Que Sera Sera |
椅子とりゲーム
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私はどうやら地球に居ないようだ。私はどうやら小惑星から地球を眺めているようだ。暗い明るい砂漠の岩場にひとりいるようだ。誰もいない.音もない.小さな足場。ここから楽しげな地球の人たちを眺めているようだ。何も考えず。動かず。眠らず。冷たい底へ沈み続ける気分で。地球で行き交う人たちは生きてほしいと喚いている。地球を眺める人々はもう死にますと呟いている。地球はすでに満員だという。生きてほしいと望むなら我々と席替えをしませんか。さすれば我々は生きてほしいと喚くでしょう。君たちは死にますと呟くでしょう。
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2011/02/13 (Sun) 16:26
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生まれて死んだ
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不安が緊張を高めて。緊張が不安を高めて。なんていう悪循環の中で。そこから逃げて、足掻いて。溺れてあぶく吹いて。目え回して死んでる。気づいたらあの世というこの世でエンドレスしてる。今度こそはと立ち向かった先で。また繰り返してる。もう何回、目を覚ましたか知らないが。あの世はこの世になって、またあの世が私のこの世になった。そうしてまたデジャヴ見てる。この世からあの世に私を転送。転送。転送転送転送転送転転転転転転...てんてんと。弾き出されるまで、この世に今日もしばらくの仮住まい。次は何処へ行くのだろう。
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2011/02/13 (Sun) 16:25
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何かを好み。それに干渉するというのは、または、それを五感で感じるというのは。それを自らのアイデンティティの一部に取り入れる、または、そのように見なしそれを許可するということだけど。その精神活動を一度に大量にやりすぎてしまうと。精神と体力がともなわず完了せず投げ出した処理の分だけ自分を見失い。どこからどこまでが世界で、どこまでが自分なのかわからなくなる。そうなると世界と自分の曖昧な境界線のところから様々な情報が自分の方へ溢れてきて、いずれ自分は世界に支配されてしまう。それを防ぐために、処理を始める前の自分にバックアップする。少し世界と距離を置いて、頭を整理する。再処理。
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2011/02/07 (Mon) 14:00
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今更前提
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ケセラセラの80%が嘘だ。主人公であるかのような君とやらは存在しない。彼女や彼等も存在しない。大抵がワタシの空想で仮定の話しだ。ただ元になるストーリーは存在する時がある。そして紛れもなくワタシは存在している。ただのそれだけで構成されている文章だ。意味は元々持たない。けれど誰でもない誰かへメッセージを埋め込んだりはする。それを意味としとこうか。一緒に想像してみれば楽しい。ワタシ一人の想像力とアナタの想像力が加われば面白いことになるかもしれない。思考するためのツールとしての文字列だ。
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2011/02/06 (Sun) 1:03
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つまらな過ぎる今から抜け出そうと。ライフイベントをわざわざ作ってみたりする。耐えられもするかわからないそれを。あみあみと作ってはわざとフラットラインを歩き出す。楽しい夢を見てくださいとニヤニヤヤギが言う。時間よ止まれよと小さい自分が何度願ったかは知らないが。叶う夢と叶わない夢が有ることすら知らないで。偽物の幸福求めて夢遊病みたいに。歩き回るそこは海の底。正気の在処を誰が知ってる?ああいいよ。別に知りたくないから。知りたくなったらまた聞くよバイバイ。
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2011/02/05 (Sat) 18:42
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