遠い過去に似た人は、微笑んでいる。優しく、無慈悲に微笑んでいる。
「さて、そろそろ、私に説明をしてくれるかな」
 その人が重々しく、新たな戦いの始まりを告げる。雛森は息を吸うと、強く柄を握り締めた。
2008/02/14 (Thu)


かすれ声
 右前方。
 京楽は僅かに眉をひそめた。自分と同じ……上回るくらいの速度で接近するその気配にはどことなく焦りがあった。霊圧は殆ど感じられない。ただ接近する存在があるだけなのだが、気配が肌を刺す。
 おかしいね。京楽は速度を上げる。彼のこんな様子は見たことないな。ああ、まあ、まだ見えてないけどね。
 市丸の姿は。
 京楽は一歩で屋敷を飛び越える。景色は形を成さずに後ろへ流れていく。
 向かう先には、四人の霊圧があった。一人の霊圧が他を飲み込もうとしている。暗く、重く、冷たい。藍染の霊圧に近づくにつれ、ひたひたと夜の海に沈みゆくように感じる。
 藍染のそれについて、京楽はよく知っているつもりだった。まだ底ではないとは思っていた。裏があると思っていた。しかし、まさかこんな暗く、重く冷たいものだとは。沸き上がる感情はあまりに混沌として、奇妙な模様を描いている。京楽は苦く笑うしかない。

 貴族の屋敷が並ぶ区画に入った。所々に尖塔がある。その奥、霊圧で霞む奥に光が見え、すぐに人の姿になる。
 四人。
 目が認識する瞬間に、姿は鮮明になる。
 藍染が松本と対峙している。松本の髪が金色の炎のように揺れているが、一部が真っ赤に濡れて首に貼りついている。
 日番谷と雛森が光の檻の中にいた。雛森は印を結んでいる。日番谷が刀を構えて、斬り掛かる体勢にある。
 頬がひりひりと痛い。市丸は、近い。
 刹那、藍染と目が合った。日番谷がぴくりと反射的に肩を揺らした。雛森と松本はまだ反応しない。視界の右に市丸の姿が入り込んだ。違和感がざらりと背骨を伝う。彼の顔は固い。なぜ。そんな、表情を。
 京楽は迷う。
 速い。
 僅かにこちらが遅れる。
 日番谷はまだだ。
 どうする。
 いいのか。
 それで、いいのか。
 松本が片膝をついて崩れ落ちた。藍染が顔を歪めて笑う。
 肌を震わせる、痛みのようなもの。
 京楽は一瞬前の迷いを捨てた。腕を交差させて対の刀を構える。藍染が松本に刀を振り下ろす。髪で隠れていた松本の横顔が見えた。蒼い目は藍染を睨んだままだ。それを目の端でかすめるように確かめ、京楽は真直ぐに藍染に向かう。
 藍染の斬魄刀が燃え上がるように揺れる金色の髪に触れる寸前、白い影が滑り込んだ。

 硬い音。
「やはりね」
 自分の呟きに藍染の声が重なった。

 松本を背に庇い、市丸があの脇差のような斬魄刀で藍染のそれを止めていた。

 刀を止められた反動で藍染の体が後ろに下がる。振り下ろして押し込んだ刀が弾かれ、隙間ができる。そこに低い体勢で潜り込むと、京楽は一歩踏み出して対の刀を左右に払った。
 ちっ、と擦る小さな音と感触。
 同時に何か砕ける音。
 切れた裾をひるがえし、藍染が後ろに引いた。横から日番谷が飛び出してくる。藍染は更に引いた。一つ向こうの屋根に立つ。追わずに、日番谷は瓦を踏み潰して立ち止まる。

 しん、と静まった。

 すぐ後ろにいる市丸の乱れた息に気付く。押し殺すことすらできないのか。先程の気配を思い出し、京楽は彼の焦燥を理解する。
 市丸が大きく息を吐く音がした。そして、戸惑うような呼吸。小さく吸う息の音。

「……怪我、堪忍なあ…………乱菊」

 この距離でなければ聞こえなかっただろう。整わない呼吸の合間に、擦れ、しかし柔らかに囁く声。
 そうか。
 そうなのか。
 京楽は微笑んだ。そして体を起こして半身になり、刀を構えなおす。前には十の字を背負う日番谷がいる。その向こうで藍染が、冷ややかに微笑んでいる。
2008/02/01 (Fri)


味がする
 大気が震えていた。
 震動に刺激されたのか、呼吸が乱れた。浮竹は掌を口にあてるとひどく咳き込む。喉の奥に鉄の味を感じるが、それはとうに慣れた感覚だった。影のように傍らにあり、ひっそりと、しかし確かに存在する、死の感覚。本当は誰の傍らにもあるもの。浮竹はそれを理解していたし、自分の場合はその存在感が確かだというだけだと考えていた。
 浮竹は咳を抑えると、ただ溜息を吐く。
「……藍染」
 形あるものは確かに壊れる。いつか必ず壊れるが。
 波動の中心を見据えて浮竹は呼吸を整える。
 なぜそんなにも、壊そうとする。
 息を吐く。
 息を吸う。
 そして真一文字に唇を引き結ぶと、浮竹は駆け出した。
2007/12/26 (Wed)


日々の終わり
「七緒ちゃん……ここは任せても、いいかな?」
 京楽が囁くような声で言った。もう周囲には虚も破面もいない。遠くの戦いの音だけがかすかに響く。七緒は顔を上げ、ずれてもいない眼鏡の位置を直す。
「お任せください」
「うん、よろしくね」
 鮮やかな着物の裾が風に揺れている。七緒は目を細めた。この戦いは、京楽にとってどのような意味を持つのだろうか。普段どおりに笑っている京楽からは何も読み取れない。破面を打ち倒すときでも京楽は微笑んでいた。小さな声で、一言、楽にしなよ、もう、とだけ呟いて。七緒にはまだ分からない。虚その存在の哀しさも、哀れさも。死神の力の空しさも。ただ直感でそれを感じて、七緒は京楽の背中を見上げる。
「……どうしたの、七緒ちゃん? 疲れたかい?」
 京楽が柔らかい笑みで七緒に振り返る。七緒は首を振った。
「いいえ、まだ戦いは終わりませんから。それに……隊長のお帰りを待つ大仕事がございますので、疲れてなどいられません」
「そんなに僕のことが大事なんだね!」
「任務のあとの隊長は鬱陶しいので大変なんです!」
 冷ややかに言い放っても、京楽は微笑んでいるから七緒は小さく息をつく。こうしていられる日々は、あとどれくらい続くのだろう。それとも、表面的には変化がなくとも既に穏やかな日々は終わっているのだろうか。
 あの夏の日に。
 雛森や吉良にとってはそうだったように。
「大丈夫だよ、七緒ちゃん……大丈夫」
 京楽が七緒を覗き込むようにした。そしてそっと触れるか触れないかで七緒の頭をなでる。
「じゃ、ちょっと藍染と話してくるよ。どうもご歓談中みたいだけどね」
 声が消えるのと同時に京楽の姿は掻き消えた。七緒はその行方を目で追うと、いってらっしゃいませ、と呟いて深く礼をする。
2007/12/01 (Sat)



<<PREV   HOME   NEXT>>