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HCO3- + H+ → CO2 ↑+ H2O (生存確認用にお使いください) |
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アカウント削除したくない理由がクライアントソフトで鍵付きの人の発言を自動取得できないから一択
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2013/10/10
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欲求9/26
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上げようかもうちょっと足そうかとうろうろしてるうちに忘れてた記事。何日か前という感覚のまま忘れてしまうものが多い。そうこうするうちに喋ったり見せた気になって新鮮味を失う記事。ブログも書き途中だ…!
-------- 本当に他人に生かされてるなあと実感する、視線を意識してはじめて人間でいられる感覚がある。いや普通のように思うけど、私のなかにはジャッジが存在しないから、主観的に自分の行動を善悪に置いて裁くことができない。他者も裁けないし、かといって他人のジャッジには興味が有るから、話してる相手によく感情移入して普遍的な自分というアイデンティティーを提供できない。 私って本当に心無い人間なんですよね。 ところでメメントを改めて見たけどやっぱりよかった。あと面白い。そしてなあ、シチュエーションとシチュエーションの出会いが堪らない。 しかしノーラン監督は妻殺し。しかしダークナイトよりインセプションよりメメント、かなあ。メメントが一番終わりかたが好き。インセプションのイケメンが一番好み。ダークナイトは囚人がたまりません。メメントの主人公自体は好きじゃないけど行動が好きなんだよなあ、いや状況かなあ?あの人がああいう人でああいう境遇に至ると考えたらそれは愛の一環なんだろうか、いやでも馬鹿が好きな身としては、好きなんだな…。いややっぱり萌えるってことだ!原監督も好きじゃなくて萌えだしな!いやでも好きだけど、いや原監督のことは好きだわ…。いや原監督は頭いいわ…。馬鹿じゃなくて偏屈?なのよ、生真面目?いや偏屈だな…ユーモアもある…。馬鹿らしさも愛としんでる…素敵やん…。 時系列は逆に進むし省略してるから混乱する、時系列で見る方が個人的には萌えると思う。はっとするのが良いんだろうけど。ただ起きたまま目を覚ます瞬間をもっと見たい。 ポラロイドを見てスマグラーを思い出して、もっかい見たいなあ、あれは背骨映画だけど…背骨… |
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2013/10/08
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参加表明消えなかったしプロフィールも表示されてるから丁度いいかんじだの。
好きな人のTL読みたいからぎりぎりまでtweet全削除と悩んだけど、そこに再びtweetし始める事を考えると具合が悪く、@だらけのアカウントって嫌なので、どうも上手くゆかない。 孤独による創作をする人に牙を剥かれるのは不快で、私もまた、そうしているということに対する対処が出来ない。 孤独でいたい私が孤独な他人を憎むのか・・・。 |
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2013/10/05
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でも私は最近ずっと怒れているので満足です、怒りを持続しなければ死ぬと思う。
でも全部全部結局最後には自分は何が描きたいのか何が描けるのか何が出来るのか何が読めるのかっつーはなしだから安心してください。他人とか世界とかどうでもいいよ自分と向き合ってその都度そのつど刺し殺したり踏み台にしたり踏み潰したり手を取り合ったりそういうことで私はいいです。 だからさあ、今は自分と向き合うことが最優先事項だからあんまり人のことに割く時間が無くて、今までだったらやらない凡ミスの連発なんだよなあ〜辛いです。人に興味を持ち続けていられるということを誇りにしていなかったというわけじゃないんだもの、でもそうやって相手から認められる人生をもう選ばないんですよね、さびしいなあ。 ジャンルの作品も全然網羅できないからなあ。 自分のことでいっぱいいっぱいってしょうもねえな。 |
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2013/09/09
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泣きごと
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メディアは世界を動かせると勘違いしている気がする、世界を動かせるのは人間で、その間を繋ぐことが仕事ではないんだろうか。なぜ真摯さではなく傲慢なセンチメンタリズムで命を扱えるんだろう。
戦争こそがファンタジーの最大の生みの親だと仰るように、逆境に無いと育たないのが人間性だと言われているようでとても狂おしいなあと最近ずっと思っています、現在の痛切さというものは結局日常の中にあるからこそ、ヤマシタトモコにああいうものが求められてしまうのかなあと複雑な気持ちになるのでした。 現在で行われているすべてのものは凄く軽く見える、意味も価値も感情も衝動も欲望も、不足が無い所から始まって必死で足りないところを見つけてそれを埋めるというパフォーマンスに見える。 囃したてられるものが、そうであるべきと思えるもので有って欲しいし、囃したてられる存在は、つくりだしてはいけない。そうあるべくとしてそうあるものというのは、つまりキムタクな訳ですが、それは彼がアイドルだから成立する奇跡なのに、そういうところをなにか世の中は勘違いしている気がする。報道というのはつくりだし導くものではなく、その人を見つけ出して狂いを最小限に写し出すべきなんだと思うんですがね。それに足る人物がいないならやっぱりもう終わりなのかなあと思ってしまう、悲観でしょうか。 昨日は結論の出ていない文句を長々と憎たらしい論調で書いてしまったけれど、結論が出ていないからといって常日頃頭の中にあった攻撃的な感情だったので、それはそれで。言葉を濁して逃げ道にするような柔らかい感情じゃなかったということだなあ、存在しない現象を罵りたかったのだなあ。 それはまあ、自分自身の中にある欲求不満そのものの矛先だったんだと思いますが、時代が変わってしまったことを受け入れられない頑固者だけが悲しい思いをするって中島みゆきもうたってましたね。 しかしどの分野においても先人を超える才能というものにここ20年ぐらいめぐり合っていないような感じがする、だから質の落ちた偉人が居場所を失うことのないまま目の前で老いさばらえ朽ち果てるのを目撃する羽目になっているんだと思うんですよね、さんまさんしかりSMAPしかり、ダウンタウンの話はやめてくれないか。マツコと有吉におんぶにだっこちゃん 最近のオタク文化は全部小奇麗な焼きなおしてどこに頭の良い作家がいるんですかつらいっていう話をプルさんとしていて、最初の2ツイートがその部分だったんですけど、いやあんまり私の文章はRTするための汎用性が低いなあ〜っといつもふわっとした気持ちになり!ます! でも別に最近のアニメやマンガを否定してる訳じゃなくて、持ち味が有るものも無いものも全体の印象としては小奇麗にまとまっている感じがして(それがいいものもある)、冒険も冒険しましたというポーズの域を超えない感じがするというか(それがいいものもある)、なんか全体の大きな流れとしてオタクがオタクに向けてものつくってるところで閉塞したらやだなあ、そしてどんどん国民総オタク計画みたいになっちゃったらやだなあっていうか。 いやでもオタク文化を網羅してる訳でもないし見落としてるか楽しみ方が分かって無いだけなのかなああああ なにせ私はいい読者じゃない、読み取ろうとしていないし怒っている、感動するなんてどうして、感動させられたいと思っている夢見がちな視聴者だ。今というのは感動しに行く者の時代なんじゃないのか。 ただなんとなく小さい頃嫌だ嫌だと思って目を背けていたものが今の世界には無い気がして凄く拍子抜けっていう感想を私は持っているんですよね、でもそんなの私自身の受け取り方の変化なのかもしれないし分からないです。だってだからって昔目を背けたかったものを覚えてる訳じゃない。じゃあそんなものないのかなあ、そもそも好きなものは多くないんだからな・・・。でも海外ドラマは昔のより今のの方が面白いです。あ、でも最近の邦ドラマもちょっと前より面白いと思うけれども。 わたしの中ではアニメも漫画も映画もドラマも変わらないっちゃあ変わらないんですが、自分の頭の中の泉が氾濫するような衝撃に飢えてるってだけで、こんなの自分自身で解決しないといけない問題なんだと思うんです、八つ当たりだなあ。それで結局泉に風を起こすものって言うのは海外ドラマとかになってるんだよなあ、という。しかし私はできれば日本のそれも二次元の媒体で物語性のあるものにハマりたいと言う我儘ですよ・・・。 そんで私自身が20年前のアニメ作品にハマっているんだからお笑い草なのかもしれない・・・。そんで今調べたけどらんまとクレしんはほぼ同時期にやっていたんだなあ・・・っと(らんまのほうが一年早く始めっている。原作はその4年前)。で、チャチャがクレしんの2年後で、コナンはその2年後・・・。凄く・・・豊作です・・・とても、個人的に・・・。アニメの放映開始で書いてます。 ちなみにうる星はチャチャの10年前、ガンダムはその2年前でした。あ〜げきあつ・・・。 |
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2013/09/09
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他人には優しく出来る
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世界中の人と友達になれる。
映画の神童見たけど良かったなあ。 1度目は良いと思わなかったから、見えかたが数年で随分変わっていて娯楽の大概が初めてに切り替わってしまったのが、面白いやら焦るやら。 全部見直さないともう見たとは言えないのでは?という焦り。 しかし集中の波があって、そういうベクトルがずれていていないでも変わるものなので。取り組みとは難しい。今もう一度神童見たら面白いと思わないだろうというのもそのひとつ。一度集中して見てしまうとまた感動するのは難しい。 世界に還元させるような客観的視先を映画世界に持ち込むという技術。映画批評の意。 私の個人のなかで完結させる仕組みを、外から見るとどうだろう。私は主観自体を客観に押し込んでいる感覚人間なのだろうで、個人主義者にしてみればその枠組みの方が信頼に足るんでは?という気でいる。良いか悪いか正か悪かでなく好きか嫌いかでしか世界と自分自身を繋げないというのが現実に近いと思っている。だからそうしてくれなければ飯事だろうなあ。 しかし映画の世界には確かに善し悪しがあるのだからまた、話は面白い。技術や学びについて、客観に耐えうる真理があるわけだ、或いは心理が。そこに映画は芸術は個人的ではないと宿っている、でなければ映画を作ることはできない。完成を想像できるということは。 しかしまあそれはメタなので、個人にとっては個人的なものでしかないよなあと。それこそぼんやり眺めて気持ちよくなればその映画が好きってことだからなあ個人の個人的領分はさあ。 私はそんな砂を噛んでいた時間の話自体ではさらさら動きませんが、糧になってるのが見えたら強いときめきでしょう。感情じゃあ具現化には敵わない…。 |
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2013/08/29
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自分の人生に関係ないこと
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そんなことどうでもいい
と心から思うようなくだらない小さな悲劇について 無意識に考える為に知人は多い方が良いのかもしれない。 ただ当たり前のことをわざわざ言語化して納得して、 得るものはなにもなく、すぐ治る引っかき傷みたいなもの なので、やっぱりどうでもいいけれど それでもどんなに些細な事でも考えていない時間が ひたすらに増えていくことよりくだらなくはないという のが私の望んでいる生活なので。 一体どんなことをひたすら考えていたのか 無意識を意識する作業はものすごくこう、苦痛です。 水が突然液状のコンクリートになったみたいで怖い。 |
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2013/08/29
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とくべつなわたし
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自分の卑小さを、糸屑のような嘘にすがって
丸まって、這いつくばって、必死に そんな誇りは、みじんこだ |
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2013/08/19
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考えてみれば
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私は人に話せない事を日記やブログに書いていた訳で
私にとってwebというものは孤独なもので、書き手がひとりでつくったものをひとりの私が受け取る、またその逆のもので。 こういう状況は実際、想定していなかったのだなあと思った。 こういう状況とは、読み手を複数想像できる現在でもあるし、ここに書きたいことと人に話したい事が殆ど≒になってしまったことでもある。 趣味の合うオタクの友達がいない、というのが当たり前だった。 自分が本当に思っている事を雑念なく発信できる場所として、ブログが私には当初必要だったし、そこには見返りも殆どなかった。 とにかく自分が考えている事を自由になんの拘束もなく好きなだけ話せるというだけで満足だったし、それが誰かに伝わると信じても居た。 そうやって存在を誇示する方法しか知らなかったし、それはとても瑞々しく感じられるものだった。 今よりもっと、文字の大きさを変えたりウケを狙ったり大きなリアクションで、文章の面白さを追究したりもしたしそういうのも楽しかった。いまそれが出来るのかはどうだろう、やればできる、といいなあ〜。 私の小さな小さな社会では、文章が面白いか、絵が上手いか、そういうものがすべてだったりした。 私がいま、ブログに書くような事をそのまま話して、泣くほど笑える相手がいるというのは幸福であり絶望なんだなーということですね。 この話の要点は、「特定の対象に対して同じ話をするなら、読んだかどうかも分からないブログより相槌もリアクションも意見も貰える会話の方が楽しいに決まってるじゃないか。でもそんなのは安っぽい。」と、いう話です。 |
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2013/08/15
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脳内で理想のげいぽるの錬成しすぎて現実とのギャップに苛まれるの何回目なの?!やめたい…
あと男の人と男の人がセックスしてるってだけの理由で興奮出来た頃にかえりたい。興味が持てなくなってく… あとゲイポと男性向けエロ見たあとにBL全然読めないの悲しい、なんかやっぱ少女漫画だものな…っていう、その流れだとやはり薔薇族よなあクマ系はまだ萌えないけど! 27じかんテレビの西野くんの話とかしてみてたんですが、そもそも27じかんテレビを見る予定は無かったんだから話さないで置くほうがいいか…みたいな。まあ芸人じゃないんだなあということですね、愛されキャラでもないやられキャラみたいなの好きになるのなんなんかな。中途半端にイケメンで中途半端なプライドがあって中途半端にバカなの。信念があるかどうかじゃなくて、水が溢れてる。あたりがビシャビシャなことを気に止められないところがまた絶妙に愛されない。認められることはあんのよ。 最弱王とか激萌えだったんですけどねぼくはどうしようもなくなっちゃう人がどうしようもなくなる要素がきっと好きだけどどうしようもなくなることは望んでいないんです。 わたしって嘘つきだったんだなあと改めて思う、大概に対してそうだけど自分に対しても天邪鬼だからまた難しい。 あと私は特定のものを長く愛せない、私が好きなのはなにかと何かのバランスがある一定で保たれた状況だし、それは内外で常に変化している。 矛盾があることが嘘つきだったんだなあと思わせるんじゃなく、自分を嘘つきじゃないとしばしば思い込もうと働きかけているだろう手応え。 私が描きたい絵を手段にできないで代替えできる手法でつくりだそうってのが、たかをくくってるってはなしか 毎日馬鹿みたいな事に気付くのは結局なにも理解出来ないってことに思えてくる |
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2013/08/05
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