【※重要なお知らせ】Alfoo有料化への移行に伴う重要なお知らせ。
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遅刻してごめんね
どうも爪が甘いんだなあ。

最近話すことに対して消極的なテンションになってしまっていて、そしたらなんか喋りたくないこと以外のことに関しても口が重くなり、本当に喋れない人になってびっくりしたということがあった。別にテンションがどうしても上がらない日というのもあるのだけど、単純に明文化したから強くそう感じるだけかも知れないけど。だって上手く喋れなかった後悔は日々あるからなあ、今回はそれで良いと思っているということが初めてだから気にかかるのかもしれない。体調も良くなかった。
なんていうか、意見がないとか思いつかないとか言ってることの意味が分からないとか共感できないから考えをを話せないんではなくて、感情は(たぶん)普段通りで、ただひたすら今まで勝手に集まって列をなした言葉が散り散りのまま横たわっている。記憶もなんとなく維持できない。起きてるけど寝てるみたい。
話せないので、話せない人はこういう感覚があったりするのかなということをひたすら想像していた。別にその想像はよくするんだけど、それは普段から全部話せているわけでもないし話されなかった言葉に興味と恐怖を日常的に感じているから。
上手く話せたと思うこともあるけど、それは状況次第だけど相手の反応に依存しているものだと思うので、外気に触れていない言葉をジャッジできない。プルさんと喋っていたから、プルさんとはたくさん喋っているのである程度予測がつく傾向の話題もある。だから余計にその状況というものが飲み下せない違和感として出てくるんだよなあ。
それにしてもプルさんと私は別のものだなってよく思う。マアそれは私がプルさんを良くも悪くもいいもんだと思ってるせいかもしれないけど。
聞いてもらえれば満足できるという人もいるので、話すことが正解とは思わないけど、私は明確な事実に依存して生きていきたいので会話による意思の疎通を外すことはできない。私はおしゃべりなわけじゃないんだよなあ。お喋りだよ。分からないことばっかりだなあ。
2015/05/28



ぽじてぶ
それっぽく描いたものじゃないものにその人の個人的な感想を貰えるってすごくうれしいなあ、嬉しい。

あとなんにつけてもちゃんと読まない人嫌いだなって思う。でもちゃんと読まない人にきちんとした文章返す人もちょっと面倒くさい人だなって思う、わたしはそれする、ただ自己満足のために。

わたしやんまー担かなって思ってたけどとーん担かもしれない。あとやっぱりまるちゃんてマサオかもしれない。あ〜ぷるろまのえいとみたすぎて吐き気 いろんなもんに思いを馳せていそがしい
喋りがうまくなりたい、漫画がうまくなりたい。
考えて見つけたものを先人がすでに見つけているということを思い出して、勉学ってその為にあるんだよなあって、勉強したくなったの。永遠に孤独でもたくさんの友人を持てるのが勉学。まあそれは頭いい人同士でしか分かり合えないのと同様に面白い人同士、マンガが上手い人同士でしか分かり合えないんだし、ただ文筆業の人はコミュニケートとライフワークが一致してて便利だよなって思う、小説家とかより別な方が分かり合えそうだけど、だから頭がよくておしゃべりが上手で本とか出版してる人のことかな、なんかでもそれって頭固い印象あるな。でも頭が良いというだけで相互理解が深まるわけじゃんっていうと別に漫画を愛してるってだけでいいのかもわからなんな。頭が良い人が好きってだけのハナシよ。
2015/05/26


玉ねぎたっぷり
玉ねぎたっぷり
ろま介シチウ

ぷるさんちに宿泊、面白かった
2015/05/25


自分だけが
自分を曝け出すの、損だなって思います。
損だな、嫌だな、悲しいな、相手を嫌いになるかもしれないな、と、
思うので、こういうツールを使い続けているところもあります。
損しないといけない。
それと同時に、忘れないでほしいと思っていて、どうでもよくなりたくないと思っていたので、たいして好きじゃなくてもずっと好きでいて覚えていてほしいと思っていたので、続けているところもありました。
でもそっちは、もうやめようと思います。
忘れてもらっていいと思えるようになったので。
忘れていいです、何度でも思い出させます。
そういう風にして生きていこうと思いました。
自分を過大評価して、他人に期待して、それを恐れていたい。
やっぱり、損しないといけないんです。
忘れないでもらう方が、ちょっとの合図でいいのなら、やっぱり、
忘れてもらいましょう。効率は悪くないと意味がない。
リスクは高くないとしょうがない。

ということで、しばらくツイッターと日記はお休みしたいと思います。自分のことを愛してほしいと駄々をこねるより先に自分のことをちゃんとしないといけないなと思ったので、不器用な私はどうも、ひとつしかできないので。まあ別に、書きたければ書くと思いますけど。ツイッターも見ないようにします。なんせこの一週間で絵を描いて無いんですよ。だからってこれが私の言葉だって胸を張れるような文章も書いて無いんですよ。ラジオでお会いしましょう。
2015/05/21


最後の
知らないことだけを想像することができるってシロップさんと話してて、話に出たんですけど、納得して、そっから知っている事を知っていると言えることについても考えた。すべて知っているというか、想像するに価するほど関心がある部分について知っている、どうでもいいことは知っている必要ないものな。だからというか私は自信がなくて、想像できていない想像できうる何かが有ると疑っている。
あとやっぱり普通に感想とか見たり、読み返したりして、見落としてた部分によくぶつかるので、私って全然見えてないってよく思う。あと注目ポイント…、が?
他人に対して、この人が自ら言うことはある程度予想がつくなみたいに思うあれが、想像の翼がないって感覚だと思う。それはその人が外的干渉を受けたら変わるものだったりもして、その人に期待するのは能動的魅力なので、そんな変則的で受動的な奇跡は起きた時にだけ夢を見る。
期待と想像は別だと思う、期待と既知の有無を恋愛の定義に運用したりするんですが、(知っていて期待するのが愛で、知らずに期待するのが恋)知るについては確信という言葉に置き換えてより明確かもしれない。これは私が期待を伴わない想像は熱が無いと思っているのかな、期待さえあれば想像は終わりがないように思える。腐女子ってそういうもんでは?
知らないことだけを想像することができるって言った人がなんか好きだな。こんなことわざわざ言う人の知的好奇心。

味覚が最近鋭敏で味の感じる種類が増えたし異常に美味しく感じる。色の数が増えた、っていう喩えは失恋ショコラティエなんだけど、私失恋ショコラティエの話プルさんにも二回くらいしたし、どんだけ失恋ショコラティエに感銘してんだろな。だってえがき手の話をするから。描き手のえがく描き手の話の白々しい甘美さ。言葉で説明することを懐疑的に見てるし、それって好きでも有るんだよな。巧いよなあ、実地に唸る。女性的機知に富んでる。あの漫画にチョコレート要素が無かったら多分あんまり好きじゃないから、フェチシズムってスゴイ。(なんせ他の作品にはそこまで惹かれない)多分人間以外だとより良いんだろな。つまり私って人間周辺の人間以外の無機物有機物にフェチシズムがあんのかな?それともそれにフェチシズムがある人が好きなだけか?まあ本当に好きなものを描いたものが好き。(期待ではなくこだわりを持って)
色が多いってのが、また私が漫画を描く側として感じるようになったことでもある。ひと言、ひとコマに存在しない多色。描く、あの苦々しい感覚を知らない読み手を、美しいものを標本したがる読み手を、優れた読み手と呼ぶことを躊躇う。これはただの自己嫌悪です。
失恋ショコラティエと3月のライオンが好きなのは同じ理由かもしれない。

言葉にするだけ違和感につんのめる、私の言葉は不恰好になってしまった。もうそこは住み処ではないので借宿を離れて、借宿に移り住む。
そんなことより一曲でも多く歌いたいと言ったすばるくんの唄を多分私は理解出来ない。私にとって音楽は人間の向こう側にある。悲しいことのような、違うような。
2015/05/21


 
だって私の目に見えなかったものは、あなたの考えは、私の世界には存在しないんだもの、あなたが絞り出した言葉だけが私にとってのあなたなんだもの!あなたの考えていることじゃないんだよ、あなたの話した言葉があなたになるんだ。私になるんだ。


自分が自分を肯定できないから、誰かに肯定してもらわなくちゃ生きていかれなくて、でも自分の嫌いな自分を肯定してなんて恐ろしいことを言葉にするのはなんとも厚かましくて、相手が肯定してくれるのをただ待って、待ちくたびれて勝手に怒るの、やめて欲しいな。あなたが怒ってるのは相手が自分を選んでくれないからじゃなくて、自分のことを好きでしょうがないのに愛せないことが悔しくてしょうがないからでしょ、誰かに愛されることで生きていることを簡単に許して貰えると思った自分が惨めなんでしょ、支えてくれる誰かがいれば自分の足で立たなくっていいもの。誰かの為なら言い訳出来るもの。自分を愛すのに他人の許しはいらない。自分に素直になるのに言い訳は必要ない。正しいことを言う必要もする必要もない。

それでも私は許してくれなかった人を罵るし、愛してくれなかった人を蔑みます。弱くて愚かな他人を否定することで、どんどん自分を追いつめている、なんてことは起こらない、あなたは他人を嘲って良いんだよ。他人を憎んでも、自分が間違えたことを許さなくても、それと同時に自分のことを愛していいんですよ。
2015/05/21


 
んが〜〜、意見と悪口の差ってなに?
2015/05/20


 
 
見栄っ張りな自分を可愛いと思ってる横山くんと、見栄っ張りな自分を正しいと思ってる村上くん。はあ…
大倉くん愛しい…。
2015/05/20


大倉くん
今日はカレー食べてクローバー見てクロニクル見てトンカツ食べてドS刑事の為に21時ぎりぎりに(走って)帰宅して大倉くん高橋くんのラジオ聞いたから大倉担かもしれない。
2015/05/17


 
私は私が良いと思うことをわざとまわりくどく、いっているつもりはないんですけど。私にとってはそう言わないといけないので、それを変とか難しい(わかりにくい)とかって言ってもらうことで自分には人と違う意見を言う局外者としての存在価値があるのかもしれないという安堵を感じるし、同時にものすごく悲しい侮辱だと受け取ることもできる。価値はあるかもしれないけど、善くはない。
(ああ、なんていうかこれじゃ私の言葉が取るに足るみたいだ。自分自身の言葉は何故か何倍も自分に説得力、影響力があるので、自分の話をするとどうも厚顔ですね。)
("こう言ってもらえるので、こうなのかな"みたいなこと言うけれど、"あえて無理やり肯定するなら、そうとしか言えない"だけで、評価する基準を満たしていないということのなんと多い自意識の坩堝よ)

難しいのが偉いという人も、分かりやすいのが偉いという人も同じくらいしょうもないなと思っている。自分がしっくりくる言葉を探すことほどの価値があるのかと思っている。結局しっくりくる言葉になっているんならそれをどうキャンペーンしても良いんだけど(キャンペーンなら!)、すり替えて正当化しようとしてるなら戦わないのが格好良いなんて言ってることの方がださいなあと思う。自分がそう思ってかいてることをいつか誰かに褒めてもらおうと思ってるんだったら、謙虚さが足りないなと思う。
どこまで、どうして、素直に生きられるかということばかりを私は押しつけている。

私の言葉はとても尊大なので、私が敬意を持ってるひとが好きとか謙虚(な人は別に好きじゃなかった…客観的冷静さを持ってる人が好き)で野望を抱えていられる人が好きとか言うことは相反するのかもしれない、私は自分が好きなように喋るしかないよなあ。感動して生きている人が羨ましい。私もそうやって色んなものの素晴らしさに感銘して感謝くらいして生きていきたい。

しかし、論外だ、感情の伴わない感嘆など!
2015/05/16



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